ビッグデータを活用した新しい医療への取り組みが始まっている。その要点の一つが、京都大学の奥野教授が主導する医療シミュレーション、ビッグデータ創薬などの開発だ。より課題解決において能力を発揮する次期スーパーコンピューターのポスト「京」開発元年となった2015年。大きく舵をきったIT領域と共に、医療はどのように進んでいくのか。奥野教授にお話を伺った。
現代における医療・創薬はスーパーコンピューターとビッグデータなしには語れない
Q:現在の研究内容について教えてください。
我々の研究の特徴は医療・創薬の領域においてIT、コンピューターの技術を用いる点です。どのような技術なのかというと、一つはスーパーコンピューター(スパコン)を用いたシミュレーションの技術です。もう一つはAIを利用した、ビッグデータ情報の活用への試みです。つまりスパコン、そしてビッグデータという、二つのコンピューターテクノロジーを使って医療と創薬への応用を目指しているのです。私の研究を一言で表すとしたら、「計算機・コンピューターを使った医療および創薬への技術の応用」といえるでしょう。
Q:医療・創薬に用いられるビッグデータとはどのようなものなのでしょうか。
様々ですが、第一に京大の中での患者さんのデータを解析しています。今までのデータ解析では、「こういう病気の患者さんのこういう検査のデータがあるので、それを解析しましょう」といった流れがありました。つまり最初から自分が見たい患者さんを決めてデータを見る方法だったのです。
しかし現在取り組んでいる方法は、最初から対象を決めずに、毎日病院にくる患者さんのデータを全て総ざらいして解析するものです。この方法では、データの対象は日々病院に来られている患者さんなので多様なデータになります。さらに、毎日病院に来られている方のデータは毎回積み重なっていきます。その意味で、規模の大きいビッグなデータになるのです。こうしたビッグデータを、専門的な用語として「リアルワールドデータ」と呼んでいます。つまり、何か目的をもって、その特定の部分だけを切り取ったデータではなく、人間が普通に毎日生活をしている中で知らないうちに吐き出している実世界を表現するデータを意味しているのです。
Q:意図的に採取するのではなく、既にある実際の状況を観察するといったことでしょうか。
そうですね。そして観察されている側も、自分が観察されているとは知らないのです。例えば、医療ではありませんが、我々は日々Suicaなどのカードを使って公共交通機関を使っていますよね。それによって、どういう道を歩いたかといった情報まで全て記録されているのです。だから行動パターンは当然分かりますし、場合によっては仕事のために生活がだんだんと夜型にシフトしていることが実は鬱病の原因になっていたといったことまで分かるでしょう。そのように、人の健康や医療とは一見無関係に思われるデータの中に、医療につながるような情報があるかもしれません。現在医療がビッグデータに大きな期待を寄せているのも、まさにその部分なのです。
現在京大病院で集めているデータは、あくまで病気に罹ってからのデータです。しかしながら、今日診察にきた患者さんが一年前にどういう状態だったかはそうしたデータからは分かりません。さらには、今日診察にきた患者さんと、一年前に診察にきた別の患者さんが、実は同じ症状を抱えていたというようなケースもあり得るのです。そうしたことが、リアルワールドデータを使えば分かるようになるのではないかと考えています。
そして、これは病気に罹った患者さんについてのデータですが、現在世界的に注目を集めているのは病気に罹る前のデータ、つまり予防や先制医療のためのデータなのです。そういうデータを集めるためには、日常においてどのような生活をしている人がどのような病気に罹りやすいのかといった情報を解析しなければいけません。だから現在は日常のデータ、つまりリアルワールドデータからそうした情報を見つけられないか模索する研究をしています。
実際に、我々は弘前で採られた検診データのビッグデータ解析に取り組んでいます。この検診は11年間続けられており、毎年1000人くらいの方が検診を受けるビッグデータとなっています。それは、病気に罹る前のデータ解析から、どのような病気に罹ったか、そしてどのように病気を食い止めるかまでを解明しようとする解析なのです。
