有機反応を生体内で直接起こす「生体内合成化学治療」が注目されている。こうしたなか、がん細胞に直接遷移金属触媒反応を実施することで、がんを効果的に治療する治療法を発見するなど、めだった成果を挙げているのが、東京工業大学と理化学研究所の両者のクロスアポイント制度で研究を行なう田中克典主任研究員だ。今回は田中氏に、研究の概要やがん治療の可能性について話を伺った。
薬にする化合物をもう一度見直す
Q:研究の概要について教えてください。
薬をつくることは、薬をどう「デザイン」するかということと同じです。
コンピューターの計算機能を使って化合物を特定の疾患に効くようにしたり、副作用を抑えるためにいわゆる「ドラッグデリバリーシステム」をつくったりするなどの方法がありますが、いずれも限界を迎えていると思います。どれだけ考えても、つくれる化合物やその毒性などはある程度決まってくるためです。
私たちの研究は、これまでにあった薬としてかなり活性の高いものの中から、動物実験を行なうときにドロップアウトしてしまった化合物をもう一度見直すことから始まっています。
私たちはどちらかというと化合物をつくる側で、特に私は有機合成化学を専門としています。化合物をそのまま打ち込むのではなく、その部分、身体の中の疾患があるところで薬をつくっていったらいいという考え方です。
従来のように計算やシミュレーションで新しい化合物をつくるのではなく、これまでにあった化合物をもう一度体内でつくることによって見直すというところが原点になっています。
実際にガンの治療に使っていた薬の中で、強い副作用があったためにドロップアウトしてきた化合物、それらを再開拓できないかというのが私の考え方です。ですから、ターゲットであるガンも従来どおりですし、候補の化合物も無駄になっていたものをもう一度使うという部分がこの研究の大きなポイントです。特定のガンに絞らず、あらゆるガンについて研究をしていこうと考えています。
これは、私たち有機合成化学でものをつくる人たちが、新しいところに展開していくための戦略のひとつだと思っています。
さて、実際に私たちが患者さんを見ている中でよく行なわれている治療に、抗体を用いた方法があります。ある特定のガンに効果があるといわれているもので、例えば乳がんには「ハートゥー」という抗体がよく使われており、それによって乳ガンの細胞を殺すという治療法です。しかし、実際に患者に発現しているのは10〜20%ほどで、残りはどうにも太刀打ちができないという状況です。
ガンには様々な種類はもちろん、1や2などいくつかのステージがあります。それぞれの違いを見分けられるようなドラッグデリバリーシステム、私たちの場合は触媒、を運んでいくので、その分子を見つけた、それを開発しているという部分も大きなポイントだといえますね。その二つを組み合わせることによって、あらゆるガンに対するものをつくれるというわけです。
体の中には、様々な病原体やウイルスなどが入ってきますが、それを見分けるために使われているのが「糖鎖」です。糖鎖は体内でも重要な役目を果たすもので、私たち人間のような「パターン認識」という方法を使うことができます。
例えば、人間が誰かの顔を見てこの人だと判断するように、全部を総合的に見ることができる。それと同じように、糖鎖も病原体の一つのパーツを見て判断するのではなく、人間でいうところの鼻や口など全部を見て判断することができる。人間と同じようにパターン認識ができる分子のかたまりが糖鎖です。この特性を利用することで、体の中で病気のパターンやステージのパターンが見分けられるようになったというわけです。
様々なガンがある中で、一つの種類に制限することなく、あるガンを見分けたいというときにはこんな使い方をしよう、というシステムを開発しています。ガンを探してみて、もし本当にガンがあればなんでもやりますよというように、テーラーメイドに行動できるのが私たちのシステムの強みであるといえます。
研究の進め方としては、主に様々な病気のサンプルを持ったマウスを用いて実験を行なっています。こちらがデザインしたものを入れるという形ですが、マウスを用いて有機合成化学の実験をするということは簡単そうで意外と難しいことでもあります。
体中には様々な物質があって、例えばグルタチオンという物質のように金属触媒を潰してしまうものもあるからです。つまり、それに打ち勝って反応を進められるデザインが必要になってくるわけです。
これまでフラスコの中でやられてきたような、水がないアルゴン雰囲気下?でやるのではなく、何があってもそれしかできないという反応をデザインしながら、その反応が体の中で展開していくようにしなければなりません。
Q:研究手法の特色のひとつである、遷移金属触媒反応とはどういうものなのでしょうか。
従来の有機合成化学は、プラスとマイナスを組み合わせていくものでした。プラスとマイナスはくっつきやすいため、それで様々な結合をつくっていたのですが、「遷移金属」という高い金属を使うと、プラスとマイナスのことを考えなくてもうまく触媒として成り立つことがわかりました。
現在、有機合成化学の分野では、フラスコの中でどんどん新しい反応が開発されているところです。20年前くらいにはすでに始まっていたものですが、今もなおホットトピックであるといえます。遷移金属触媒反応は、例えるなら「飛び道具」のようなもので、これまでにはできなかったことを一発で触媒にしてくれるアイテムという感じです。それを体の中で展開しようということです。
意外かもしれませんが、遷移金属は意外と簡単に手に入るもので、どこにでも売っています。金・銀・ロジウム・ルテニウムなど様々な種類があるのですが、最近では価格が高いのではないかといわれています。リチウムやナトリウムなどの簡単な金属でもやろうといわれ始めているので、私たちはそういった有機合成でできてくる反応を展開していけたらと考えています。
Q:実際の研究体制はどうなっていますか。
現在は20人ほどで研究をしています。ロシアにも研究室があります。
