人類が直面する食糧危機問題に大きな一石を投じる研究成果が生まれた。植物のエピゲノム研究に取り組む研究者・金 鍾明先生は、シロイヌナズナのゲノム制御における現象であるヒストン修飾を調べる中で、植物が酢酸の生成によって乾燥ストレスに強くなることを発見した。食糧問題の解決策と、生物のゲノム進化の究明の二つの領域で意義を持つ発見は、いかにして生まれたのか。エピジェネティクス・クロマチン研究の委細から、革新的な研究を生み出す研究者のマインドに至るまで金先生に語って頂いた。
Q:現在の研究内容についてご説明をお願いします。
現在、植物を使ってエピゲノムの研究をしています。遺伝子の研究なのですが、遺伝子配列を変更して品種改良するような研究ではなく、もともと生物が持つゲノム上の有用な遺伝子情報を上手く取り出すための研究です。
遺伝子は生命を作り上げる設計図と考えられていますが、染色体上では、要らない時には収納しておいたり、必要に応じて取り出せる仕組みがあります。その都度、遺伝子情報を取り出して適切に読み取らないと、変な所から指が生えたり、足の裏に目がついたりするような、考えられない異常が起こるかもしれません(笑)。そのため、遺伝子情報の読み取りをきちんと制御して、必要な場合に必要な量だけ出せるように、生物は染色体の構造を変換しています。そして、要るときには緩めて読み取り、要らないときには縮めて読み取れないように収納しているのです。正確な遺伝情報の出し入れは、真核生物である酵母からヒトに至るまで同じメカニズムで行なわれています。このメカニズムの中心がエピジェネティクスです。
現在はそのメカニズムを、植物を使って研究しています。その中でも現在取り組んでいるのは環境ストレス応答、特に乾燥ストレスへの適応です。地球温暖化などによって日照りや急激な乾燥が起こり、アメリカやオーストラリアをはじめ世界中で農業が大打撃を受けています。そこでエピゲノム機能を解析し、それによって乾燥に対する何らかの対処策を得られないだろうかと考えたのが、この研究の始まりです。
そして、エピジェネティクスの大事な点は、遺伝子情報の出し入れの際、その都度きちんとした遺伝子制御を行う道具として、全ての生物が利用していることです。つまり、それが上手くいかないと、生物が環境に適応もできず進化もしていけないのです。だから生物の適応と進化を考える上でエピゲノムおよびエピジェネティクスを理解していけば、バクテリアからヒトに至るまで、染色体やゲノムがどのように環境に適応し、進化してきたのかを紐解いていく手助けになります。
Q:実用レベルの研究と、進化などの基礎研究の両面を併せ持つテーマなのですね。
そうです。そして植物を扱う理由があります。例えば病気の研究では、人が研究対象であり、病気に対して直接的なアプローチをすることができます。しかし、人の遺伝病を研究、治療しようとすると、世代を経るために何十年と時間がかかりますよね。マウスですら数ヶ月、あるいは数年の時間がかかります。しかも動物の生命を使った遺伝子研究には倫理的な問題もあります。
それに対して、植物は世代交代も早く、さらに種も一度にたくさん取れるので非常に扱いやすい研究対象と言えます。実際に、私が研究で扱っているシロイヌナズナは早ければ一ヶ月や二ヶ月くらいで種を付けるので、次々に世代を追っていけるのです。
Q:季節の変化にも左右されないのですか?
