高齢化が進む日本において、認知症はもはや個人の問題にとどまらず、家族や社会全体に大きな影響を及ぼす深刻な課題である。なかでもアルツハイマー病は、神経細胞が徐々に失われていく進行性の神経変性疾患であり、有効な治療法はいまだ限られている。2000年、東京大学大学院 薬学系研究科 機能病態学教室の富田泰輔教授は、アルツハイマー病の原因がアミロイドβというタンパク質にあることを、分子レベルのメカニズムから世界に先駆けて示した。この発見を通じて、富田教授は「原因」と「結果」の関係を正確に見極め、病気の進行段階に応じた科学的アプローチの重要性を認識し、新たな研究に取り組み始めた。
現在は、アミロイドβ・タウ・神経細胞死という三つの病態の因果関係を明らかにする研究に加え、脳内で薬剤を光により活性化させる“光認知症療法”の開発にも挑んでいる。アルツハイマー病の進行フェーズに応じた治療戦略の構築を目指し、日々研究を続けている。本記事では、富田教授が取り組むアルツハイマー病研究の最前線について話を伺った。

アミロイドβとタウの“間”にある炎症応答。アルツハイマー病の因果構造に挑む
Q: 「機能病態学教室」というのは、ユニークな名称ですね。この名前の由来を教えていただけますか?
「機能病態学教室」という名称には、私たちの研究姿勢が色濃く反映されています。この研究室は、まず初めに機能病態学寄付講座として設置され、一時期「臨床薬学教室」という名前でした。これは、医療の現場(臨床)で実際に使用されている薬剤に関する研究を意味しており、薬の適正使用や薬物動態などを扱う分野をイメージさせる名称です。
しかし、私たちが取り組んでいるのは、病気の根本原因を分子レベルで解明し、それを手がかりに新たな治療法や薬の開発へとつなげていく創薬研究です。いわば「薬を臨床に上げる(届ける)」ための研究ですので、疾患の成り立ち、すなわち病態そのものの解明に主眼があります。そうした研究内容と理念をより適切に表現する名前として、「機能病態学」がふさわしいと考えました。
なぜ“機能”と“病態”を並べているのか。それは、病気を研究することが、実は「正常とは何か」「生き物がどう生きているのか」という問いに通じているからです。たとえば、アルツハイマー病の研究は「なぜ記憶が失われるのか」という疑問を通じて、「人はなぜ記憶できるのか」「記憶とは何か」という根源的な仕組みに迫ることになります。
つまり、病態を突き詰めることは、生き物がどうやって生きているのか、その“理(ことわり)”を解き明かすことに他なりません。病気の“異常”を観察することで、逆説的に“正常”のメカニズムが浮かび上がってくる。そうした視点から、病気の研究と基礎生物学は切り離せない、表裏一体の関係にあるのです。
この考え方は、医学・薬学の進歩を支えてきた歴史の中にも見られます。ホルモンとしてのインスリンの発見や、遺伝子配列を読むシーケンサー、タンパク質の構造解析技術など、いずれも「糖尿病を治したい」という思いから始まった研究が、結果として現代の生物学を支える大きな成果に結びついています。すべての出発点には「なぜ病気になるのか」があり、その追究が「生き物はどうなっているのか」という本質に通じているのです。
私たちの研究室は、こうした学問の本質に根ざしたスタンスで、病気の解明とその先にある創薬に取り組んでいます。だからこそ「機能病態学」という名称は、単なるラベルではなく、私たちが日々向き合っている問いそのものを象徴する言葉だと考えています。
Q: 研究概要について教えていただけますか?
