新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大によって、感染診断の検査として活用されるようになったPCR検査法は、感度に優れ、確定診断に適しているが、時間と費用がかかることが課題となっていた。そこで2021年に、新型コロナウイルス由来の遺伝子を「1分子」レベルで識別して、5分以内に検出できる革新的な検査法を開発したのが理化学研究所の渡邉 力也主任研究員である。2022年には、感度・精度をさらに向上させ、新型コロナウイルスだけでなく、インフルエンザなどの複数のウイルスを検体から検出できる全自動検査装置を開発した。どのようにして全自動検査装置が生まれたのか。渡邉主任研究員にその背景と今後取り組んでいきたいテーマについて話を伺った。
新たなアプローチで、世界最速の、汎用的な全自動感染症検査装置を開発
Q: 研究概要について教えてください。
元々機械工学を専門にしていましたが、0→1を生み出せる領域にチャレンジしたいと思い、現在、1分子生物物理学の研究を基礎と応用の両面で推進しています。基礎研究として、1分子計測技術を開発し、個々の生体分子の作動機構を解明しつつ、それらを適切に組み上げて、細胞や高次元生命機能の理解を目指しています。また、応用研究として、1分子計測技術を基盤とした、医療や創薬に役立つ検査法の開発を行っています。今回は、応用研究に絞ってお話しをいたします。
私は、血液や唾液などの液性検体から、疾患関連分子を1分子単位で識別して、その質や量の評価から検査を行う「デジタルリキッドバイオプシー」の開発を行っています。疾患関連分子を1分子単位で評価するためには、各分子を分画する必要があるため、微小な試験管を高度に集積したマイクロチップを利用します。
マイクロチップの製造には、半導体の製造装置を活用しています。最先端の装置を用いると、ナノメートルオーダーの加工精度を達成できますが、われわれが使っているのは、1980年〜1990年代の頃からある装置で、サブマイクロメートルオーダーの加工精度になります。1分子計測系との相性の関係から、微小な試験管の大きさはマイクロメートルオーダーで十分なため、前時代的ではありますが、歩留まりの高い装置を用いてマイクロチップを製造しています。
マイクロチップには容積がフェムトリット(1015分の1リットル)の微小な試験管が約60万個集積しています。ちなみに、この試験管の容積はだいたい大腸菌1匹と同じくらいの大きさです。デジタルリキッドバイオプシーでは、マイクロチップに血液や唾液などの液性検体を滴下し、試験管に疾患関連分子を1分子づつ捕捉し、さらには、油で入口の蓋をします。試験管には、疾患関連分子と併せて、それらと特異的に反応する蛍光分子を搭載することで、疾患関連分子が存在すると、蛍光を発するようになります。そのため、蛍光を発する試験管の数を計ることで、液性検体中の疾患関連分子の数を定量することが可能となります。
デジタルリキッドバイオプシーは、疾患関連分子が1分子でも存在すれば検出できる極めて感度の高い検査法であり、今後のリキッドバイオプシーの主流となることが強く期待されています。これまで、私は、デジタルリキッドバイオプシーの開発により、血液中の特定の酵素の個数の変化が、膵臓がんの早期診断につながる可能性を見出したり、新型コロナウイルスなどの病原体の遺伝子の個数を世界最速で定量し、感染症検査につなげるなど、多岐にわたる医療分野への実用化を見据えた研究開発を行ってきました。今回は、病原体の遺伝子の個数を迅速に定量し、感染症検査につなげることができる未来の遺伝子検査法の開発について、その開発背景や将来展望も含め、詳しくお話しします。
Q:具体的には、どのような研究を行っているのでしょうか?