研究室内では季節変化も関係ありません。通常の自然環境では年に二回程花が咲いて種を付ける植物ですが、研究室内で温度を一定にしてある条件の下で育てると一年中いつでも種をとることができるのです。また、かなり正確に実験実内の環境を、実験条件に合わせてドライブできるようにもなりました。
さらに、最近では遺伝子の組み替えや破壊は、動物と同じくらい簡単にできるようになってきました。そうした理由からシロイヌナズナは、高等な真核生物と呼ばれるものの一つとして非常に扱いやすい研究対象なのです。
ちなみにシンプルな真核生物としては、出芽酵母などがあります。これら酵母菌も同じ真核生物ですが、単細胞です。多細胞であり、かつ組織が多様に分化している、つまり生きていくためにいろいろなタイプ・形状の器官をもつているものを比較的高等な真核生物とすると、植物は高等真核生物として良い研究対象と言えます。
ただ、植物はやはり植物なので、人間の病気の研究への直接的な応用が難しいことは確かです。しかし、現在挑戦している研究内容は、ヒトとも繋がるポイントが沢山あります。それは植物の基礎研究からの得られた成果を将来的にどう利用するかによります。実際に病気を治したり、人が人たる所以を明らかにしたりできるような研究成果が得られる可能性があるのです。
動物の場合、ストレスから自分で逃げ出すことができます。例えば、水を飲みたいと思ったが周りに水が無い状況におかれれば、思いのまま水場へ移動できます。ところが、植物は動けないので、どうにかしてその状況に耐えなければいけません。だからこそ、植物特有の環境ストレスに対する耐え方を身につけているのです。
それを研究することで、今度は逆に植物がなぜストレスに強いのか調べることができ、干ばつや日照りのように水が無くなる状況でも、生産量や緑地を維持する方法が開発できます。実際、地球環境の保全は緑に大きく依存しています。そのため、そんな地球環境の維持にも、植物の基礎研究は大きな意義があるのです。そうした理由から、現在は植物にフォーカスして研究を行なっています。
食糧問題解決への糸口は「お酢」にあった
Q:遺伝子を操作した植物を自然の中で栽培するためには規制などもあるのでしょうか。
かなりありますね。ただ、トウモロコシや大豆などの作物に関しては、アメリカや中国では規制が緩和されてきている状況です。遺伝子の組み替えをしていても、ある程度は使えるようになってきています。また、逆に遺伝子を組み替えた作物を使わないと、これから先の地球問題・環境問題は解決できないのではないかと考える見方もあるのです。
Q:日本も今後、そうした規制の緩和が必要になってくるのでしょうか?
そうですね、というよりも緩和せざるを得なくなるのではないかという意見はあります。ただ、今回私が発見した内容は、実は遺伝子組み替えをする必要が全く無いのです。そこが非常に新しい利点です。もともと植物がもっている生命維持能力に研究のフォーカスポイントをおいたところ、遺伝子の組み替えをせずに、植物がもともと持っている「ある物質」を外から与えるだけで日照りに強くする方法を見つけてしまったのです。それは実は、簡単に手に入り親しみもある、「酢」なのです。
この事実を発見したきっかけは、もともと取り組んでいたエピゲノム解析の研究でした。はじめにお話したように、染色体上の普段必要の無いDNA領域は閉じ込んで収納されています。しかし、DNAを設計図として、RNAに転写し、それをタンパク質として利用するには、必要なDNA領域が書き込まれている染色体の構造を、最初に緩めてあげないと出てこないのです。例えば複雑なプラモデルを作るときに、設計図をきちんと開いて部品をチェックして見ないと作れませんよね。それと同じことなのです。
ヒトの細胞1つからDNAを取り出してまっすぐに伸ばすと、2mの長さになると言われています。その長大なDNAを、どうやって顕微鏡でしか見えない小さな核の中に閉じ込めるのかと言うと、「ヒストン」と呼ばれるタンパク質の周りにビーズのようにDNAを巻きとって規則正しく折り畳んでいくのです。ヒストンにDNAを糸巻きのように巻いていき、それをきれいに折り畳むことでパッキングし、うまく凝縮しているのです。
そうやって微細な核の中にどうにか押し込めるのですが、逆にこれだけ押し込められていると、必要な部分だけ適切にほどかなければ読み取ることができません。そのため、ここで「ほどく」という作業が必要になるのです。そしてほどくときに行なうのは、ヒストンタンパク質にアセチル化いう化学修飾、つまり「マーク」を付ける作業です。このアセチル化というマークがたくさん付くと「そこの部分をほどいても良い」という目印となり、ほどけるのです。反対に、脱アセチル化(アセチル化を取り払うこと)をすると、今度はまた縮まっていきます。真核生物のゲノムにはそうした機能があるのです。
ヒストンアセチル化のオン・オフが実際にはどのように制御されているか。私の場合は、植物の環境ストレス応答において重要な遺伝子があるとすれば、それがこのオン・オフとどのように対応しているのか。それについて研究するところから始まりました。留学先から帰国して、地球環境問題と食糧問題の解決に繋がるような植物の研究をしようと考えました。しかもその当時、日本には植物でヒストンの化学修飾を詳細に研究する人がほとんどいなかったので、このテーマをターゲットにして新しい研究を始めることにしたのです。
