創薬治療のためには、人間の血管の性質についての研究が不可欠である。かつて脳の血管は壁のように隙間がない為に異物(薬)から脳を守っているものだとされていたが、実はそうではなく、汲み出す仕組みを持つポンプのようなものであるとわかったのは、つい25年前のことである。その発見をもとに、脳の血管の役割を明らかにし、「脳に最も効く薬のかたち」を追求するのが、東北大学の寺崎教授だ。今回は脳血管の基本的な役割についての説明から、創薬研究全体の展望について伺った。
血管の新たな働きの発見で、薬の作り方が変わった
Q:研究の概要についてお聞かせください。
脳の血液関門の研究をしています。
血液脳関門とは、血液が流れる血管のことです。なぜ血管なのかというと、脳の血管とそれ以外の血管とでは構造が違っていて、脳の血管はつなぎ目のない筒状の細胞、もしくはつなぎ目に隙間がないゴムホースのような形になっています。一方で、脳以外の血管は穴だらけです。脳に効くお薬を作るときには、お薬が血管の細胞の中をどのようにして通りぬけるかが重要になってきます。
25年ほど前までは、血管は壁のように隙間が開いていなかったため、薬が通っていかないのだと言われていました。もちろんそれは事実でもあるのですが、お薬が通れないことには別の原因があったのです。
少し詳しくお話しすると、お薬は一度血管の細胞の中に入るのですが、入る速さより何十倍もの速度で戻されてしまっているのです。このような仕組みになっていることを発見したのは私たちですが、血管はそれまで、ただ単に壁のような造りだと思われていました。エネルギーを使って汲み出すような仕組みを持つ、ポンプのようなものだということが、25年前に初めてわかったのです。
この発見は、薬の作り方を根本的に変えるきっかけとなりました。
血管の壁は脂質二重層でできていますから、脂に溶けやすいようなお薬にすれば、壁を通りぬけるだろうと考えたわけです。しかし実際に通りぬけることができるお薬はほとんどなく、作っても全て失敗してしまいました。
失敗の原因はP糖たんぱく(MDR1; multidrug resistance protein 1)というたんぱく質のポンプが、自家発電装置付きのポンプのようにエネルギーを消費しながらお薬が脳に入らないように汲み出してしまっていたからでした。どうすればそのポンプに汲み出されないようになるか、その方法を25年前から研究してきました。
現在では常識となりましたが、ここまでがまず一つの大きなブレイクスルーだといえます。P糖たんぱくという名前のポンプだけでなく、BCRPという乳がんの細胞から見つかったポンプもあり、これも脳の血管でP糖たんぱくと同じような働きをしています。
他にも、この25年間の研究でいくつかのポンプが見つかってきています。脳に効くお薬を作るには、通りやすいというよりも汲み出されない性質のものを作るにはどうすればいいかを中心に考えながら、今は世界中の製薬会社の方々が、ネズミや猿など段階を踏みながら研究をしています。
例えばごはんを食べたらグルコースが作られ、アミノ酸が作られます。グルコースやアミノ酸は当然脳の中でも使われますから、脳の血管の細胞はこういったものを供給することができます。となると、汲み出すのではなく中に取り込んでいくポンプもあることになります。グルコースやアミノ酸は水に良く溶けますから、細胞膜の脂質二重層を通りぬけることが出来なくて細胞膜を貫通しているポンプ(輸送担体)によって細胞膜を通っていきます。
例えばレボドパ(L-DOPA)というお薬はアミノ酸の構造とよく似ているため、脳関門は間違えてレボドパを取り込んでいくのです。このように、汲み出す性質を持つポンプと中に取り込んでいく性質を持つポンプの研究が、この20年間で大きく発展してきたといえます。
そういった中で私たちは着眼点を変えて、脳の中でいらなくなったものはどこへ行くのかについての研究もしています。
また、いらなくなったものは脂に溶けない水溶性のものがほとんどで、例えば先ほどのレボドパというお薬は身体の中でドーパミンになり、さらに分解されてホモバニリン酸となって尿から身体の外へ出ていきます。
しかし、脳の中でできた廃棄物がどのようにして外へ出ていくのかについては、まだ良くわかっていません。脳の中でできた廃棄物は脂質二重層を通ることができないからです。ですから私たちは脳の中の廃棄物や異物が脳からどのようにして出てくるかについて研究しています。
脳の血管はゴムホースのようだとお話ししましたが、ゴムホースには水に接する内側と、空気に触れる外側があります。この内側と外側は全く性質が違いますが、脳の血管にもこれと同じようなことが言えます。
特に先ほどのお薬を汲み出すポンプは血液と接する内側にあり、脳と接している外側にはいらないものを血管の細胞内へ取り込むポンプがあります。最初は異物を汲み出すポンプの研究から始め、次に異物だけでなく老廃物がどのようにして出て行くかについて研究してきました。
