森林地帯などでの野生動物群の生態調査では、従来は人間社会で活用しているカメラやGPSセンサーを情報ツールとして使っていた。しかし、運用コストが高く、かつ電源・情報インフラの未整備な場所も多く、長期的に安定した調査を行うのが困難を極めていた。そこで、野生動物群の生態相互作用(習性)などに着目し、省電力のセンサ・ネットワーク機能で、野生動物の生態データを回収できるシステムを開発した。それが東京大学 情報基盤センター データ科学研究部門 小林 博樹教授である。2016年から福島第一原子力発電所の立入禁止区域内で実証実験を行い、野生動物の生態や被曝モニタリングを今なお続けている。小林教授には情報ツールの開発に対するこだわりや今後の可能性について話を伺った。
動物の習性に着目したツールで、野生動物の生態などをモニタリング
Q:研究概要について教えてください。
遠くの森などにいる野生動物を見守ったり、行動を調査したりするための情報ツールを研究開発しています。どこに生息して、どういう生活をしているのか、野生動物の生態行動を知るために、このツールを用います。それによって得られた知見を利用して、さらに精度の高い情報ツールにバージョンアップしていく。私たちは、そういうアプローチを行っています。
その研究例の1つが「生態相互作用を利用した、省電力な野生動物装着型センサーネットワーク機構」というものです。従来の情報ツールでは、人間社会で使われているカメラやGPSセンサなど市販の製品が主流でした。しかし、これらは取り付けた後にデータ回収やバッテリー交換のために動物を再捕獲しなければなりません。犬猫であれば可能かもしれませんが、南極ペンギンのような、すぐに会えないような野生動物は困難を極めます。
そこで、私たちは一度出会った動物にデバイス(情報ツール)を装着すれば、再捕獲しなくてもデータを受信できる仕組みを開発しました。これは研究室修了生の中川先生との研究です。その際、利用したのが「動物が群れる習性」です。
動物たちが群れた際に、ある鹿に付けたデバイスのデータを、他の鹿にも共有できるように設計することで、その後、装着した鹿に出会わなくても、他の鹿からデータを収集できるというものです。
ただし、これには1つ課題がありました。それは、動物同士でデータ共有を行うタイミングが分からないということです。そのため電源を常時オンにしてしまうと、デバイスのバッテリーが早く消耗し、動物同士の情報共有のタイミングに電源が切れてしまう可能性があります。また、長寿命の太陽光電池を使う方法もありますが、森林環境では日射量を確保できる保証がなく、運用するには極めて難易度が高いです。
こうした課題を払拭するために、情報共有を行うタイミングだけ電源をオンにして、それ以外の時間はスリープ状態にするデバイスを開発しました。この仕組みなら、バッテリーも長時間利用できます。これに近い機能が、デバイスを持っている者同士がすれ違ったときに電波を出して、情報のやりとりを行う「すれちがい通信」です。「生態相互作用」といわれる、通信タイミングを動物側に委ねるアプローチで、この省電力での通信を可能にしました。
具体的には、東日本大震災 福島第一原発事故の立入禁止区域内で行っている研究で、この方法を導入しました。電源や通信回線が使える「シンクノード」と呼ばれるエリアをつくり、そこにデバイスを装着した野生動物が入れば、 デバイスに蓄積・共有されたデータを芋づる式に回収できます。本研究では、エリア内における野生動物の生態や放射線量(被ばく量)のモニタリングを行っています。
ただ、この時にもう1つ課題としてあったのが、動物が装着しているデバイスからデータを取り出す方法です。そこで応用したのが、SuicaやPASMOの交通系IC(非接触通信)カードの原理です。この仕組みの利点は、利用者が持つカード(デバイス)にはバッテリーが不要で、備え付けの装置側だけにあれば機能する点です。
しかし、人間のように野生動物自らがデータ収集の装置に近づいて、タッチするのは現実的ではありません。そこで、ここでも動物の習性を利用しました。動物は、いろいろな刺激に反応します。飼い犬や猫であれば「名前」を呼んだり、好きな食べ物の匂いがすれば、近寄ってきます。
野生動物であれば、暗い場所で光を点けることで集まってきます。それを利用して、情報を取り出すようにしました。これは「センサー装着の野生動物を誘き出して、記録情報を非接触通信にピッと回収する機構」という名の研究開発で、修士時代に実際に生息するイリオモテヤマネコを対象とした基礎実験で実証しました。
これらの研究の独自性としては、今お話したように、動物の生態行動(習性)を活用して情報ツールを開発しているところです。そうすることで、従来の人間社会向けにつくられてきたツールに比べて、電源の持続困難性などの課題を克服でき、かつ調査しやすいものを創出することができました。
成熟した技術が活用できるので、日本企業の新たな市場になりうる可能性も
Q:課題として、どんなものがありますか?