遺伝子情報を取り出すためにヒストン修飾のオン・オフを利用する一つの例として、環境ストレスに対抗するためにポジティブに働くタイプの生理活性物質の生産があります。そうした物質は乾燥や低温の環境にいるときには体内で積極的に生産されているはずです。その物質が出ているということは、設計図となる遺伝子部分はオンになっている。つまり、設計図となる遺伝子領域は開きっぱなしになっているか、開きやすくなっているはずです。そうしたことを生化学的にいろいろ調べていきました。
すると、乾燥のストレスが来たときにだけ、酢酸を合成するため遺伝子を大幅に活性化させることができる因子を見つけたのです。乾燥ストレスを感じた時にだけ、ヒストンのアセチル化量が増加して、酢酸を合成するため遺伝子の読み取りがオンになることが分かりました。この因子について深く調べていくと、酢酸を合成するための遺伝子の読み取りを、染色体の構造を閉じたり開いたりさせて直接制御していることがわかりました。つまり通常お水がたくさんあるときにはアセチル化を取り払って酢酸合成の遺伝子の読み取りを抑制し、水が無くなるとその抑制を外して、これら遺伝子を活性化させることを発見しました。簡単に言うと、植物は日照りで水が足りなくなると、設計図を開いて体内でお酢を作らせるのです。さらに研究すすめたところ、どうやら「ただ酢酸を外から与える」だけで、実際に植物を日照りに強くすることができるという事実が判明したのです。
Q:日本で乾燥期というと、夏の猛暑や冬の乾燥時期ですが、お酢を使って乾燥に強くなった個体に温度は影響しないのですか。
この技術には、乾燥だけではなく、他の環境の変化にも一部強くなります。ただやはり効くストレス、効かないストレスがあり、例えば単なる温度変化や塩害にはあまり効果を発揮しません。しかし、特に複合的に水が減った場合には、それに対して耐性を付与する効果はあります。その効果を基準点にして、他のストレス・環境変化に対して応用し、広げていくことはできるでしょう。だから発展的な研究への入り口として分かりやすい部分を見つけたという面での意義は大きいと思います。
Q:酢酸を使った強化をした上で、次の強化を研究していくのですね。
そうですね。酢酸で乾燥耐性をつけた上で、違うストレスに対して強化するような研究もできるかもしれません。手順としては、まず基礎・基本研究があり、それを応用すると考えられますが、そのための根幹が分かったということは新たな研究のスタートポイントとしても、重要な発見でした。まさに応用に直結する基礎研究だと思います。
Q:つまり、お酢を使うだけでアフリカや西アジアの荒地でも緑が広がるかもしれないのですか?
そういう可能性があります。ただ効き目など詳細に関してはこれから研究していかないといけません。どのくらいのスパンで、どのくらいの量をどういう植物に与えたらいいのか調べていきます。しかし現時点でも、世界的に主要な農作物である稲、小麦、トウモロコシ、ナタネは外からお酢を与えるだけで、実験条件・研究室内では日照りに強くできることが分かっています。お酢で環境ストレスに対処するシステムは、どんな植物でも本来もっているものだと考えられます。つまり単子葉植物も、双子葉植物でも、もともと全ての植物がこのシステムを体内にもっているのです。そして水が足りなくなると身体の中でお酢を作って、乾燥への耐性になるような遺伝子を活性化し、乾燥に強くなっているらしいと分かりました。
Q:ナズナで行なった研究は、農地での稲や小麦でも同じことが再現できるのですか。
はい。稲での屋外実験の結果では、乾燥耐性を付与することに成功しています。トウモロコシはまだこれからですが、できるだけ農地で実証実験をやりたいと考えています。世界中で土壌・気候の条件は違うと考えられるので、実証実験をしていけばそれぞれの場所、それぞれの植物に適した条件を見つけられるはずなのです。そうすればより使いやすくなり、世の中に貢献できると思います。
この方法で環境ストレスに対処するのは、もともと植物がもっている機能を使うので非常に安全です。実際人間だってお酢なら飲んでも大丈夫です。ただし、人間がお酢を過剰に飲み過ぎると身体に害があるので、植物も調整の仕方と与え方によっては植物自体が痛んでしまうこともあります。そうした具体的な応用法の開発はこれから進めていきます。それは私の方でもある程度は掴んでいるので、それを利用することで干ばつ対策になると考えています。
また、すでに砂漠化していて、植物が生えないようなところでも、いきなりは難しいでしょうが、漸次的に緑地化していって、少しずつ緑地を広げ、砂漠化を食い止めることを目指すような環境対策は可能でしょう。農地の拡大や、CO2の増加などによる温暖化対策としても使える技術です。それにお酢はどこにでも売っていて簡単に手に入ります。さらに簡単に蒸発して土壌にあまり留まらないので地球環境にも優しい。非常に利用価値の高い物質なのです。
Q:その発見で、日本遺伝学会のベストペーパー賞を受賞されたのですね。受賞以降、この分野の研究は進みましたか?
