昨今、老朽化した道路やトンネルなどの社会インフラの修繕が求められている。それらの多くは高度経済成長期の短期間で工事がなされ、その設計寿命が現在になって表面化している、というわけだ。金属の亀裂治癒技術の確立を目指し、破壊や治癒の基礎的な研究から土台を固めているのが、早稲田大学 理工学術院の細井厚志准教授だ。これまでの実験結果をもとに、電気や熱を一定条件下で加えることで起こる金属変化の法則についてお話しいただいた。
老朽化したインフラの修繕が求められている
Q:金属亀裂の治癒の研究概要についてお聞かせください。
研究の大きな背景として、構造物が老朽化してきてそれが壊れて事故になってしまう問題をターゲットにしています。
私は元々、壊れ方のメカニズムや逆に壊れないようにするにはどうすればよいかなど、破壊についての研究をしていました。
しかし実際すでに壊れそうなものがあったり、最近では省エネなどと言われている中で、新しいものに取り替えるのはコストの面でも難しかったりします。しかも日本の場合は高度経済成長の時代にたくさんの建物を建てて、それが設計寿命を超えて使われていることも多くなってきています。こんな建物がたくさんあってどうすればいいのかと問題になっているわけです。
一方で、ここが危ないですよというような検査技術に関しては、どんどん良いものになってきています。ではその次にどうしていくかということになりますが、簡単に言ってしまえば、危ない所を交換すればいいわけです。
しかし言うだけなら簡単ですが、実際に悪い部分だけを交換していくのはなかなか難しいことです。また交換するための材料はどうするのかなどの問題も出てきます。補強をしてなんとか騙し騙し使っていくのが現状のやり方です。ここでもしそれを治癒できたら、もっと長く使っていくことができます。人間のように骨折したとしても、治癒してまた復活できたらいいですよね。これを治癒と呼んでいますが、修復と言っても良いかもしれません。
治癒と言うと自己修復のイメージがあるかもしれませんが、その言葉の通り、材料によっては自分で勝手に治っていくようなものも開発されています。
しかし金属となるとなかなか難しく、やはり外から何かしらのエネルギーを与えてあげなければなりません。当初に行なっていたのは電流のエネルギーを使って亀裂を治していく方法でした。しかし電流で亀裂は閉じていくものの完全には治っていないことがわかり、熱を加える方法も出てきました。すると上手く亀裂面の原子拡散が起こり、治癒できそうな状態になることがわかったわけです。
私が早稲田大学で学位を取った後、最初に名古屋大学に就職しました。そこの先生が元々マイクロ波を使った非破壊検査の専門家で、欠陥やキズを検査する事を専門にしていました。そこで亀裂の治癒について研究してみないかと言われ、壊す方を専門にしていた私と先生が力を合わせる事で何か良い方法が見つからないだろうかと研究を始めました。つまり、始めてからまだ10年も経っていないのですね。
当初、電流を流す方法について、ノウハウ的なものが全くない状態からスタートしましたので、理科の実験で使うようなワニ口クリップのようなものに電流を流すことから始めました。もちろん何も起こりませんでしたが、続けていくうちにふと「抵抗溶接の際には、かなり大きな電流を流しているな」という点に気付いたのです。金属は、あまり大きな電流を流しすぎると溶けてしまいますので、「瞬間的に大きな電流を流すのはどうだろう」、と考えました。もしこれで何も結果が出なければ、この研究はやめようかとも考えていました。
その時の方法は大きなパルス電流を流すことで、実際に試してみると亀裂が少しだけ閉じていくことがわかりました。その時にこれは使えると思い、電流をたくさん流しながら亀裂がどのように治癒していくかを調べていきました。パルス電流は1回流すと100~200ミクロンほど閉じること、それを何回も行なうことで亀裂の先端から少しずつ閉じていくのも分かってきました。
それが分かった後は、治癒の効果を評価する研究に移ります。評価してみると亀裂は閉じているものの、それほどしっかりくっついてはいなかったのです。金属は表面が酸化していますから空気に触れることで必ず薄い酸化膜ができてしまうのですが、その酸化膜が亀裂の修復を阻害しているとわかってきました。
例えばプラスチックなどの高分子材料であれば金属のようには酸化はしませんから、治癒技術が進んでいます。中に治癒するためのカプセル状の媒体を入れておき、亀裂が進んだらカプセルを突き破って亀裂を埋めていくといった感じです。人間でいうとかさぶたのようなイメージですね。あとはセラミックなどの材料ですと、むしろ積極的に酸化を利用して亀裂を埋めてしまうパターンもあります。しかし金属の場合はこのようなことが難しく、問題の酸化膜をどうするべきかと考えていました。
そこで新たに考えたのが、熱処理という方法でした。熱処理を上手くすると、酸化膜を飛ばすことができます。そうすることで炉の中だけではあるものの、表面を新品同様の新生面に変え、酸化膜のない状態にすることができるのです。酸化膜がない状態は表面が活性化している、つまり何かと結びつきたがっている状態ですから、新生面同士が合わされば本当にきれいに元通りになるわけです。
現在は様々な金属で実験をしているところですが、どうしても炉に入れなければなりませんから、サイズを考えると小さな部品しかできません。構造物などに行なうにはまだまだハードルがありますから、この辺りをもう少し改良していけたらと考えています。
また材料によっても向き不向きがあるようで、今までやった中ではステンレスが一番向いていますね。他に代表的な金属でいうと、炭素鋼などもあります。機械系で一番広く使われていて、鉄の中に少しだけ炭素が入っているものです。純粋の鉄よりも炭素を入れると強度が上がるのでよく使われています。あとは耐熱合金などもありますね。
Q:「金属が老化する」とは、具体的にどのようなことでしょうか?