Q:ゲノム医療とはどのようなものでしょうか。
一昔前からいわれていたことですが、先述のような日常生活とは別に、遺伝的に特定の病気になりやすい体質も存在するのです。だから「うちは糖尿病の家系です」といった話は今も昔もあります。そうした遺伝の情報がゲノムに書かれているのです。そのゲノムを解析することによって、病気の原因や治療方針を明らかにすることができる可能性があります。そういったゲノムの解析に取り組むプロジェクトも始まっています。
現在のところ、お金を出せばゲノムの解析はできるようになっています。例えば100万円くらいで自分の血液などからゲノムを解析することも不可能ではありません。しかし、自分のゲノム配列が解析できたとしてもAGCT(遺伝子を構成する塩基配列)が30億個くらい暗号のようにひたすら並んでいて、なんのことやら見当もつかないでしょう。そこには「太りやすい」とか、「目が悪くなりやすい」といった情報が入っているはずなのですが、どのような配列がどのような意味をあらわしているのか、まだまだ分からないことだらけなのです。
そこでゲノムの配列から病気の情報を読み取ったり、薬が効くか効かないかといった医学的意味付けを行なったりする研究が世界的に注目され始めています。ゲノムの配列には個人個人の体質を区別する情報が入っていますので、その医学的解釈が出来れば、私たち一人一人の体質にあったオーダーメードの医療が可能になります。この夢の医療を「ゲノム医療」と呼んでいるのです。このゲノム医療を実現するための研究は世界でも始まったばかりで、科学としてはまだ確立されていないので、いち早く研究を深めていきたいです。
Q:では奥野様の研究内容は医療の中でも予防に近い分野ということでしょうか。
そうです。予測医療の技術を計算機やコンピューターを使って開発し、お医者さんが予防や先制医療を行なうための支援を目指しています。先制医療とは、病気が発症する前のかすかな予兆を突き止めて、病気になる前に先制攻撃をして治してしまう次世代の医療と考えられています。
私は医学部の所属ではありますが、ドクターではありません。しかし現在の医学にとってはビッグデータやシミュレーションなどのコンピューターを使った医療の高度化が非常に重要視されているので、医学部の中でIT分野の研究を行なっているのです。
医学部の中にも、色んなバックグラウンドをもった人がいます。例えば病院には、お医者さんや看護師さんもいれば、検査技師さんや薬剤師さんもいます。そのように色んな人たちが支えている中で患者さんを治そうとしていますよね。その中に私のようなデータサイエンティストもいるということなのです。
ポスト京「開発元年」から創薬領域の激変を予見
Q:昨年2015年は次期スーパーコンピューター・ポスト「京」の開発元年でしたが、どのような研究開発を行なわれましたか。
ポスト「京」開発において私が担当しているのは創薬の分野です。つまり、ポスト「京」を使って新たに薬を作る計算方法の開発を行なっています。ポスト「京」が始動する2021年に向けて、大学の先生方や製薬メーカーさんがポスト「京」を使って様々な薬を開発できるようにするための準備をしている段階です。これまで、5年前に始動したスパコン「京」を使って様々なことができるようになりましたが、現在取り組んでいるポスト「京」はその100倍近くの演算能力をもつことになると考えられています。
しかし、そこでは現在使われている計算技術をそのまま使うことはできません。だからと言って、振り出しに戻って0から開発していかなければならないわけではないのですが、100倍規模の計算をするために技術も大幅に改良しなければならないのです。逆に100倍だからこそ可能になる計算方法もあるので、そうした新しい技術の開発に取り組んでいます。それを2021年頃までに全て揃えてオープンできるようにするために、ソフトウェアの面での準備を進めているところです。最終的には、高校生や中学生であってもそのソフトを使えば「こういう薬がいいのではないか」とコンピューターで薬の設計ができるような技術を目指しています。
Q:Google検索のように、「頭が痛い」といった症状を打ち込んだら「こういう薬が効くから病院で作ってもらいなさい」と処方箋を出してくれるようなイメージでしょうか。
