人生100年時代といわれて久しいが、そこからさらに30~40年と健康寿命を伸ばすアンチエイジングの研究が世界的に注目を集めている。DNAの損傷によって誘導されるエピゲノムの変動が、後天的に老化の速さやタイミングを制御している。その仕組みを明らかにしたのが慶應義塾大学 医学部整形外科学教室の早野 元詞特任講師である。早野氏は、紫の光センサー(光受容体)を活用して身体に負担が少ない方法で寿命を伸ばす仕組みも考え、社会実装に向けて取り組んでいる。その他にも、ベンチャー企業や一般社団法人を立ち上げ、他の研究者たちの研究が社会実装できるように、VCとの連携なども精力的に行っている。今回は、早野氏が取り組んでいる具体的な研究内容や若手研究者の支援活動、勉強会など幅広いテーマについて話を伺った。
エピゲノムによる老化制御機構を解き明かす
Q:研究概要を教えてください。
おもにエイジングの分子理解に取り組みながら、それに対する食品や医薬品、医療機器などを開発し、社会実装につなげる活動を行っています。特に着目しているのは「エピゲノム」です。エピゲノムは「どういった遺伝子を使うのか」「いつ、どのくらいの遺伝子を細胞の中で使っているのか」など、遺伝子の働きを決める仕組み(役割)を担っています。老化の速度や身体機能の低下は、DNA配列の変化や遺伝子変異の蓄積ではなく、このエピゲノムが決めていることを、私たちは研究で解明しました。現在は、老化の速度やタイミングを決定する際に、エピゲノムがどのように変化しているのかを研究しています。
さらにエピゲノムは酵素反応や遺伝子編集といった操作が可能だというのも分かってきました。後天的に変化したエピゲノムは可逆性があるため、老化を医薬品や食品により治療できる(巻き戻せる)可能性があります。
なお私たちの研究室では、ICEマウスを使っています。これは、ハーバードメディカルスクール大学のDavid A. Sinclair教授のラボで考案された遺伝子の特定箇所のDNAにダメージを与えて、人工的に老化させたマウス。このICEマウスを使って、老化が始まる閾値を可視化して、エイジングの治療法の開発に活用しています。
また、ICEマウスを活用して、エイジングによって変化するバイオマーカーを巻き戻して、私たちが今開発している化合物で、落ちた筋力の活性化や認知機能の研究にも取り組んでいます。世界的には細胞レベルで老化を治療し、加齢性疾患への介入方法を開発する「リジョブネーション(若返り)」もしくは「リプログラミング」と言われていますが、その取り組みの1つです。
特定の疾患と老化は、全く違います。老化の場合、特定の筋力だけが衰えることはありません。筋力が衰えれば、肝臓や腎臓、視覚や聴覚などの機能も弱まるなど、どこかとリンクしてきます。そういう意味では、全身をシステムとしてコントロールすることによって、その人の全体的なQOLを上げていくことが目標なので、病気を患った時に病院に行って、そこだけを治療するのと、アンチエイジングでトータルケアを行うのとでは全く異なります。
今、人生というのは自分の思うように設計することができません。自分の健康状態をどのように維持して何歳まで生きていけるかというのは、運命だったり日常のライフスタイに依ります。できたとしても、フィットネスジムに行って、エクササイズをしたり、食事を調整して、ダイエットするぐらいです。近い将来エピゲノムを測定して、今自分の身体能力が何歳で、このままだと、あと30年後には亡くなるということが把握できれば、適切な食事や薬を飲んで、健康寿命を伸ばそうといった、ライフコース設計のためにアンチエイジングを1つの手段として用いることができるようになります。
Q: 独自性のある研究について教えてください。
大きく分けて3つあります。1つは、光受容体です。紫色の光を使って頑張らないアンチエイジングを研究しています。イタリアのサルディーニャ島やギリシアのイカリア島など、世界の長寿地域「ブルーゾーン」に住む人たちは、実は知らない間に身体を動かしています。坂のある不便なところに住んでいて、毎日坂の上にある教会まで歩いていくので、自然とエクササイズを行っているのです。
サルを使った実験でも、頑張ってカロリーを制限したサルと、好きなだけ食べて身体を動かしているサルだと、後者のほうが寿命が長いことが証明されています。それと同じように、健康維持のために主体的に運動などに取り組まなくても、紫の光センサー受容体のOPN5をスマートフォンやパソコンなどへ紫色LEDを組み込んで身体に浴びることで、健康寿命を伸ばすことができる。そういう研究を行っています。
2つ目は、薬の開発です。ICEマウスを使って、どのタイミングでエイジングが始まるのか。遺伝子を網羅的に解析しながら、リジュブネイト(若返り再生)する薬剤をつくっています。
3つ目は、エイジングコントロールする遺伝子を発見したり、それをコントロールするようなゲノム編集を操作したりして、最大寿命を伸ばす研究に取り組んでいます。メバルの仲間のロックフィッシュは、200歳まで生きることができます。その理由は免疫系の遺伝子を、人よりもたくさん重複して保有しているからです。