基礎面でも応用面でも、研究のさらなる進展はこれからです。しかし、近々論文として発表することが決まっているので、今後はこの技術を多くの人に使ってもらおうと考えています。企業や国と連携して推進していくことも、個人的には検討しています。
基本的に、とにかく使いやすい方法なのです。貧乏な国でも裕福な国でも、どこでも使えます。なぜならば、酔っ払いは大抵どこの国にもいますよね。穀物あるいは植物ができればお砂糖ができ、お砂糖ができれば発酵ができアルコールができます。そしてアルコールができれば、それを放置して酸化させるとお酢ができるのです。宗教上の理由でお酒を飲まない国であっても、お酢は売っています。だからお酢は世界中どこででも手に入る上、非常に安価なので、この方法を使えば非常に安く簡単に世界の食糧危機を救えるかもしれません。しかも環境に優しいのです。
手順としては、今回の発見をもとにさらに基礎・基本研究を進め、同時に応用していくことが考えられますが、根幹となる技術はすでに見えてきています。まさに、応用に直結する重要な発見と基礎研究になったと思います。
画期的な発見の根本にあるのは「自分でやってみる」姿勢
Q:利点だらけでほぼ欠点の無い技術ということでしょうか。
欠点を挙げるならば、適切に与えないとうまくいかない可能性があることです。人間の場合でもそうです。一般的にはお酢を飲むのは健康に良いとよく言われています。例えば尿酸値が高くなってしまったら、体をアルカリ化すれば尿酸結晶が解けやすくなり、通風になりにくいと言われています。私も自らを実験台として、毎日頑張って結構な量のお酢を飲んでみました。ところが、手にしびれがでてきてしまいました(笑)。なぜだろうと思って、病院で聞いたり、インターネットで調べてみたりしたところ、ある摂取量以上の過剰なお酢をとると、逆にアルカリ化しすぎて赤血球が破壊されるらしく、血液循環がおかしくなり痺れが起こるらしいのです。
それと同様に、植物にとっても過剰な酢酸の投与は、枯れてしまう原因になったりするので、あまり良くありません。だから適度な量とタイミング、そして適切な方法で与えることが非常に重要なのです。これがこの方法の欠点と言えば欠点です。しかしこの点に関しては、実験室レベルではすでに解決しています。おおよその適正値が分かっているので、すぐにでも実用化へ進められます。
ただ、今まで広い農地での実証実験をしたことがないのです。個人的に「うちの農地でやってみたら?」と言われることはあるのですが、まだ実現には至っていません。少なくとも稲に関しては、我が家の庭でやってみたことがあります。家で子どもと田植えもしていたので、そこで実験をしてみました。それに、子どもたちにいろんなことを教えるときに、自分の研究成果や自分の周囲の研究成果を分かりやすく実験して教えると、結構子どもたちが喜んでくれるんです。結果を目に見える形でそのまま見せてあげるのが分かりやすいらしいので、お酢を与える実験も一回やってみました。すると実際に家の庭のプランター植えの稲でも乾燥に非常に強くなったのです。だからこの方法は絶対使えると確信しました。
おそらくどんな場所でこの方法を行なっても、適正な条件の下で進めていけばすぐに実証できるのではないかと思います。実験結果は植物種によっても変わってくると思われるので、今後は実地の研究も進めていきたいと考えています。また、広い農地ではまだ実験できていないので、その部分は企業の協力や国の施設の力を借りて進めていければありがたいです。企業や政府に対してはそんなアプローチも期待しています。
Q:画期的な技術なのでいろんな国、企業が殺到するのではないでしょうか。
そうなるとありがたいですね。しかしあまりにも簡単すぎる方法なので、ただ論文を読んで「お酢あげるだけじゃん」と思って不適切に与えると、全部枯れてしまうのです。そこが難しいところですね。きちんと技術をハンドリングできる人が対応しながら広げていくことが大事だと思います。
