がんの治療において、がん細胞そのものを標的とする以外に周囲の環境を変化させる方法が存在する。がんの転移経路となる血管やリンパ管をコントロールすることで、間接的にがんを食い止めるという発想だ。発生生物学をバックグラウンドとし、がん転移防止研究に取り組むのが、東京医科歯科大学大学院の渡部教授だ。今回はがんの基本的な特性に触れつつ、その研究内容に迫った。
Q:まずは、研究内容からお聞かせください。
がんを治療することを目的とした、血管とリンパ管の研究を進めています。
がん細胞が増殖し、転移する過程で重要な役割を果たすのが、血管とリンパ管です。がんの治療においてがん細胞そのものを標的とすることも重要ですが、いかに転移を止めるか、またはがんが大きくならないように周囲の環境を変化させることも非常に重要です。
まず、がんが成長する過程において、血管は重要な役割を果たしています。血管は我々の体に酸素や栄養分を運ぶ経路であり、体全体に張り巡らされています。がんを我々の体にできた新しい臓器として考えると、もし内部に血管がなかったら酸素や栄養分が届かないため、がんもそれ以上大きくなることはできません。
また、がんの転移を抑制するためにも、血管は治療の標的となります。例えば乳がんは原発巣の乳房組織に留まっていれば、患者さんの命が危険にさらされることはあまりないのですが、がん細胞が肺や肝臓などの生命の維持に必要な臓器に転移するとがん患者の命が脅かされるわけですね。がんが転移する時は必ず血管を通るため、転移を止めるためには血管ができることを阻害する必要があります。
さらに、リンパ管も多くの種類のがんにおいて形成されて、がん細胞がリンパ節そして遠隔臓器へと転移するための経路となっています。つまり、血管と並んでリンパ管も攻撃することによって、がんの転移を防ぐことができるわけです。がん細胞を標的にした治療法に加えて、がん細胞の成長を助け転移の経路となる血管とリンパ管を攻撃することでがんを多角的に治療する。これが私たちの目標です。
Q:がん治療というとがん細胞のみを攻撃するイメージがありましたが、がん細胞への経路を断つアプローチもあるんですね。先生のがん研究はどのような経緯を辿られてきたのでしょうか。
現在は主にマウスやヒトの細胞を使ってがん研究をしていますが、もともと私自身のバックグラウンドは両生類を用いた発生生物学です。修士課程を修了した後でアメリカに留学して、カリフォルニア大学アーバイン校の博士課程に進学しました。大学院時代はアフリカツメガエルの卵がオタマジャクシになるまでのプロセスを研究していました。一つの細胞(受精卵)が増殖・分化を続け、様々な臓器を持つ個体へと発生していく生命の不思議さと、それを司る精緻なプログラムに魅せられていました。
がんはそのような発生のプログラムが遺伝子の変異によって破綻し、細胞が無限に増殖し始めることで発症します。大学院を修了するにあたって、正常発生の裏返しとしてのがんの発生過程に興味を持ったことが私のがん研究のスタート地点になりました。
学位を取得した後で博士研究員(ポスドク)として着任したのが白血病の研究を行なっていたカリフォルニア大学ロスアンゼルス校(UCLA)のWitte先生の研究室でした。Witte先生は当時のアメリカで患者数が増えていた前立腺癌の研究を立ち上げており、私は前立腺がんの幹細胞マーカーを同定するプロジェクトに従事しながら、同じ研究室に留学していた江良先生(現在熊本大学)からES細胞の技術を学びました。
10年間の留学を終えて帰国した後は癌研(後に東京大学)の宮園先生に師事し、そこで血管の研究を始めました。当時京都大学の西川先生の研究室で、山下先生がES細胞から血管を作る技術を樹立しており、私はその分化系を山下先生から学びました。この実験系を用いて血管を形成するために重要ないくつかのシグナルを明らかにすることができました。そこで血管を作ることができるのであれば破壊することもできるのはないかと考え、がんにおける血管研究に取り組むようになりました。
Q:発想の転換ですね。発生するための要因が明らかになれば、それが満たされない時は「発生しない」というところに着眼されたわけですね。東大での12年間、ずっとこの研究をされていたのですか?
