他者を認識して表象するーーこの「社会性記憶」が脳のなかで、どのように貯蔵されているのか。その場所を発見し、記憶を操作することに成功したのが、東京大学 定量生命科学研究所 奥山輝大准教授だ。今は、それを発展させ自閉スペクトラム症の病態の理解や、「自己」と「他者」の情報を切り分ける神経メカニズムの解明に挑んでいる。今回、奥山准教授には、研究の独自性や今後の研究展開についてお話を伺った。
「他者」を理解して、初めて「自己」を解明できる
Q:まずは、研究の概要についてお聞かせください。
専門領域は「社会性神経科学(ソーシャルニューロサイエンス)」。社会を形成するために必要なニューロンの機能などを解析しており、今やニューロサイエンスの中でもホットトピックの1つに挙げられています。
僕の研究の始まりは、大学院生の頃に取り組んだ、メダカを使った「恋愛」のメカニズムの解明でした。メスのメダカは「見知ったオス」を好んで配偶相手として選ぶ性質があることを見つけ、2014年にその論文がScience誌に掲載されました。しかし、この研究のなかではメスが相手のことをどのようにして覚えたのかという謎が解けずに終わってしまい、脳のなかの記憶のメカニズムをもっと詳しく調べたくなり、マサチューセッツ工科大学の教授で、ノーベル賞学者である利根川進先生の研究室の門をたたきました。そこから他者についての記憶の研究に力を入れて、「好き・嫌い」を決める神経メカニズムや、人為的に「好き」や「嫌い」を書き換えたりする研究を成功させるなど、記憶機能を司る「海馬」という脳領域の神経回路の謎をマウスモデルで解明していきました。
それが転じて、僕のラボではおもに3つのテーマに取り組んでいます。1つ目は、「『他者』を表象する神経メカニズムの解明」です。頭のなかで記憶した他者を思い出して表現することを「表象」と言います。それがどのようなニューロンの働きで成り立っているのかを、僕たちのラボでは解き明かそうとしています。このテーマは、僕の博士研究員時代の延長線上にある研究です。
そこから対象を広げていき、今注力しているのが「自閉スペクトラム症の病態メカニズムの解明」です。「自閉スペクトラム症」というのは、社会的コミュニケーションや対人関係に問題があらわれる脳機能障害のこと。他者とコミュニケーションがとれないだけでなく、他者のことを覚えたり思い出したりしづらいことが分かっています。つまり、頭のなかで、他者を表象しづらい状況になっているわけです。僕たちのラボでは、社会性記憶である他者の表象が、海馬にある「腹側CA1」領域に貯蔵されていることを見出してきました。最近の研究では、電気生理学的手法を用いて「腹側CA1」のニューロンがどのように活動しているか調べたところ、自閉スペクトラム症のモデルマウスの場合、「腹側CA1」の神経活動パターンに異常があることを見つけました。
3つ目は、「『他者』と『自己』の情報を切り分ける神経メカニズムの解明」です。他者がどういうふうに表象されるのかが分かってきたので、今後は自己についての研究を深めていく予定です。この3つの研究テーマは非常に密接につながっています。
Q.「社会性神経科学」領域がなぜ注目されるようになったのでしょうか?