そういう意味でも、現在私は基礎科学の研究者でしかありませんが、将来的にはこの技術を世界中に広げて困っている人たちを助けようと考えたら、自分が先頭に立って企業や国、NPOなどと協力して、この技術を欲しいと思う人と直接対峙しながら広げていく必要があると思っています。ポイントさえ押さえれば誰にだって使える技術であることは確かです。
Q:ご自身が主導して技術を広めていかなければならないと。
そうですね。そしてある程度広がってしまえば、後はその技術をハンドリングできる国や企業に任せてしまいます。干ばつに困っていて食べ物も無い後進国でも、気象予報の発展によって危機を予測できるので、その国に任せて技術を大きな枠で使ってもらえるようにしたいのです。この技術を広めるためには、世界中で成功例をどんどん広げていくことができた方が良いでしょう。しかし、まずはやはりキーになる部分を自分で教えていかないといけません。だから「他の誰でもなく、自分がやります」という気持ちをもっているのです。
Q:今後の段階としては、論文として公表し、できれば国や企業と協力して実証実験を行い、チームを組んで技術を各国に広めていくといった流れでしょうか。
そうですね。現在、アメリカやオーストラリアの農業は、企業や農家が大規模に行なっています。それは基本的には、お金儲け、言わばビジネスですよね。それに対しアフリカなどの地域においては、その国の国民を支える重要な食料を生み出すインフラなので、農業・植物のもつ意味合いが全く違うのです。さらに、緑地が無くなりつつある場所で緑地を広げる作業はお金儲けとは関係ない、地球全体の話です。そのようにビジネスと問題解決の間で、どのようにバランスをとったらみんなが幸せになれるのか考える必要があります。
そこで、できればお金持ちの国に、少し上乗せした金額でこの技術を利用してもらいたいのです。ここでは、本格的にビジネスとして取引をしてもらわないと流通が動かず、マーケットも開きません。その分、後進国の本当に困っている国には、安くこの技術を提供します。そのように、お金と技術、人の流れを作っていければ、おそらくこの技術を使ってかなりの人が助かるのではないでしょうか。波及効果も大きいと思います。そこまで自分ができるかは別としても、このような大きい社会的な流れをこの技術をもとに作りたいと考えています。そこの部分をサポートしてくれるような国の機関や予算、あるいは企業とタイアップしていければありがたいですね。
Q:今後、この技術を世界中で活用していく流れになりそうですが、その前の段階、研究者の育成・学生へのメッセージについてもお伺いしたいと思います。
所属する研究所は大学ではないので、学生はそれほど多くはいません。しかし、留学生を含め、私の研究に関わった学生たちの研究成果に関しては反応が良く、とても興味を持たれます。「お酢をかける実験」は学生には「少々ダサい感」もあるようですが、非常にシンプルなため受け入れられやすいです。もともとこの研究は、妻がまだ学生のとき私と二人で発見して、ここまで発展させてきました。
そういう意味では、学生の研究テーマとしても非常に面白いものだったのですね。研究に対しては、好奇心に対しシンプルに語りかける研究であるか、世の中の役に立つ研究を発想するか、また難しくとも、どうにかして自分の力で解明していくという三点を、いつも繰り返し考えています。また、今回の発見の分子メカニズムを明らかにするには、非常に高度な技術が必要でした。特に植物を材料としてヒストン修飾のオン・オフをきれいに見られる技術を持つ研究者は世界でも数少ないと思います。つまり、そのくらいの技術力がなければこの発見はできなかったでしょう。シンプルかつ予想外のアイデアを発想すること、自分自身が高度な技術力を駆使できることが研究者としてはとても大事なのだと思います。
Q:研究室の装置には、たくさんの小さなプランターが並んでいますが、これは他の研究をしている方と共同で使用されるのですか?