神経変性疾患のなかでも、とりわけアルツハイマー病に関心を持ち、長年研究を続けてきました。機能病態学寄付講座は、当時客員助教授だった岩坪威教授によって立ち上げられた研究室であり、私はその初期メンバーとして、アルツハイマー病の原因物質として注目されているアミロイドβに着目し、その分子メカニズムの解明に取り組んできました。
1997年に家族性アルツハイマー病の患者において、遺伝子変異がアミロイドβの産生を変化させることを発見しました。その研究成果をもとに、2003年にはアミロイドβの産生に関わる分子メカニズムの一端を明らかにしました。これらの結果から、この異常タンパク質が単なる結果ではなく、疾患の原因である可能性を強く示唆する成果となりました。
2004年にアメリカ・ワシントン大学に留学した際には、神経がどのように発生・分化していくかという「神経発生」の研究に取り組みました。アルツハイマー病と直接の関係はありませんでしたが、神経細胞全体の成り立ちを理解するという意味で、後の神経変性疾患研究を支える重要な基盤となりました。
アルツハイマー病をはじめとする神経変性疾患は、加齢に伴って神経細胞が選択的に死んでいくことが特徴であり、現在も根治療法は確立されていません。私の研究室では、アルツハイマー病に加え、日本国内で「指定難病」に認定されているパーキンソン病や筋萎縮性側索硬化症(ALS)などを対象に、病態の解明と創薬に取り組んでいます。
これらの疾患に共通するのは、「神経細胞死」と並行して、脳内に異常なタンパク質が蓄積するという現象です。たとえば、アルツハイマー病ではアミロイドβからなる老人斑や、タウタンパクによる神経原線維変化、パーキンソン病ではαシヌクレイン、ALSではTDP-43といった異常タンパク質の蓄積が確認されています。いずれも加齢により代謝や分解の仕組みが衰えることで排出されにくくなり、結果として“脳にゴミがたまる”ような状態に陥ります。
このような異常タンパク質(脳内のゴミ)の蓄積は、100年以上前から病理学者により観察されてきましたが、当時は亡くなった患者の脳を対象とした研究が主であったため、それが病気の原因なのか結果なのかを特定するのは困難でした。
そこで2000年代以降、マウスなどの動物モデルを用いた研究が進み、異常タンパク質を人工的に脳内に蓄積させることで、神経細胞死や行動異常といった病態が再現されるようになりました。これにより、これらのタンパク質が疾患の発症や進行に関与していることが実験的に示され、病因解明の大きな手がかりとなっています。
このような考え方は、神経疾患に限らず他の病気にも応用されています。たとえば新型コロナウイルス感染症では、ヒトへの感染を再現できる動物モデルを用いた研究によって、ウイルスが発症の直接原因であることが明確にされました。原因が証明されなければ、免疫低下など他の要因の関与も否定できなかったはずです。
病気のメカニズムを明らかにするには、「原因」と「結果」を正確に見極めることが何より重要です。これは、単に現象を観察するだけでなく、異常がどのようにして発生し、どの段階で神経細胞に影響を及ぼすのかを、実験的に証明していく必要があるということです。そのために私たちは、モデル動物を用いた病態の再現や、分子レベルでの変化の追跡、細胞死に至る過程の解析など、多角的なアプローチを通じて、疾患の本質に迫ろうとしています。
Q: 具体的には、どのような研究を行っているのでしょうか?
現在、私たちが特に力を入れているのは、大きく分けて2つの研究です。
1つ目は、アルツハイマー病を始めとする神経変性疾患の発症メカニズムに関する基礎研究です。アルツハイマー病については、アミロイドβというタンパク質が脳に蓄積され、その後タウと呼ばれる別のタンパク質が異常に集積し、最終的に神経細胞が死んでいく、という一連の流れが想定されています。しかし、この3つの現象がどのような因果関係によってつながっているのかは、いまだ未解明のままです。
実験では、例えばマウスにタウを過剰に発現させると神経細胞が死ぬことは確認されていますが、「なぜ死ぬのか」については、現時点でも明確な答えが得られていません。
私たちはこの“つながり”の鍵として、「炎症応答」に着目しています。アミロイドβの蓄積だけでは細胞死は起こらず、免疫系が反応することでタウの異常蓄積や神経細胞死が誘導されるのではないか、という仮説のもとに研究を進めています。マウスモデルやヒト脳組織を用いた解析によって、このプロセスの生物学的メカニズムを解明しようとしています。
