森林の多種多様な動物や植物は、相互に影響しあいながら生活を送っている。こうしたなか、野生のツキノワグマを中心に、森林の生き物の生態を生態学的手法により解析し、森林と人類の共存のために必要な知見を日々発表しているのが、東京農工大学大学院農学研究院 の小池 伸介 准教授だ。今回は小池准教授に、人類とクマが共存するために必要な観点や、今後さらに踏み込んだ森づくり・保全に必要な考え方を伺った。
あらゆる生き物を通し「森」を見る
Q:まずは、研究の概要について教えてください。
日本は国土の約3分の2が森林で、そのうちの4割ほどは人間がスギやヒノキなどを植えてつくった針葉樹の人工林、残りが広葉樹林などの天然林となっています。実際の日本の山には、人工林と天然林がモザイク状に入り組んでいるところが多いのですが、そういった場所を研究の対象にしています。人間がたくさんの恵みを受けている森林や、その森林に生活する様々な生き物と人間との付き合い方について考えていくのが私たちの研究です。
私の研究ではクマを対象にすることが多いですが、基本的にはあらゆる生き物を通して森を見ていきたいと思っています。森は人間が考えている以上に複雑な仕組みを持っているので、できるだけ多くの生き物の視点で森を見ていくことで、違った見方ができるようになります。
動物の研究をする場合、どうしても対象である特定の動物だけを見る傾向があります。しかし実際の動物は、様々な種類の植物が生育する森の中で暮らしています。そして、自分の周りのいろいろな植物や動物を食べることなどで、様々な生き物とかかわりを持ちながら生きています。
そのため、ある生き物単体を見ているだけでは、その生き物本来の姿や住んでいる森の様子も見えてこないと考えています。
様々な視点で森を見て、森の仕組みを知ることで、森やそこで暮らす生き物の保全や管理に活かせるような情報を蓄積していきたいと考えています。一つの視点からではなく、あらゆる視点からというところが私の研究の特徴ですね。
Q:その中で、クマが住む場所にはどんな条件があるのでしょうか。
まず、北海道にいるのがヒグマ、本州と四国にいるのがツキノワグマです。クマは肉食だと思っている人が多いかもしれませんが、実際に日本の本州や四国にいるツキノワグマの食事の約9割が植物です。春には木の葉っぱ、夏から秋にはドングリなどの木の実を食べています。そういった食べ物がある場所、つまり広葉樹林が彼らの生息地になっています。もちろんクマの研究でもそういったところが舞台になります。
Q:実際の研究ではどのような手法をとっているのでしょうか。
ツキノワグマは深い森の中で、親子以外で群れたりすることはなく、単独で暮らしています。そのため、ほとんど姿を見ることができず、サルやシカのように直接観察することが難しいです。
そこで、クマを捕獲してGPSが内蔵された追跡装置をつけて動きを追跡したり、クマから血液サンプルを採って血縁関係を明らかにしたり栄養状態を見るなど、間接的な方法でクマの生きざまに迫ることを20年近く続けてきています。
皆さんがクマの話題に触れるのは、秋が多いかもしれません。秋になるとクマが人里に降りてきたとか、そういったニュースが増えてきます。ところが、なぜ秋になるとクマが人里に多く降りてくるといった現象の背景は、以前はよくわかっていませんでした。
クマの秋の食べ物であるドングリは、自然のリズムで実りが良い年と、実りが悪い年があるだけでなく、さらに個体間で実りの程度を同調させる特質があります。そのため、今年はこの山のドングリは不作で、こっちの山は豊作だ、というような状況が発生します。
一方で、クマは秋の間にドングリをたくさん食べて、冬眠中の栄養を十分ため込んだ状態で冬眠を行います。さらに、クマは冬眠中に子供を産みますが、ちゃんと秋の間にドングリを食べて脂肪を蓄積しなければ子供を産むこともできないと言われています。こうした点から、秋のドングリの実り具合が、クマが人里に降りてくることに関係しているのではないかと、長い間言われつづけてきましたが、はっきりとしたことはわからないままでした。
15年前にある研究プロジェクトが始まって、私も一員としてかかわりました。プロジェクトは、動物の研究者は徹底的にクマの行動を、クマに追跡装置をつけて追跡し、植物の研究者は地域のドングリの実りを徹底的に調査するという分野融合のものでした。その結果、やはりドングリの実り具合によってクマの動き方が大きく変わることがわかりました。ドングリの実りが悪ければ、クマは食べ物を求めて、普段は行かないような遠くのところまで大きく動くわけですが、ただそれだけでクマは人里に出てくるわけではありません。
クマが普段から生活しているところを離れて、人里に近づいたとき、人里に収穫していないカキやクリなどの果物や生ゴミなど、クマにとって魅力的な美味しいものが存在することがあります。それが、クマを人里に誘引させる要因になるということが研究でわかってきました。