寿命が長い動物は、このように特殊な遺伝子を持っていたりします。そのあたりを倫理面を考慮しながら、例えばメッセンジャールネワクチンのように、エイジングコントロールできるものを一過的に身体に入れて排出させ、身体機能を高めていく。合成生物学的なテクノロジーを活用した、寿命の最大化の実現を模索しています。
Q: 現在の研究に至るまでの経緯を教えてください。
大学3年生の時に、ウェルナー症候群に興味を持ったのが始まりです。ウェルナー症候群とは、遺伝性疾患の1つで、20代を過ぎた頃から老化に似た多くの症状に悩まされる「早老症」のこと。一般的には50代前後から老化について悩みますが、この病気に罹患すれば、脂にのった若い頃から老いに悩まされてしまいます。1つの遺伝子でこれだけエイジングを早められるのであれば、そのメカニズムを解明すれば、反対に老化を止めたり、治療ができるのではないかと考え、イメージを膨らませてきました。
ただ、当時は医者ではない研究者だったので、治療薬として社会に実装していくためには、研究者としての知識と事業化の経験が必要だと考え、東京大学大学院新領域創成科学研究科に入りました。その後は、”Biotech Cluster”として多くの投資と産業の生まれるボストンで、自身のロールモデルだった老化研究の第一人者であるハーバード・メディカルスクールのDavid A. Sinclair教授にコンタクトをとり、彼の研究室に入って、エイジングに関する研究に取り組みました。そして帰国し、研究成果を社会実装するために、自分自身でスタートアップを立ち上げました。
Scienc-omeというフォーラムを立ち上げ、反分野的研究を推進
Q: エイジング研究においては、どのような課題が考えられますか?
薬剤(新薬)の特許が切れると、患者さんは非常に安価に購入することができ、多くの人が使えるようになりますが、製薬会社にとってみれば、それを製造・販売して利益を創出しないと、産業としては成り立ちません。
エイジング業界においても、同じような問題を抱えています。そのゆえアメリカではエイジング領域に関して、産業として成立するように従来とは異なる保険適用の仕組みを今つくろうとしています。
たとえば、メトホルミンという2型糖尿病患者の治療に非常にポピュラーな薬剤があります。長期的に服用していると、がんやアルツハイマー病の抑制の治療薬として活用できます。アメリカのエイジング領域においては、このように、ある病気に対する薬剤を後発で、さまざまな老化予防に活用する「ドラッグリパーパシング」として横展開できるストラテジーを模索しています。老化は病気ではないため保険適用外となり、すぐにマーケットとして成立させることが困難な点があります。
しかし、将来的にはこの状況が変わる可能性を一方で秘めています。それは、世の中の流れを変える起爆剤となりうるプラットフォームが生まれてきていることです。その1つが、1995年に設立された、アメリカの非営利組織「Xプライズ財団」の存在です。この財団は、人類に利益を与える技術の開発を促進するため、世界が直面する課題解決をテーマにした賞金レースを運営しています。少し前には、民間による月面ロボット探査機の開発を競うコンペを行いました。
今回、10歳若返らせたら賞金1億ドル(150億円)が得られるコンテストを実施。「若返らせる」指標は、「脳機能と筋力と免疫の3つの機能を同時に非臨床そして、臨床的に改善すること」とあり、最終的には人に実装するため、サルコペニアや認知機能障害など、そういった疾患をターゲットにして試験をやることになります。このように「Xプライズ財団」のような組織がメッセージすれば、世界的に注目が集まり、多くの研究者や企業がこの分野に参入し、早期に薬剤が実装される可能性があります。
もう1つの問題として、倫理的な課題が考えられます。最大寿命が伸びることによる自然破壊や生殖への問題が発生する可能性があるためです。人間がたとえば150歳まで生きるとなると、環境保全の観点において、悪影響を及ぼす傾向が高くなってきます。人間は、自分が死ぬことを理解してるからこそ子孫を残し、大切に育てます。150年も生きるようになってくると、利己的な部分が強くなり、自然環境や自分の子どもを大切にしない可能性がでてくるからです。
また、進化の過程では、環境変化に対応できる人間こそが生き残っていくというセオリーがあります。しかし寿命が長すぎると環境の変化が起こった時に、それに適応できなくなってしまうことも考えられます。寿命が500年のあるニシオンデンザメは、子供が産めるようになれば100年かかります。そうすると、人間も長寿命になってしまうと、子供が産めるようになるまで、もしかしたら30〜40年かかるかもしれません。それによって人が世代交代するサイクルが遅くなるため、人類が途絶える可能性が高まるからです。
