運動器である骨・歯・筋はからだの運動を司り、動くこと、歩くこと、食べることを支えることから、これらが病(疾患)に陥いることにより、著しく生活の質( QOL:Quality of Life)が制限される。運動器の疾患は、社会の高齢化や生活習慣と密接に関連し、予防するには個々の病の発症要因を正確に突き止める必要がある。
運動器疾患を生命科学からアプローチし、これらの疾病の発症メカニズムの解明と創薬への開発を目指した研究を行なっているのが、東京農工大学大学院 生命工学専攻の稲田 全規 准教授。歯科医師としてのバックグラウンドを活かし、骨・歯・筋の疾患領域に着目をしながら、予防因子や治療薬の開発を進める稲田准教授に、話を伺った。
運動器疾患の発症メカニズムをバイオイメージング技術で評価する
Q:研究の概要について教えてください。
運動器というと幅広い臓器が対象となりますが、骨・歯・筋などの動きをともなって機能する臓器の疾患メカニズムの解明をおこなっています。
ヒトは運動する時にはバランスをとり、移動するために歩き、このために背骨や足の骨(脊椎骨や大腿骨)を使います。また、噛むためには歯や顎骨(歯芽や歯槽骨)を動かし、これらの運動するために収縮運動する筋肉(骨格筋)の働きが必要になってきます。運動器は相互に緻密なバランスがとられていますが、これらを健康的に維持するためには何が必要か?、といったことを解き明かすことを目標に研究をしています。また、これらのメカニズムを解明して、治療薬の開発へつなげるということをもう一つの柱にしています。例えば、背骨、足の骨、顎の骨が減らないようにしよう、筋肉が減らないようにしよう、といった、様々な運動器疾患の予防や治療因子について研究しています。
これら研究で用いる基盤技術がバイオイメージング技術です。私たちの研究グループでは、分子を検出する質量分析イメージング、蛍光や発光検出を用いたライブイメージング、レントゲンやCTを高精度化したバイオイメージング技術を活用して運動器系疾患を評価しています。
Q:その中で特に注目している疾患は何でしょうか?
現在、私たちが研究に取り組んでいる代表的な疾患として、骨では骨粗鬆症、歯では歯周病、筋では筋萎縮といった疾病を研究しています。骨と歯は硬組織と呼ばれ、硬い組織としての共通点があります。また、骨と筋は分化してくる幹細胞(未分化間葉系細胞)が同じ系列であることが知られています。そして、骨・歯・筋は、動くこと、噛むことなど、互いに協調して働き、どれが欠けても健康な生活には支障がでてきます。
これらの疾患の特徴として、骨粗鬆症では骨が脆くなること、歯周病では歯が抜けること、筋萎縮では筋が痩せることがあります。近年の平均寿命の延伸による社会の高齢化により、運動器系疾患の人口は飛躍的に増加しています。この3つの疾患だけでも何千万人という潜在的な患者さんがいて、高齢者が安定した生活を健やかに過ごすために解決すべき大きな課題となっています。これら対象となる疾患を、バイオイメージング技術を使って、分子から動物の個体まで視て、疾患メカニズムの解明を行っています。
Q:研究の進め方はどのようになっていますか?
運動器疾患の発症メカニズム解明が基礎となっていますので、骨・歯・筋の細胞、臓器、個体を用いた解析を必要な段階に応じて行っています。
例えば、治療薬の評価を行う場合などでは、最初に骨や筋の細胞に治療薬の候補を投与して、その細胞の様々な動態をライブイメージングにより観察して効果を検討します。また、個体を用いた解析では、投与された治療薬を質量分析イメージングという技術を用いて、投与した薬がどこの臓器に移動しているのかを確認します。そして、病院でも行われているように、個体を生きたままレントゲンやCTで撮影して、そこに例えば病巣があるところが特殊に光る試薬(蛍光や発光)検出したりする技術を用いて薬効を評価する創薬開発を進めています。
これら、疾患モデル動物などのメカニズムを解析して、原因となる因子を見つけたら、その治療薬の候補となる因子の投与を行い、効果があるかを検証して、安全性がみとめられたら、ヒトへの臨床研究につないでいく流れとなります。
Q:現在の研究に至るまでの経緯について教えてください。
私は臨床医として優れた歯科医師となることを目指していました。そこで、歯科臨床の幅広い分野で伝統と実績がある大学に進学しました。学部教育の中では、顎の骨がなくなり、歯が抜けて、物が食べれなくなる、という歯周疾患の治療に興味を抱きました。臨床医としての進路を考える上で、科学的な視点や臨床経験が重要であると考え、博士課程では臨床系大学院の歯周病学を専攻し、骨移植剤や臨床に関わる研究をしていました。
博士課程修了後は臨床医を目指すことを考えていましたが、大学院2年生の時に学んだ知識が研究者へと進む、その起点となりました。当時、骨を作る因子として報告されていた、BMP(Bone morphogenetic protein)の生物学的な多様性に心を惹かれて、骨を再生する因子の研究を始めました。