今から10年ほど前に転機があり、2005年くらいまでの間で一つ大きな区切りがついたと考えています。ただその区切りというのは、あくまで動物実験での話です。ですから、ネズミではなく人間ではどのようになるかについては、大きな疑問が残っていました。
また、病気になると人によって脳の血管は漏れやすい状態になりますから、そうなった場合にどうなるのかもわからなかったのです。この辺りの疑問点について、研究を展開していきたいと考えたわけです。これは2005年ごろまでに基本的な働きについての研究に区切りがついたからというのもありますね。
まず人間と動物での違い、病気になった場合、そしてもう一つ、予測をするための研究へ移行していきました。新しいお薬ができた時、これを飲む前に人の脳にどのくらいの効率で運べるのかを予測したいということです。これは今から5年ほど前にできるようになってきたと言えます。
少し詳しくお話しすると、例えば先ほどのP糖たんぱくで汲み出されてしまうようなお薬であっても、本当に諦めなければならないお薬もあれば、まだ可能性が見込めるお薬もあるのです。
キニジンというお薬ですと、脳の血液中のキニジンの濃度と脳の細胞間液中の濃度を比べると、脳の細胞間液中の濃度の方が40分の1とかなり低くなっています。これには、キニジンがP糖たんぱくのポンプで汲み出されてしまうという原因があります。40分の1では厳しいケースかもしれませんが、半分くらいの濃度になるお薬であれば諦めなくても良いといえますね。
そのお薬が脳の中でどれくらいの濃度で有効かがわかっていれば、「これはポンプで汲み出されてしまっても大体このくらいの濃度になるから、臨床試験も成功するだろう」と予測できることになります。
ただ単に、生命科学のような「血液脳関門の働きとはなんぞや」というところを追及していくことも大事だとは思いますが、私たちの専門は薬学ですので、お薬を作るときに関門が邪魔をしているから、それをどう克服していくかという方向に研究を掘り下げるべきだと思いました。
さらに、病気の方へ投与するわけですから、病気になったらどう変わるのかという点や、ネズミではなく人でどう変わるのかという、これら大きく分けて3つの点について、この10年間取り組んできました。このあたりが特にオリジナリティーの高い、他の研究室では取り組めていない部分だと思っています。
それはなぜかというと、この3つの大きな目標を10年前に掲げたとき、最初に考えたのは3つを同時に解決するにはどうすればいいかでした。そこで出した答えは『たんぱく質を定量すること』でした。
タンパク質を定量することで新薬開発研究が変わる
今日、新しいお薬を生み出すために世界中の人たちは、遺伝子の配列に基づいた『ゲノム創薬』に取り組んでいます。私たちはその先には『プロテオーム創薬』の時代が到来すると考え、5年ほど前からその重要性を提唱しています。DNAがあってコピーされて、メッセンジャーRNAになって、その情報に基づいたたんぱく質が合成されていきます。なぜ、たんぱく質研究(プロテオーム)なのかというと、働きを持っている細胞や臓器の根源はたんぱく質で、たんぱく質がお薬を運んで、効果を発揮して、分解して、身体の外に運ぶからです。
つまりお薬の効き目の強さと時間の長さを決めるすべてのプロセスはたんぱく質の働きによるからなのです。それまでは、輸送担体や受容体やチャネルなどの細胞膜のたんぱく質の定量法が確立されていませんでした。私たちの取組のどこが新しいのかというと、どのたんぱく質がどこに何個あるのかを調べられるようにしたことだと思います。
ここで特長的なのが、分析手法です。他の人たちは定性分析で研究が進んでいますが、私たちは絶対定量です。私たちは何モルという単位で測定する技術を開発しました。これは東北大学の特許でもありまして、日本だけでなくアメリカやヨーロッパなど世界中で特許が成立しています。どんな特許かというと、たんぱく質の定量に適した「ある特別な部分」を予測する理論なのです。
私たちが最初に行なったのは、先ほどのゴムホースの内側にあるP糖たんぱくがネズミの血管には何モルあるのかの調査です。結果、人間はネズミよりもP糖たんぱくの割合が少ないことがわかり、一方でBCRPは人間の方がネズミより多いこともわかりました。
それは単に相対的なものではなく、絶対的な濃度という意味合いです。そして次は試験管レベルで、培養細胞にそのポンプを発現させて、その速さとポンプのタンパク質の量を測ります。すると一個のポンプがお薬をどれだけの速さで汲み出すのかを測定することができるのです。測定した速さとネズミの血管が持っているポンプのたんぱく質の量をかけ算すると、ネズミが生きている状態でどれだけの速さで汲み出されてしまうのかが計算できるです。
