物質を構成している原子や分子がどのように集合しているのかを観察するための方法として、X線結晶構造解析がある。X線結晶構造解析は、結晶中の原子配置を精度良く評価して、被験物質の性質を解明する研究手法としてすぐれているが、試料の放射線損傷やX線光子数の少なさが原因で高分解能データが得られないと、解析精度が低下するという弱点がある。こうしたなか、計測できない高分解能データを推定・発生する技術により、超高精細とも言えるX線結晶構造解析を実現させるべく研究を進めているのが、理化学研究所 創発物性科学研究センター 物質評価支援チーム の研究員、星野 学氏だ。
「結晶学と統計数理の融合技術」を開発し、研究の動向を見据えた未踏の測定および解析技術の開発に取り組む星野氏に、研究の展望について伺った。
X線で結晶構造を解析する
Q:まずは、研究のニーズについて教えてください。
最初に「結晶構造解析」という方法自体についてお話しします。
物質は原子や分子が集まってできているもので、これは中学校や高校の教科書にも書いてあるようなことです。ただ、原子のようにナノメートルスケールの大きさのものを人間の目で見ることはできません。
結晶構造解析は、X 線などの0.1ナノメートル程度の波長の光を物質に照射して得られるデータをコンピューターで解析することによって、目で見ることができるようにする分析手段です。物質を構成している原子や分子が、どのように集合しているのかなどを見ることができるようになります。
結晶は原子や分子が規則正しく集合したもので、結晶構造解析はその繰り返し単位そのものを見ることができます。例えば物質がどういったもので構成されているか、その最小の繰り返し単位を見ることができますので、そこから物質の様々な性質、例えば電気を通すとか、溶けやすい、溶けにくいなどを調べることができます。
Q:物質というと、例えばどんなものでしょうか?
かなり広い研究分野の物質を対象とすることができます。金属であれば原子がどのように集まっているのか。分子から成る物質では、医薬品などにもよく使われています。体の中でどれくらい溶けやすいのか溶けにくいのか、あるいは分子そのものの性質に注目して、それが薬になるのか毒になるのかどうか。これらも結晶構造解析を使って決定することができます。
少し大きなものでいうと、タンパクの構造を調べることができます。タンパクと医薬品がどのように相互作用しているのか、タンパクの形がわかれば、その形にピタッと合うような薬をデザインすることができます。
Q:この研究をどのように進められてきましたか?
これまでに様々な分野で進めてきましたが、構造そのものを調べて、物質の開発における基本的な情報として提供することが、ニーズとしては一番多かったように思います。
その中でも特に私が力を入れてきたことが、見えにくいもの、例えば結晶中で動いているものや結晶の繰り返しの規則性が不完全なものなどがそれにあたりますが、そういったものを何とか結晶構造解析で捉えられるようにする研究です。
自分が興味を持っているものをターゲットにしていくのが、従来の研究の進め方でした。
結晶構造解析は広く様々なものを対象にできるわけですが、ではどれを扱うのかとなるとかなり研究者自身のセンスやアイデアによってきます。
例えば光る材料があったとして、それはディスプレイなどに使うことができます。電気を通した時により明るく光る物質ということがわかれば、ディスプレイの材料として応用がきいて使いやすくなります。
ではなぜその物質は光るのか、あるいはもっと明るく光らせるためにはどうしたらいいのか。それらを調べるためには、分子構造や結晶構造という物質の構造を知ることが手がかりになってきます。
実際に私が注目した物質として光触媒がありますが、光触媒はなぜ光のエネルギーを化学反応に使うことができるのか。それは光を吸収した分子が何らかの構造変化を起こすからで、その構造変化によって分子にエネルギーが蓄えられて化学反応に使うことができる。結晶構造解析で分子が光を吸収したときの構造変化を見ることができれば、そういった基本的な情報を調べることができる。
ですので、何らかの基本的な研究の中におけるニーズを自ら探っていくことが、一つのきっかけになりますね。
現在行なわれている研究があり、そこに対して自分がその結晶構造を調べて、新しい知見を得るとか、物事の奥底にある原因を知ることができるのではないかというところが物質を選ぶ際の一つの手がかりになっています。