そうですね。インキュベーターによって実験条件を様々に変えることができますし、プレートの中身の組成を変えることでも実験条件を変えられます。シロイヌナズナのプレートをお見せしましたが、他の植物も同様に無菌栽培することができるので、実験室ではスタンダードな方法です。
実際に実験するときにはそこから必要な葉や根を取り出し、組織を採取して、すりつぶしたりしています。あのような環境である程度育てた上で、そのように取ってくるのです。
高度な技術を成功させる「腕」がなければ発見は生まれなかった
Q:「遺伝子のオン・オフを見る」とは具体的にはどのような作業なのでしょうか。
詳しくは、遺伝子を活性化(オン)した時には、その遺伝子DNAが巻きついているヒストンタンパク質のアセチル化が増えます。このアセチル化に対して、特異的に結合する抗体があるのです。この抗体を特殊なマグネットのビーズにくっつけておいて、オンになっているところだけ磁石で引っ張ってくることができる技術を使います。これが、「クロマチン免疫沈降法(ChIP)」という方法です。
染色体のどの部分が緩んでいるか、または閉じているかを調べることも同じ方法でできます。例えば、まずゲノムを超音波破砕機や酵素を使って適当な長さに切断します。その後に、ばらばらに切断した染色体からオンの状態のもの、つまりアセチル化されている染色体断片だけを特殊なマグネットで引っ張ってくる。そうすると、活性化状態になっているヒストンタンパク質とDNAを複合体として回収することができます。そこからDNAをきれいに外して取り出すこともできます。取り出したDNAを「次世代シーケンサー」という大量のDNA配列を一気に読む機械にかけると、引っ張ってきた部分、つまり遺伝子が活性化している部分だけが読みとれます。
つまり、ゲノム全体のDNAが一本の鎖だったとして、その中で引っ張ってくることができた部分に、アセチル化のマークが入っていたならば、そこの部分は緩んでいるということが分かるのです。一方で、不活性化していることを示すマークもあるので、それを指標に引っ張ってくれば、緩んでいる部分・閉じている部分が区別でき、遺伝子のオン・オフが分かるのです。そういう方法を使っています。
しかし、この手法をシロイヌナズナできれいに行なうのは非常に難しく、いかに上手にできるかが実験成功の鍵になります。この技術自体は、酵母菌やヒト、マウスでは最近よく取り入れられている手法です。しかしシロイヌナズナでこの作業をするのは非常に難しいという問題があります。
Q:作業の難易度が高いのも、実用化の障壁となるでしょうか。
基礎研究という意味では、技術的な難易度は大きな壁だったことは確かです。しかし、この研究を成功させた結果、お酢で植物が乾燥に対して強くなることが分かったので、あとは誰でも簡単に安く使える方法です。研究者がやるべきことは、テクニックと知識を使って、基本的な基礎研究から応用に展開できるまでシンプルな法則へともつていくことなのです。それが今回研究において目指したところでもあり、成果として得られたことは良かったと思います。
今後、この成果の周辺技術についてもいろいろなアイデアを持っていますが、やはり実用化を促すには技術的にまだ難しいことがたくさんあります。それについては、自分自身や研究チームとともにオーバーカムしていく必要があるでしょう。そして最終的には、出来るだけ簡単かつ使いやすいアウトプットとして世の中に広め、社会貢献をしていければと考えています。それが研究における一つの目標です。
研究室で遺伝子進化の軌跡を再現できる可能性
Q:それが、金先生の研究における目標なのですね。他に目標としているものはありますか。
もう一つの目標は、生物の進化に関するものです。今回、エピジェネティクスと環境応答の研究を通して、ヒストンのアセチル化が植物ゲノムの進化に重要な役割を担っていることが分かってきました。
現在までのところ、実験室内で進化の過程を再現すること、つまり人為的に生物のゲノムの進化を促し検証するのは、非常に難易度が高い研究テーマだと考えられています。きちんとゲノムに変化を起こして、結果としてある進化が起きたと実証することに成功した人は一人もいないと思います。 ところが、これまで研究成果から、実験室内で人為的に起こした進化を追っていける実験系を手に入れられる可能性が出てきました。私としてはこの可能性を発展させ、これまで誰もできなかった実験室内での進化を、手に取って見られる形で再現する研究成果として出せたらいいなと思っているんです。
