高齢化による在宅医療や遠隔医療のニーズの高まりや、スマートウォッチの普及により、日本の医療・ヘルスケア領域で、フレキシブルなデバイス(センサー)の研究が盛んになってきた。こうしたなか、世界で初めて、指紋・静脈の生体情報とバイタルサインの1つである脈波を同時に計測できる「極薄イメージセンサー」を開発したのが東京大学大学院工学系研究科 電気系工学専攻 横田知之准教授だ。このイメージセンサーにより、患者さんの取り違えやなりますしなどの医療現場の課題を解決できる。今回は、期待を集めている「極薄イメージセンサー」の実用化での道程と、研究課題について伺った。
有機センサー3つの特性を活かして開発
Q:まずは、研究の概要についてお聞かせください。
有機材料を使った柔らかいセンサーの研究をしています。有機デバイスは、おもに「ディスプレイ」と「センサー」の2つに分かれます。特に有機「ディスプレイ」は形に見えて分かりやすいため、日本でも多くの企業で研究開発されています。
一方「センサー」は、ディスプレイに比べると、どこに使われているか分かりづらく、それほど研究されていませんでした。しかし実際は、エアコンや冷蔵庫などに入っている「温度センサー」、自動ドアやテレビなどのリモコンになる「光センサー」、血圧計や体重計などに入っている「圧力センサー」など、多岐にわたります。それに従来のセンサーにはシリコンが多く使われており、それを有機材料に変えることで、さらに応用できる領域が広がるのではないかと考え、取り組んでいます。
有機センサーには、おもに3つの特長があります。1つ目は「大面積で様々な情報を計測できること」。腕時計型ウェアラブルコンピュータのスマートウォッチにも、体温などを測るためにセンサーが内蔵されていますが、この場合1つのセンサーで行う「1点測定」です。一方、私たちが研究している有機センサーは、大面積にマッピングする「多点測定」が特長です。たとえば、工場の配管ラインで温度異常が発生したときに、有機センサーを使って広い範囲をマッピングできれば、「ここに欠陥がありそうだ」という場所の特定が瞬時にできるようになります。この他にも、靴底に圧力センサーを敷けば、歩いたときにどこに力がかかっているのかが分かるので、足圧を測定して、歩き方のクセを知り、それを改善することで、膝痛や腰痛を解消できたりします。
2つ目は「柔らかくて薄いこと」です。心電図測定は、最近でこそ電極も非常にコンパクトになってきました。しかし、筋電図と一緒に測定を行うと非常に重くなり、さらに10個もの電極を装着しなければならず、患者さんの身体的な負担が課題になっていました。私たちの研究しているセンサーを活用すれば、1マイクロメートル(表皮の10分の1以下)の非常に薄いフィルムの上にセンサーや集積回路を載せているので、違和感や身体への負担が軽減でき、長時間装着して、バイタルセンシングを行うことが可能です。
3つ目は「密着性」です。心拍数や血糖値、脳波などの人体の情報を計測する生体センシングには、デバイスと生体(人)との密着性が非常に重要になります。スマートウォッチで運動中の心拍数などの測定が難しいのは、動くことで本体の裏側に付いているセンサーと身体との間に空気の層が入ってしまうからです。私たちはこの密着性を利用して、身体を動かしてもずれないセンサーの開発に取り組んでいます。
Q:有機センサーにおける、実際の研究について教えてください。
注力しているのは、医療やヘルスケアの分野で活用するフレキシブルなイメージセンサーの研究です。それも、指紋や静脈などの生体情報をイメージとして読み取って書き出し、個人認証ができるだけでなく、バイタルサインの1つである脈波も同時に計測できるウェラブルデバイスです。
いま医療現場で問題になっているのが、患者さんの「取り違え」や「なりすまし」です。たとえば、このイメージセンサーを血圧計に組み込めば、生体情報と血圧などのバイタルサインの測定データを紐付けて管理することで人的なミスを解消でき、生きている人間に装着させて個人認証させることで、3Dプリンターで作った「偽の指紋」のなりすましも防止できます。
また従来のカメラ方式の生体認証は、CMOSイメージセンサーとレンズを使用するため、大掛かりな装置になってしまっていました。そこで私たちは企業との共同研究により、厚さは15マイクロメートル程度と髪の毛の直径よりも薄い、「シート型のイメージセンサー」を開発。搭載するセンサー自体もレンズをなくして全体の厚みを1ミリメートル以下に抑えました。しかも、解像度500dpiという一般的な静脈認証システムに必要とされる画素数を維持しています。
Q:こうしたフレキシブルなイメージセンサーを医療で活用する研究は、世界中でも進んでいるのでしょうか?
この分野での研究は以前からありましたが、世界的に活発に行われたのは、2012年あたりからです。しかし、日本での研究はそれほど多くありませんでした。それが、高齢化により在宅医療や遠隔医療が増え始め、さらには、AppleWatchなどのスマートウォッチの登場により、ここ2〜3年頃から日本でも次第に報告されるようになってきました。
私たちは、企業との共同研究を始めたのが2015年なので、それよりも前から取り組んでいます。最初の頃は、医療機関と話をしても、医師が求めているのは完成度の高い実用的なデバイスだったので、実験にまではなかなか至りませんでした。
それから試行錯誤を重ね、2018年に実用化に近い完成度まで高めることで、医師に使ってもらいながら研究を進められるようになってきました。次のステップとしては、従来のCMOSイメージセンサと比較して遜色ないレベルに仕上げていくことです。現在、医療現場での有用性の実証を含め、精度を高める研究を進めている真っ只中です。
無駄だと思った実験の方が、より良い結果が生まれる
Q:技術面、産業面、倫理面の課題は何でしょうか?