血管研究を進めながら、新たな研究テーマを探していました。15年前は血管研究は盛んだったのですが、リンパ管の研究はまだあまり盛んではありませんでした。ちょうどその頃にどのようなマーカーを使えばリンパ管を見ることができるかが分かり始めた時期だったため、血管の研究をしながら新たなフロンティアとしてリンパ管の研究を始めました。
血管とリンパ管は両方とも全身に分布するのですが、リンパ管が血管からできることが当時わかりつつありました。ES細胞から血管の作成が可能だったので、その延長線上でリンパ管も作ろうと試みました。血管とリンパ管を作るための因子を同定していく過程で、がんにおいて血管とリンパ管を破壊し、がんの転移や成長を防ぐことができるのではないかと現在研究を進めています。
Q:既存のがん研究との違いについてお聞かせいただきたいと思います。既存の研究ではがん細胞自体を破壊して原因を止めるというのが主体的なアプローチでしょうか。
がん細胞を標的とした治療法に対して、血管やリンパ管を攻撃する治療法は今まで多くの研究者が取り組んでいます。私たちが最近取り組んでいる新たな試みとして、がんにおける血管の性質が変化する現象を明らかにすることで新たな治療法を開発するというものがあります。
血管は中を流れる血液を漏らさないように、血管を構成する血管内皮細胞自体がお互いに接着して緊密なシート構造を形成しています。血管がそのままの性質を維持していると、がん細胞も血管の中には入れないのにもかかわらず、なぜかがんが転移する時はがん細胞が血管に入ってしまっています。なぜがんの血管が正常な血管と異なるのかという疑問を説明するメカニズムの一つとして、がんの組織において豊富に存在するTGF-βという因子が血管内皮細胞の性質を細胞間接着をしない間葉系細胞の性質へと変化させるという現象が最近わかりつつあります。この内皮間葉移行という現象に今は注目しています。この内皮間葉移行は転移を促進するがんの悪性化因子と考えられますので、がん治療の新たな標的になるのではないかと考えています。
がんを治療する際に抗がん剤だけに頼った方法ではどうしても副作用の危険性があるので、がん細胞と同時にがんの進展に血管とリンパ管も抑える、このような多角的な治療法の開発が副作用を抑えることに繋がると考えています。
Q:がんになると抗がん剤の副作用は強いイメージですが、それはなぜなのでしょうか。
がん細胞を攻撃する薬は正常な細胞も攻撃してしまうからです。もちろんがん細胞のみを攻撃する抗がん剤も開発されつつありますが、多くの抗がん剤は増殖している正常な細胞も攻撃してしまいます。そのような副作用を回避するためには、抗がん剤の量を抑える必要があり、がん細胞が死ぬか死なないかというギリギリのラインになってしまいます。そこで血管を破壊してしまえば、がん細胞が生存するために必要な酸素や栄養分の供給が止まるため、少ない量の抗がん剤でがん細胞が死滅することが期待されます。
加えて、血管やリンパ管を遮断することによって、がんが原発巣から転移しないようにできることもメリットの一つです。がんの多くは、がんが原発巣に留まりさえすれば患者さんの命が危険にさらされることは少ないので、転移防止のために血管リンパ管を制御することは非常に重要なストラテジーであると考えています。
Q:様々な国のトップ機関ががんの研究をしていますが、注目されている最先端の研究はありますか?
がんにおける血管研究では近年いくつかの新たな潮流が生まれています。これまで血管新生を司る中心的なシグナルとしてVEGF(血管内皮増殖因子)が注目されており、VEGFに対する分子標的治療薬であるアバスチンは、すでに臨床の現場で実際に使われています。しかし、アバスチンに対する耐性を持つがんが存在するという報告が出てきています。そのメカニズムとして、ある種のがんではVEGF以外の血管新生シグナルが活性化していることが明らかになっています。私たちは様々ながんで豊富に存在している骨形成因子BMP9が血管新生を誘導し、がんを増殖させるということを見出しました。さらに、我々はBMP9を特異的に阻害する薬を開発しており、それを用いて新たな治療薬を開発したいと考えています。
Q:続いて、技術的課題をお聞かせください。
少しがん研究の話から離れてしまいますが、現在私たちが取り組んでいる技術的に困難な課題は、血管やリンパ管を作るということです。発生生物学の手法で形成のメカニズムを明らかにすれば、それらを破壊することも比較的簡単にできることは先程述べた通りです。しかし、血管やリンパ管の構造をES細胞やiPS細胞等の未分化細胞から作り上げる方が難しいのではないかと考えています。それでも、その課題が達成できれば再生医療の発展につながります。様々な疾患の治療のために血管を作る必要性は高いのですが、特に我々が挑戦しようとしているのはリンパ管の再生です。