その速さがわかったことで、先ほどの血液と脳の間の40分の1も濃度が低いことについてぴったりと理論的に予測できるようになりました。ネズミで予測できたことで、少なくとも病気ではない正常な人間についてもわかるようになったわけです。
これができるようになったのは4、5年ほど前のことです。先ほどのたんぱく質を測るお話しに戻りますが、なぜ他の人たちができなかったのかというと、私たちが測りたかったたんぱく質が水に溶けない性質を持っていたからでした。
ポンプ(輸送担体)は細胞の膜に刺さって貫通しているたんぱく質で、これに限らずお薬のターゲットである受容体はほとんどが細胞の膜にくっついているか細胞の膜を貫通しているため、脂質二重層の中を貫通しているということは水に溶けない性質のものということになります。ですから、細胞膜を単離して脂質を除くと水に溶けないですから、扱えないというわけです。
そこで私たちは溶けている部分だけを定量しようと考えました。当然細胞の膜の外側に出ている部分と内側にある部分がありますから、まず酵素でバラバラにして、水に溶けている部分はそのまま溶けた状態で残り、溶けていない部分は捨てることになります。この水に溶けている部分のアミノ酸であるペプチドを、質量分析装置を使ってこのペプチドが何本あったかを調べるということでいけるだろうと考えました。水に溶けている部分のみを測るわけです。
なお、これについては私たちが初めて行なったことではなく、すでにこの方法に取り組んでいる人たちもいました。その中でなぜ私たちが特許を取れたのかというと、この配列は信用できる、このフラグメントは定量しやすいなど、酵素で分解するときには必ず正しく切れるフラグメントとそうでないフラグメントがあるのですが、その場合検出感度には100万倍もの差が出てきます。どれを測るか、それまではとりあえず質量分析装置を使って調べて、これが一番良さそうだからこれを測りましょうという感じでした。私たちはそうではなくて、コンピューターで配列を解析して、あらかじめここが最も強度が大きくて、必ず再現性よく切れてくるところだという予測理論を作りました。するとたんぱく質がなくても、はじめにどこを測ればいいのかがわかるわけです。
ネズミだけではなくあらゆる動物のP糖たんぱくの定量をするときに、どこを測ればいいのかがコンピューター上で予測できるようになりました。ですからどのフラグメントがいいかを探し出すのに数か月かかるところを、私たちは数秒でできるようになったのです。
ゲノムでたんぱく質のアミノ酸配列が全部わかっているわけですから、例えばものを持っていなくても定量法が先に作れてしまうのです。これが最大のメリットで、あれを測りたい、これを測りたいと思った時にものがなくても先に定量法ができますから、測りたいものがあればすぐに結果が出せるのです。ですから、今まではとにかくものがないと、どのようにして測るかがわからない状態でしたが、今はたんぱく質の名前がわかれば定量法が理論的にすぐにでき、あらゆるたんぱく質に適応できることになります。これはかなり大きなインパクトであると私たちは考えています。
現在は脳の血管のたんぱく質だけではなく、がんの細胞や脳腫瘍についても行なっています。またお薬の効かないような様々な病気の組織の中には例えば先ほどのP糖たんぱくがたくさん作られているかもしれません。このあたりもきちんと絶対定量で今調べることができるようになっています。
つまり3つの目標のうち、まだ残っているのは病気の場合はどうなるかの点だけです。病気になったら血液脳関門の働きがどのように変わるのかということですが、これには大きく分けて2つあり、まずたんぱく質の量が増えたり減ったりすることは解析できるわけです。
例えばてんかんの患者さんの血液脳関門は普通の人と同じかどうか、これは今調べることができます。まずこれを遺伝的にてんかんになるネズミや、お薬を投与しててんかんになるネズミなど何種類かモデルを使ったら、P糖たんぱくが2倍ほど増えていることがわかってきました。つまりP糖たんぱくでくみ出されるお薬の濃度は正常な時に比べて2分の1に下がっていることになります。これを予測してみたところ、ぴったりと合ったわけです。
病気の最初の解析は、たんぱく質の量、ポンプの量の変動だけで血液脳関門の働きの違いということが予測できました。しかしそんなに簡単な話ではなく、増えたり減ったりという量的な変化ともう一つ修飾される変化があります。アミノ酸がリン酸化を受けて働きが変わってしまい、ゴムホースの内側の血液と接するところにあったたんぱく質が隠れてしまうのです。
これはエンドサイトーシスの機構ですが、細胞膜がくびれて内側に陥没してきて、それが風船のようになって、そのまま細胞の中にとどまり、嵐が去ったらまた戻ってくるという感じで、可逆的です。