私は、デジタルリキッドバイオプシーとして、「SATORI」法という新しい遺伝子検査法を開発しました。これは、2013年に参画した科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業(さきがけ)で知り合った、東京大学の西増弘志先生・濡木理先生との共同研究の成果になります。本研究開発の発端は、2018年10月、私が独立して、理化学研究所で研究室を主宰することになったとき、西増先生・濡木先生と共同研究についてディスカッションしたことに由来します。そのさい、西増先生・濡木先生が専門とするCRISPR-Casによる核酸検出技術と、私が専門とするマイクロチップを用いた1分子計測技術を融合させれば、もっと速く感度の高い遺伝子検査法を実現できるのではないかという話になり、それをもとに、JSTのCRESTというチーム型の研究を2019年10月よりスタートさせました。当初の検出対象は、「ウイルス」の遺伝子ではなく、「エクソソーム」というガンと関係するヒト由来の微粒子に内包される遺伝子でした。順調に技術開発は進んでいたのですが、その途中、2020年前半に、日本国内を含め世界中にCOVID-19が蔓延しはじめました。それを機に、私たちの遺伝子検査法も、基礎研究だけではなく、うまく使えばPCRの代替となる次世代の感染症検査法になるのではないかと、Twitter(現:X)上で西増先生と意見交換し、COVID-19に最適化した研究開発を開始しました。
まず、JSTのCRESTの総括をされている名古屋大学の馬場嘉信先生や理化学研究所のマネジメント層に相談し、特別予算を処置いただくこととなり、2020年4月から本格的な研究開発に着手しました。私たちの研究プロジェクトは、理化学研究所内の「新型コロナウイルス対策研究」として認定され、緊急事態宣言の時期も3割の出勤を守りながら、実験を続けてきました。以下に、SATORI法の研究開発のエピソードを3つ紹介します。
●SATORI法の肝「ガイドRNA」の設計・評価
新型コロナウイルスのための検査法を確立するためには、CRISPR-CasのガイドRNAを最適設計し、評価しなくてはなりません。ガイドRNAの製造方法として、固相合成法と酵素を用いたIVT法があります。固相合成法は高品質のものを製造できますが、IVT法と比較して、コストが一桁近く高く、また、製造に数倍以上の時間がかかります。そのため、新型コロナウイルス用のガイドRNA候補を数十種類設計し評価するさいには、IVT法を採用しました。
IVT法は新型コロナウイルスのmRNAワクチンの製造にも利用される汎用的な手法ですが、私たちは、ガイドRNAを製造する過程で、副産物の問題に遭遇しました。IVT法は教科書的には副産物が少ない手法ではあるのですが、私たちの1分子計測法では、検出感度が高いため、副産物が検出され、研究開始当初、ガイドRNAの品質について正確な評価を行うことができませんでした。そのため、昼夜問わず、IVT法を徹底的に改善し、高品質のガイドRNAの製造手法を確立しました。その過程で、早朝、深夜に東京大学の弥生門の前でガイドRNAのサンプルを受けとり、理化学研究所で評価をおこなった1か月間は、私の研究者人生のなかでも非常にエキサイティングなものでした。IVT法の改善にご協力いただいた、西増先生、大学院生の中川さんには感謝の限りです。
●プラスチック製マイクロチップの製造
SATORI法を感染症検査法として実用化するためには、マイクロチップの開発が重要でした。従来は、半導体の製造装置を用いて、「フォトリソグラフィー」と呼ばれる手法でマイクロチップを製造していました。フォトリソグラフィーを用いると、高品質なマイクロチップを製造できますが、コストが高く、感染症検査の保険点数を考えると、実用化は非常に厳しい状況でした。そのため、以前からお付き合いのあった「富士フイルムメディアクレスト」さんにサポートいただき、プラスチック製の安価なマイクロチップの製造に挑戦しました。
富士フイルムメディアクレストさんは、コンパクトディスク(CD)の製造装置を保有しており、「射出成形」という技術で、約5秒間に1枚のCDをつくることができます。通常のCDには、ピットと呼ばれるマイクロメートルオーダーの長穴状の溝が刻まれており、これは私たちの微小な試験管とほとんど同じ大きさです。そのため、CDの製造装置を用いて、マイクロチップの大量生産に繋げることができました。短期間でマイクロチップの製造技術の確立にご尽力いただいた、富士フイルムメディアクレストの塩入元社長、杉山様、石本様に感謝いたします。
●全自動検査装置の開発
実用化に向けて、もう1つ大事なポイントだったのが、「自動化」でした。臨床現場では、日々沢山の患者さんと向き合う必要があるため、検体や試薬を置けばボタン1つで自動に結果が出てくる検査装置が求められています。こうした現場のニーズに応えるためには、SATORI法の全自動装置を開発することは必要不可欠でした。しかし、私たちの技術だけでは、実現するのに長い時間を要することが予想され、ここでも企業とのコラボレーションが必要でした。
SATORI法は、検体と反応試薬を混合する過程、マイクロチップへ混合液を添加し油で封止する過程、蛍光顕微鏡で蛍光を発する試験管を検出、個数を定量する過程の3工程から構成されます。そのため、液体を自動で分注することができる自動分注機と蛍光顕微鏡を連結させ、それらの工程を一貫して処理することができる自動装置の開発が必要となりました。ただし、蛍光顕微鏡と連携できる自動分注機は市販されていないため、分注機メーカーに依頼して、カスタム品を開発・納入していただく必要がありました。
実に4社の国内外のメーカーに相談しましたが、唯一、国内メーカーの「バイテック」さんにご賛同いただき、特注の自動分注機を開発いただくことになりました。おかげさまで、特注の自動分注機を実装した全自動装置を開発することができ、現在では、生体試料から8種類の病害ウイルスを、たった15分で検出できる世界最速の全自動遺伝子検査装置となりました。自動装置の開発にご尽力いただいた、バイオテックの長倉社長、早川様、中澤様に感謝いたします。
Q:この「自動遺伝子検査装置」は社会実装されているのでしょうか?
