教育現場へのICT活用が注目されるなか、実際に行政と大学、民間企業が連携した取り組みを実践しているのが京都市である。京都市の教育委員会がメインになっているプロジェクト「未来型教育 京都モデル実証事業」は「個」に着目した教育をめざし、現場から取得したさまざまなデータを分析・活用している。この「教育データ科学」の分野で研究を進めているのが、学術情報メディアセンターの緒方 広明教授だ。今回は緒方教授に、教育ビックデータの活用についてお話を伺った。
教育ビッグデータを用いたクラウド情報基盤の研究
Q:まずは、研究の社会的ニーズについて教えてください。
従来の授業は、紙の教科書やノート、鉛筆、黒板などを使って行なうのが一般的でした。一方で、そういった方法よりもさらに効果的に学習内容を教えることができるのではないかということで注目されてきているのが、コンピュータを使った教育です。
教育にコンピュータを活用する流れは、コンピュータができた頃からありました。最近ではパソコンだけでなくタブレットやスマートフォンなども加わって、一人一台という環境が整備されてきています。
ネットワークについても、携帯電話の回線や無線LANなどが発達したことにより、コンピュータがさらに身近なものになったといえます。
最近では、学習管理システム(Learning Management System)等のソフトウェアの利用も広まり、授業の内容や、教育のプロセスをログデータに記録し、分析することもできるようになりました。つまり、大量のデータを瞬時に処理して、一人一人に合った教育や学習方法を提供できるようになってきたというわけです。
Q:具体的には、どういった現場での研究が中心になっていますか?
私自身、2年前までは九州大学で教育データを集めて分析するなど、教育の支援についての研究をしていました。
九州大学は先端的な取り組みをしている大学で、学生は一人一台端末を持ち込んで学習することが当たり前になっています。BYOD (ブリングユアオウンデバイス)というもので、授業中でもどんどんパソコンを使っているため、データが取りやすい環境であるといえます。
具体的には、教科書や教材をパソコンで閲覧したり、小テストをパソコンで受けるといった形です。これによって、教材の閲覧方法によって、小テストの結果がどのように違うのかがわかり、効果的な学習方法が分かるのではないかと考えています。また、宿題でレポート出してもらうのも紙ではなくて、ファイルでアップロードしてもらいます。例えばレポートを書く時に、どういう資料のどのページを参考にして書いたのかなどもわかってくるわけです。
2019年からは大学だけでなく、京都市の公立の学校と一緒に、小学校、中学校、高校を対象にした研究も開始しました。現在は、準備をしている段階ですが、これからの研究成果を楽しみにしてます。
Q:「教育データ科学」とはどういったアプローチなのでしょうか。
「教育データ科学」は、我々がつくったオリジナルの用語です。「データ科学」は一般的な用語で、データに基づいて様々なことを発見して、世の中をより良くしていこうという意味合いがあります。その技術を教育に応用していくのが、「教育データ科学」です。
具体的な内容としては、データを取る、分析する、分析した結果を学生や先生にフィードバックすることなどです。
フィードバックをした結果、教育や学習がどう良くなったか、どう効果があったかということを評価しなければなりません。フィードバックと評価は別物です。フィードバックをどういうタイミングで内容でするか、どう情報を見せるか、それを提示することが重要になってきます。
先生には「もっと学生に、発表をさせたほうがいいですよ」とか、学生なら「予習が足りていませんよ」とか「こういう問題のこの部分が間違えやすくて、まだ理解できていませんよ」という感じです。
これらはフィードバックで、評価はその結果です。
例えば「予習をしてきてください」と伝えた結果、ちゃんと予習をしてきてくれたかどうか。やらなければ何も変わらないわけですが、やってきてくれたら、その結果成績は良くなったのか。つまり「フィードバックのフィードバック(評価)」という感じですね。こういったループを何回も回していくことが大事だといえます。
ただ単にデータを取得して分析するだけではなく、実際に現場に伝えるコミュニケーション能力や、学生の行動をどのように評価するかなどの部分も含まれてくるといえるでしょう。
これまでは限られたユーザ数の中で研究をしてきましたが、データがたくさん集まるようになってくると、10万人、もしくは100万人、さらには日本全国の学生のデータが集まってくるような時代になるでしょう。そうなると、これまで正しいとされていた教育理論が正しかったのかについての確認もできるでしょうし、見落とされてきた教育方法なども見つかるかもしれません。
Q:「学術情報メディアセンター」とはどういった機関なのでしょうか。
もともとは1969年(私が生まれた年)に「大型計算機センター」として設立されました。スパコンなどの大型計算機を運用していたところです。2002年に名前が変わって「学術情報メディアセンター」になりましたが、今もスパコンやネットワークの研究をしている先生はいます。
我々は教育支援部門ということで、スパコンなどの計算機ネットワークを使った教育支援の研究を行なっています。今は、研究室というよりも研究センターという感じです。
Q:「未来型教育 京都モデル実証事業」において、京都市教育委員会やNECとの協業が開始されましたが、どういったねらいがあるのでしょうか。
「未来型教育 京都モデル実証事業」は、京都市の教育委員会がメインになっているプロジェクトです。
京都市は以前から、「個に着目した教育」をしようとしていました。そのためには、コンピュータを活用した教育が不可欠です。