しかし、これらについては事前にテストすることができないため、倫理的な面も含め、地球上の生物的にそれが可能かどうかを、まず深く議論する必要があります。AIが進化してきているので、いろいろな情報を読み込んでシミュレーションしてみる必要もあるでしょう。地球が誕生して30億年経ちますが、人類史上生物がこれだけ急激に寿命が延びた例は、かつてありませんでした。人間の寿命は約40歳で、1万年ぐらい生きてきましたが、ここ100年間で急に80歳に伸びたわけです。次の100年、また更に平均寿命が伸びた時に何が起こるかは誰にも分かりません。
Q:先生は、こうした研究の他に研究者の支援活動も行っていますよね。
そうです。一般社団法人ASG-Keioを立ち上げて、2020年4月から分野を超えた若手研究者たちのためのオンラインを中心としたサイエンスフォーラム『Scienc-ome』というエコシステムを開設しました。現在、メンバーも2000名を超えて、ユニークな研究をしている人たちが集まっています。そもそも、こうした支援活動を行おうと思ったのは、1987年に中曽根総理(当時)が提案して、日本で立ち上げられた「ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム」制度に私が申し込み、採択されたのがきっかけです。これは、今で創設37年になりますが、これまでノーベル賞受賞者を30名程も輩出しているファンドです。人類全体の利益につながるテーマであることが第一義的に重要ですが、それと同じくらい野心的な最先端の研究であることも重視されています。
ここで発表されるのは、世の中で注目されている分野に背を向けているような真に独創的な研究が大半です。このグランドではデータは必要なく、自分のアイデアだけでもいいので、審査員が納得することが大事です。
『Scienc-ome』に参加する若い人に対しては、「ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム」制度が目指すように、「人がやっている真逆を行こう」と言っています。私たちは『Scienc-ome』の研究を「反分野的研究」と名づけています。それは特定の分野をつくってしまっては、研究の新たな発想が広がらないからです。エイジング領域も同じです。その領域だけで考えていると、行き詰まってしまいます。
なお「反分野的研究」とは、ノーベル賞を受賞した野依良治先生がおっしゃっていた言葉で、分野を横断し、もしくは分野をつくらないことで、研究そのものが新しい研究をつくっていく。『Scienc-ome』も同じ思いで活動しています。現在『Scienc-ome』には研究者だけでなく、企業に勤める人や投資家、高校生も参加しています。
また、ここで知り合った参加者同士の交流もさかんです。高校生が大学生になった時に、『Scienc-ome』で知り合った先生の研究室に留学したり、研究内容を聞いて、共同研究をスタートさせた人たちもいます。また私自身国内外のVCとのネットワークがあるので、研究テーマによっては紹介することもあります。実際、VCを通じて10億円の研究資金を集めた研究者もいます。
Q:エイジングに興味のある学生に何かメッセージはありますか?
「ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム」制度の集まりで、以前ノーベル賞を受賞したトルステン・ウィーセル博士と対談した際に「研究は自己表現のツールだ」という話をしてくださいました。まさに、その通りだと思います。研究を自分のやりたいことや自己表現をする場にすれば、非常に面白い活動ができると思います。しかし日本では博士課程を修了して、研究者になる人たちが今激減しており、大学で研究できる時間も少なくなっています。さらに研究費を獲得するために、短期間で成果が出る研究を選ばなければなりません。このように、今の日本の研究環境では「自己表現なんてできなさそうだ」ということに、若い人は気づいているように思います。
でも視野を広げてみれば、日本のアカデミアだけが研究(自己表現)の場ではありません。日本の中でもスタートアップで研究する人が最近は増えていますし、アメリカの場合、特にボストンでは、博士課程を修了すれば、大学の教員をほとんど選ばず、ほぼ全員がスタートアップ企業へ就職します。
スタートアップ企業の方が資金を持っていて、研究費も出せるので、論文もそちらから出す研究者が多いです。このようにキャリアが非常に多様化しているので、「研究」で自己表現を目指すなら、アカデミア以外の道を選ぶのもいいでしょう。海外とくにアメリカに目を向けると、自分でスタートアップ企業を立ち上げて、資金を集めることができますし、財団法人も数多くあるので、そこに在籍して、研究に取り組むなど、国からの援助に頼らずに研究が行えます。そうなれば、自分のやりたい研究に取り組んでいけると思います。2024年7月に我々も研究を推進するための一般財団法人ASAGI Labsを新しく設立し、日本でも独創的な研究を民間で推進する仕組みを盛り上げていく予定です。
Q:企業に伝えたいことはありますか?
