地球規模での人口増と温暖化に備え、あらたな穀物の品種のニーズが高まっている。こうしたなか、遺伝子工学と染色体工学の技術を利用して、乾燥ストレスに強い作物の品種改良に大規模に取り組んでいるのが、鳥取大学乾燥地研究センターの辻本 壽副所長、教授だ。現在、世界で最も暑い小麦栽培地域とされるアフリカのスーダンにて、高温耐性コムギの育種研究に取り組む辻本副所長に、研究の状況について伺った。
高温に強い小麦をつくる
Q:まずは、研究の概要を教えてください。
小麦は、稲とトウモロコシとともに、世界の三大作物です。この3つで世界の穀物生産の約9割を占めます。
しかしもともと小麦は温帯が起源地で、稲やトウモロコシと比べて、暑さに弱い作物です。例えば日本のほとんどの地域では、小麦は冬作物とされ、秋に種子を播いて春に収穫します。
世界でこれから最も人口が増えると予想されているのがサブサハラアフリカで、これはアフリカのサハラ砂漠の南側です。都市化が進むとパンの需要が高まることが知られていますが、この地域は、今後経済的に発展し、小麦の需要が増えてくると予想されています。しかし、サブサハラアフリカで小麦を作ろうとすると高温が問題で、暑過ぎて作ることが困難です。
そこで生まれるのが、高温環境でも生産できる小麦品種のニーズです。高温でも生産できる品種を作るろうと、この研究が始まりました。
一口に小麦といっても、たくさんの品種があります。もちろんサブサハラアフリカでも栽培はしているけれど、高温の障害を受けます。小麦というのはこれまでに品種改良がどんどん進められ、もうそれ以上に改良できないほど、伸び代がほとんどないくらいのところまで進んでいます。
では、そこからどうやってさらに良くするか。そのためには、今まで使っていない新しい遺伝資源を発掘することが必要です。昔栽培されていた品種や、近縁の野生種に品種改良に使える遺伝子を見つけていくのです。新しい遺伝資源の発掘です。
小麦の野生種というのは、人間のケアなしに、暑いところでも乾燥しているところでも生えています。ところがそれ自身では種子が小さいし、穂が熟れるとバラバラになって、落ちてしまうような、見る価値もないものです。しかし、その植物の中には遺伝子レベルで見ると、非常に重要なものがまだ眠っているかもしれないのです。だから、遺伝資源です。
そこで、野生種と栽培小麦を交配し、戻し交配と呼ばれる手法で何回もコムギと交配します。そうすると、基本的には小麦と同じような形をしているけれど、中に少しずつ野生種の遺伝子が潜んでいる系統を作ることができます。
私の研究室では、実際にこのようにして作った系統を使い、アフリカのスーダンという国で高温耐性の小麦を作るプロジェクトを進めました。実際に野生種の遺伝子を持たせた系統をスーダンで栽培したら、私たちが予想していた以上に高温に強い小麦が出てきて、スーダンの人々もびっくりするほどでした。
次はこの高温耐性の小麦をちゃんとした品種にするには、食べて美味しいかどうか、病気に強いかなどをテストする段階です。また、スーダンで従来栽培されてきた改良品種と交配することも行なっています。
Q:研究の独自性はどんなところにありますか。
昔から、野生種の中には有用な遺伝子があるだろうと予想されていました。しかし、私たちほど大きい規模でしかも体系的に取り組んだ研究は初めてだろうと思います。
従来は一つの野生種と交配して、そこから研究を展開をしていました。しかし、用いた野生種に有用遺伝子があるとは限りません。私たちはたくさんの野生種を研究していますが、はじめは、良い遺伝子があるかどうかという点には目をつむってひたすらコムギと交配します。野生種は小麦とはかなり違った姿をしているので、その野生種自身を見てもなかなかその中にどんな遺伝子があるかを見つけることはできません。それで、交配をたくさんし遺伝子を栽培小麦の中に入れました。
まるでショットガンのように、色んな染色体の一部を小麦の中にあまり考えずにどんどん入れてやって、とにかく小麦の多様性を非常に広げた集団を作るところからはじめました。その多様性集団から始めたことが、研究のユニークな点だといえます。
Q:なぜ、スーダンで研究をしているのでしょうか。
私が赴任する前より鳥取大学にはスーダン人の留学生が多かったことが理由です。先輩の教授の方々が教育されてこられたのですね。
1998年にスーダンの農業研究機構と学術交流協定を結び、何人ものスーダン人留学生が日本に来ていて、鳥取のスーダン人ネットワークが続いています。また、この日本で学んだ人たちのネットワークはスーダン国内にもあります。ですので、この人たちと信頼関係が持てて、スムーズに共同研究ができるという仕組みができあがっているのです。
日本の優秀な農業技術を、世界に発信していく
Q:課題としてどんなことがありますか。
技術面での課題としては、時間がかかることがあります。
育種において、通常、ものが見えてくるのに10年くらいかかるんですよね。それで、さらにそれをちゃんとした品種にまで作っていくとさらに5年とか、登録までいれるとまた数年かかります。時間がかかる点が、現代の世の中とフィットしていないのかなと思います。