ポスト「京」でそこまでできるかどうかはちょっと分かりません。けれどもそのようなイメージで誰でも使えるようなソフトウェアの開発に取り組んでいます。
Q:そのような新しい創薬のシステムが生まれると、医薬を取り巻く産業も大きく様変わりしそうですね。
そうですね。しかし、いくらコンピューターが「このような化学構造の薬が適しています」と予測しても、それはあくまでバーチャルの世界の話です。それを今度は現実世界で形にするとなると、薬を作って、実験を行い、動物で確かめて、人で試験をして、ようやく薬になるのです。だからコンピューターは支援まではできるけれども、実際にクリアしていくのは人間自身の手で行なう必要があります。
これまでも当然、より良い方法を求めて実験を重ね、試行錯誤する過程は存在していました。しかし現在我々は、その過程をできるだけコンピューターに任せ、より良い方法が見つかったら人間の手で薬に近づけるような役割分担に取り組んでいます。それによって、これまで延々と試行錯誤していた部分を大幅に短縮することが可能になるでしょう。あるいは費用の削減につながるかもしれません。それがコンピューターを取り入れた創薬の未来です。
いつも一般の方向けに講演をするとき使う例があります。2015年にノーベル生理学・医学賞をとられた大村智先生という方がいます。アフリカで失明を引き起こす病気を直す薬を開発されました。その発見のために、大村先生は何度も繰り返し土を集め、その土の中から失明を食い止める有効成分を発見したのです。ノーベル賞の発見の裏にはそうした非常に地道な泥臭い努力があったのですね。しかしビッグデータ創薬が導入されることになれば、大村先生の時代には自分の手によって探していましたが、私が描いている新しい時代においてはコンピューターによって探すことになります。
Q:ビッグデータ創薬によってノーベル賞ものの発見が次々になされる可能性がありますね。
そうですね。しかしそうなったら新しい薬の発見に対しては誰もノーベル賞をくれなくなるでしょうね。
Q:新しい抗がん剤のオプジーボはその価格の高さで話題になっていますが、そうした新薬も安く手に入るようになるでしょうか。
まさにそれが目指していることです。創薬をコンピューターで効率的に行なうことによって、薬の値段を安くすることは大きな目標の一つです。さらに、オプジーボは小さい分子でできている薬ではなく、大きい分子でできている「バイオ医薬」と呼ばれる薬であり、そのために値段が高いのです。実験の技術的に、そのように分子の大きなものを作るのは大変です。そのため、日本はこの分野において世界に遅れをとっています。
オプジーボは日本の小野薬品が開発した薬でもありますが、ベースの技術は海外企業がもっているのです。日本の小野薬品は提携している形です。オプジーボ以外の優れた抗がん剤も、バイオ医薬品が多くあります。だから現在このバイオ医薬品が創薬における一つのトレンドになっています。ただし、そこで一つ大きな問題があります。バイオ医薬は高いのです。
日本の場合はこの問題が非常に深刻な状態にあります。我々の医薬品代の大部分は税金でまかなわれていますよね。医療費は保険料から捻出されているのです。すると、高い薬が使われると社会保険費用を非常に圧迫してしまいます。その部分をいかに低コスト化するかが我が国の課題なのです。
もう一つの問題は、そうしたバイオ医薬を製造して権利をもっているのは全部海外メーカーだということです。そのため、バイオ医薬が日本の病院で使われると、その売り上げが全て海外に流れてしまいます。だからバイオ医薬の領域は貿易赤字になっているのです。こうした問題を打壊し、盤面をひっくり返すための一手が、コンピューターを創薬にうまく利用することだと考えています。
これまでの経緯
Q:そもそも薬学を志したきっかけはどういうものだったのでしょうか。
私は高校生のころ、医療関係か、完全な工学・機械系か、進路に迷っていた時期がありました。それで最終的には薬学に進むことになったのです。しかし不思議なもので、現在ではもともと興味をもっていた医学分野と工学分野の両方に関わる研究に取り組んでいます。
Q:振り返るとご自身の二つの興味分野をどちらも満たす研究に取り組んでいらっしゃるのですね。