こうした基礎研究の延長線上には、創薬の可能性も広がっています。2023年には、アミロイドβを標的とする抗体医薬「レカネマブ」が日本で承認されました。これはアミロイドβを除去することで、認知機能の低下速度を緩やかにする効果が報告されています。また現在では、多くの製薬企業が次の標的としてタウの除去を目指す薬剤の開発を進めています。
ただし、こうした“上流”のアプローチには限界もあります。たとえば、アミロイドβが蓄積され、それによってタウの異常が始まってしまうと、その後はアミロイドβを除去しても、タウによる神経細胞死のプロセスは止まらない――いわば「一方向に流れるプロセス」がすでに始まっているとしたら、上流を止めるだけでは不十分です。タウの“後”に起きている不可逆的な細胞死プログラムにも、別の治療戦略が必要なのです。
したがって、アミロイドβ・タウという二大因子の“間”に起きている炎症や、タウの“後”に起きている不可逆的な細胞死のプロセスを理解し、それらを新たな創薬ターゲットとすることが、次世代の治療戦略にとって極めて重要だと考えています。
また、アルツハイマー病は一枚岩ではなく、患者ごとに進行経路が異なる可能性もあります。アミロイドβが有効な人もいれば、炎症やタウに対するアプローチが必要な人もいます。だからこそ、病態の“つながり”を一つずつ解明し、治療の選択肢=「オプション」を増やすことが、次世代の個別化医療へのカギになると考えています。
もう1つ、私たちが力を注いでいるのが、アルツハイマー病の病態メカニズムを踏まえた新たな創薬の取り組みです。中でも現在注力しているのが、「光認知症療法」と私たちが呼んでいる、革新的な薬剤システムの開発です。
これは、飲み薬にもなり得る低分子化合物と光刺激とを組み合わせた新しい治療技術で、服用しただけでは薬は不活性のまま、頭部に光を照射したときに初めて脳内で活性化されるという仕組みです。つまり、必要な場所だけを狙い撃ちすることができ、副作用のリスクを最小限に抑えながら、アミロイドβやタウの除去を可能にすることを目指しています。
こうした背景には、現在承認されている抗体医薬の限界もあります。たとえば、抗アミロイドβ抗体「レカネマブ」は、脳内のアミロイドβを除去する効果が認められています。しかし、一般的に抗体医薬というのは非常に高価な医薬品です。注射によって体内に投与されるこれらの抗体は、もともと人の免疫システムに備わっている仕組みを模倣して製造されたものであり、製造コストも高くつくのです。
一方、我々が日常的に服用しているような薬──いわゆる「低分子薬」は、化学合成によって比較的安価に製造でき、経口投与も可能です。もしこうした低分子化合物を用いて、脳内のアミロイドβやタウに作用させることができれば、より安価で汎用性の高い治療薬の開発が期待できます。
しかし、単純に低分子薬を飲ませただけでは、体のあらゆる部位で作用してしまい、望ましくない副作用を引き起こすおそれがあります。そこで着目したのが、「光で薬を活性化させる」という発想でした。これは、がん治療における「光免疫療法」から着想を得たもので、がん細胞に特異的な抗体に光感受性分子を結合させ、がん部位に光を当てることでその場でのみ薬効を発現させるという技術です。
この仕組みをアルツハイマー病に応用しようとしているのが、私たちの「光認知症療法」です。飲み薬として服用してもすぐには作用せず、頭部に光を照射することで初めて薬が脳内で活性化し、局所的に免疫を高めることでアミロイドβやタウといった異常タンパクの除去を促すのです。
すでにマウスを用いた実験では一定の効果が確認されており、現在はより大型の動物を対象に、安全性の評価を進めている段階です。ベンチャー企業と連携しながら、公的資金の支援も受け、有効な化合物のスクリーニングと最適化に取り組んでいます。すでに治療コンセプトは確立しており、将来的には人への応用を見据えた臨床開発を進めていく構想です。このように、病気の根本的なメカニズムを理解し、それに基づいた治療法をデザインする。私たちは「病態の解明」と「治療法の開発」の両輪によって、アルツハイマー病の克服に一歩でも近づきたいと考えています。そして最終的には、患者さんの選択肢を広げ、それぞれの症状や進行段階に応じた多様な治療アプローチが可能な未来を目指しています。
Q:この研究の独自性はどのような点にありますか?