例えばサイトカインとかストレスとか病気になった時に変化が起きたことが引き金となり、たんぱく質がリン酸化を受けその結果としてポンプの場所が移動していったり、ポンプ一個あたりの働きが少し鈍くなったりします。これはかなり奥が深いですね。時々刻々と変化していきますし、どのアミノ酸が何モルリン酸化されるとどれくらいスピードが落ちるのか。例えるならエンジンのギアのようなものです。トップギアで走っていたのに病気になったためにギアが変わってしまうという感じです。
それがリン酸化のどのアミノ酸が何モルくらい、例えば100万個あるうちの30万個のポンプにこのようなことが起きているとか、数で議論できるようになってきていますし、今取り組んできているところはこのあたりが中心と言えます。病気になったときに、単なる増減ではなくて、たんぱく質の根本的な働き自体が変わることや、一時的に避難されてしまうことについて、研究に取り組んでいます。
Q:これまでのご経歴をお願いします。
1977年に金沢大学を卒業、79年に大学院修士課程を修了して、82年に東京大学の大学院薬学系研究科で学位を取得しました。
その後すぐに母校である金沢大学の助手に採用していただきまして、85年から2年間米国ロサンゼルスのUCLAの脳研究所のウィリアム・パードリッジ教授のもとに留学しました。
1987年に日本に帰ってきまして、92年までは金沢大学で講師と助教授を、その後は96年の3月までは東京大学の大学院薬学系研究科で助教授を務めさせていただきました。これは学位取得をご指導いただいた研究室の教授(故花野学先生)がご定年退職され、当時、助手をされていた杉山雄一先生(現・理化学研究所)が教授になられて、私を助教授として呼んでいただいたかたちです。
そしてここ東北大学には、1996年の4月にこの薬学部の研究室に教授として招聘していただきました。その後東北大学未来科学技術共同研究センターと両方の研究室を7年間持つことになりました。この間は主に脳関門の汲み出すポンプの働きや、老廃物を汲み出す働きについて研究しました。
当時は独自にネズミの脳血管の条件的不死化培養細胞株を作りまして、それを使って脳関門の働きを調べました。目的は「未来科学技術」ですから、脳関門を通るような新薬を1日でも早く作るにはどうするか、この細胞株を評価系として使っていこうということで研究を続けてきました。
ただこれには限界があって、人でどうなるか、病気の場合はどうなるか、予測できるかに関しては、さらなる新しい技術開発をしていかなくてはならないということで、7年間の任期を終了して再び薬学研究科の専任として、今日に至っています。
Q:技術的、倫理的、産業的な課題はありますか?
課題として、まず感度をもう一桁あげたいと考えています。
現在はたんぱく質を定量する技術の極限に近いところで研究をしていますが、これまで発見できていることだけで全てを説明するのは難しいだろうと感じています。まだ見つけることができていないものがたくさんあるということです。そのためにはもう一桁感度を上げた分析をすることで、さらに脳関門の真の働きに迫ることができると考えています。
そのための質量分析装置はすでに開発されていますから、研究費があれば可能ではあります。課題というよりも、次のステップといった感じですね。
倫理的な面での課題もあり、人の脳血管がどうなっているかを解析するときには、きちんと倫理委員会に審査をしていただき、適切な方法で研究を進めています。
実際のところ共同研究のオファーが世界中からありまして、それは私たちのしている研究が世界特許を抑えているため、他ではなかなかできないことだからだと思います。限られた時間と様々なリソースをもとに、何を優先して行なっていくかを考える段階に直面していると言えます。ある意味ではここも課題といえるかもしれませんね。できるだけ重要な研究にこの技術を活用していきたいと考えています。
Q:企業に期待することはありますか?
産業的な面では、企業に期待するところでもありますが、この技術はもちろん脳の血管の働きを調べるだけではなくて、あらゆる疾患や臓器に応用できますから、ぜひ使っていただきたいと思っています。
また、コラボレーションを進めていくことでいいお薬が1日でも早く生まれ、患者さんのお役に立てる日が来るといいなと考えています。(了)
寺崎 哲也
てらさき・てつや
金沢大学薬学部を卒業後、東京大学大学院薬学研究科後期博士課程修了(薬学博士)。同年、金沢大学助手となる。米国UCLA医学部・脳研究所で文部省在外研究員及びUCLA Visiting Assistant Fellowとし、その後、東京大学助教授を経て、1996年に東北大学教授となる。
2006年から2009年の間総長特任補佐、また2008年4月から2010年3月までは薬学研究科副研究科長を務める。