カーボンナノチューブ、カーボンナノベルトなどの名称で近年注目されるナノカーボンであるが、現行のものは混合物ゆえ特性が安定せず、まだ万全とはいえないという状況である。この課題を解決すべく、「美しい」分子を標榜し、単一構造の分子をつくりだしてブレイクスルーを起こそうとしているのが、トランスフォーマティブ生命分子研究所 (ITbM)の伊丹健一郎 拠点長だ。合成指向型の触媒開発研究によって、まったく新しい分子活用を可能にする伊丹拠点長の展望について伺った。
美しい分子にこだわり、カーボンナノベルト開発に成功
Q:研究内容についてお聞かせください。
化学者として、分子の研究をしています。分子は目に見えない10億分の1メートルという非常に小さなサイズ、ナノと呼ばれる大きさのものです。分子には世界を変える力があり、我々の生活は分子なしでは語れない、分子によって我々は生きることができています。
身近な例を挙げるなら薬、燃料や服、あるいはスマートフォンに電気を流したり、光らせたりしているのもすべて分子です。分子はすごい、この一言に尽きます。
世の中にはたくさんの問題がありますが、分子はその問題に対して答えを出すことができると思っています。私の研究のゴールはそういった問題を解決するような、画期的な機能をもった分子を開発して、世の中に送り出すことです。私は分子の力を一番に信じています。
しかし様々な問題があり、健康や医療に関する問題であれば、医薬品のようなものを作り出して世に送り出すこともしていますし、食糧に関する問題であれば農薬に関連したような分子を生み出したりもしています。またエネルギーに関する問題なら、我々のエネルギーの使い方が効率化するための鍵となるような分子を作り出すこともしています。
それに加えて、すぐさま役に立ちそうにないけれども、とにかく「美しい」分子を作ることもしています。一体それが何の役に立つのかと言われることもありますが、すぐに役立ちそうなものはすぐに役立たなくなることがほとんどです。100年後を見据えて、新しい形をもった美しい分子を作りたいと研究を続けています。何の役に立つのかと言われても、正直それはわかりません。「人類と科学者の栄光のために作っている」と思っています。
先日発表して大きな話題になったのが、カーボンナノベルトという分子です。この研究は12年前からずっと続けてきたもので、ナノカーボンと呼ばれる物質群があり、それが抱えている混合物問題という大きな問題を解決するためにスタートしました。
そもそもナノカーボンがどんなものかというと、ナノメートルサイズの炭素材料の総称です。サッカーボール状のC60フラーレンという分子が1985年に発見され、その後1991年に筒状のカーボンナノチューブが発見されます。その後、2004年には平面状のグラフェンが発見されました。フラーレンとグラフェンについてはその美しさのみならず、破格の物性を示すことがわかり、ノーベル賞が授けられました。
これらは確かに素晴らしいのですが、問題がひとつあります。現在の方法で作られるナノカーボンは様々な形や構造のものの混合物ですから、様々なものができてしまいます。例えばチューブなら、様々な直径や構造のものができてしまうわけです。現行の方法ではその一つ一つをきれいに作ることができません。様々なものが混ざってしまっていて、純粋なものがとれないのです。また構造がそれぞれ違うものですから、物性も違ってきます。つまり現在のナノカーボンはほとんどの場合、混合物の物性の平均値でサイエンスをしている状態なのです。ですから本来もっている破格の物性を活かしきれずにサイエンスとテクノロジーがおこなわれているのです。
私はそこに単一の構造のもの、つまり分子として表せるようなピュアなものを選択的に作って、一分子と言えるようなナノカーボンを世に送り出してブレイクスルーを起こしたいと考えています。
これがもし実現できたら、世の中に出回るナノカーボンはすべて私たちが作ったものに変わるはずです。無謀だ、頭がおかしいとずっと言われてきましたが、私はそれをずっと続けてきました。
このうちの一つであるカーボンナノチューブの短いものがカーボンナノベルトと呼ばれるもので、これは世界で初めて作られた純粋な短いカーボンナノチューブです。カーボンナノベルトは、カーボンナノチューブが発見された1991年よりももっと前から科学者の興味の対象になっていたものですが、このたびようやく実現できたわけです。
ここが面白いところなのですが、美しいものにはたくさんの人が興味を示して研究対象にしていきます。その後、それが紙の上の空想ではなく現実のものとして見つかってくるわけです。これはフラーレンも同じで、サッカーボール状の分子も見つかる前から科学者たちは「こんな新しい炭素の形ができたら面白いね」とずっと夢見ていたものでした。実際に作ろうともしていましたが、なかなか作れずにいたのです。ですから、やっと作り出すことができた時に革命が起きたわけです。
空想が実現化して、混合物の問題があるとわかって脚光が集まります。こういった短尺のものをきれいに作ることができれば、これを伸ばしていくことで決まった直径で側面の構造もすべて決まったものが作れるかもしれません。世界中の科学者みんなが作りたくてしょうがなかったものを、私たちは12年かけてやっと作り出すことができたのです。
Q:カーボンナノベルトの開発に成功したことで、次の段階はそれを生産し広めていく段階なのでしょうか?