私たちの研究の独自性は、アルツハイマー病における「病態のつながり」に注目し、その“間”を解明しようとしている点にあります。
これまで多くの研究は、アミロイドβやタウといった“蓄積物”そのものに焦点を当ててきました。たしかに、それらが病気の鍵を握るという点では世界中の研究者の共通認識になっています。しかし、アミロイドβがどのようにタウに影響を及ぼし、その結果として神経細胞が壊れていくのか──この一連の流れの“あいだ”にあるメカニズムは、長らく見過ごされてきました。
私たちは、そうした「病態のつながり」に早くから着目し、とくに脳内免疫の役割に注目して研究を進めてきました。脳にアミロイドβがたまっただけでは神経細胞は死なず、その後に免疫細胞が活性化し、炎症応答が引き起こされることで、タウが蓄積し、神経細胞の死に至る──そのプロセスをつなぐ“免疫応答”こそが、病態進行のカギがあることが徐々に見えてきたのです。ここに、私たちの研究の先駆性があると考えています。
また、創薬の取り組みにおいても高い独自性があります。現在私たちが開発しているのは、“光”によって活性化される低分子薬による新しい治療法「光認知症療法」です。これは、薬を服用してもすぐには作用せず、頭部に光を当てたときだけ薬が活性化し、脳内の免疫を刺激してアミロイドβやタウを除去するという技術です。抗体医薬に比べて安価かつ経口投与が可能で、副作用のリスクも抑えられる、まったく新しい治療概念です。
この技術は、同じ東京大学薬学部の有機化学の専門家である金井求先生が開発した光応答性分子をベースに、私たちのモデル動物実験によって実用性が示されたものです。当初は、いわゆる“たまりもの”に作用するという狙いでしたが、動物モデルで検証したところ、光照射により脳内の免疫が活性化するという想定外の効果も確認されました。これは試験管内の実験では見えなかった、生体を使った研究だからこそ見えてきた成果です。
つまり、この化合物は「たまりものの除去」と「免疫活性化」という二重の効果をもつ、まったく新しいタイプの低分子薬になる可能性を秘めています。抗体医薬とは異なり、安価で経口投与が可能で、副作用も抑えられる。このような発想は、既存の製薬企業ではまず出てこない、大学ならではの視点によって生み出されたコンセプトだと自負しています。
私自身、化合物の開発者ではありませんが、有機化学の先生が確立した技術をモデル動物に応用し、治療薬としての可能性を示していく──この学内連携の中で、“橋渡し役”として新たな価値を引き出せたことが、真の意味での独自性につながっていると感じています。
創薬の次なる使命──「誰もが使える薬」を社会に届けるために
Q:研究での課題があれば教えてください。
現在、私たちの研究には大きく分けて2つの課題があります。1つ目は病態解明における技術的な課題です。アルツハイマー病の研究では、これまで多くのモデル動物が用いられてきました。しかし、動物実験で得られた知見が、必ずしもヒトの脳で再現できるとは限りません。特にマウスなどの小動物は、寿命・代謝・生活環境などが人間と大きく異なるため、両者の違いを正しく理解したうえで、人により近いモデルでの再現性を高めることが不可欠です。
この点において、海外ではiPS細胞由来のヒト免疫細胞をマウス脳に移植する手法や、マウス以外の動物種(サルや犬など)を活用した研究も進んでおり、私たちも今まさにその取り組みを始めようとしているところです。こうしたモデルをもとに、より確かな病態再現と創薬の精度向上を目指しています。
2つ目の課題は、私たちが開発している“光で活性化する低分子薬”を人間に応用するための実験的・工学的な検討です。マウスの頭蓋骨は非常に薄く、光を外部から照射しても脳内に届きやすいのですが、人間は頭蓋骨が厚いため、同様の手法が使えるかどうかが課題となっています。
現在は、より人に近い動物モデルを使った検証に加えて、赤外線に近い波長の光源の開発や、脳への透過性を高める照射デバイスの改良など、物理工学的なアプローチも取り入れています。
さらに、薬物動態に関する課題もあります。たとえば、どのタイミングでどれくらいの頻度で服用すれば効果が持続するのか、脳のどの部位にどの程度届くのかなどを明らかにする必要があります。
このように現在の研究は、生物学・化学・物理学・薬理学など複数の分野が交差する学際的なテーマです。だからこそ、学内外の専門家や企業との連携を深め、それぞれの知見と技術を結集しながら、臨床応用に向けた道のりを着実に進めているところです。
Q: この分野を目指している学生に伝えたいことはありますか?
専門領域だけにとらわれすぎず、広い視野でさまざまなことに興味を持って学んでほしいと思います。私自身、研究を続ける中で強く感じているのは、「自分の知っていることの範囲だけでは限界がある」ということです。実際、私たちの研究室でも、有機化学や物理学など異なる専門の先生方と共同研究を進めていますが、それが実現できているのは、小さな知識や興味がきっかけになっているケースが多いのです。
研究が本業になると、どうしても視野が狭まりがちですが、学生のうちはぜひ薬学以外も含めて広く学んでほしい。異なる分野の考え方に触れることで、自分では思いつかないような発想が生まれたり、思わぬ研究の可能性が開けたりするからです。
たとえば最近では、アルツハイマー病を対象に開発していた「光認知症療法(光活性化薬)」が、別の疾患──皮膚や心臓などにアミロイドがたまる病気──にも応用できる可能性が見えてきました。そうした新しい展開は、他分野の研究者との出会いや対話の中で生まれたものであり、自分ひとりでは気づけなかった発想です。
また、海外の学会や留学で実感したのは、科学が文化や言語の壁を越える「共通言語」だということです。たとえアプローチや解釈が異なっても、同じ現象に向き合うことで、世界中の研究者と対話ができます。そうした経験を通して、多様な価値観や思考方法を学び、自分の視野をさらに広げることができるのです。
だからこそ、学生のうちは「好きなこと」や「ちょっと気になること」に積極的に触れてみてください。異なる世界を知ることが、結果として大きな研究の力になるはずです。
Q: 研究を社会実装する上で、企業などに期待することはありますか?