大きく分けて2つの理由があります。1つは「コンピュータ科学の発展」と「ニューロンの活動を直接制御する技術と観察する技術の発展」です。昔から「社会性神経科学」は多くの人が興味を持っていた領域でしたが、15〜20年前までは計測技術や操作技術が十分に発達していなかったため曖昧な生命現象に曖昧な解析でアプローチせざるを得ませんでした。それこそマウスのいるケージを2つに分けて、滞在した時間をストップウォッチで測り、長くいた時間から「このマウスは右側が好きだ」と判断する、といった実験が行われていました。しかし今では、マウスの行動を多方向からカメラで録画し、どういう身体の動きをしているのかをディープラーニングなどの技術を用いて全自動で数値化(トラッキング)して、得られた膨大なデータをさまざまな手法で数理学的に解析できるようになっています。同様にニューロンの活動の検出方法も圧倒的な速度で発展しました。多様なオプトジェネティックス(光遺伝学)の技術が、その先端を走っています。これらの技術の応用により、特定のニューロンだけを狙って活性化や抑制を行えるようになり、曖昧な生命現象を精緻な科学で紐解けるようになってきたため、これまで躊躇していたニューロサイエンティストたちも一気にこの領域に入ってきました。
もう1つの理由は「社会的ニーズ」です。アメリカでは今自閉スペクトラム症の人たちが急激に増えています。その背景の1つに、診断基準そのものが変わったことも挙げられます。DSM-5という新たな精神疾患の診断マニュアルになったことで、今まで以上に多岐にわたる症状を自閉スペクトラム症と捉えるようになりました。
「オーティズムスピークス」という世界最大の自閉症者支援団体のWebサイトにも記されているように、昔は200〜300人に1人だったのが今では44人に1人の割合で、自閉スペクトラム症と診断されるようになってきています。アメリカの疾病対策センター(CDC)が試算した自閉スペクトラム症の患者さんの医療費を含む経済損失コストは、2015年の1年間で約35兆円、2025年には約61兆円まで増加すると推測されています。
こうした状況のなか、NIH(アメリカ国立衛生研究所)が大規模な研究に助成金を出したり、サイモンズ財団などの民間団体が莫大な研究費を投資したりして、自閉スペクトラム症の研究を後押ししています。これらの仕組みが好循環することで、より多くの研究者がこの領域に集まってきて、さらに多様なモデルマウスが開発・提供されるなど、加速度的に自閉スペクトラム症の研究開発が進み、大きな研究トレンドの一つになってきています。
Q:この研究の独自性は、どんな点にありますか?
他の研究者の方々からは、僕は「社会性記憶」を研究している人と見られることが非常に多いです。もちろん社会性記憶には興味があるものの、最終的に取り組みたいのは、「自己」を認識するメカニズムの解明です。そのためには、他者が必要不可欠だと思っているので、他者の表象や、それが欠損してしまう自閉スペクトラム症の病態の解明にも取り組んでいます。そして、自己と他者の情報が、頭の中でどのように区別されるのか。これが解明できたときに、初めて「自己」が理解できると考えています。この概念が、僕の研究の独自性だと思います。
もう1つは「他者」の表象に関する研究も拡張してきており、その取り組みもオリジナリティに富んでいる部分かもしれません。対象物から生き物らしさ(動物っぽさ)を感じることを「アニマシー知覚」と呼びます。例えば、この「アニマシー知覚」や、動物が仲間の「生」と「死」を見分けるメカニズムの解明。また「これはヒトだ」と判断した場合に、男性か女性か、子供か大人か老人かなど、いろんなプロパティ情報を脳内で分析し、その要素の集合体によって「●●さん」という特定のヒトを認識すると思われます。この一瞬で行われるプロセスのステップ一つひとつを解き明かすことにもチャレンジしたいと考えています。
誰もいない雪原に自分の足跡を残すために
Q:今後の研究課題としてどんな点が挙げられますか?
一度に活動パターンを記録することが可能なニューロンの「数」が限られている点があるでしょう。これは、僕たちのラボだけでなく、神経科学を研究している皆さんも感じている課題だと思います。理化学研究所の村山正宜先生のラボには1回に数千〜数万個のニューロンが取れる巨大な顕微鏡があり、僕はこの技術が新しいニューロサイエンスの世界を切り開くのではないかと思っているのですが、一方で、従来の技術では多くても数百個が限界です。実際の脳には、約1000億個のニューロンがあると言われており、活動を記録できる数が少ないために、脳の働きを理解しようにも分からないことばかりです。例えるなら、僕たちの実験は地球の温暖化問題をディスカッションするのに、日本の中のある地域(という限られたエリア)の話だけをしているようなものです。脳全体のメカニズムや働きを解明するためには、一度に無数のデータを収集できなければなりません。これが、技術的な課題です。
他にも、創薬などの社会実装に向けて、さまざまな課題がありますが、今のところ決して越えられない壁ではないと思っています。人へのアプローチも、今僕たちのラボが取り組んでいる自閉スペクトラム症のテーマに関しても、企業や病院と連携することで基礎科学を超えたビジョンを描けるようになってきています。
Q:この分野を志す学生には、どんなことが必要でしょうか?