他には、企業との共同研究に取り組んだこともありました。ある材料について、企業では蓄積した知見やノウハウに基づいて作っていたのだけれども、実は細かい仕組みがよくわかっていないので、それを結晶構造解析で解明するとか、あるいは結晶構造解析をもう少し企業の中で使いやすくするにはどうしたらいいのか、などです。物質に対して、あるいは技術的な面に対してのニーズも、少なからず存在しています。
物質を材料として使うために、カギになる機能に関係した構造の変化や構造的な特徴を提供することもあります。あるいは、すごく希少な物質に対して、量が増やせない制約の中で何とかして結晶構造解析を行なうためにはどうしたらいいのか、といった技術的な課題にも取り組みました。企業が抱える問題点に対して、私が結晶構造解析の専門知識に基づいて解析方法や計測手段を開発し、構造解析結果や、新しい計測・解析技術を提供するわけです。これらも研究のモチベーションやニーズとして、研究対象になってきています。
これまでさまざまなものにトライしていますが、トライした物質の数を単純に数えると100くらいでしょうか。もちろん一つのものにじっくりと時間をかけて取り組む必要があるので、手を替え品を替えというわけにはいかないですね。
実際に自分が扱った物質としては、典型的な有機材料、医薬品や分子性の材料が多いです。液晶に近い性質を持った材料もあります。その他にも無機系の材料、いわゆる金属酸化物、セラミックスのような材料もそうですね。
また、錯体という金属イオンと有機分子で構成された分子や、経験自体は少ないですがタンパクの試料も扱ったことがあるので、広い分野の物質を研究対象にしてきたと思います。もちろんそういったものの中には、どうしても解析できないものもあります。この「できない」というところがポイントで、最近の解析プログラムは非常に発達してきていますから、十分なデータさえ計測することができればほとんどのものを解析することができます。
市販の装置には自動解析のプログラムがついているものもあるので、十分なデータを計測できれば、私のような専門家が取り組まなくても結晶構造解析を行うことができます。しかし、そもそもデータが計測できないものが実は非常に多くあります。データさえ計測できればいいわけですが、逆に言うならデータが計測できないと一切手を出すことができません。
Q:ここでいう「データ」とはどんなものでしょうか?
データとは、X線を結晶試料に照射した時に計測できる斑点状のデータのことを指します。回折データと呼ばれるもので、そのデータ自体が計測できないことが実は多くあるのです。
回折データは結晶が大きいほど強くなる性質をもっていますので、非常に小さな結晶ではほとんどデータを計測することができません。あるいは、私たちは結晶の繰り返し構造が不規則な状態を「結晶性が悪い」と表現していますが、そういった場合も十分なデータの計測が困難になるので結晶構造解析ができなくなってしまうわけです。
最近注目されている材料ですと結晶構造に穴状の空間があって、その中に気体であるとか普通の有機分子などを閉じ込めることができる「細孔性物質」と呼ばれる材料があります。そういったものは、実は穴の中で分子を規則正しく並べることは難しいので、結晶性が悪くなりやすい性質を持っています。
もちろん論文としてたくさんの研究成果が報告されてはいますが、細孔性物質の結晶性の悪さを考えると、その裏には十分なデータが計測できずに結晶構造解析で見ることができなかったものが数多く存在していると考えられます。見えなかった部分には、その裏に新しいサイエンスが潜んでいる可能性が十分にあるわけです。そこを何とかして見る手段さえつくることができれば、思いもよらない発見ができるかもしれないという開拓者精神を持って、今特に注力をしています。
Q:研究の独自性はどんなところにありますか。
見えるか・見えないかの上流にある、データの計測に注目しているところが大きな特徴になっていると思います。
先ほどもお話しした通り、X線を結晶に照射した時に回折データを計測することができます。それをコンピューターで解析してはじめて、分子や結晶構造を見ることができるわけです。つまり、データを計測しただけでは結晶構造解析の結果を知ることはできません。
例えば分光分析の場合、実験条件を試行錯誤しながらノイズの中にわずかにでも試料のシグナルを見つけることができれば、これを手がかりにして時間をかけて重点的に計測を行うことで、信頼度の高い分析に必要なシグナルデータを得ることができるかもしれません。
一方で結晶構造解析の場合は、それが一切できないと言えます。時間をかけて回折データをたくさん計測して、それをコンピューターで解析をすることで初めてわかることが数多くあるのです。時間をかけてたくさんのデータを取ってからでないとその後がわからないという部分が、結晶構造解析では避けようのない困難さなのです。