企業の魅力は、リソースとツールを持っていて、優秀な人材が多い点です。ただし、大学との共同研究では、ライセンス費などのビジネスでは、なかなか結果を生み出しきれていないのが現状だと思います。日本の大学での年間ライセンス費の総額は約50億円しかありませんが、アメリカの場合では約4000億円も稼いでおり、市場規模の違いを考慮しても微々たるものです。しかし、多くのFDA承認薬がアカデミア発であり、今後はますますスタートアップ、企業とアカデミアが連携が重要になっていきます。企業からの人材の流動性も増えていくでしょう。短期的な成果に加えて、中長期的な視野で共同研究できると、確度の高い社会実装が実現できる座組をつくっていけると思います。
Q:最後に今後の展望をお聞かせ願えますか?
生物学者として、人間以外のエイジングの多様性を紐解き、それを社会実装につなげていくことが、私にとっては一番のゴールになります。ただ、日本のアカデミアだけだと、規模の小さい研究になりがちなので、民間企業などを巻き込んで、一般の方々と一緒にアンチエイジングに関する医薬品を中心に、食品、医療機器などを開発していければと考えています。
人々が今何を必要としているのか、そういった方向性をつかむためには、OpenAIがロールモデルになってくると思います。生成AI「Chat GPT」を開発しているOpenAIは、ノンプロフィットとプロフィットのハイブリットなガバナンスモデルを採用しています。そのなかで、ノンプロフィットは、「今後世界はこう変わっていくから、こういうAIが必要だ」といった開発の方向性を考え、プロフィット側は、そのための開発業務にフォーカスする。そういう役割分担を行っています。
そして長期的なビジョンをしっかりと定めて、それを実現するために必要なリソースは、Microsoftなどの民間企業を含めたプロフィット側が注入して、生成AI「Chat GPT」が誕生しました。またOpenAIはプロフィットで上げた収益を、ノンプロフィットに寄付する形で還元する循環型モデルにもなっています。
本来、日本の大学は企業から提供してもらった資金をもとに開発した研究を社会実装することで、企業に収益を回していくという機能を担っています。しかし、まだまだその規模は小さく、私たちが目指すほどの機能までには至っていません。まさに我々が今年7月に立ち上げたASAGI LabsはOpenAIのような組織をつくろうと考えています。
そこには事業プロモーターや研究者、企業の方々を座組として揃えるつもりです。そして研究〜事業化を果たし、そこで得た収入を次の研究開発に還元して、新たな商品化を行う。そういう循環モデルの組織を年内中に立ち上げ、機能させていきたいと考えています。最終的に、そうした組織があれば、ポスドクの人たちにも、従来の2〜3倍の報酬を確保していくことが可能です。
またエイジング研究はこれからの領域であり、宇宙や交通、ヘルスケアなど、さまざまな業界に応用できます。若い人たちには、今後どのような社会を創出できるのかという観点で、エイジング研究に携わってもらいたいと思います。(了)
早野 元詞
(はやの・もとし)
慶應義塾大学 医学部整形外科学教室 特任講師
2005年 熊本大学 理学部卒業。2011年 東京大学大学院新領域創成科学研究科 博士(生命科学)取得。2010年より東京都医学総合研究所所員、日本学術振興会海外特別研究員、Human Frontier Science Program Fellow、ハーバード大学院医学部客員研究員を経て、2017年より慶應義塾大学 医学部眼科学教室特任講師、株式会社坪田ラボにてChief Science Officer(CSO)に就任。その後、一般社団法人 ASG-Keio代表理事、特定非営利活動法人ケイロン・イニシアチブ理事、一般社団法人 海外日本人研究者ネットワーク理事、UUJA.Inc(NPO in USA)board memberを務め、若手研究者の支援にも注力している。2023年4月より現職。著書には、『エイジング革命 250歳まで人が生きる日 』(朝日新書)(2024年)がある。