まだ実装はできていませんが、そこに向けて、産学で連携して、全力で取り組んでいる段階です。実は、最初に開発した全自動検出装置は、大病院もしくは大きな検査センターしか取り扱えない大きさだったため、小型化や低コスト化が課題でした。まず、一般の人が検査を依頼するのは、感染症の場合、街中にあるクリニックになってきます。そこに私たちの装置を設置できると非常に有効なため、小型でかつ安価な装置を鋭意開発中です。一例として、小型蛍光検出器の開発を紹介させていただきます。
蛍光顕微鏡は非常に高額な装置です。そのため、実用化のためには低コスト化が必要となり、蛍光顕微鏡を代替する新しい蛍光検出器「COWFISH」の開発を行いました。COWFISHは、民生品の一眼レフカメラと特殊なレンズを組み合わせた蛍光検出器で、低コストかつ大視野の蛍光検出が可能となります。一眼レフカメラに使われるCMOSセンサーは高画素で、非常に精細なため、私たちのマイクロチップ上の約60万個の試験管の蛍光画像を1回の撮影で取得することが可能です。コストは、蛍光顕微鏡の10分の1以下まで低減し、大きさも街のクリニックにも置ける35cm×45cm×30cmサイズまでコンパクトになりました。
実際に、COVID-19もある程度落ち着いてきたので、今後の臨床現場のニーズを鑑みると、新型コロナウイルスやインフルエンザA型・B型が同時に測れる、呼吸器感染症の多項目検査が求められると思います。また、性感染症などの迅速検査のニーズがある場面での活用も期待され、将来のパンデミックに備えるため、民間企業とコラボレーションして早期の実用化を実現したいと考えています。
1分子生物物理学の普及のために、誰もが使えるオープンソースの小型自動装置を開発中
Q:この他に、今後取り組んでいこうと考えている研究はありますか?
民間企業や大学とのコラボレーションを通じて、さまざまな装置や技術の開発を経験することができました。今考えているのは、デジタルリキッドバイオプシーを一例として、マイクロチップを使った1分子計測技術をもっと世の中に広げていくことです。
今までだとデバイスを開発できる研究室、もしくは特殊な光学機器を持っている研究室しか、こうした技術開発ができませんでした。しかし、もっとさまざまな領域の人たちが、この分野に参入できるようにしていきたいと考えています。そのため、現在、基礎研究用の小型自動装置を新たに開発しています。
これも民間企業に、私たちのノウハウを委譲して開発してもらっています。すべてオープンソースで、ソフトは全部フリーウエアにして、GitHubのように、いいものをみんなが次々とアップデートできるような環境を整え、2024年中には本装置を上市したいと考えています。
また、マイクロチップも民間企業とコラボレーションして、そこから自由に買えるようにしていきたいと考えています。今まではマイクロチップと検出器、その両方がないと、こうした研究には取り組めませんでした。その両方をいろいろな人が手頃な価格で買えるような環境を整えることができれば、この分野の裾野はもっと広がっていくはずだと考えています。
Q:研究の独自性はどんなところにありますか?
