大規模河川の洪水や氾濫による大災害を防ぐには、事前の流況予測が必要である。しかしながら、これら大陸スケールの河川における「水の動き」を正確に把握することは、複雑な要因が関連するため、非常に難しいとされている。そうしたなか、最新の高解像度衛星観測データを活用して、複雑な氾濫原浸水プロセスを効率よくモデル化しているのが、東京大学 生産技術研究所の山崎 大准教授だ。地球規模での高精度水文地形データの整備や、リアルタイムでも運用可能な広域河川モデル開発など、幅広い地球科学分野の基盤となることが期待される研究について、話を伺った。
地球上にある全ての河川の「水の動き」を研究
Q:まずは、研究の概要について教えてください。
私たちの研究室は、地球規模の「水循環」について研究をしているグループです。分野としては水文学(すいもんがく)になります。天文学が宇宙に関する神羅万象を、人文学が人間のありように関する神羅万象を扱う学問とすると、水文学は水に関するありとあらゆる事を研究するという学問です。
ありとあらゆるとは言うのですけれども、フォーカスするのは地球上の、主に陸上と大気中の水の循環です。もう少し具体的に言いますと、雨の降り方、降った雨の蒸発、雨が地中に染み込んで生じる土壌水分や地下水の分布や移動について研究しています。
地球上には、実にさまざまなところに水があります。水の量だけを考えると海水が圧倒的に多いのですが、私たち人間の活動に関わる陸上に着目すると河川だけでなく湖沼や地下水、さらには氷河などがあげられます。
さまざまな形態で貯留されている水の量を把握することも大事ですが、それらがどのくらい流れているか、どのようなスピードで循環しているかを考えることも大事です。また、人間活動の影響も無視できません。貯水池を建設すると陸水の貯留量と循環量の両方に影響しますし、例えば化石地下水を汲み上げていると、そのぶんが新たにアクティブな地球水循環システムに流入することになります。
地球水循環システムのうち僕自身のテーマに関連するところは、「流出」という専門用語を使うのですけれども、降った雨のうちどのくらいの水がどのタイミングで河川に流れ出てくるかという「流出の発生過程」、また河川の水がどのように上流から下流に移動するかという「流出解析」と呼ばれる分野に取り組んでいます。
僕自身の専門は河川の流れの部分になります。河川の水がどのように流れているのかを地球規模で解析しようというのが僕の研究テーマです。
独自の点としては、特定の河川に着目するというわけではないという点です。
地球上の全ての河川を「同時に」扱えるような方法はないか、また、そのそもそも地球全体で河川がどのぐらいあるのか、どこの河川にいつ・どのぐらいの水が流れているのか。
これらを調べていくのが、私たちの研究テーマです。
Q:具体的にはどういった手法になるのでしょうか?
地球規模で河川を研究するには、多くの河川を対象にしなければいけません。現場に入って調査するというよりは人工衛星が観測したデータを地球規模で解析し、コンピューター上に地球上の河川全てを再現するプログラムを構築します。数値モデルというのですが、それらによるシミュレーションが研究の中心になっております。
研究で主に対象としているのは大陸河川と呼ばれるものです。アマゾン川やメコン川のような大陸河川は、流路延長が1000kmを超え、川幅も数百メートルから数キロメートルと大きく、水が河川から溢れて広大な氾濫原が冠水します。このように大きく浸水域が広がっている場所であれば、宇宙からでも河川流況の観測ができます。
河川モデルの構築やシミュレーションには、JAXAやNASAなどの宇宙機関が公開している衛星観測データや、各国の気象機関が提供している気象データを使用します。ただし、そのまま使うことは稀で、公開されているデータに対して誤差解析などを行なって高精度化し、河川モデルの構築や検証に使えるような形に加工します。こうして洪水シミュレーションを実現する、というのが我々の仕事の一つです。