その後、博士研究員、米国大学での勤務を経て、日本の大学で骨の研究を進めることにより、対象が骨粗鬆症に広がり、筋疾患の研究を進めていると、次にロコモーティブシンドローム(運動器症候群)に広がり、最終的には自分が現在進めている3つの研究の柱となりました。
骨破壊や筋萎縮のメカニズムを探求する
Q:今後の研究課題としてどんなことがありますか。
最近、私たちは、JAXA(宇宙航空研究開発機構)との共同研究により、宇宙ステーションに打ち上げたマウスに人工的な重力を与えて、筋や骨がどのように変化するかの研究に参加しました。
宇宙飛行士が宇宙に行くと、筋や骨が減るといわれますが、なぜ骨や筋が減るのかは、未だ不明なことが多く残されています。そこで、JAXAの宇宙ステーション・きぼうで小動物の遠心飼育装置を用いて、地上と同程度の重力(1G)をかけ、マウスを宇宙で飼育する実験に参加しました。すると、宇宙でも力が加わると骨が減らない、ということがマウスの足を使って示されました。宇宙飛行士が宇宙で人工的に負荷をかけて運動することと同じことだと思いますが、マウスで同じことが示されました。
一方、これは初めての試みでしたが、地上で2Gに相当する重力負荷をかけたら、骨も筋も増えるということも明らかになりました。
そこで、これらの知見を活かして、現在、創薬のターゲットにしている課題は廃用性疾患です。廃用というのは動けない状態、一つに不動ということです。例えば、骨折すると動けなくなる。動かなくなるので骨も筋も減る、という様に悪循環が生じます。またもう一つは骨や筋の老化です。廃用性疾患における骨吸収や筋萎縮は運動の欠乏に伴いますが、高齢者においては骨や筋の老化、例えば骨粗鬆症やサルコペニアなどを治す治療因子に発展させたいと考えています。
最終的には運動に必須な骨と筋を守ることにつなげて、高齢者のQOLの維持のために研究成果を積み上げてゆき、治療因子が見つかれば、それを創薬につなげてゆきたいと思っています。
Q:この分野を志す学生には何が必要なのでしょうか?
ありきたりかもしれませんが、「何か好きな」因子などのキーワードを持って欲しいと思います。研究者はモチベーションが大切だと思います。私自身のスタートポイントは、第1に骨が壊れて歯が抜ける歯周病を治すための研究をするために博士課程に進学したという起点がありました。そこで骨を守りたいという第2の研究のモチベーションを持って研究を続けてきました。
さらに、これらが派生して、骨や歯と共に機能する筋疾患の研究を第3のモチベーションとして現在も進めています。多くの学生さんに運動器疾患の研究の「何か好きな」に興味を持っていただいて、皆さんのご活躍によってこの分野の研究が益々、活性化されることを望んでいます。
Q:研究において、企業との接点はありますか?
これまで、運動器疾患の予防や治療に関して、製薬・医療機器・食品関連の企業と共同研究を進めてきました。これらの共同研究に取り組む際には、ゴールを同じくして、メカニズムを解明しながら共同作業を進められたことに、多くの良き経験と結果を得てきました。私は主として、分子検出技術としてのバイオイメージングを用いた病態解析を進めてきましたが、関連する企業とこれらの基礎研究を進めた結果、新たな検出技術への技術革新が生まれた例もあります。
近年の創薬研究では、臨床に携われている先生方の知識を学び、協力作業を進め、新たな問いが生まれ、そこで私たちがさらに基礎研究をして、という双方向の流れが生まれています。今後も関連企業に参入していただいて、運動器疾患の研究を強力に進めてゆきたいと思います。
Q:最後に、今後の目標を教えてください。
私たちの運動器疾患の研究は、最近の宇宙実験で得られた知見を加えて、新たな方向性を見出しました。
今後はこれまでの成果を発展させて、廃用性の骨粗鬆症や筋萎縮の予防・治療因子の発見に繋がるようなところに研究を持っていきたいと考えています。実際に廃用性疾患の現象論が分かったことで、今度は運動や負荷がどのように運動器の維持に役立てることができるかということを念頭において、個々の運動器疾患のメカニズム解明を進めてゆきます。(了)
稲田 全規
いなだ・まさき
国立大学法人 東京農工大学大学院 生命工学専攻 准教授。
1997年、日本歯科大学大学院 歯科臨床系専攻(歯周病学)修了、博士(歯学)。
2000年、ハーバード大学医学部・マサチューセッツ総合病院 助手、講師と歴任の後、2005年より東京農工大学 講師、准教授に就任。
日本歯科大学 客員教授、早稲田大学 客員准教授、国立精神神経疾患研究センター 客員研究員を兼任。日本骨代謝学会(評議員)、日本癌転移学会(評議員)、日本生化学会(評議員)、ファンクショナルフード学会(理事)などで活動している。