そうですね。工学と医療の二つの道で悩んで、結局薬学に進むことになったのですが、結局は医学・薬学の分野で工学的なことを研究しているのは面白い巡り合わせですね。私は中学二年生のときに叔父を癌で亡くしています。そしてそのとき、「癌の特効薬を作ろう」と心に決めたのです。自分でも冗談のように思いますが、気がついたらそれに近いことを、現在こうして行なっています。
薬学研究における限界と、医療現場で感じた責任の重さ
Q:医療分野においては、薬学部から入られて、現在では医学部で教鞭をとられています。そこにも大きな転換があったのではないでしょうか。
それは非常に大事なことだと思っています。薬学部と医学部の大きな違いは、薬学部では「人が触れない」ことです。もちろん薬剤師としては患者さんと接する機会がずいぶん増えてきてはいますが、薬局のカウンター越しに接するような距離があります。薬学部では薬剤師の内容のほか、薬の研究も行なっています。しかし、薬を試そうとしてもネズミなどの動物実験はできますが、患者さんには注射一つできません。だから、薬学部では、薬が実際の人でどのように効いているのかを実感することは難しいのです。
製薬メーカーさんとやり取りをしていると、ぽろっと「我々は一生のうちどれだけネズミの薬を作ってきたか」とこぼしていたことがありました。だから薬学分野ではネズミの病気にはいくらでもアプローチできますが、肝心の人体には手が出せないのです。結局私が薬学にいたときに感じた限界も、「実際の患者さんがいる臨床の現場で何が起こっているか分からない」ということでした。それで京大病院からお声かけ頂いたこともあり、医学部にやってきたのです。
Q:医学部に来て、何か変化を感じましたか。
非常に大きな変化がありましたね。私はそれまでもずっと基礎研究をしてきましたが、薬関係の基礎的な研究をしていると、「10年後にはこんな薬ができるかもしれない」とか「20年後はこうなっているだろう」のように目の前のことよりも漠然とした将来像を考えます。ところが医療の現場では、今まさに目の前にいる患者さんに何をしてあげられるかが重要です。目の前の患者さんは、10年待つことができないかもしれません。だから今あるチョイスの中で選択し、最大のパフォーマンスを出そうと心がけなければいけないのです。
3年前に医学部に移ったときはまだ、医学業界においてコンピューター技術が大事だといわれはじめた頃でした。そのため、医療の分野に、私のような計算技術を扱う人が、急に飛び込むなんてありえないことだったのです。だから医学部に入ったときには、「果たして通用するのだろうか」と不安がありました。ダメだったら薬学部に戻ろうとさえ考えました。
そんな状況で、現場の医師のサポートや医療のサポートとして、コンピューターの計算技術で何ができるかを模索しはじめたのです。そのときに、これまで基礎研究をしてきた自分はどこか無責任だったのだと思いました。「10年後はこうなっているでしょう」といいながら研究をして、10年経ったらまた「次の10年後にはこうなっているでしょう」というのです。それでは結局何年かかるか分かりません。
逆に、10年後のことを考えているといっても、それが今目の前の患者さんに通用しないのならば、その「10年後」などあるわけがないのです。要するに、現在のリアルワールドで通用する技術だからこそ、未来に続いていくことができます。その確証がないなら研究をしていてもダメだと感じました。
そのため、毎日緊張感をもって研究に取り組むようになったことは大きな変化でした。自分がそれまでしてきた研究を否定することになるかもしれないのです。そんなプレッシャーを感じるようになりました。
そして半年くらいの間、色々な先生方とディスカッションを重ね、京都大学病院のデータを解析し続けた結果、「これはいける!」と手応えが得られたのです。我々の計算技術を使えば、現代の医療技術を十分に高度化させられると感じました。そうして研究を続け、今に至ります。
常識を覆すスパコンの導入が、医療を変える
Q:さかのぼると、医療の分野でコンピューター技術を使うことが常識で考えられない時代に、どのようにしてそのきっかけが彫られたのでしょうか。
医療の研究における難題は、患者さんを使った実験ができないことです。患者さんにその治療を施すためには、かなりの確証がなければいけません。勝算があるかもしれない方法の中でも最も確証のある治療を行うのです。これに対して、基礎研究の場合は考えられる可能性は可能な限り試すのが通常のやり方です。その違いが医療において新しい試みをしようとするときの限界なのです。