ただ、温室を使った「スピードブリーディング」と呼ばれる、1年間に3回・4回収穫する促成栽培もできますから、時間をできるだけ短縮していきたいですね。
それから現在は小麦もゲノムのDNA配列が読まれていて、そのゲノムの情報から色んな選抜マーカーを作ることができます。今後、こうしたマーカーで有用形質を確実に選べるようになるだろうと思っています。
産業面での課題だと思っているのは、日本の研究成果が現場につながりにくいことです。出口がはっきり見えないと言うことですね。
基礎研究レベルでは日本の植物科学は世界をリードしているんですよ。ところが日本からなかなか外国の現場に飛び出していく研究が少なくて、ちょっと閉鎖的なのです。
世界的に見れば、農学とか農業は非常に重要な分野の一つですし、スーダンも日本に対してすごく期待しています。しかし、外から見ると日本の研究は閉じている傾向があるように感じます。もっと研究者の目を外の世界に向け、外の課題を拾ってきて、その課題解決のためにどうやってチャレンジをしていくかということを考えるともっとインパクトが出てくると思います。良い論文を書くだけで終わってしまうのは残念でもったいないなと思います。それに、スーダンにいると当然に日本にあるべきものがなかったりして、ビジネスチャンスがたくさん転がっていると感じます。
また、新品種を作った時に、どのようにして次の研究開発投資に結びつけるのかも考えなくてはいけません。例えば外国では、民間企業が小麦の品種改良に精力的に取り組んでいます。日本の場合はこうした部分が少ないため、もっと世界に飛び出して日本の農業技術を前に出して、世界を牛耳るぐらいのことが必要です。
Q:研究室には、どんな学生がいますか。
いま8人で、ほとんど大学院生です。メインキャンパスから離れているので、いろいろな大学の出身者や留学生が多くいて、かなり多様でインターナショナルな感じです。研究室に入った学生は、選抜マーカーの使い方や交配の仕方、新しい遺伝子の見つけ方などを身につけます。日本の高等技術というか、おもに分子生物的なところも教えています。植物材料は、おもにはスーダンなど外国のフィールドに持っていって植えて、そこで「フェノタイピング」をします。
フェノタイプというのは形質という意味で、あるいは表現型と言いますが、「フェノタイピング」というのは形質をとることを指します。フェノタイピングは全部アフリカでするんですよ。実際に乾燥に強いか、高温に強いか、ラボではなくアフリカの現場に持って行って調べます。
一方で植物体をすり潰して抽出したDNAを研究する「ジェノタイピング」は日本で行います。ゲノムは変わらないから、日本でも研究ができます。
これら、「フェノタイピング」と「ジェノタイピング」を比較して良い遺伝子を探していくわけです。
卒業後は、日本人は国や民間の研究機関で活躍している人が多いです。大学の教員になった人も何人かいますね。留学生はほぼ全員、大学か研究機関に勤めています。
Q:この分野の学生にとってどんなことが最も大事ですか。
僕が学生に言っていることは、自分の専門をはっきりさせろということです。
ひとくちに農学といってもいろんな分野があります。私は育種学ですが、土壌学、肥料学、作物栽培学などがあります。農学はこれらが体系的にできていてしっかりとした学問なのですよ。学生の間に、「自分が何学の専門家なのかを見つけよ」と伝えています。
次に大学院に進んだら、専門のことばかりでは駄目で、横のコミュニケーションが出来るようになりなさいと伝えています。
一つの分野だけで、品種改良だけで世界が変わるわけではなくて、肥料のやり方も土の改良の仕方も、それから水のやり方もいろいろあるので、そうすると、そこで最大限の作物を作ろうと思ったら違う分野の人がとコミュニケイトしないといけないわけですよね。
T型教育というのですけれども、まず最初は学問をやって専門を身につける。「T」の字の縦の部分です。専門がないと違う分野の人と会話しても単なるお喋りになってしまいますよね。深まらない。単に楽しく喋っているだけになるので、まずは専門を深めてから、その専門を横につなげることができるT型、「T」の横の部分ですね。それが非常に重要だろうと思って教育をしています。
Q:最後に、今後の目標を教えてください。
自分が開発した高温耐性遺伝子を利用して、品種ができて、それが農家に普及されてみんなが生産して潤っている状態を作りたいですね。そこに到達すれば、40年に及ぶ私のこれまでの長い小麦の研究は成功だと思います。(了)
辻本 壽
つじもと ひさし
1986年、京都大学大学院 農学研究科 博士課程 農林生物学専攻 修了。
1986年より、横浜市立大学 木原生物学研究所の助手に就任。同研究所の助教授を経て、2002年より鳥取大学 農学部 教授。2007年に鳥取大学乾燥地研究センター兼務教員となり、2011年より乾燥地研究センター教授、2016年同副センター長。