ヘルスケアの市場が拡大するなか、次なるデバイスとして無限の可能性を秘めているのが、飲む体温計だ。実用化することができれば、我々の生活を大きく変える可能性がある。こういった飲込み型デバイスの開発に取り組んでいるのが、東北大学大学院工学研究科・工学部 ロボティクス専攻の吉田 慎哉特任准教授だ。今回は吉田特任准教授に開発の経緯や現時点の課題について話を伺った。
「飲む」デバイスを開発
Q:研究の概要について教えてください。
飲むことでしか測れないような生体情報を、認識したりセンシングする「飲む」デバイスを開発しています。
まず、最初のターゲットとしたのは、人間の基本的な生体情報である体温です。実は、普段私たちはちゃんと体温を測ることができておらず、きちんと測ることで様々な疾病や病気などが早期診断できる可能性があります。開発のコンセプトは、身体の中の体温、「深部体温」を、簡単かつ正確に、日常的に測れるデバイスです。
アメリカやヨーロッパではすでに飲む体温計は存在しており、基本的にはボタン電池が搭載されています。これらの国ではすでにアスリートを中心に使われており、東京オリンピックでの暑熱対策を検討するために、2019年のドーハ世界陸上の際、国際陸連が飲む体温計を使ってアスリートの深部体温の変動データを取得したとの報告があります。そのほかにも、アメリカでは、アメフトの選手がこれを飲むことで、試合中の疲労度を測定していたりします。
ただ、これらはかなりハイスペックで、手作りで作られているようで、1つ5000~10000円と高価なものになってきます。また、人体に入れるものに電池が搭載されているのは危険ですし、なかなか捨てることもできず、保存もききません。
そこで我々のデバイスでは電池をなくして、胃酸で発電したエネルギーをデバイスに蓄えて腸の中の温度を測るデバイスを提案しました。腸の中に送られて体温を測って、身体の外にある受信機へ磁場を使って送信して情報を取得する仕組みです。
ログをとっていくことによって、例えば寝ている間の本当の基礎体温を計ったり、深部体温リズム、すなわち体内時計を正確に測定したりできます。また、最後は便としてトイレに流すことができます。
最初は基本的な体温から始めて、次は血液やpH、あるいはガスセンサーなどを載せて腸内細菌の分布などを測るといった展開も考えています。将来的には大量生産をして安くつくっていきたいと考えています。
Q:研究では、どんな点に独自性がありますか。
安く簡単につくるべく、部品の選定や集積回路の設計、デバイス構造、使うプロセスや加工工程などを工夫しています。加えて、胃酸で発電したエネルギーの必要十分な量を、安全な素子に蓄える仕組みも考えました。
その蓄えたわずかなエネルギーで動かして、長時間の測定を可能にする。そのシステムには様々なノウハウが詰まっていますので、この部分はまさに我々の研究ならではのものだと思います。
論文執筆に終わるのではなく、この技術を世の中になんとか出していきたいと考えています。海外には飲む体温計を扱う会社もあるのですが、日本にはまだありません。日本には小さなものを緻密に集積する技術がたくさんあるにもかかわらず、そういった会社がないのはちょっと寂しい気がします。やはり我々としては日本から、この技術を世界に実装していきたいと思っています。
Q:研究の体制はどうなっていますか。
本プロジェクトは、文部科学省/JSTの革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM)にて支援されており、専門チームが組まれました。チームメンバーは3人いて、1人はプロジェクトマネジメントと集積回路設計、もう1人は実装法や電子回路、受信機などの開発、私はシステム開発と機能検証、胃酸電池部の開発、昇圧回路の設計などを担当しています。あと最近は事業化検証ですね。私自身は研究者なので、これはなかなか畑違いなことでもあって苦労しています。ただ、本プロジェクトは大学から革新的なものを社会に実装することを目指しているので、避けては通れません。実際に医師や顧客候補とインタビューを行ったり、事業会社や学会に営業活動に行ったりと、これが本当に商売になるかどうかを検討しています。
チーム発足当初、アカデミア出身は私だけという特別チームが組まれまして、開発のスタートの段階から、革新性や斬新さに加えて、コストや信頼性、リスクやその回避法、ユーザー数などについて議論した上で、飲む体温計の開発に取り掛かりました。今、大学には、新産業や雇用の創出、あるいは稼ぐ力が求められておりまして、企業との大型の共同研究につなげる、あるいは投資を受けてスタートアップを起こすなど、本プロジェクトの出口を議論しています。