機械系の構造物の破壊の原因として多く見られるのが、金属疲労です。みなさんも聞いたことがあるかもしれません。わかりやすく例えるなら、薄いアルミ板を何回も折り曲げていると折れてしまった経験があるかもしれませんが、繰り返し力が加わると少しずつ亀裂が進んでいってそのうちに壊れてしまうわけです。現在はこの金属疲労の亀裂を研究のターゲットにしています。あとは、腐食なども老朽化の原因の一つであるといえますね。
Q:研究について、海外事例などはありますか?
海外事例についても、現在のところほとんどありません。熱を与えたり電流で亀裂を治癒する事例はありませんが、治癒という観点で見れば様々な方法がありますし、破壊の仕方も様々です。
今回は材料の亀裂をターゲットにしていますが、ものによっては引っ張り続けると亀裂ほどではない小さい虫食い穴のようなものが中にできて壊れていくものがあります。それに対しては、加熱してあげると中に入れた元素が拡散して穴を埋めていくようなもの、あるいは低い融点の合金カプセルを入れておいて亀裂がそのカプセルを突き破り、加熱すると融点の低いカプセルが液状になって亀裂を埋めていくものなどもあります。
また形状記憶合金のファイバー状のものをワイヤーとして金属に入れておいて、亀裂が入った時に形状記憶合金に熱をかけてあげると元に戻っていくようなものもあります。しかし何ミリという大きな単位で亀裂が入っている金属材料を治癒するのは、私の知る限りではないと言えますね。
Q:企業などから研究開発や実用化のオファーなどはあったりするのでしょうか?
今は共同研究のような形で、企業との研究を進めたりしています。そういった所で将来的には産業機械のメンテナンスという形で、何か実用化できたらいいねとメーカーさんと話しています。長く使える産業機械の開発を目指しています。
材料一筋で、研究を続ける
Q:これまでの経歴をお聞かせください。
大学卒業後は同じ研究室で修士課程に進み、そのまま博士課程まで進みました。博士課程在学中に日本学術振興会に採用され、特別研究員をやりつつ博士課程の最後の年に名古屋大学でやらないかと声をかけていただきました。タイミングがギリギリだったのもあり採用が5月からになったため、学位を取ってから空いた一ヶ月は特別研究員をやり、5月から助教として6年間名古屋大学にいました。その後、早稲田の私の恩師である先生から、テニュアトラック制度の公募を受けてみないかと声をかけていただきました。
テニュアトラック制度とは、3年から5年の任期つきの採用から審査期間を経て、OKが出れば専任として採用してもらえる制度です。このテニュアトラック制度は最近増えてきているようで、アメリカでは割とスタンダードな方法だとされています。
私自身は、この制度を利用して講師を2年間やって、2017年の4月からやっと専任の准教授になりました。
Q:早稲田大学理工学術院とは、どのような機関なのでしょうか。
理工学術院は、大学院とは違います。私が学生の頃は理工学部でした。学問領域が多岐にわたってきたので、学部を3つに分けましょうという事になったわけです。
現在私が所属しているのが、基幹理工学部です。基幹理工学部と創造理工学部、先進理工学部の3つに分かれており、それらを統合したものを理工学術院と呼んでいます。基幹理工学部の中の機械科学・航空学科という学科の中の一つですね。航空と名前が付いていますが、ここにも実は様々な経緯があって、以前は理工学部機械工学科でした。機械工学科が再編する時に2つに分かれたわけですね。基幹理工学部は機械科学・航空学科を作り、もう一つの方は創造理工学部に総合機械工学科を作りました。航空と名付けたのには、航空系の機械構造物がこの分野の先端的なエッセンスを含んでいるからという意味もあるようです。もう一つは戦前から戦後にかけて早稲田大学にはすでに航空機科があったそうなのですが、戦後、理工学部機械工学科に吸収合併された歴史的経緯があったようです。ですからそれを復活させたいという思いもあるようですね。
Q:学生とは、一緒にどういった研究をなさっているのでしょうか?