もともと私たちのモチベーションはこの種を用いて、伸ばして、きれいなカーボンナノチューブを作って量産することでした。しかし現在では少し考え方が変わってきています。簡単に言うと、このような炭素の形は世に存在しないわけです。いわば、私たちが思っている以上のとんでもない破格の機能が隠されているのではないか。そちらのほうに興味があります。まだ解明されていない隠された機能、それを追求したいと考えています。
炭素には様々な形があり、歴史的に見ると、新しい炭素の形が発見されるとその後様々な形で研究されていきます。新しいサイエンスとテクノロジーが必ず生まれてきました。当初は何の役に立つのだろうと言われていたものに、とんでもない機能が見つかるというのが今までの基本の流れです。わかりやすい例が、フラーレンです。発見された時は「何だ、このサッカーボールみたいなものは?」とか、「いったい何の役に立つんだ?」などと言われていました。ところが、そこから超伝導ができることや、身体の中に入れて薬のようになることがわかってきました。フラーレンはいまでは、太陽電池になくてはならない存在になっています。このように、発見当初には誰も予想できなかったような機能が見つかるのが、新しい炭素の形の研究のよくある流れです。
私は、これと同じことをカーボンナノベルトにも期待しています。ここからきれいなカーボンナノチューブを作ることはある意味では当たり前のことです。もしできたらすごいことですが、それでも予想の範囲内と言えますね。カーボンナノベルトの破格の機能を発見するためには、他の研究者も使える状態にしなくてはなりません。
私たちの研究室だけで使っていたら絶対にそんなことは起こりませんから、多くの人に使ってもらわなくてはなりません。「分子が一人歩きして、勝手に活躍する」感じですね。分子は私にとって子供のようなものですから、子供たちには活躍してほしいですからね。その子供たちを、さあ行って来いと送り出したい。そのためには市販化が必須です。現在はある試薬会社がその検討を始めていて、試薬として販売できるよう用意している状態です。
Q:他の炭素研究と比べ、ユニークな部分はどこですか?
炭素材料の研究で私たちがなぜユニークなのかというと、おそらく他の炭素材料を研究している人たちは、すでにある混合物の中から何か使えるものがないかと考えながら研究に取り組んでいると思います。私たちはとにかくきれいなものを作るという所にこだわりをもっています。
私らが目指しているのは、ナノカーボンが分子としてきれいにできたり、理解されたり、活用できるような状況、そういったサイエンスです。「分子ナノカーボン」と私が命名しましたが、分子ナノカーボン科学、分子にこだわったナノカーボンの研究がものすごくユニークだと思っています。ここに他の研究者も賛同し、重要だと同意してくれることで、世界的な新しい潮流になってきています。新しい分野がまさに今、できてきているといった感じですね。
Q:現在、どのような環境で研究を進めていますか?