その問題を解消する有力な方法の一つがコンピューターによる計算だと思っています。コンピューターでのシミュレーションを使うことで、失敗を恐れずあらゆる方法を確かめることができるのです。このように考えて、医療分野におけるコンピューター技術の重要性を認識しました。
Q:コンピューターによるシミュレーションにはどのくらいの正確性、再現性があるのでしょうか。
医療におけるシミュレーションはまだあまり応用段階に入ってないので、一概にどのくらいの再現度があるかはいえません。一方で、創薬の方では基礎研究的な内容なので、スパコンを利用することで精度は格段に向上します。スパコンを使わなければ正答率が5%くらいだったものは、スパコンを使って計算を行うと50%くらいの正答率になるでしょう。スパコンの導入によって10倍も精度が上がるのです。
Q:スーパーコンピューターというと、大型の機器が一箇所に集約されているようなイメージがありますが、これを医療の現場でどのように使うのでしょうか。
実際には、スーパーコンピューターをリアルタイムで使うことはまずないと思います。例えば人のゲノムのデータは将来的に、一万円くらいのお金を払えば、個人が気軽に分析を依頼できるようになるでしょう。そうなったら毎日大量のゲノムデータが集まるだろうと考えられます。つまり将来、日々集積される大量のゲノムデータを解析しなければならない状況に立たされたときには、医療現場でのスパコン利用が必須になるものと思われます。
Q:スーパーコンピューターの登場の前後で何か変化はあったのでしょうか。
医療現場においてスパコンが本当に使われる段階までは至っていません。しかし創薬においては実際に「京」が導入されており、それによって創薬の現場は激変しました。
Q:では「京」によって作り出された薬もすでにあるのでしょうか。
いえ、まだ「京」が導入されてから5年しか経っていないので、それはありません。薬の開発には10年くらいはかかるので、「京」による薬が生まれるのはしばらく先でしょう。
これまで「京」がなかったときの状態を例えるなら、デジカメで撮影したような静止画の写真です。それが「京」の登場によって一気に動画に変わりました。一昔前まではネット上の動画配信などありませんでしたが、現在では当たり前のようにネットで動画が観られるようになりましたよね。そのくらいの大きな変化があったと思います。いわば、一枚一枚の静止画から判断して地道に薬を開発していたのが、動いて変化していく体の分子の情報を動画で捉え、より効率的に創薬を行なえる可能性が「京」によってもたらされたのです。スパコンの導入以前の開発の精度を5%と説明したのは、これまでスナップショットのような情報を頼りに、足りない部分は推測で補いながら研究してきたためです。ところが「京」によって総合的な情報が得られ、50%まで飛躍的に上昇しました。
そして5年後にポスト「京」が始動したら、現在の100倍の性能となるでしょう。例えば、体の中の薬の反応する様子を全編120分の映画に例えるなら、「京」はそのうちの2分くらいしか上映できないことになります。しかしポスト「京」であれば、120分のフルストーリーが観られるようになると期待しているのです。それが実現できれば、体の中で薬の作用がどのように起こっているのかをもっと克明に観察することができるようになるでしょう。
ITを含む総合力で世界を戦い抜くべき
Q:医薬分野における研究開発を100倍加速させるポスト「京」の導入によって、日本の医療・創薬のレベルは世界でもトップレベルになるのではないでしょうか。
それはスーパーコンピューターの力だけではダメだと思います。よく「スパコンの力で薬の研究がすごく進歩しますか?」と聞かれることがありますが、「スパコンだけではダメですよ」といつも答えています。どの分野にもいえることですが、医療も創薬もやはり総合力が一番重要なのです。全ての意味で技術水準が上がっていく必要があります。世界の中で日本がこれまでリードし続けてこられたのは、全ての面で諸先輩方が頑張ってこられたからです。しかも彼らはスーパーコンピューターという強力な武器をもっていませんでした。現在、我々は新しい武器としてスーパーコンピューターを手にしています。世界ではすでにスパコンの存在は必須であり、世界中の研究者がしのぎを削っている状況です。だから我々としては、これまで先人が築いてこられた研究開発の基盤の上に、スーパーコンピューターの力を合わせることで世界の技術に向かっていこうと取り組んでいます。