それができれば、今後はヒトへの応用まで繋げることが可能になります。比較的単純な出芽酵母のゲノムサイズは12Mbと小さく。シロイヌナズナでは120Mbです。それがヒトになると3031Mbとゲノムサイズも格段に大きくなります。ゲノムが進化する過程において、なぜそれだけDNAの全体量が多くなったかというと、(非常に乱暴な言い方をすると)高等になればなるほどゲノムDNAには余計なゴミの部分が増えたかららしいのです。この余計な部分が増えることにはどんな意味があるのか、そしてどのように増えるのかがゲノム進化の謎です。
それには、「トランスポゾン」といって自分で飛んだり跳ねたりする遺伝子断片が原因ではないかと言われています。ウイルスが持つDNAやRNAの断片が、動物など他の生物のゲノムに入り込むことによって、トランスポゾン自身を維持するために他の生物のゲノムに入り込んで傷を付けていき、そこで増大を繰り返していくのです。
進化の過程でゲノムは何万、何億年とかかってバクテリア・酵母菌からゲノムサイズの大きいヒトまで拡大していくのですが、その途中でできるゴミの部分、つまりウイルス様の傷になる遺伝子は敵なので、飛込まれたホスト側は押さえ込むか不活性化しなくてはいけません。 そこで働いているものが、実はヒストン修飾に関係するものだったのです。つまり、邪魔物が入ってくると、それがホストの生存に悪影響を与えないように、ヒストンのアセチル化を取り払うことで抑制して、有害物が飛び出せない状態にして食い止めているのです。やがて押さえ込まれたトランズポソンは時間をかけて自然突然変異により飛び出す能力を失い、ゲノム上のゴミとなって蓄積していきます。
一方で見方を変えると、このゴミ溜まりはゲノムにできた空白のキャパシティーと考えることもできます。有害性を失ったゴミ溜めは、環境適応や進化に対してポジティブに働く遺伝子の揺りかごになるかもしれません。生存のために、本当に意味のある遺伝子が増幅した時の受け入れ先として、このキャパシティーが利用されているかもしれないのです。
結局、ゲノム内でトランスポゾンを抑える機能が進化にとって非常に大事なのです。この機能を上手く制御することにより実験室内でゲノムサイズの増大化、つまり人為的なゲノム進化を導くことができると考えています。また、ヒトや植物のウイルス病などが原因で外部から不要な遺伝子が入ってくるのは、その体・個性にとって邪魔なことなので、それを抑止する必要があります。この制御を研究することによって、人間や植物のウイルス病を根本的に治療あるいは食い止めることもできるようになるかもしれません。
だからゲノム進化の研究と病気の研究は、将来的にはつながるのではないかと思っているのです。植物の最初に研究してゲノムの進化という生命の根本の部分を理解し、植物研究から将来的にはヒトや動物など生物全体の遺伝病やウイルス病を駆逐するような成果を出したい。それが将来的なもう一つの目標になっています。
Q:植物のゲノムに関する研究が病理・医学の研究にとっても重要な意味をもつかもしれないということですか。
そうかもしれません。だから将来的に何を狙って、どういう基本原理を研究するかが重要なのです。例えば「薬を作る」という目標は明確で、アウトプットもわかりやすいですよね。何を考え、どういうアプローチをしていけば、将来何に役立つのかといったことを自分で考えられるようにならないといけません。自分なりの夢を描けるようになれば、そしてその夢が具体的であればあるほど、良い成果に繋がるのではないかと思っています。
Q:「自分で目標を立てて、多様な経験からそこに至る最短の道筋を考える」ことが金先生の研究哲学の一つなのですね。
そうですね。実はこれまでに、私はいろいろな研究テーマを転々としてきたのです。もともと学部生のときには海洋生態学を専攻していました。
私が学部生だった20年ほど前には、生態学の分野で分子レベルまで研究している研究者も研究所もほとんどありませんでした。しかしその当時、できたばかりの奈良先端大がエッジの効いた最先端の研究をしようとしていたので、面白さを感じて大学院から移りました。