それらの結果が科学的な根拠となり、現在では事前にドングリの実り具合から「クマ出没注意報」が発令される地域もあります。注意報の根拠に結びついたことが、我々の研究の成果のひとつと言えるでしょう。
クマの動きは変えようがないので、人間の方が「今年はクマが出るかもしれない」と注意をしておくことで、果物を早めに収穫したり生ゴミの扱いに気をつけることができ、結果的にクマの出没をある程度抑えることができるわけです。
人間の意識を変えなければいけないという部分に気づけたことは、研究をしてきてよかったことだと感じています。クマが住んでいるところで生活している人たちの中には、やはりクマがいるだけで嫌な人もいます。
一方、街に住んでいる人の中からは、クマがかわいそうだから殺すな、などといった声も出てきます。どうしても感情的な意見は対立してしまいますから、両者を納得させるためには科学は重要な手段になります。誰もが聞いて納得する科学的な情報が存在することで、様々な物事を考えている人が同じ土俵に立ち、意見を交換していくことが出来ます。そのためにも、科学的な情報を少しずつでも蓄積し、正しく世間に発信していくことが私たちの仕事だと思っています。
Q:ドングリとクマの関係以外に見えてきたことはありますか。
クマは山からいなくなってもいいだろうという話をよく耳にするのですが、じゃあクマが本当に何の役にも立っていないのかというと、そういうわけでもありません。
クマは木の実が大好きなのですが、食べた木の実のタネを噛み砕かずに、そのまま糞として排泄し、そのタネが発芽します。また、クマは日本に住んでいる様々な植物のタネを運ぶ動物の中でも、一番行動する範囲が広い生物です。そのため、クマがどこかで木の実を食べ、遠く離れたところでタネの入った糞をすることで、植物にとってはすごく遠くまで子孫を運んでもらっていることになります。クマは将来の森の姿を決める上で、非常に重要な役割を担っているのです。
さらに、クマがタネの散布者として十分に機能するためには、クマがタネを糞とともに散布しただけでは不十分です。クマの糞ってかなり大きなもので、中には何千個ものタネが入っています。それらがすべて発芽することはなく、例えばネズミが現れて、タネを食べることで間引いたり、フンコロガシが糞と一緒にタネを埋めることで、タネの発芽が促進されるわけです。
クマがタネの散布者として機能するためには、ネズミやフンコロガシなどの助けが必要です。様々な生き物が一緒に森の中に生活しているからこそ、クマの役割が発揮できると言えます。
あまり科学的な言い方ではありませんが、見方を変えればクマは木の実を食べることによって、自分の住処(森)をつくっているとも言えるでしょう。クマの住処として森があるだけではなく、植物に対してもクマはすごく貢献している可能性は高いです。森には様々な生き物が住んでいますが、やはりそれぞれが何らかの関係を持っている、その複雑な関わり合いをひとつひとつ解き明かしていくことが大事だと思います。
このように、従来通説として言われてきたことを明らかにしていくことで、さらにその中から新しい事実も見えてきます。すぐに何かの役には立つわけではないかもしれませんが、一つひとつの物事を地道に明らかにしていくことが、大学の役割ではないかなと思います。
Q:研究に至るまでに、どんな経緯がありましたか。
最初は漠然と、森林の動物について研究したいと考えていました。私が学生だった頃「コリドー(回廊)」という森と森との間を動物が行き来できるように、森を繋げようとする「緑の回廊」の取り組みが、日本で始まりました。コリドーに興味があると当時の指導教員に相談をしたところ、「それなら、緑の回廊を使うのはクマが主役になるから、クマのことを知っていなければならないよ」と言われ、それがきっかけでクマの世界に飛び込みました。
20年前は今ほど技術が発達しておらず、現在の主流である動物の行動を追跡するGPS受信機などもなく、なかなかクマの行動追跡もできませんでした。そのため野生のクマの情報を集めることは、非常に難しかったです。唯一出来ることは、山へ入ってクマの糞を拾ってくることくらいしかありませんでした。
そこで、山でクマの糞を拾い、それらを分析するなかで、糞の中にある無傷のタネの存在に興味がわきました。最初からクマの生態についての研究ができればよかったのですが、当時は十分にクマに迫ることができず、それなら確実にデータが取れる植物の視点からクマに迫ろうということで、学生の頃はクマの種子散布者としての役割やクマと森との関係についての研究をしていました。
GPS受信機が十分に使えるようになったのはここ15年くらいのことでしょうか。GPS受信機を様々な個体に装着し、遺伝解析の技術やデータの解析技術も進むとともに、最近では異分野との融合研究が進むことで、少しはクマの生きざまに迫ることが出来るようになってきました。
いま一歩踏み込んだ森づくり・保全を求めて
Q:今後の課題としてどんなことがありますか。