私の研究背景として生物学と機械工学、この両分野の知見を持ち合わせていることが1つのポイントになると思います。
また、最近では、生物学・化学・薬学・医学領域で活躍しているさまざまな研究者の皆さんとのコラボレーションを数多く経験することができました。それによって、自分たちの研究の幅を広げることができ、基礎研究から応用研究に至るまで一貫した研究活動を推進できるようになったことも独自性となっていると思います。まだ論文にしていないため詳しいお話できませんが、最近では、非常に特殊な光学系を開発し、それらを基礎と応用の両面に貢献できる新技術として最適化するなど、開発の幅が広がってきています。
私自身は生物物理学と機械工学が専門ですが、私の研究室には、タンパク質工学、微生物学、光学、および、有機化学などさまざまな分野の専門家が所属しています。色々な研究背景を持つ人材が集まっているので、研究室の内部だけでも異分野連携ができる点も強みになっていると思います。
Q:取り組まれている研究における、今後の課題を教えてください。
今後の課題として、以下の3つが挙げられます。
●SATORI法の実用化
SATORI法の実用化は、私自身の責務だと思っているので、そこは必ず実現していきたいと考えています。特にポストコロナ時代の現段階においては、今後パンデミックが予想されるような、さまざまな感染症に対応できる装置の開発が研究課題になってくると思っています。
●デジタルリキッドバイオプシーの水平展開
これまで培ってきたデジタルリキッドバイオプシー技術を他の分野に展開するため、2022年4月に東京大学の小松徹先生とベンチャー企業「コウソミル(理研認定ベンチャー)」を立ち上げました。このベンチャー企業では、デジタルリキッドバイオプシーを基盤とした膵臓がん検査技術を開発しています。もうすぐ2年が経ちますが、おかげさまで受託している案件も増え、順調に実績を築いています。まだまだこれからの事業ではあるので、今後数年間にわたって新たなチャレンジを模索しながら、事業の礎を築いていく必要があると考えています。
●実用化技術・装置の基礎研究への還元
実用化の過程で様々な技術・装置を開発しています。バイオDXに代表されるように、様々な先進技術や応用技術の開発により、生物学は大きな転換点を迎えつつあると思います。私たちも、これまで実用化の過程で開発してきた自動化装置などを基礎研究に還元する道筋をつけて、他の分野への展開も模索していきたいと考えています。
Q:この分野の研究を目指している学生に、何かメッセージはありますか?
私は、研究職は計り知れない楽しみと喜びを体験できる、素晴らしい仕事だと思っています。特に理科が好きで、幅広いことに興味のある人には相応しい職種だと思いますので、ぜひ目指していただきたいと思います。
私もいまだに学びや発見が得られ、毎日ワクワクしながら研究活動を行っています。これまで、自分にとって興味のあること、面白いことを追い求めて、研究に取り組んできました。正直にいえば、戦略的にはやってこなかったのですが、今のポジションで研究を続けられているのは、研究職が、好奇心の赴くままに取り組んでも、明るい未来を描くことができる職業だからと思います。
Q:企業のみなさんに伝えたいことはありますか?
せっかく共同研究を行うなら、アカデミアとしてだけでなく、ビジネスとしても成り立つ研究をしたいと考えています。企業の方々とはWIn-Winの関係で共同研究に取り組みたいと考えており、常に私がこだわっているところです。そのために、企業の方々には、まず私たちの研究室にお越しいただいて、お見せできる技術はすべてご覧いただき、ご納得いただいた上で共同研究を行うようにしています。逆に、私たちも企業の研究所にお邪魔させていただいています。そのような事前の交流は、お互いの技術やその強みを理解することにつながり、必ずや共同研究を推進する上で大事な土台となると信じています。私たちは常に門戸を開いておりますので、もしご興味のある場合は、気軽にお声がけいただけましたら幸いです。
Q:今後の展望を教えてください。
私は、1分子生物物理学を基礎と応用の両面で推進しています。この数年間は、応用研究に全力を注いできましたが、今後は基礎と応用をバランスよく、自分なりの切り口で推進したいと考えています。また、自分たちの研究を前進させていくのはもちろんですが、コミュニティに還元することも非常に大事だと考えています。特に、次世代の人たちにバトンをつなげる取り組みを行っていきたいと考えており、2023年は、高校生のサイエンス合宿や、高専生や大学生のインターンシップの受入れを行いました。私も先人たちから、さまざまな学びや刺激を受けて、今こうやって研究に取り組めています。若い人たちのなかで、1分子生物物理学に興味がある人がいらっしゃったら、いつでも声かけてほしいと思っています。研究室見学など大歓迎です。(了)
渡邉 力也
(わたなべ・りきや)
国立研究開発法人 理化学研究所 主任研究員
2004年 早稲田大学理工学部機械工学科卒業。2006年 東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻修士課程 修了、2009年 大阪大学大学院工学研究科生命先端工学専攻博士課程 修了。2009年12月 博士 (工学)。大阪大学産業科学研究所 研究員、東京大学大学院工学系研究科 助教、東京大学大学院工学系研究科 講師などを経て、2018年より現職。2020年より自然科学研究機構 分子科学研究所 客員教授、2022年より東京医科歯科大学 連携教授を兼任。