リンパ管の機能は末梢組織において血管から漏れ出た組織液を血管に戻すことです。足がむくんだりしますが、それはリンパ管による組織液の還流のバランスがうまくいっていないためです。このリンパ管がいくつかの理由で機能不全になってしまう場合があります。
リンパ管の機能不全は乳がんなどの手術の後で起こることがあります。乳がんは悪性化すると、脇の下にあるリンパ節に細胞が転移し、そこから血管に乗って全身に転移していきます。乳がんの手術ではまず脇の下のリンパ節にがん細胞が転移しているかを調べ、転移していた場合はそのリンパ節を摘出してしまいます。そうすると腕の組織液は血管に戻れずに、腕が病的にむくんでしまいます。これが「リンパ浮腫」です。老化が進むとともにリンパ管機能が低下してリンパ浮腫が起こることもあります。
リンパ浮腫を治療するには、リンパ管を再生することが非常に有効です。リンパ管を再生するために患者由来のiPS細胞からリンパ管内皮細胞を作ることは可能となりつつあります。今後の課題は、「3次元構造を持った機能的なリンパ管を作る」ということで、そのために現在は細胞生物学的なアプローチや工学的なアプローチなど様々なエキスパートに協力を仰いで達成しようとしています。
さらに、制度面の課題も存在します。我々の目標であるがんに対する創薬研究をいかに臨床現場につなげていくかという点を改善されればと期待しています。だんだんと制度は改革されつつありますが、先行しているアメリカなどと比べると、実用に至るまでのハードルが高いことが問題です。
そして、やはり研究を支えるための資金も重要な課題です。実は先日、アメリカでもトランプ大統領の政策により、NIH(アメリカの研究費を出す機関)の予算が20%カットされてしまいました。それでも全体的な規模で言えばアメリカは日本よりも潤沢な研究資金を使っているので、そのレベルへの到達を望みます。さらに応用に目を向けた研究は、相対的に研究資金を獲得するチャンスに恵まれているとは思いますが、私のバックグラウンドである発生生物学を含めた基礎研究領域に対する資金はどんどん厳しくなっています。先日ノーベル賞を受賞された大隅先生がおっしゃっていたように、様々な科学のブレイクスルーは、応用に結びつくかは分からない基礎研究から生まれ、それが応用に結びつくことが多いため、基礎研究へのサポートを強く望みます。
Q:がん研究はこれからも続く以上、その道を志す学生も多々いらっしゃると思いますが、こう言ったアプローチに関して学生に求められることはなんでしょうか?
がん研究を志す若い学生さん達には、研究をする上での高いモチベーションを持って欲しいと考えています。私は、前任地である東京薬科大学で医学研究に興味を持つ学生さん達に、「がん患者を治すために医学の道に進むのはもちろん非常に大切なことです。ただ、もし生命科学もしくは薬学の力で画期的ながんの治療薬を開発することができたら、それは自分が患者を診ること以上に多くのがん患者を救うことができるかもしれないですよ」と言ってきました。
現在の私の研究室では、歯学部や生命科学部など様々な学部を卒業した学生さん達が一緒に研究をしています。臨床の現場を知っている学生さん達が持つ研究に対するモチベーションは、患者さん達を診て苦しむ様子も知っているので非常に高く、それが生命科学部出身の学生さん達には良い刺激になっていると思います。多様なバックグランドを持った学生たちがお互いに刺激しあって研究を進めていく現在の研究環境はとても良いと考えています。
このように私が研究を続けられるのも留学時代や帰国後にお世話になった様々な先生方のおかげだと感じています。そのような感謝の思いがありますので、今度は私自身が先輩方から受け継いだバトンを自分なりに工夫し、現在一緒に研究をしている後進の方々に渡していきたいと考えています。
また、科学のコミュニティを良くしていくことも非常に重要だと考えています。基礎研究の資金不足という課題も含め、自分の世代が良ければ良いという考え方を捨てて、未来の日本のサイエンスを良くするために我々が努力していく必要があると思います。若い人たちが、まずサイエンスを楽しいと感じて、それをきっかけに研究の道を選んでくれるような風通しの良い研究環境を作っていきたいと考えています。(了)
渡部 徹郎
わたべ・てつろう
東京医科歯科大学 大学院医歯学総合研究科 硬組織病態生化学分野・教授
1988年、東京大学農学部農芸化学科卒業。1990年、同大学院修士課程修了。その後、博士課程進学のためアメリカに留学し、カリフォルニア大学アーバイン校にてアフリカツメガエルを用いた発生生物学研究を行い、1997年に博士号(Ph.D.)取得。1997年からカリフォルニア大学ロスアンゼルス校で研究員として前立腺がん研究を行う。2000年、帰国して宮園先生のグループでTGF-βファミリーシグナルの研究を行った(2000年より(財)癌研究会癌研究所、2001年より東京大学 大学院医学系研究科 分子病理学分野)。2013年、東京薬科大学 生命科学部 腫瘍医科学研究室・教授。2015年、東京医科歯科大学に異動し、現在に至る。