現在は名目上は分かれているのですが、私の学生時代の恩師である川田教授と一緒にやっています。私の所属している学科の場合は3年生から配属されるのですが、学生は50人ほどいますね。
金属の治癒についての研究は私が主担当ですが、元々はCFRPなどの複合材料を専門にしていて、それを破壊する研究室で育ち、名古屋で様々なことを学んできて、また早稲田に戻り独自で新しいことをしています。学生とは同じ内容の研究をしていて、今は熱処理で治癒をしたり、あとはまた最近パルス電流についても見直していくつもりです。やり方を上手く考えれば、できるのではないかと考えています。
熱処理にはどうしても炉に入れなくてはなりませんが、電流であれば炉は必要ありませんから大きなものにも対応できます。そのあたりをもう一度見直して、発展させていけたらいいなと思っています。
Q:学生さんには普段、どのようなことを伝えていますか?
学生に対しては、とにかくやってみる事が大事だと伝えたいですね。新しい事であればやり方は無限にありますから、最初からどの道に進めばいいかはわかりませんし正解もありません。遠くの未来の目標だけあって、それに向かう道は何もないような状態です。そこでどのようにしてやっていくかを考える時に、やり方がわからないからと立ち止まっていたら先には進めません。
でも何かやってみれば、例え上手くいかない事がたくさんあったとしても何かしらの結果はついてきます。ある方向に進んでみて「あれ?何か違うな?」と思ったら、次は反対の方に進んでいけばいいのです。そうして色々と試していくうちに「あ、この道は何となくいいんじゃないか」と見えてくるはずです。とにかく手を動かしてやってみれば、何か新しいことが見えてくると思っています。実際の研究方法としても理論は後から付いてくるものだと思っています。
Q:企業に期待することはありますか?
やはり研究を考える上ではすぐに実用化できないこともたくさんあり、重要だとしても時間がかかってしまうことがあります。企業に対して期待するのは、そういった点をもう少し腰を据えて一緒に研究に取り組んでくれるようなスタンスがあるとありがたいなと思います。近い技術だと3~5年くらいで一定の兆しが見えてくるようなものもありますが、もう少し長く時間のかかるものに対しても可能性があるなら共同で研究をしていけるような所があれば嬉しいですね。
新興国の未来まで見据えた、長期的展望
Q:今後の目標をお聞かせください。
直近では高級な材料、例えばジェットエンジン部品の材料などがそうですが、あれは耐熱合金など千何百度という高温でも耐えられる強度を持つ材料から作られています。
これらは、当然加工も大変です。そこに亀裂が入ってしまうと補修も難しいので、そういった所の補修技術に使えないかなと考えています。小さい部品ですから、今のやり方でも十分に可能性はあると思っています。
もっと遠くを見据えた目標でいうと、やはり構造物など大きなものの治癒をしていきたいですね。今ちょうど日本は構造物の老朽化などの問題に直面していますが、30年後を考えると例えば中国や新興国と言われている国々でもおそらく同じような問題が起こってくると思います。つまり、老朽化の面で日本は先を行っているわけですから、そこにイニシアチブをとっていけたらいいかなと思っています。
さらにいえば、100年後には宇宙構造物なども修理できると思っています。宇宙で修理をするとなるとなかなか難しい気がしますよね。材料も持っていかなければならないですし、現実的ではない気がします。現在はほとんどやっている人はいませんが、そのあたりももっと発展的になっていけばいいな、と思います。(了)
細井 厚志
ほそい・あつし
早稲田大学 理工学術院 准教授。
早稲田大学卒業後、2005年より早稲田大学 大学院理工学研究科 機械工学専攻 客員研究助手となる。
2007年より日本学術振興会 特別研究員(DC2、PD)を経て、2008年から2014年まで名古屋大学 大学院工学研究科 助教。
2014年4月に早稲田大学 理工学術院 講師として戻り、2016年4月より現職。
また、2011年にはシドニー大学 航空・機械・電子工学科 訪問学者も務めた。