同じキャンパス内に、別々の実験室があります。私は研究を3か所でおこなっていて、理学部化学科の伊丹研究室とJST-ERATOの分子ナノカーボンプロジェクト、そして世界トップレベル研究拠点WPIのひとつであるトランスフォーマティブ生命分子研究所(ITbM)、この3か所です。
このなかでも、理学部化学科は私のコアです。ナノカーボンプロジェクトは私の研究の中でもナノカーボンのみに集中していて、応用物理や材料科学の人たちもたくさんいます。一方でITbMは生物学者とのコラボレーションになっています。イメージング、植物科学、動物科学などですね。そういった所にもたまにナノカーボンを使ったりしています。
化学はデザインする、クリエイティブな学問
Q:現在の研究に至るまでの、伊丹様ご自身の経歴をお聞かせください。
京都大学の工学部合成化学科を1994年に卒業しました。そのまま大学院に進み、1996年に修士をとって、98年に博士号をとりました。その年に京都大学工学研究科の助手になり、2005年に名古屋大学の准教授になりました。
この道に進んだのは、高校3年の時に教科書に載っていたベンゼンを見たことがきっかけになっています。私は教科書で初めて、合成化学という学問を知りました。そのとき、「化学はただ暗記する学問ではない。クリエイティブな学問である」と感じたのです。新しい分子を自分でデザインして、それをレゴブロックのように作る。合成化学はまさに、究極のものづくりだと思ったわけです。合成化学をきわめれば、何でも作ることができると思いました。デザインする面白さは大きいですね。
私がもう一つ信じていることがあって、それは「美しいものには機能が宿る」ということです。これは経験則でもあるのですが、世界を変えた分子は本当にすべてが美しい。中でもフラーレンは破格の美しさです。美しいというのはシンプルとも言えるかもしれません。シンプルということは、応用の可能性にあふれているということですから。
Q:研究環境について、海外と日本を比べてみて感じることはありますか?
ITbMに関しては、とにかく研究環境が素晴らしいです。国と名古屋大学に精力的にサポートしていただいていて、現在の環境を作ることができたと思っています。JST-ERATOプロジェクトについては研究の期間に5年という制限がありますので、あと1年半ほど時間があります。ちょうど成果が出始めた所ですね。
5年間の目標として、やはりナノベルトは作ってみせたいと思っていました。しかし正直なところ、真の目標は5年では達成できることではありません。もともと私がゴールを設定していたスパンは、30年です。新しい分野ができ、分子ナノカーボンという物質群が次々にできていって、みんなが当たり前のようにそれを使って研究をしている。その状況を作るまでが、12年前の私が描いていた30年後の夢でした。これくらいのスパンで物事を考えているので、5年間のプロジェクト期間内で達成することは難しいのです。
しかしその5年間をがんばらなければ、30年先のゴールはありません。たとえゴールに届かない5年間だとしても、それは絶対にやらなければならない5年間であると私は思っています。
Q:直面している課題はありますか?
やはり分子を作る部分は、どんなときも難しいと感じています。
本当はナノベルトも3年程度で作りたいと思っていましたが、実際には12年もかかってしまいました。これ以外の新しい炭素の形もたくさん研究室で作ろうとしていますが、やはり難しいですね。何か落とし穴があるわけではないのですが、とにかく難しい。常識的な物事の考え方ではたどり着けないような分子群です。
例えば私たちの同業の合成化学者がこの手の構造を見たとしたら、まず作ろうとは思わないはずです。そもそもターゲットにしようとは思わないですし、どこから手をつけていいのかわからないでしょう。やろうとしている時点で頭がおかしいと言われるかもしれません。山登りに例えるなら、普通の人はエベレストに登ろうとはまず思わないはずです。いざ登ろうと思っても、どのルートを通るべきか、どうやって登ろうかなどと考えているうちにどんどん時間は過ぎてしまいます。私たちの取り組んでいることもこれと同じようなことです。気持ちの面でも本当にできるのだろうかなどと考えてしまいがちです。
一方でこれはうちの学生、スタッフ、研究員の優れたところですが、彼らは絶対に諦めません。彼らのモチベーションは相当なものです。
産業的な課題について言えば、先ほど市販化を目指しているとお話ししましたが、やはり価格は一つの課題だと思っています。私たちはとにかく作ろうという考えで取り組んでいますから、どうしてもコストがかかってしまいます。例えるなら、「渾身のラーメンを作りたい!」と実際に作ってみると、1杯作るのになんと1000万円もかかったとします。私は1000万円かけてもその1杯のラーメンを作りたいですし、せっかく作ったものはみんなに食べてもらいたいのです。しかし1000万円もするラーメンをつくったら、高すぎて誰にも食べてもらえません。1000万円のラーメンをどのようにして1000円のラーメンにするか、ここを頑張って実現させることが次のステップだと思っています。
すごく難しいことのようですが、必ず道はあると思っています。
Q:研究室の学生はどのような環境で研究していますか?
