「物質」と「生命」との境界はいったいどこにあるのか───この根源的な問いを物理学的な観点から解明するために、情報を制御して自律的に動く人工細胞の構築や、分子コンピュータや分子ロボットの構築など、新たなサイエンスの開拓を行っているのが東京工業大学 情報理工学院 情報工学系 瀧ノ上 正浩教授である。今回瀧ノ上教授に、研究の概要や独自性、取り組むに至った背景について話を伺った。
物質と情報をつなぐ技術、DNAナノテクノロジーで、細胞のようなゲルや液滴を構築
Q:研究概要について教えていただけますか?
鉄やプラスチックなどの単純な「物質」と、考えたり動いたりできる「生物」との境界はどこにあるのか。この生命と非生命の違いに興味があり、研究を行っています。特に注目しているのは、生命システムが持っている「情報」と「非平衡性」という観点です。
生物は、非常に情報的な要素を備えています。例えば、私たちが持つDNAにはアデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)という4種類の塩基があります。身体にある種のプログラムが入っていて、DNAがRNAに読み取られ(DNAからmRNAへの転写)、そしてRNAの塩基配列からアミノ酸配列への変換(翻訳)によってタンパク質がつくられます。紐状の情報媒体であるDNAからデータを読み取って情報処理をする様子は、情報のテープからデータを読み取って計算をする数学的なモデル「チューリングマシン」と類似性があります。生物は計算機がつくられる前から、身体の中で、計算するような仕組みを編み出していたとも考えられます。
私たちの研究では、今、話にあったDNAを活用しています。DNAを構成する4種類の塩基のうち、AとT、GとCが対合する性質を利用すると、DNAで立体的な構造を作ったり、DNAの反応の順番をプログラムしたりといったことができ、設計や操作の面で使いやすいからです。生物がやっているように、DNAは物質の世界と情報の世界が出会う場になっているわけです。この性質を利用すると分子コンピュータや人工細胞をつくることもできます。ちなみに近年ではDNAの水溶液を使って、ハードディスクのような記憶装置(DNAストレージ)をつくる研究も世界で盛んに行われています。
「DNAゲル」と呼ばれる、細胞と同じくらいの大きさのDNAの塊があります。Y字型やX字型の構造をしたDNAがそれぞれつながっていて、間にたくさんの水を含んだ状態をつくります。水分をたっぷり含んだつぶつぶのゼリーのようなイメージです。実際、細胞も核酸やタンパク質などのソフトマターと呼ばれるやわらかい物質でできたゼリーみたいなものと言えます。
私たちが構築しているDNAゲルでは、温度を上げると、DNAの塊同士がぶつかった時に、互いに水滴のように融合することができます。このような状態を「DNA液滴」と呼んでいます。氷が水に相転移するように、DNAゲルからDNA液滴に状態転移します。ゲルの状態だと形が変わらないので、ぶつかっても融合しませんが、DNA液滴の状態だと融合したり、変形したりすることが可能です。DNAの塩基配列を変えて、どのDNA液滴同士が融合するかを自分たちでデザインすることができます。
また液滴同士であっても、塩基配列の設計次第で融合しないようにすることも可能です。このように、たった4種類の塩基の配列の操作だけで、細胞サイズの大きさのゲルや液滴の性質をコントロールできます。これは、まさしくDNAゲルやDNA液滴が自分の固有の情報やプログラムを持っている証でもあります。こういう情報を持った物質の塊になると、非常に生き物らしさがでてきます。実際、私たちの細胞の中にも、液-液相分離液滴と呼ばれるタンパク質や核酸の集合体があることが知られており、近年注目されています。
ではいったい「融合する・しない」というのは、どのような仕組みになっているのか。例えば、今、塩基配列の異なるDNA液滴が2種類(AとB)あるとします。それぞれの液滴にはY字型の構造をもったDNA分子があります。まずこのA、Bの液滴を融合させるには、それぞれの架け橋となるDNA分子(リンカー)を設計してつなげます。次に融合したDNA液滴を元に戻す場合は、仲介役になっているリンカーを切断するだけです。このように、離れていたものが融合して、さらに外からの刺激により分離して、 再現することができる。このようにDNA分子はすべて情報で動作をコントロールできるのが特徴です。