技術的な課題というと、我々が使っているGPS受信機や調査器具はほとんどが海外製です。国内のものもわずかにはありますが、多くは海外製なので取り寄せたり細かな注文をしようとすると大変な部分があります。できれば、国内でこういった産業がもう少し発展すればいいなと思いますね。
また、日本では野生動物というと、やはり獣害の話は避けて通れません。現在は様々な現場で生き物のデータを使って、獣害の対策に活かそうという試みが行われていますが、なかなかうまく「研究」と「現場」がリンクできていないのも課題です。さらに、たくさんの生き物のデータが取れるようになってきたのですが、それらを正しく解析しきれていないという部分もあります。これからはAIなどの機械学習を使うことで、もう少し現場が使いやすいようなデータにする解析方法が生まれてくるといいなと思います。
Q:この分野を志す学生にはどんな意識が必要でしょうか。
学生に大事なのは、現場で自らデータを取る力だと思います。自然は予想外のハプニングがたくさんあるので、予定通りに物事が進まないことがほとんどです。そのため、自分で野外に出て、データを取り切れる人は、この分野では強いと思いますね。
また、日本の場合、人間がまったくいない場所ってほとんどありません。そこで必要になるのが、現地に住んでいる人とのコミュニケーション力です。それがないと現地でトラブルを起こしますし、山にも入ることができません。また、野外では多くの人と一緒にデータを取る機会も多いですが、十分にチーム内でコミュニケーションが取れていないと、野外で満足にデータを取ることもできません。様々な立場の人とコミュニケーションが取れる能力は必要ですね。
あとは問題が起きてしまった時に、臨機応変に対応できる対応力も必要です。車で事故を起こしたり、山で怪我をしてしまうこともあります。また、自然相手なので、予定通りにデータが取れないこともたくさんあります。そういった予想外のハプニングに対して、素早く最善の判断ができることは大事な能力です。
Q:企業と森林の関係についてはどんなことが求められていますか。
近年はCSRなどで森の保全活動が盛んですが、その内実は植林などの人工林の管理が多く見られます。しかし、森のためになることはそれだけではありません。
私は最近、四国で活動する機会がよくあります。四国にもツキノワグマがいるのですが、すでに数十頭しかいないと言われています。つまり絶滅寸前のところまで来ていて、四国のクマを絶滅させないために様々なことに取り組んでいます。
例えば、社有林(会社の森)を持っている会社から、クマや自然のために何かをしたいと声をいただく機会があります。それならば、人工林の植林や枝打ちではなく、時間をかけてクマが暮らせる広葉樹林に変えていくような活動を提案したり、そこで取れた木材を使って「クマが住める森のための活動です」というような名前を付けた商品にすることで、世間に四国のクマが置かれている状況を普及するような活動を提案したりしています。
また、ある養蜂家の方は、クマに養蜂箱を襲われないように、電気柵で養蜂箱を囲みながら、ハチミツを採っています。そのハチミツに「クマと共存しているハチミツです」というラベルを張ることで、それまでは道の駅で細々と売っていたハチミツが、街で飛ぶように売れるようになり、お客さんの反応がものすごくいいことに驚いていた養蜂家の姿が印象に残っています。このように、ある動物が存在したり豊かな森があることで、その地域全体にメリットが生まれるような活動や、そのお手伝いができないかなと考えています。
人々が豊かな森やそこに生きる様々な動物がいることを誇りに思ってもらえるような商品開発やCSRが広がれば、また違った形での森の保全につながると考えています。
Q:今後の目標を教えてください。
クマについてはまだまだ分からないことがたくさんあります。今はやっと背中が見え始めたくらいだと思っています。そのため、クマの真の姿を一つひとつ明らかにしていくことが、クマやクマが暮らす森の保全にもつながり、クマと人間との間の不幸な事故を減らすことにもつながると考えています。
また、人間は森から多くの恵みを得て暮らしています。これからも、持続的に森からの恵みを受けながら、森に多くの生き物が暮らしていけるようにしていかなくてはなりません。一方で、私たちは森の仕組みについて、分からないことだらけです。森が健全な姿であり続ける仕組みを正しく理解しないと、どのように森と付き合っていけば良いのかわかりません。そのため、まだ誰もが知らないような森の仕組みを1つ1つ明らかにしていくことが、森やそこに暮らす生き物たちと人間とが上手に付き合っていく上では大切なことではないかと考えています。(了))
小池 伸介
こいけ・しんすけ
東京農工大学大学院農学研究院 准教授。
2001年、東京農工大学農学部地域生態システム学科 卒業。2003年、東京農工大学農学研究科自然環境保全学専攻 修了。2008年、東京農工大学連合農学研究科資源・環境学専攻 修了。博士(農学)。
2007年より日本学術振興会特別研究員となる。
その後、東京農工大学大学院助教、講師をへて、2015年より現職。