現在は45名の学生がいます。そこに研究員など他の関係者も合わせると72名です。日本で一番大きなグループの一つだと思います。学部生は4年生からで、ほぼ進学します。
化学科にはいくつもの研究室がありますが、私の研究室には「世界を変えるような分子を作りたい」と共感してくれる学生が入ってきてくれます。自分で物事を考え、自分で研究を進め、自分で新しい分子を設計したりすることができるようになるまでに、さほど時間はかかりません。大事なのはその先、次から次へとアイデアが湧くかどうかです。発想が出る人とでない人で分かれてきますね。もし発想が出せる人は、研究者としても伸びていくと思います。
研究室では、取り組んでいる実験についてのアイデア出しの時間を設けていますが、ここでは新しい研究テーマを考えたり、新しい分野を作ろうと考える時のアイデア出しをしたりなど様々なかたちがあります。若いとかベテランだとかは関係なく、共通して必要な部分ですね。研究は、こうしなければいけない、こうあるべきだなどと考えながら研究をしてしまうと、途端に面白くなくなってしまいます。自分の中でこれは面白いのではないか、と考えながら取り組むことが一番楽しい部分ですし、それが後々役に立つことにつながるのではないかと思います。
研究室の学生の直接指導は3週間に1度のペースでおこなっています。基本的に私の研究室は牧場のように、自由放任でやっています。まずはゴールを設定して、あとは山だけ教えてあげます。これから登る山はこんな山ですよとアドバイスした後、どうやって登っていくかは自分たちで考えてねといったスタイルです。もちろん入ってきたばかりの子たちには、先輩や見守ってくれるスタッフがいて、揉まれながら育っていく感じですね。
Q:多くの企業と共同研究をされていますが、企業に期待することはありますか?
現在、10数社の企業と共同研究をしています。期待することというと、すぐに役に立ちそうなことばかりにスポットライトを当てるのではなくて、この先どうなるかわからないようなことでも、あえてそこに取り組んでみてほしいですね。
企業の方はどうしても、すごくスパンの短い話をしがちです。もちろんそれに合わせることもあります。私は基本的にドラえもんのような研究が好きで、あんなことやこんなことができたらいいな、そんなワクワクするような分子を作りたいというのが私のモチベーションでもあります。企業の方にはこの考えにぜひ乗っかってきてほしいですね。
博打だと言われてしまうかもしれませんが、ここに対する理解度がどのくらいあるかで、基礎科学の国としての力が決まってくると思います。大学も企業も一緒になって、空想を実現できたらと思っています。(了)
伊丹 健一郎
いたみ・けんいちろう
名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所 拠点長、教授。
科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業ERATO伊丹分子ナノカーボンプロジェクト研究総括。
1994年、京都大学工学部合成化学科を卒業後、同大学院工学研究科合成・生物化学専攻博士課程 修了。1998年より7年間、京都大学大学院工学研究科助手を経たのち、2005年より名古屋大学物質科学国際研究センター 助教授。同時期に科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業さきがけ研究員も兼任する。2007年には、名古屋大学物質科学国際研究センター准教授となり、2008年より名古屋大学大学院理学研究科教授に。
2013年より現職。