私自身はアカデミア出身ですので、やはり好奇心から研究テーマを決めて色々とやりたくなってしまうのですが、限られたプロジェクト期間内で実用化まで最短でいくことが求められております。これを実現するために、通常では考えられないような、学生不在の完全に独立した研究開発チームとラボが発足したのですが、これは革新的な試みだと思っています。私にとってもとても新鮮で、多くの学びが得られています。教員や研究者以外の人も巻き込むチームビルディングが、もっと気軽にできる環境になっていけば。、大学からより一層イノベーションが創出されるのではないかと思っています。
体温計そのものについては、ボタン電池がないぶん小さくできるのも利点です。腸に病気がある方などは大きいものだと詰まってしまう可能性もありますから、小さくして身体から確実に出ていくようなサイズを目指しているところもポイントです。
ビジネスモデルにもよりますが、最終的には1つ100円前後で世の中に出せたらと考えています。体温計の中には電力を蓄える部分、電圧を上げる回路、通信用のアンテナなどがすべて組み込まれています。こういった細かなものをつくるのは、日本の得意分野でもあります。なんとか実用化につなげていきたいですね。競合に対しては、圧倒的な安全性と低価格で勝負します。
現在は4作目をつくっている最中です。試作と評価を繰り返して、デバイスの完成度を高めています。医療機器ということで、やはりそれ特有の高いハードルがいくつもあります。原則として、完璧なものを作ってからでないとヒトへの適用はできないので、詰めていく課題はまだまだ多いですね。
企業との連携で、実現へと近づく
Q:研究課題としてどんなものがありますか。
実際のプロダクトの生産には、その道のプロや企業の協力が不可欠ですので、パートナーになる企業さんを探すのがまず一つの課題だといえます。 研究室レベルであれば、3Dプリンターなどを使って、手組みで試作品をつくることは可能です。ただ、その先の金型を起こしたり、どんな機械で樹脂を入れるとか、そういったことは私たちではわからないため、生産面においては企業の協力が不可欠です。
例えば我々が現在使っているのは市販の受信機ですが、アンテナの形状をさらに改良しようとすると、さらなるリソースが必要となります。こうした開発には、パートナーを見つけるなり、外部資金をとってきて人を増やして、もっと大型プロジェクト化するなどの判断が必要です。
実用化に向けては、例えば本当に疾病がわかるか、直腸温度計と比べて何度くらいずれているのかとか、こういったエビデンスを多く用意する必要があります。そもそも、深部体温や腸の中の温度を簡単に測定できる手段がこれまでなかったので、いわゆる卵鶏の関係にもなっています。まず、本デバイスが研究用途で幅広く使われれば、いろいろなことがわかってくると思います。例えば、おなかが冷えるとおなかが下るといわれますが、そのメカニズムの詳細はよくわかっていないらしいです。腸内がどれくらいの時間、何度以下になると下痢になるとか、そういった科学的な知見が得られるかもしれません。
逆に、腸炎が発症しているときは、普段よりも腸内が熱くなっている可能性があると言われています。これを正確に測定できれば、慢性腸炎の管理につなげられるかもしれません。このプロジェクト自体は残り2年ですので、社会実装に向けて加速させていくフェーズになっています。興味を持ってくれた大手企業と一緒に協力したり、もしくは単独でベンチャーを起こしてある程度まで完成度を上げてからパートナーと組むなど、選択肢は様々です。
何が最適なのか、現実的なのか、考えることはたくさんあります。
Q:実際にどのような体制で研究をされていますか。
本プロジェクトとは別に、私はいわゆる研究室にも所属しています。メンバーは全体で40人くらいいます。そのうち、学生は30名ほどでしょうか。4年生から所属して、大学院、博士までと考えると、学生数の多い研究室だと思います。博士まではなかなかいかないものの、修士まではみなさんいきます。日本人の学生さんはほぼ修士までで企業に就職していて、留学生は博士が多いですね。
先ほどお伝えしましたが、飲込みデバイスの研究は、給料取りによる3人体制なので、学生さんにはまったく違うテーマについて取り組んでもらっています。私が指導している学生さんは4人くらいですが、それぞれ違うテーマに取り組んでいます。
国家プロジェクトとなると成果を強く求められますし、テーマの制約もあります。私個人としては、学生さんには好奇心を持ってなるべく自由に自律して研究してほしいなと思っています。
Q:この分野を目指す学生にはどんな意識が必要でしょうか?