気象関連のデータは、リアルタイムの洪水予測に使うこともありますし、過去の数十年分のデータを取ってきて長期シミュレーションを実行し、計算結果と観測値を比較しながら地形データや河川モデルのプログラムをブラッシュアップするというような使い方もします。地球規模でどうやって河川洪水シミュレーションの再現性を高めていくか?いうところに難しさと面白さがありますね。
Q:研究アプローチにはどういった独自性があるのでしょうか。
一般的に、水の流れのシミュレーション研究のスケールは様々です。日本のある一つの河川を対象として水位と流量がどう変動するのかを詳細に見ている研究もありますし、流域スケールで氾濫した時に水がどう動くのかを二次元的に解析するというようなモデルもあります。
こうしたなか、私の研究でユニークなのは、地球規模であらゆる河川を対象にするという点です。河川の流れ自体はローカルな地形に左右されるどちらかといえば小さなスケールの現象なのですが、それを地球規模でどうやって扱うかという点がポイントになります。
水の流れを支配している数メートル規模の詳細な地形を考えつつ、一方で、上流から下流まで数千キロはある大陸河川での水収支のバランスや上流から下流への流れの伝播も考えなければなりません。
これら、数千キロのスケールの現象と数メートルのスケールの現象を同時に考えないといけないというところが難しい点です。
ミクロとマクロ、両方同時にどうやったら考えられるのかというところを工夫しながら、プログラミングシミュレーションを作る。これが私たちの独自なアプローチであり、研究の難しい点、かつ醍醐味でもあります。
Q:研究に至るまでにどんな経緯がありましたか。
地球規模で川の流れをシミュレーションするというのは、実は30年ほど前からあるアプローチです。当初は気候変動予測などで使われる気候モデルの一要素として、海にどのぐらい河川から淡水が流入するかを計算する必要がありました。流域の形を決め、降った雨がどのぐらいのタイミングで河口に入るかということを計算していました。こうやって大気・陸域・海洋をめぐる地球水循環と気候システムのシミュレーションが行われてきました。
当時はより詳細な現象である河川の氾濫は考えておらず、大きいスケールの流域における水収支のバランスだけを考えていました。
それが2000年代中頃から、詳細な河川地形をどう扱うかという議論が始まりました。NASAによって 「SRTM」というスペースシャトルで標高を計測するミッションが行われ、地球規模で詳細な地形データが整備されたためです。ちなみにSRTMは毛利衛さんが取り組んだミッションでもあります。
SRTMで収集したデータが公開されると、地球全体で100 メートル 程度の分解能で標高データが使えるようになりました。これをきっかけに、「もっと詳細な地形をとり込んだら河川モデルはどう進歩するんだろう」というかたちで、私の修士論文のテーマが生まれました。
このようにして、私たちが研究開発を行なっている全球河川モデル「CaMa-Flood(ケイマ-フラッド)」が誕生しました。
Q:過去のシミュレーション例として代表的なものはありますか。
全球河川氾濫原モデルCaMa-Floodを用いた例として、東南アジアのメコン川流域下流部にあるトンレサップ湖の事例があります。トンレサップ湖の水動態の再現は広域を対象とした河川モデルとしては、世界で初めてです。
カンボジアにあるトンレサップ湖は、流出河川であるトンレサップ川を通じて普段はプノンペンにてメコン川本流に合流しています。ところが雨季になると、メコン川の本流の水位が上昇し、トンレサップ湖の水位よりも高くなる逆転現象が起こります。そのため、メコン川本流からトンレサップ湖に向けて、河川の大規模な逆流が発生します。逆流とトンレサップ湖の氾濫は毎年しているのですけれども、規模が大きい年には水害が発生しますし、渇水年にも漁業や農業に大きな影響があります。