私が理研に来たのは8年前になりますが、今から5年前ぐらいにはロシアの研究室でも研究をさせていただく機会がありました。指導者として行ったので、そこの学生さんをこちらに呼んできて、向こうでも実験をしています。
あとは理研の中でももう一つ、産官連携で「バトンゾーン研究プログラム」というものがあります。企業の方が、私たち理研の研究者と一緒に一つの研究室を期間限定で運営をするという取り組みです。
私たちはアカデミアにいるので、なかなか産業化には結びつけることは難しいです。企業の方たちに来ていただいて指導していただきながら、できるだけ早く産業化に持っていこうと考えています。
実用化に向け、社会にはたらきかける
Q:これまでの研究の経緯を教えてください。
実は大学時代にあまり勉強をしていなかったので、基礎的な知識がほとんどありませんでした。有機合成化学は、いってしまえば大学でもやり直せる部分がある研究で、私はそれに取り憑かれて勉強をし直したわけです。だからどちらかというと生物はあまり好きではなくて、現在こういうことをやるなんて思ってもいませんでした。
創薬だけではなく有機合成化学にもいえることなのですが、「それを開発して何に使うの?」っていうのが結構あります。例えば私がやっていた天然物合成に関しても、「天然でとれるものなのに、どうしてそれをわざわざつくらなければならないのか」という疑問がありました。では、その天然物を体の中でつくったらどうなるんだろうと考えました。経緯が違うだけで、フラスコでつくったものをそのまま動物に使うのです。
すると、天然物でも創薬になったり、薬になったりします。毒性があって使えなかった天然物を、体の中でもしつくったりすると、それはまた違う天然物の新しい分野が開ける。それを自分で感じたことで、そのままそっくり創薬に移行したかたちです。
この分野に入ってからはもう20年くらいになります。一筋でやってきましたが、ここまでに様々な分野が入っています。生物だけでなく放射線とか物理、もちろん医学や工学も入っています。私自身は別の分野に入っていくのは自然というか、全くバックグラウンドがないのでゼロからできるというのが非常に楽しいところですね。
Q:今後乗り越えていきたい課題としてどんなものがありますか。
一番難しいのは、産業的な研究課題であると考えています。まず、企業の方から引き出すことができない部分が多くあると感じています。実際に何が重要なのかがわからないですね。そういう意味で、まだ融合はできているとは言えません。どのようにして引き出すかが、一番自分の中で難しいところですね。
例えば今は10年後、20年後に実を結ぶようなことが研究のテーマになっています。そうなったとき、これが海外であればベンチャーをつくったりして、あらゆることを迅速に進めてしまいますよね。しかし日本の場合は、そこで時間がかかってしまうわけです。
会長さんや社長さんレベルになると「それ面白いね」などと興味を持ってもらえることもあるのですが、その話を企業の中にフィードバックすると、結局ボトムアップという話になってしまいます。
特に私たちのように研究者がいると、それは無理だと判断されてしまい、遅れが出てしまいがちです。企業だけではなく、国レベルでのサポート体制があるといいなと思います。
Q:この分野を志す学生にはどんな意識が必要でしょうか。
あらゆる方向にアンテナを張って、様々な分野を勉強することも確かに必要です。しかし、私の経験からいいますと、何かを真剣にやるとなると、特定の分野に集中して、それにある程度の時間をかけて真剣に打ち込むことが重要だと思います。10人いるうちの8番目か9番目を目指すのならいいかもしれませんが、もしそこでトップになりたいなら、犠牲にしなければならないところもあります。
私は有機合成化学しか勉強してこなかったのですが、だからこそ有機合成化学以外の分野にその知識を武器として使えると思っています。何が一番自分にとって重要なのかをしっかり考えながら、さらに自分の専門分野をしっかりと勉強して頑張る。それにプラスして、他の分野にも少し目を向ける。サイエンスだけではなく、海外や音楽、歴史、政治とか。若い学生さんには、あらゆることを勉強していってほしいなと思いますね。
Q:企業との関わりはどの程度ありますか。
企業と話す機会は、日頃から意識的に持つようにしています。
先ほどもお話ししたとおり、このままではアカデミア研究で得られた成果が企業にとって宝の持ち腐れになってしまうような気がします。もちろん私たちにもいえることではありますが、オープンマインドでお互いに仲良く情報を共有しながら、もう少し新しいシーズを見ていただいて、今ではなくて10年後や20年後を見据えてくださるような考え方で一緒にやらせてもらえればと思いますね。
Q:今後の目標を教えてください。
まず一つはガンの診断、これが本当にいいところまで来ています。国内では多分もうすぐ使われるようになると思います。それだけではなく、海外で今まで使われていなかったところもあります。これは私たちだけでできることではないため、国全体、大学全体、企業全体で共同しながらやりたいなと考えています。
もう一つは、遷移金属触媒を体の中の反応でおこなう、ということですね。必ずしもそのまま使えるということではありませんが、国内初のコンセプトとして、社会実装化まで持っていきたいなと思っております。(了)
田中 克典
たなか・かつのり
東京工業大学物質理工学院応用化学系・教授、および理化学研究所・主任研究員。
1996年、関西学院大学理学部化学科卒業。バイエル薬品株式会社中央研究所研究員を経て、2002年、関西学院大学大学院理学研究科にて博士(理学)取得。
2002年よりコロンビア大学化学科への留学を経たのち、2005年に大阪大学大学院理学研究科助教に着任。2012年より理化学研究所・准主任研究員を経て、2017年より主任研究員に昇進。
2019年よりクロスアポイントメント制度により東京工業大学物質理工学院応用化学系・教授に着任。