具体的には製薬における貿易赤字を減らすことも一つの目標です。医療の分野では、特に医療費の問題が日本においては顕著なので、スリム化に取り組んでいかなければなりません。さらに少子化問題が深刻で、将来的に子どもの数はますます減っていくので、最終的には人口が減っていきます。そのように人口が減っていく状況の中で生産性を高めるためには、本当に人工知能やスーパーコンピューターを有効活用していく必要があるのです。さもなければ、薬も効率的に作れない、医療の質も下がるといった日本固有の危機に陥るでしょう。だから今後はスパコンやAI、それ以外の技術がより一層必要になっていくのです。
Q:超高齢社会の日本に特有の問題にも向き合っていかなければいけないのですね。
人がいなくなってしまったら戦えませんから、今のうちに全精力を投じて将来のためのAIや計算の基盤整備をして、現在の若い世代の人たちがそれを本当に有効活用していけるような状況づくりをすることが重要です。
スポ根でスパコン研究に取り組む
Q:今後の研究を担っていく学生に期待している役割はありますか。
研究の仕事は、実は泥臭く、力仕事の面もあります。その中で極限のラインを戦い抜くためには、努力や根性も絶対に必要です。それは昔も今も変わりませんし、オリンピック選手たちがメダルをかけて極限の中で繰り広げる勝負も理屈ではないと思うのです。医療や創薬の分野でも、フロントラインに立つのであれば、そうした精神を欠かすことはできません。そのマインドが何より重要です。なぜならば、現在取り組んでいる目の前のものごとは、10年経てば必ず陳腐化していってしまうからです。だからそんな目の前のことだけにとらわれるのではなく、10年先にやってくる全然違う世界を見据えて努力をしていってほしいと思います。
大変なことですが、10年後の問題を解決することを目指さなくてはいけません。そのためには、目の前のことに一生懸命取り組むのは非常に大切なことです。目の前の患者さんを助けられない技術が10年先も残るはずはないのですから。しかし同時に努力や根性などの精神的なことも、フロントラインに立つためには必要です。とてもシンプルですが、目の前の患者さんを治すことに真剣に取り組みつつ、未来を切り開いていくような展望と勇気をもつことが大切だと思います。
Q:目先のことにとらわれず、広い視野をもつことが重要なのですね。事業仕分けをきっかけにスパコン開発の予算が見直されましたが、今後の開発においては政府にどのようなことを期待されますか。
現在日本が世界的な競争の中で苦戦している原因は、30年前に政府が現在の状況を予測できていなかったことだと思うのです。だから現在の政府には20年後、30年後のことを考えて政策を決定してほしい。
Q:現在の研究の他に、今後研究したいことはありますか。
ないですね。大人になって「仕事」というものをよく理解するようになりました。案外、皆仕事に対して必死ではないのです。研究者の中にも、「本当にその仕事、研究を本気でやっているのだろうか」と疑問に思うような人はいます。そしておそらく本気ではないのだろうと思うのです。それで給料がもらえる上、自分の興味のあることだから、といった理由でなんとなく取り組んでいるのでしょう。しかし昔の人はずっと寿命が短かったけれども、常に本気モードで生きていたから人生の濃度はもっと濃かったのではないかという気がします。
だから、自分もそんな生き方を心がけているのです。研究室の学生たちにもいつもいっていることですが、「本気でやれ。そうすれば絶対に道は開ける」のです。
奥野 恭史
おくの・やすし
京都大学大学院医学研究科人間健康科学系専攻ビッグデータ医科学分野 教授。独立行政法人理化学研究所・副グループディレクター(併任)。スーパーコンピューター「京」を用いた医薬・創薬のビッグデータ解析に取り組む。1993年京都大学薬学部製薬化学科卒業。2000年京都大学博士(薬学)取得。京都大学大学院薬学研究科 特定教授を経て現職。