このような背景から、できるだけ短い時間で計測した回折データから、この試料や計測条件であれば研究の目的を満たすような結果を得ることができますよ、という評価をするのも一つのニーズとしてあるのではないかなと考えました。それが、データの計測に注目することで生まれる新規性や独自性になると思います。
私たちが結晶構造解析を行なう時には、まず1分くらいでパッとデータを取る「予備測定」をします。そこから、経験を積んだ人が、「斑点の形が綺麗であるか」「強度が弱いデータを計測できているか」などを見て、選んだ試料や現在の計測条件で研究目的を満たす結果が得られるかを事前に評価します。
この事前評価の信頼度は、評価する人の経験に大きく依存します。そのため、たとえば経験が少ない技術員の人には非常に難しいわけです。また、豊富な経験を持った人でもたまに間違えることがあります。そして、この事前評価が正しいかどうかは時間をかけて十分なデータを計測し結晶構造解析を行った後にはじめてわかるわけです。そのため、研究や開発の目的を満たす結晶構造解析の結果にたどり着くまでに、長時間のデータ計測や結晶構造解析を何度も何度も繰り返していることが時としてあるわけです。
何とかしてこのスループットを上げることが、産業の仕組みや研究開発のプロセスを変えると思っています。
やってからわかるのではなく事前にわかった上で進めることができれば、そのプロセスをすごく加速できるのではないかなと思います。
Q:これまでの経緯について教えてください。
結晶構造解析については、もう10年以上続けてきています。事前評価は、これまで誰もやってこなかったことですので、コンセプト自体は独自のものだと思います。X線回折計測装置自体は古くからあるもので、データそのものに注目してその扱い方を変えたところが新しい部分になるかと思います。誰かの影響というよりも、自分がそれまでに苦労してきたことが背景にあります。最初にお伝えしたとおり、様々なものに対する結晶構造解析をやってきて高く評価される研究成果をいくつか得ることができたのですが、その裏にはできなかったものも数多く存在しています。それを何とかできないかと思っていたところがずっとありました。
できない要因は、データが計測できないことにあります。少ししか計測できないデータから自分が見たいような、物質の構造を個々の原子ごとに分けて高精細に観察するところまでたどり着くために何か方法はないかなとずっと自分の中での課題として抱えていたわけです。
結論から言うと、結晶学と情報技術を融合させてそこを何とかしたというのが注目した部分ではあるのですが、実際にその融合を思いついたきっかけは、本当に他愛もないことでした。
5年ほど前のことですが、書店で専門書を眺めていた際、偶然「ベイズ統計学」というものがあることを知りました。私たちはほとんどの場合に原因があって結果が出てくると考えますが、ベイズ統計学はその逆で、結果から原因を探るものであると。ベイズ統計学は情報技術に使われているもので、当時から人工知能や機械学習といった情報技術が注目を集めていたのですが、そういった技術を支えるベイズ統計学の性質を書店で知った時、結果から原因を探ることができるのであれば、結晶性の悪さなどのために少ししか計測できない回折データから、結晶構造解析を行わずとも、原因である結晶構造の手がかりを探ることもできるのではないかなと考え始めたのです。これが、変化のきっかけとなり、現在に至ります。
従来の結晶構造解析の制約を解き放つ
Q:今後の課題について教えてください。
結晶構造解析自体をできるものが少ない点について、課題を感じています。
十分なデータが計測可能な結晶さえできれば、すぐに分子や原子が集合した結晶構造を得ることができるのですが、そもそもデータ自体を十分に得られないものが数多く存在しています。
現在私が行なっている事前評価技術は、良いものと悪いものが混じっている言わば玉石混合の中で玉を見つけるための手段ですが、実際はほとんど石の方しかありません。ここを何とかしたいという思いがありますね。
玉が一切ない状態でも石の中から玉のデータをつくることができれば、今まで結晶構造解析ができなかったものをできるものに変えられるんじゃないかなと。それができれば、今までなら「結晶構造解析は、結晶性が良くて、そこそこの大きさの結晶でないといけない」と考えていた人たちの考え方自体も変わっていくはずです。