そこではDNAが細胞内でどのように二倍になるか、つまりDNAの複製について出芽酵母を使って研究していたのです。おそらくこの頃、染色体がどういうふうに制御されているかという問題に興味を持ちはじめたのだと思います。
奈良先端大で学位を取ったのちにポスドクとしてアメリカに留学し、出芽酵母を使ったエピジェネティクスの研究を進めていました。現在のメインテーマであるエピゲノム研究はそこからがスタートです。しかし、ここでも植物の研究はしていません。植物の研究を始めたのはここ10年ほどのことで、最初は全くの素人で、水やりや肥料、種の蒔き方すらよく知りませんでした。なので、バックグラウンドが多種多様な上に、いつもやることなすこと初めてのことばかりだったのです。
とはいえ、いろいろなことを研究してきたことで、様々な知識や技術を身につけ、多面的なものの見方ができるようになりました。昔から自分で顕微鏡を覗いたり、生き物を観察することは好きで、そういう研究を続けてきたことで、ちょっとした違いにも気づけるようになったのだと思います。結果として、なんとなくぼんやりとした違いがあったときに、自分で仮説をたて、理論づけて、「こういう理由で違いが生まれているのかもしれない」と最短ルートで考え証明することができれば、自ずと繋がっていくのです。私は複雑な経歴の中で、そのプロセスがなんとなくでも自分でできるようになってきたのだと思います。
しかし、急に何か面白いテーマを思いついて、「これが面白そうだから研究させてくれ」と研究予算を申請しても、なかなか取りにくいという事情があるのも確かです。でもあえて言えば、特に学生には逆に面白い研究をたくさんして、いろいろとテーマを変えてみたりして、自分で物事を考える力を培ってもらいたい。その上で、「これがやりたい」と思う内容を集中して研究する期間が5年でもまとまってあれば、研究としてそれなりにものになります。だから途中で挫折をいっぱいしても、諦めずに続ける根性があった方が良いのではないかと思います。
例えばこのシロイヌナズナのエピゲノム研究に関しては、市販されているキットでは結果を出せません。だから、根本にある膨大な知識を頭に叩き込んで、応用していく作業が必要になります。それには、自分が取り組んでいる研究の結果を明らかにしたいという目標がなければ気力も湧きません。 そのくらいの執着心と懸命さを持てば、技術をブラッシュアップして精度を高めていき、自分なりの技術を習得できます。そしてまたその技術を使って面白いアイデアが生まれてくるのです。
Q:将来的にはご自身の研究室を持って直接的に指導していくことも検討されていますか。
もちろんです。近頃は、体制によっても求められていることが結構ころころ変わるし、研究環境が急に変化することも多いです。そうすると、研究テーマも変えざるをえなくなるでしょう。そうなったとしても、今までの技術や知識を使って「私にしかできない」という研究者としての自信というか、アイデンティティみたいなものが効いてくると思います。そこから集中して研究を始めることが大切なのだと思います。何か一つ自分の売りになる技術や得意分野を持って、研究に立ち向かっていくのはいいことだと思います。何を明らかにしたいのか、そしてそのためにどんな技術が必要で、どんなものの考え方と忍耐力が必要なのかを考えなければいけません。そういったことをいつもきちんと考えながら取り組んでいける学生が増えると、絶対的な自信をもつ良い研究者が多く育つのではないかと思います。
新しい発見を世界により大きく広げていくためには、良い研究者を育て、たくさんの人と一緒に取り組んでいくことが大事だと考えています。最近は企業からも、個人的に打診を受けることが多々あります。ノリが良いこともあり、面白い研究をしていると気に入られやすいのでしょう。飲み会に行ってくだけた話をする能力も、大切な能力としてうまく機能しているのかもしれませんね。< 了>
金 鍾明
きむ・じょんみょん
理化学研究所 環境資源科学研究センター 植物ゲノム発現研究チーム研究員。最先端のエピゲノム科学的手法を用いて植物が環境ストレスに適応する際の遺伝子発現システムを解析し、有用な植物資源の探索およびストレス耐性技術の開発に取り組む。日本遺伝学会第87回大会BP(Best Paper)賞を受賞。