このDNA液滴の分裂現象を利用して、2022年には、がんの有無を調べる手がかりとなるがんバイオマーカーの、マイクロRNAを検出する「DNA液滴コンピュータ」の開発に成功しました。これは1つの例ですが、将来的には動的な挙動をする細胞のようなものをつくってみたいと考えています。この場合、必ずしも細胞にあるような膜は必要ありません。それよりも、情報を持つ分子の集合体がいかに振る舞うかを理解し、それを使えば、私たちの細胞とは異なる、人工的な細胞ができると思っています。
細胞が、脂質で包まれたカプセルのような構造になっているのは1つの形態でしかなく、個人的には、それ以外でも生命の形態として成り立つと考えています。その、既存の細胞以外の生命ライクな形態を模索していきたいと思います。
情報処理ができて自律的に動けるという、生命の本質的なところに着目すると、色々なやり方があって、それを自分たちで再現できると、生命がただの物質から、生物になっていくことを実証できるのではないかと考えています。また、生物は優れた分子センサーや分子コンピュータを持っているので、それを模倣して人工細胞を構築すれば、新たな微小コンピュータやマイクロロボットなどの開発にも貢献できそうです。
Q:研究の独自性はどこにありますか?
1つは、情報を設計して分子を操作したり、分子を使って情報を処理したりと、物質と情報をつなぐような原理の探求や技術の開発をしている点です。しかも、非常に小さな分子の反応だけでなく、細胞ぐらいの大きなスケールまで、拡張することができます。これらが独自性となり、その結果として得られたのが、先ほど紹介したDNA液滴や分子コンピュータの研究になります。もう1つは、その情報を利用して、自発的な動きを生み出す研究を進めている点です。生物は非平衡系と言われる、静的ではなく動的なシステムです。非平衡系の実現には化学的なエネルギーが必要で、そのエネルギーの使われ方をコントロールするには情報の観点が重要になります。
Q:現在の研究に至るまでの経緯を教えてください。
中学や高校時代から物理学が好きで、アルベルト・アインシュタインの相対性理論にもハマりました。当時、宇宙の全ての現象は物理学で説明できると学んだのですが、生物が物理学でどのように説明できるのか、生物と物質で何がどう違うのかといったことに関心を持ち始めました。
その頃、コンピュータ上で進化するバーチャルなオブジェクトである人工生命の研究が注目され始めていて、生命の誕生や進化、自然淘汰を模倣したシミュレーションを見て、生物はルールに基づいて、情報処理を行うという性質が重要なんだなということに気づきました。
しかし、コンピュータ上で見ているだけでは実感が湧かないため、現実でもコンピュータ上と同じことが再現できるのか。そこに好奇心を掻き立てられました。そして、情報を持った物質が進化したり、複製したり、生物のように振る舞えるのかといったことを研究したいと思うようになったのです。学部から物理学を専攻していまして、大学院では、その中で生命システムを物理学的に研究する生物物理学という分野を専攻し、今の研究に取り組むようになりました。
計算するDNA液滴を応用して、知的な人工細胞や人工組織を目指している
Q:技術的、産業的、倫理的研究課題はありますか?
技術的・産業的課題としては、材料が高価なことです。規模の大きなモノをつくったり、大量に合成したりするのは、今のところはコスト的に難しいです。また、私たちの研究は、物質の複製・進化をテーマの1つにしているので、将来的には倫理的な課題が出てくることも予想されます。今注目されているAI技術の一部は技術が先行して、個人情報の保護などを規制する法律や制度がないままに、世界で急速に広がったため、開発を一旦止めたほうがいいのではないかという議論が出てきたりしています。この研究もそうならないようにするために、現段階から、複数の研究者が参加して、分子ロボティクスの倫理を考える研究グループを立ち上げています。参加者の中には、科学者だけでなく、倫理の専門家や、社会科学の専門家もいて、安全性についての議論や社会との対話についての活動を行っています。
Q:学生に伝えたいことはありますか?