認知症治療薬をはじめとする創薬の研究は、成果が出るまでに非常に長い時間を要する分野です。安全性を確保しながら、一つひとつのステップを丁寧に積み重ねていく必要があるため、その分だけ時間がかかります。
一方で、企業側には「できるだけ早く結果を出さなければならない」という現実的なプレッシャーがあります。目指しているゴールは同じでも、スピードや求められる判断のタイミングには、どうしてもギャップが生じてしまいます。その違いは、研究成果を社会に届けていく上で、大きなハードルのひとつだと感じています。
ですから、企業の皆さんにはもう少し長期的な視点で研究と向き合っていただける体制や仕組みが、さらに広がっていくことを願っています。近年、日本でもベンチャー支援や公的助成の制度が整ってきており、研究の社会実装に向けた動きは以前よりも前進していると感じます。ただ、大学と企業の間には、まだ距離を感じる場面も少なくありません。
私も時折、社会人向けのセミナーなどで企業の方々とお話することがありますが、研究とビジネスでは「時間の流れ方」に大きな違いがあります。創薬は10年単位で進める長期的な取り組みが一般的ですが、多くの企業では数年以内の成果が求められるのが現実です。
このギャップを埋めるためには、民間資金に加え、ベンチャーや公的資金、さらには海外で見られるような民間投資家の支援を含めた、多層的な資金調達の仕組みが重要になると考えています。
製薬企業のように長期視点で研究を支える体制を有する企業もありますが、そうした例は決して一般的ではありません。だからこそ、産学官それぞれが持つ強みを活かし、相互に補完し合える“持続可能な連携の枠組み”の構築が、今後ますます重要になっていくと考えています。
そして何より、いまこの瞬間にも治療法を待っている患者さんたちがいます。一日でも早く新しい選択肢を届けられるように、研究と社会とをつなぐ仕組みづくりに、これからも取り組んでいきたいと思っています。
Q: 今後の展望をお聞かせいただけますか?
これから注力していきたいのは、大きく分けて3つの取り組みです。
1つ目は、光認知症療法の実用化です。これは、いま最も早く患者さんに届けたいと願っているアプローチです、まずは認知症以外の疾患を対象にコンセプトを確立した上で、医療現場や製薬企業、患者さんとの連携を通じて、本格的な社会実装につなげていきたいと考えています。
2つ目は、認知症の予防や早期介入に向けた診断法と非薬物的アプローチの開発と、科学的背景の解明です。簡便に将来の認知症発症リスクを知り、薬に頼らず予防するということは、医療費の抑制にもつながりますし、生活の質を維持する上でも極めて重要です。まず予防を図り、必要な段階で薬による介入を行う。そうした多層的なアプローチが、今後ますます求められると感じています。そしてその背景にある分子・細胞・臓器レベルでの変化をしっかりと理解し、認知症発症メカニズムと関連を検証することで、科学的に正しい診断・予防法を提供したいと考えています。
3つ目は、認知症がすでに進行してしまった方への治療法の模索です。現状では有効な手立てが限られており、ご本人やご家族の負担は非常に大きいのが現実です。私自身、身内の介護を通じてその現実を目の当たりにしてきました。アミロイドβやタウの蓄積によって起こる神経変性のメカニズム解明といった研究に加え、神経細胞の死滅が進行した段階でも、残された脳機能を賦活化させるような新たなアプローチが必要だと感じています。疾患の進行フェーズに応じた治療戦略を確立することが、今後の大きな課題です。認知症は、予防から進行後のケアまで、段階ごとに異なる対応が求められる病気です。それぞれのフェーズに適した科学的アプローチを見極めながら、社会にとって意義ある形で研究成果を還元していければと考えています。(了)

富田 泰輔
(とみた・たいすけ)
東京大学大学院 薬学系研究科 機能病態学教室 教授
東京大学大学院 薬学系研究科 機能病態学教室 教授1995年 東京大学薬学部薬学科 卒業。1995年 第80回薬剤師国家試験 合格。1997年 東京大学大学院 薬学系研究科博士課程 中退。2000年 東京大学 博士(薬学)取得。1997年 東京大学大学院 薬学系研究科 助手、2003年 東京大学大学院 薬学系研究科 講師、2006年 東京大学大学院 薬学系研究科 准教授を経て2014年より現職。