例えば今であれば結晶構造解析は医薬品などには使えるけれども、液晶には使えないとか、もうちょっと言うとソフトマテリアルには使えないとか。そういった結晶とは言い難いものに対しても、結晶構造解析が使えますと言えるようになるわけです。その他にも、今結晶構造解析で見ているタンパクの構造も、もっと細かい情報を知るところまで踏み込めるような高精細な観察ができるんじゃないかと考えています。
それこそ一つ一つの原子ごとにきれいに見て、こことここはどのくらいの距離が離れていて、ここがタンパクが医薬品を認識するためのすごく重要な役割を担っているとか、そういったこともわかるはずです。タンパクの中で起こる物理現象や化学現象を今まで以上にはっきりと見ることで、今まで細かい仕組みまではわかっていなかった様々な機能を解明できたり、踏み込んでいくことで新しい発見もできるのではないかと思います。
研究することができる物質や解析の精度に関係した現在の「結晶構造解析の制約」を、2歩3歩越えていきたいというのが今の考えですね。
Q:現在、研究体制はどうなっていますか。
私はJSTのさきがけ事業の専任研究者という立場でして、理研には出向で来ています。そのため、チームからは独立してJSTのさきがけ研究に取り組んでいるという状態ですね。
チームの規模としては10人くらいでして、私はそのメンバーの1人です。独立して研究に取り組んでいるとは言っても、やっていること自体はチームと関連のある研究ですので、特にシニア研究者であるチームリーダーと研究議論をしたりして、チームからの刺激を受けながら研究を進めています。
研究を進める上では、やはり視野を広く持つ必要があるかなと思います。結晶学は非常に幅広い物質を扱うことができますが、逆に言うと幅広い知識を持っていなければ、この研究はなかなか進めにくい部分があります。
もちろん対象とする物質もそうですし、結晶学の理論そのものも非常に複雑です。数学や物理の知識をどうしても必要としてきますので、一つの分野、一つの学問として結晶学を深く知るということは重要ではありますが、それだけに止まらずにあらゆる方向に手を出していくような積極性が特に必要になってくるのかなと思います。
Q:企業との共同研究などはありますか。
結晶学ですので、実際に結晶構造解析を開発の中で使っている製薬ですとか、あるいは電池や、メタンハイドレートのようなガスを貯蔵する固体、そういったものを開発に使っている化学メーカーが多いような印象があります。そういったところに、まず自分が開発した最新の技術を伝えていきたいですね。
実際に使っている人がここまでできるようになるのかとか、こういった対象のものも扱えるのかとか、観察精度がこんなに上がってくるのかというところを実感していただきたいです。
もっというなら結晶構造解析を使おうとも思っていなかった企業が、自分たちの企業でも結晶構造解析を使うことができるというところまで広げることができれば一番いいかなと思います。
自分としては、逆に企業がどういった課題を抱えているのかを積極的に収集したいなと考えています。企業が抱えている問題に対して、自分の技術でアプローチできる余地がたくさんあるのではないかと思っています。
企業からしたらこんなことはできないと思うところでも、私たちのような研究者に対して伝えていただければ、トライすることができます。そういったところで、新しい繋がりもできるのではないかと思いますね。
Q:今後の目標を教えてください。
データが取れないものを何とかしたいと考えています。そういったものに対して、私が実際に技術をつくることによって、できなかったものを何か一つでいいから可能にしたいなと思っています。
例えばタンパクでもそうですし、結晶の中ですごく早く動いている分子などは結晶構造解析ができないものです。「できない」と考えられているもののうち、何か一つでいいから「できた」と見せることによって、様々なニーズが出てくるのではないかなと思います。
それはアカデミアもそうですし、企業からもそうですね。そういったものを発信することによって、また自分としても新しい課題が見つかってくる。それを国内外問わずあらゆる科学技術の発展に繋げていくためにも、まずは自分が一つ概念実証を見せていきたいですね。(了)
星野 学
ほしの・まなぶ
理化学研究所 創発物性科学研究センター 研究員。2004年、東京工業大学 理学部 化学科卒業。2009年、東京工業大学 大学院理工学研究科 物質科学専攻 博士後期課程修了。博士(理学)。
2015年より東京大学 大学院工学系研究科応用化学専攻 主任研究員を務めたのち、2017年より理化学研究所 創発物性科学研究センター 研究支援パートタイマーを経て、同年10月より科学技術振興機構(JST) さきがけ専任研究者(「情報計測」領域)。2019年より現職。