「頭でっかちにならない」ことです。研究論文を読んだり、調べたりすることはもちろん大切ですが、それだけでは研究を進められません。サイエンスの研究で結果を出すためには、自分の研究にここから夢中になり、どんな高い壁でも超えてゆこうとする強いエンジンがあり、そのアクセルを全力で踏み込める人です。数年程度の短い期間の研究であれば、有名な研究室でトレンドにのった研究をすれば良いのかもしれませんが、研究者を本気で目指すなら、10年や20年をかけて世界の中で自分にしかできない、自分の色とアイディアを込めた渾身の仕事ができるかどうかが肝になります。その時には、研究への熱量こそが非常に重要な要素になってきます。そのためには、自分自身に嘘をつくことなく「これは面白い!」と思えるものに取り組むべきだし、研究のスターティングポイントも論文を読むことではないかもしれません。
昔、とある研究センターで「おすすめの1冊を紹介してください」とリクエストをされたときに、他の研究者の方々は非常に有用な教科書を推薦されていたのですが、僕が敢えて挙げさせて頂いたのは『ドラえもん大百科』でした。これを読んで、自分だったら「これができる」「これができない」「これは面白い」と考えを巡らせるところからスタートするぐらいが、大学院生の初めの段階ではちょうどいいと思います。というのも、「SF(サイエンス・フィクション)からFを引くとSになる」——つまり、一流のSFからF(フィクション)を除いたら、一流のS(サイエンス)になるわけです。理想的なサイエンス(研究テーマ)を考え出すためには、実はサイエンスを考えるよりも、一番面白いSFを考えるほうが近道なのかもしれません。アイディアが固まったら、そこからきちんと実験データをとり、エビデンスで補強していく。
僕自身の研究も、脳内を操作して好きな人を嫌いな人にしようとか、嫌いな人を好きな人にしようとか、話だけ聞けば荒唐無稽な発想です。こうした考えは、研究の論文を読めば出てくるものではなく、むしろ研究とは異なる分野から生まれてきたりします。先ほどのお話の繰り返しになってしまいますが、僕は研究に対しては熱量を何よりも重視する人間で、これまでの研究でも誰もまだ着手していないテーマや解ける兆しすらないテーマをあえて選んできました。世界の研究者には、それこそ「良いジャーナルに論文を載せたい」「ノーベル賞を取りたい」など、いろんなタイプの方がいると思います。おそらく、そういうマインドセットは一番初めに指導教員からどういう教育を受けたかに影響を受けるのではないでしょうか。僕の大学院生時代の指導教員である久保健雄先生が「誰もいない雪原に自分の足跡を『ズボッ』と残しなさい」ということを、いつも繰り返しおっしゃっていました。その影響を強く受けて、僕自身も今のような研究志向になったのではないかと思います。
Q:今後の展望を教えてください。
今は「他者」の表象が研究のベースになっているので、さらにその研究を進めていき、「自己」のメカニズムの解明にも着手していきたいと思っています。自閉スペクトラム症についても、病院とのコラボレーションで社会実装を目指しています。また、「生者」と「死者」を見極めるメカニズムの解明については、幸いなことに、学術変革領域研究(B) 「死の脳内表象」として採択して頂けたので、他分野の先生方にも参画して頂いて共同研究を行っていこうとしています。
もう1つの取り組みとして、研究資金の獲得についても、従来とは違う枠組みを模索しています。現在、多くの研究者は国から科研費を助成してもらい、研究がまとまるとNature誌やScience誌などの科学雑誌で発表(掲載)して、そこで得た業績をもとに次の研究資金の獲得を試みます。現状の日本の科学でも、こうしたフローが一般的ですが、このルールは疑ってもよいと思います。これから先、日本の人口が減っていく中で、科研費そのものが縮小していく可能性もゼロではありません。(欧米の研究者では一般的になってきましたが)スタートアップ企業を立ち上げて資金を調達したり、あるいはアメリカやヨーロッパの民間財団から研究グラントを獲得したりと、他にも資金調達の手法はいくつもあります。そういったやり方を今から模索して確立していきたい。僕自身を含め多くの研究者は、研究費獲得のために多くの時間とコストが使われていますが、まだ誰も挑戦したことのない方法でどれだけ効率的にラボを運営できるのかということにもこれから取り組んでいきたいと思っています。「誰もいない雪原に足跡を残す」ーーここでも、しっかりと自分の哲学を証明していきたいですね。(了)
奥山 輝大
(おくやま・てるひろ)
東京大学 定量生命科学研究所 准教授
2006年 東京大学 理学部 生物学科卒業後、2011年東京大学大学院 理学系研究科 生物科学専攻 博士課程修了、博士(理学)取得。2011年東京大学大学院 理学系研究科 生物科学専攻特任研究員を経て、2013年よりマサチューセッツ工科大学 ピカワー学習記憶研究所 博士研究員。2017年東京大学 分子細胞生物研究所 准教授を経て、2018年より現職。2019年文部科学大臣表彰 若手科学者賞を受賞。