その逆流の再現には、河川モデルで水位を精度よく表現できることが重要です。水位のシミュレーションが正確でないと、メコン川とトンレサップ湖のどちらの水位が高いのかを計算できないためです。CaMa-Floodでは、SRTMで得られた詳細な地形を効率よく近似することで、地球規模の河川モデルでありながら水位の精度良い計算に初めて成功しました。
CaMa-Floodは地球全域を対象にして、従来の洪水モデルと比べても精度をそれほど落とすことなく計算速度が数万倍速く計算できます。初期の全球河川モデルは河川流量だけを計算していたのですが、「CaMa-Flood」が登場したことで、水位や深水域など詳細な河川の水動態を高速にシミュレーションできるようになりました。この成果は、例えば広域での洪水リスクの定量化に使えると考えています。
気候変動による地球規模水循環の変化の不確実性を調べるため、高速に大量の温暖化予測データを処理するなどして、今後の洪水リスク予測のための研究を進めていければと思っております。また、高速シミュレーションの特徴を活かして、リアルタイムでの洪水リスク予測にも取り組みつつあります。
他にも湿地からのメタン排出や河川からのCO2排出など、地球システム科学的な気候変動予測にも貢献したいと考えています。
洪水予測を具体的なアクションまで結びつける
Q:技術的な課題としてどんなことがありますか。
大陸河川の流れのシミュレーション自体が可能になりましたが、精度のよい洪水予測のためには高精度の地形データを揃えるところがかなり重要です。
先ほど、「SRTM 」という、NASAのスペースシャトルで計測した地形データを紹介しました。しかしこれは洪水モデルのために作られたデータではないので、河川流れの計算に用いるには無視できない様々な誤差が含まれています。NASAやJAXA が配っている標高データそのまま洪水シミュレーションに使うと、地形データに含まれる誤差のために計算結果がおかしくなってしまうのです。
そのため、自分たちで洪水シミュレーションに適した形で地球規模の地形データを再整備するというプロジェクトに、ここ数年間は取り組んでいます。様々な衛星観測データや統計手法を組み合わせることで、世界最高精度の標高データや河川地形データを開発することに成功しました。
これらの高精度化した地形データは、自分たちの研究だけに使用するのではなく、原則として公開して他の研究者にも使ってもらっています。たとえば私たちが開発した全球高精度地形データMERIT DEMは、2019年6月現在で世界700ぐらいの研究機関にも活用していただいていますね。
しかしながら、特に洪水リスクに限って言うと、人口密度が大きな都市域ではまだ充分な精度が出せていません。都市域ですと水の流れが自然の地形だけには再現できず、人間が河川を改修した影響も考えなければなりません。堤防やダム、排水設備など、河川の流れは様々な施設で人為的に制御されています。
その洪水防御施設のデータも適切にモデルに反映しなければ、高精度のシミュレーションができないのですが、やはりこの部分のデータがなかなか揃わないのが一番の難しさになってきます。
一つの河川だけを対象にするなら現地で計測すればいいのですが、広域で洪水リスクをちゃんと把握したいと思うと、どうにか使えるデータを収集しないといけない点が難しいです。
ただ、そういう洪水防御施設のデータは実はどこかに揃っているのではないかと考えています。堤防作るにしても堤防を設計する人がいますし、維持管理のときにもちゃんと計測しているはずですので、データとしては存在するはずなのです。
施工や管理のためのデータであって、洪水予測のためには公開することを前提としていないのは分かります。しかし、こういった部門を超えたデータ統合が進んでいくと、より良い社会が実現できると考えております。
Q:洪水予測を具体的にアクションまで結びつけるために何が必要だと思いますか?