つまり、個人の個性に応じた教育を実現するためには、子供たちがどのような個性をもち、どのように学習しているのかを、把握しなければなりません。そのためにコンピュータを使ってデータを正確に記録して有効活用していきましょうということで、一緒にプロジェクトをしていくことになったのです。
技術的な部分やデバイスの提供はNECさんにお任せして、それ以外のデータ分析やフィードバックを私たちが担っています。約3年間の期間を設けたプロジェクトです。
例えば、実験やグループ学習のように、複数で一つのテーブルを囲んで授業をすることがあると思います。その時に学生たちが喋っている内容を全て音声認識して、文字に直してくれるようなマイク装置があります。
マイクを各テーブルに置いて、学生たちが話した言葉や感情の変化、キーワードなど様々なことを拾って、教員向けのタブレットにリアルタイムで表示させる。そしてそれらを記録しているというわけです。送られてきたデータを処理して、「ここのグループはうまくいっている」とか「ここのグループは発言が少ない」などの情報を知らせることができます。
先生はクラスに一人しかいないのに、グループはたくさんあるわけですから、細かいところまで見てあげることができなくなってしまいます。
また、グループごとの評価だけでなく、一人ひとりの評価もしなければなりません。理科の実験や調理実習などもそうですし、英語のリスニングやスピーキングなど、友達同士で話し合ったりする授業のスタイルは現在も行なわれています。
計算機を使って、記録された学習のログを分析して、適切なグループを作成したり、評価したりします。さらにいうと、人数やメンバーなど、どんなグループ分けをすると効果的に学習ができるのかということもコンピュータが判断してくれます。
これからは、教育の場において細かく個人ごとに評価をしたりフォローができるように、この仕組みを使っていけたらと思っています。
学生の個性を生かした教育をめざして
Q:今後の課題としてどんなことが挙げられるでしょうか。
学生からどんなデータを取って、どのように活用すれば効果的な教育学習が行なえるのかということは、まだよくわかっていないことでもあります。現在は様々な種類のデータを取って研究をしていますが、そういったことを見極めていくことが今後は必要になってきますね。
あとは、学生の特徴をどう表すかというのも重要な部分です。例えば宿題をやらせた時に、締め切り間際じゃないとやらない学生がいる一方で、前もって少しずつ進めていくような学生もいます。どんどん発言する学生もいれば、そうでない学生がいたり。性格というか、学生ごとに様々な特徴があるわけです。
こういった特徴をどのように抽出して、どういう時に活用していけばいいかということは、まだはっきりとわかっていません。これから考えていかなければならない部分だと思います。
Q:データの記録はいつまでおこなうものなのでしょうか。
理想を言うなら、小中高大学、そのあとに社会人になって死ぬまで。それこそ生涯学習人生百年時代ですから、ずっと学び続けることが必要です。
何かを新しく学ぶ時には、全く違うことを学習するだけでなく、過去に学んだことを振り返ってみるのも必要なことだと思います。
振り返りをするためには、過去に何を学んだかをログとして残しておかなければなりません。何を学んだかという点では、最近なら学校だけではなく学習塾で学ぶことも多いはずです。
また大規模の無料オンライン講義(MOOCs)などもありますから、それらともどのように連携をして、データを記録していくかという部分も課題になりますね。
Q:ここまでは「自分のデータを自分にフィードバックする」のがメインでしたが、この先はどのようになっていくのでしょうか?
最終的には様々な形があると思いますが、例えばどんな学習の単位を取っているかとか、どんな分野に興味があるかなどをうまく組み合わせて、進路相談にも活用できると思います。
「この職業に就きたい」とか、「この学校に行きたい」という目標を持っている学生には、そのために何が足りないのかをアドバイスできるのではないか、と考えています。
また、毎日の食事や睡眠時間、歩数などの健康情報の利用も考えています。これらの健康データと学習データをうまく組み合わせて分析することで、効果的な学習を行うための条件やタイミングが分かってくるかもしないと考えています。
さらに、学習自身がそれらのデータを分析して、問題点を発見し、プランニングをして、問題解決をはかることで、自己主導能力(Self-Direction Skill)を身につけさせることができるのではないか、と考えています。
Q:今後3年間の目標を教えてください。
2020年までの実証実験においては、学生個人個人の特徴に応じた学びの支援ができるようになると思います。
教室では仕方ない話ですが、学校の先生方が学生一人一人を相手に日々授業をするには、時間的にも限りがあります。ですから、まずは授業が終わった後のフォローをしていけたらと思っています。
授業中やったことが全部理解できればいいのですが、学生によってはわからない部分が出てくることもあるはずです。授業が終わった後に個人がコンピュータを使って、テーラーメイドされた教材なり問題を使って、理解ができるまで学習する。そして次の授業までには、わからなかったところがフォローされる。
従来はわからないところをどんどん積み残してしまい、それが重なりすぎて授業が面白くないということにつながっていたわけです。塾などでフォローしてきたところもあるかもしれませんが、これからはコンピュータでフォローができる。そんな時代が来ればよいと思っています。(了)
緒方 広明
おがた・ひろあき
京都大学術情報メディアセンター教授
1992年、徳島大学工学部卒業。1998年、博士(工学)取得。
1995年、徳島大工学部知能情報工学科助手。
その後、同学科講師、准教授を務めたのち、2013年より九州大学基幹教育院教授。
2017年より現職。香港教育大客員名誉教授なども務める。