私たちの研究では、物理学や情報科学、生命科学などあらゆる分野の知見が求められます。これは、最先端の研究分野ではよくあることです。違う分野の技術を取り入れたり、自分たちの技術を全く違う研究分野で使ってみたりして、オープンマインドな姿勢があると、活躍のフィールドも広がると思います。
そういうことを学生の頃からやっている人は、社会に出てからも、新しいサービスを立ち上げたり、全く新しいプロダクトを開発したり、創業したりすることに、いち早く取り組めるようになるのではないでしょうか。専門性を磨くことは大切ですが、1つの分野に固執しすぎずに、いろんな分野から知識を吸収して、いつの間にか違う分野を研究しているぐらいのフレキシビリティがあると、さらに成長できると思います。
私自身、専門分野に分かれる前の高校生の時代から、物理学や生物やコンピュータに興味を持っていたので、いろいろな分野を勉強しなければならないという大変さは全く感じませんでした。むしろ、興味があることがはっきりしていたので、関連する知識を積極的に学ぶことができたと思います。
Q:どういう企業群と情報交換や共同研究などを行いたいとお考えですか?
今後デバイスは、生体分子を操作できるインターフェースが重要になると思います。今だと、電気・電子デバイスを扱っている企業では、生物とのつながりがあまりないように思います。そこに、私たちの経験や知見が活用できるのではないかと考えています。それに、私たちの研究開発のベースは、物理学や情報科学なので、電気・電子との親和性も高く、同じ目線で研究開発を行えると思います。他には医薬品企業などです。知的な人工細胞の技術は検査キットやドラッグデリバリーシステムなどに応用できると考えています。まずは情報交換や情報共有からでも結構ですので、ご興味のある企業はお声をおかけいただければと思います。
Q:今後の展望を教えてください。
今は2つの研究テーマに取り組んでいます。1つは、自ら開発したDNA液滴を応用して、さらに高機能の人工細胞や、それが集まった人工組織などの複雑な情報処理が行える知的なシステムの構築です。もう1つは、生物特有の複製や進化の人工的な再現によって、生命を物理学や情報科学で研究する基盤を作ることです。
また、現在はDNAを使って さまざまな研究を行っていますが、必ずしもDNAでなければいけないとは思っていません。最近では、AlphaFold(アルファフォールド)と言われる、タンパク質の構造予測を行うAIが出てきています。DNAよりも設計が難しいタンパク質を一からデザインして、DNAと一緒に使える日も近いかもしれません。
DNAに限らず、情報で設計できる生体高分子を使って、液滴のような動的な振る舞いができる人工細胞をつくり、将来的には体内で動く分子コンピュータや分子ロボットなどを開発して、病気の予防・治療など、さまざまな応用に活かしていきたいと考えています。そのためには、情報を持った分子や分子集合体の物理の基礎研究が重要だと考えてやっています。(了)
瀧ノ上 正浩
たきのうえ・まさひろ
東京工業大学 情報理工学院 情報工学系 教授
2002年 東京大学 理学部 物理学科 卒業。2007年 東京大学 大学院理学系研究科 物理学専攻 博士課程 修了、博士(理学)取得。京都大学 大学院理学研究科物理学第一教室 博士研究員、東京大学 生産技術研究所 特任研究員、特任助教を経て、2011年東京工業大学 大学院総合理工研究科 講師に着任。2015年 同大学 同研究科 准教授を経て、2016年同大学 情報理工学院 准教授。2022年4月より現職。同大学 国際先駆研究機構 リビングシステムズ材料学研究拠点 (LiSM) 教授 兼務。