技術的な課題としては「品質の安定性」です。 先程の精度の話にもつながりますが、同じようなデバイスを複数作っても、特性が少しずつ違っていたり、素子の中に1点ゴミが載って動かなくなったりという問題が発生しています。また、私たちが使っている有機半導体は、従来の半導体と違って環境の影響を受けやすく、高温多湿の場所では特性が劣化してしまい、1年間同じ性能を維持するのは現段階では難しいところです。
産業的な課題については「コスト」の問題ですね。コストが安くなれば、さまざまな用途に使えたり、製品を広く普及させたりすることができますが、コストが高いと少量生産になってしまいます。いかにコストを抑えていくかが将来製品を広めるためには、非常に重要になってきます。
有機半導体は「真空プロセス」という技術を使ってコーディングを行います。「蒸着」と呼ばれる、材料に熱を加えたり、エネルギーを与えて昇華させてフィルムの上に成膜したりする複雑な工程なので、どうしても多くのコストがかかってしまいます。
それで、印刷技術を活用した「溶液プロセス」にすれば、インクを有機半導体に塗布するだけなので、簡単に作製でき、しかも私たちが研究している大面積を測定するセンサーでも安価に作ることができます。ただし、この「溶液プロセス」を使うと、溶液がデバイスに残って膜厚の不均一を起こしてしまったり安定性に悪影響を及ぼしたりするため、この問題を合わせて解決していく必要があります。
また、血圧計への組み込み以外の「研究の出口」戦略も重要です。もちろん、血圧計への導入も、医療現場の課題を解決できるということでは、非常に意義のあることだと思います。しかしその一方で、世の中で使われている血圧計は非常に限られており、これだけでは、材料コストも高騰するため、自ずと製品の価格も高額になってしまいます。やはり、もっと大量に生産できるような他の出口も検討すべきだと思います。
最後に倫理的な課題でいえば、「利用者の個人情報とプライバシーの保護の問題」です。患者さんの生体センシングしたデータは、それ自体が個人情報になります。将来的に血圧や血中酸素濃度などのバイタルデータをビッグデータとして解析できるようになると「この人は糖尿病になりやすい」などの傾向も予測できます。そのため、外部の人にデータを簡単に閲覧できないようにしたり、個人を特定されたりしないように管理することが求められます。これらの対策も重要になってくるでしょう。
Q:研究には、どんな学生が向いていますか?
やはり「忍耐力」のある学生ですね。最近の傾向として、「研究内容」ではなく、「すぐに結果がでる研究」に飛びつく学生が多いように思います。それこそ、1カ月ぐらいの実験で学会に発表できるような研究を選ぶ、楽をしたがるタイプですね。そういう研究は長く続かなかったり、独創性がなかったりすることが非常に多いです。ほとんどの場合、数回の実験では期待するような結果は表れません。それでも粘り強く、トライ&エラーを繰り返しながら取り組み、最終的には大きな結果をつかみ取る。そういう人が研究者として生き残っていくと思います。周りの学生が研究で良い結果を出てくると、焦ってきたりします。それでもブレずにやり続ける。その姿勢が、社会に出た後もきっと役に立ちます。
もう1つは「失敗を恐れず手を動かすこと」です。自分が考えた仮説をもとに実験を行っていると、その結果から思いもよらないアイデアや着想が生まれたりすることも少なくありません。私も学生時代は、ほとんどの実験が失敗の連続でした。10回チャレンジして1回成功したらいい方です。それに、私自身、無駄だと思った実験の方が良い結果を得られたことが多かったと思います。ですから、失敗を恐れずにまずトライしてみることです。
Q:今後、企業とはどういった関わり方をしていきたいですか?
「極薄のシート型イメージセンサー」の開発は、株式会社ジャパンディスプレイと共同で行っていますが、その他のプロジェクトでも他の企業と共同研究を進めています。しかし、まだまだ多くの企業と連携していきたいと考えています。なかでも、デバイスの安定性やコストダウンなどの課題を解消していくためには、素材メーカーの協力が欠かせません。
素材メーカーは、産業用にどう素材を活かしていくのかを日々研究されており、世の中にない新たな素材の開発にも取り組まれています。そうした知見を私たちの研究に組み合わせることができれば、より品質の高いフレキシブルなイメージセンサーなどを開発していけると思っています。
Q:次の目標についてお聞かせください。
現在「極薄のシート型イメージセンサー」では医師との連携を進めています。次のステップとしては、血圧計に組み込んで実稼働させていきたいと考えています。その過程で、また新たな課題が見つかってくると思うので、それを改善・改良し、まずはプロトタイプを完成させるのがここ1年の目標ですね。(了)
横田 知之
よこた・ともゆき
東京大学大学院工学系研究科 電気系工学専攻 准教授
2008年 東京大学工学部物理工学科卒業。
2010年 東京大学大学院 工学研究科物理工学専攻修士、2013年に同博士号修了。2013年 東京大学工学系研究科 特任助教、2016年 東京大学大学院工学系研究科 講師を経て、2019年より現職。