技術はあくまでひとつの手段でしかない、ということです。今後はもっと「それで何をするか」「それはどんな価値をもたらすのか」を考えていかないといけないかなと思います。手段はすぐに成熟してコモディティ化してしまうため、どんどん新しいことを勉強して、スペシャリストの分野を最低でも一つは持っておきながら、別の分野も貪欲に勉強していかないと、かなり厳しい時代になっているのではないかと思います。
私自身、こんなことを言える立場ではないのですが、まず一つ自分の看板にできるものを持ち、さらに違う分野の方と連携や勉強をしていくなどしてプラスαしていく。そうしていくことが、ごはんを食べていき、さらに面白いもの、役に立つものを創り出す上で重要なのではと思っています。
Q:企業との連携は、どの程度進んでいますか。
製造部分に関してはご協力いただいている企業さんはいらっしゃいますが、事業化することを前提とした企業との連携はまだありません。絶賛募集中です。
すごく役に立つ、儲かるビジョンを描けていない我々にも非はありますが、いくつかの飲込みデバイスの会社は海外で設立されていますので、連携に至れていない原因の一つは、日本と海外との制度や文化の違いによるのかもしれません。
まず医療現場での使用から始まって、さらに多くの人に配ってビックデータ化してデータビジネスに展開するといったことも考えています。しかし、現時点で大きな市場があるわけではないので、不確実性が大きいのは事実です。また、海外製品も日本では薬事承認されていませんので、日本からのビジネス化は難しいのかもしれません。
そのため、2020年からは海外に展開して、海外の企業に売り込みにいきたいと考えています。特にアメリカやヨーロッパなどは様々な面で日本よりも障壁が低いので、海外から実績をつくっていくのも手だと考えています。もちろん、引き続き日本発も目指したいと願っています。
Q:今後の目標を教えてください。
私は、自画自賛ですが、この胃酸発電を利用した「飲む体温計」は非常に面白くて、いろんな可能性を秘めているデバイスだと思っています。ヘルスケアデバイスは、ウェアラブルの次は、飲む、または埋め込むという形になっていくでしょう。本プロジェクトで開発した技術は、埋め込みデバイスにも転用できます。人間と機械はどんどん融合していくはずです。未来のビジョンのきっかけの一つとして、この技術をなんとか世に出したいですね。(了)
吉田慎哉
よしだ・しんや
東北大学 大学院工学研究科 特任准教授。
1999年、東北大学 工学部 機械電子工学科 卒業。2005年、東北大学 大学院工学研究科 ナノメカニクス専攻 博士課程 修了。
2008年より東北大学 原子分子材料科学高等研究機構 助手。
2009年より東北大学 原子分子材料科学高等研究機構 助教となったのち、2015年より現職。