この部分に関してはまだまだ努力が必要なところです。特に洪水の予測と適切な予警報は難しい面があります。
これが豪雨や熱波ですと、自分がいる場所の気象条件が分かっていれば、その情報を活用して避難したり、外出を取りやめたり、といった判断に使えます。
しかし洪水の場合は、今いる場所に降った雨で浸水が起こるわけではなくて、上流に降った雨が土壌に浸透し、そこから流れ出たものが下流に伝搬するため、より大きな空間スケールを考慮して、かつ時間的なラグがあるものを扱わないといけません。また、ダムや堤防があれば洪水リスクは軽減されるので洪水防御設備の状況を予測や警報に反映させる部分も難しさの一つになります。
結局、被害が発生するかしないかというのが、その堤防を水が「超えるか・超えないか」で大きく変わってしまうのですね。それで最後の数センチの部分で影響がガラッと変わってしまうというわけです。ある閾値を超えるかどうか、不確実性を伴った状態でどう判断するかというところが難しいです。
洪水という現象の複雑さを考えると完全に正確な予測は難しいと思います。どうしても不確実なものを使って判断しなければいけません。いつから準備を始めるのか、いつ逃げるべきなのか。この判断基準をどうやって合理的に決めるか。物理現象だけではなく、人間の心理も考えなければいけません。
Q:この分野を志す学生に必要なことは何でしょうか。
僕がいつも意識しているのは、基礎と応用を繋げることです。僕の研究自身も基礎部分と応用部分に分けられます。 洪水モデルで必要な地形データを整備するところや、そもそも洪水シミュレーションのためのコンピュータプログラムを作るところなど、そういう基礎部分にしっかり取り組むことは大事です。一方で、最後の洪水リスクを推計する部分は応用に近いと言えます。
研究というと、どこか一つの部分を突き詰めていくというスタイルになりがちです。しかし一部分だけやっていると、それがどのように他の部分と関わり、うまくいけば社会の役に立つのか、ちょっと分からなくなってしまうのです。
その一つを突き詰めることももちろん大事なのですけれども、できるだけ全体を俯瞰するような感じで、自身の研究開発がどういう分野で使われて、どのように人々の生活にまで波及していくのか。これらを俯瞰する視点を持っていると、目の前の作業に対してモチベーションが保てて、楽しい研究計画が送れるのではないかなと思っています。
私たちの研究室が東京大学の中で主に連携しているのは、工学系研究科の社会基盤学専攻というところで、これは歴史的には土木工学科が基になっているものです。インフラの整備管理といったハードな部分だけではなく、交通シミュレーションや都市計画のようなソフトな研究開発も含め、そういう基盤技術を活用してより良い社会を作りたい、というモチベーションをもった専攻です。
そのため、学生自身も最初から社会実装に興味を持ってくれています。基礎研究からどうやって応用や社会実装に繋がっていくのか、研究室での活動を通して体験して欲しいと思っています。
山崎研究室は2018年に立ち上げたばかりですが、学生さんにはモデルやデータ開発からシミュレーション結果を解析した応用研究まで、なるべく幅広いテーマで研究に取り組んでもらっています。
Q:社会実装に向け、関係各所のどういった協力が必要ですか。
洪水リスクの研究に限らないのですが、不確実性を含んだ情報にもとづいて意思決定を行うことに、行政機関だけでなく市民の皆様にも慣れていって頂けると、より良い社会が作れるのではとは思っております。
短期的な洪水予測であれ長期的な地球温暖化であれ、ゼロイチではわからない将来の予測情報に対して、どのように対応するべきかを考えるトレーニングが必要だと思います。
地球温暖化で極端な降雨現象が多くなり、洪水が増えてくると予想されています。ただし、どれくらい雨が強くなるのか、被害が激しくなるのかという部分に関しては、まだ正確な数字は出せないという部分が多いです。しかし不確実性を含んでいても、洪水に対して何か対策を取らなくてはならないといけないは変わらないと思います。
不確実性を含んだ将来予測をどう活用して、どうやってより良い方向に社会を動かせるのか、その流れを一緒に作っていきたいなと思っております。(了)
山崎 大
やまざき・だい
東京大学 生産技術研究所 准教授。
2007年、東京大学工学部社会基盤学科卒業。2009年、東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻修士課程修了。2012年、同博士課程修了。
在学中の2009年より日本学術振興会 特別研究員(DC1)となり、2010年には米国オハイオ州立大学Byrd Polar Research Centerに訪問研究員として滞在。博士号取得後は日本学術振興会 海外特別研究員として英国ブリストル大学School of
Geographical Sciencesに滞在。2014年に帰国、海洋研究開発機構 統合的気候変動予測研究分野 研究員を経て、2017年より東京大学生産技術研究所 助教となる。
2018年より現職。2019年より東京大学空間情報科学研究センター 准教授を兼務。
2012年に日本学術振興会 育志賞を受賞。