動物の種によって、求められる技術的な要求が異なり、それぞれの動物に対して、どのような情報ツールを装着できるのか、常に考えなければなりません。
具体的には、野生動物にセンサなどを付ける際には、ツールの重量や再捕獲できる時間が限られています。重量でいえば、体重の2〜3%までと言われており、人間でいえば、昔流行ったショルダーフォンの重さがそれに相当します。非常に存在感があり、重さにも限界があります。
再捕獲においても、例えば絶滅危惧種は、たとえ健康調査目的であっても捕獲できるタイミングが定められており、イリオモテヤマネコだと2〜3年に1回しかできません。ペンギンであれば、南極に行くタイミングでしか捕獲ができなかったりします。このように法的にも作業的にも限定されています。
また産業的には、保全種の調査や有害鳥獣対策など、それぞれに適した進め方ができるかどうかが課題になります。研究開発している情報ツールはニッチな市場なので、高額な商材だとコミュニティには受け入れてもらえません。そのため、どのような開発技術であれば、コミュニティが納得できるのかも含めて、社会システム全体をどのように形成していくのかを考えて取り組む必要があります。
情報ツールの開発コストを下げることも大切ですが、それによって企業の体力が維持できなければ、本末転倒です。1年間限りの調査であれば問題ありませんが、保全動物の調査は、10〜20年続きます。それだけの期間、同じツールをつくり続けられる体力が企業には求められます。
Q:企業に対して、伝えたいことはありますか?
今の研究は実装を始めたのが25年以上前なので、他の情報系領域と比較すると、成熟化した技術が主流になっています。このように領域や社会課題が異なると、成熟化した技術でも最先端の技術として有効に活用できるため、いかにそのことに気づけるかが重要になってきます。
現在、私はネパールなどの発展途上国でも研究を行っており、そこでは野生動物などの密猟犯罪を取り締まるツールを開発しています。ここで活用している情報技術は、日本で昔使っていた、あるいは今となっては価値がなくなったものばかりです。
このように世界に目を向けると、従来の技術であっても、最先端の技術として活かせるので、企業にとっても、これまで培ってきたノウハウや知見が活かせるチャンスがあると思います。
もちろん、技術開発していく上では、スタッフや研究者の雇用など長期的に運用できる体制がつくれるかどうかは肝になってきますが、その目処がつけば、ビジネスモデルとして成立する可能性はあります。興味があれば、ぜひお声がけください。まずは意見交換からでも行えればと考えています。
Q:この分野を志す学生に大切にしてほしいことはありますか?
まずは、「自分の感性は、自分で守ること」です。誰にでも「言葉で説明できないこと」や「言葉にならないこと」が1つや2つあると思います。しかし、先生や親などの大人からは「きちんと説明しなさい」と言われてしまう。相手も、あなたが「何をやりたいのか」「何を求めているのか」が分からないから、そういうことを言ってくるのもあるかもしれません。
でも、若いうちはすべてを説明しきれなくてもいいと、私は思います。その理由は、その人に理解してもらおうと思って、説明した瞬間に、相手の価値観で話が決まってしまうことが多いからです。
例えば、中学生くらいの子どもが「●●●●が好きなの」と話して、親に「それは、×××だからやめておいた方がいいよ」と言われてしまうと、ほとんどの子どもは、その言葉を信じて諦めてしまうでしょう。しかし、本人からすれば、相手に合わせて、そぎ落として、話している部分も数多くあるわけです。場合によっては、まだ言葉になっていないこともあるはずなので、無理に説明する必要はないと思います。
言い方を変えると、周りから言われる(特に大人からの)言葉とは、一定の距離をあけることが望ましいように思います。「こういうのがいい」「こうなったらいいな」という自分の感性は、人に守ってもらうのではなく、自分で守るようにしましょう。
私自身、小学生時代に、先生に指摘されたことが、大人になっても忘れられずに、トラウマになった経験があります。大人になって考えれば、もっと違う考えができたように思いますが・・・。でも大人から言われた言葉は、そのまま受け止めてしまうと、自分自身を見失う方向へ行く可能性もあるので、距離をとって付き合うようにしましょう。
その他に、大切にしてほしいことが2つあります。その1つは、テストや受験といった大きな目標ではなく、小さな目標でいいので、成功することを増やし、自分のやり方をひたすら積み上げていくことです。
やり方はいろいろとあると思います。1年間で小さな目標を300個つくって、それにチャレンジしたら、100個ぐらいは失敗しても、残り200個は成功できます。そういうふうに目標を見つけて、たくさんの小さな失敗をかさねて、自分の納得するやり方を見つけ、やり続けることです。
「朝5時に起床する」「締切までに宿題を仕上げる」など、身近な小さな目標で構いません。それを続けていると、「ごはんが美味しい」「青空を見上げるのが心地よい」など、些細なことが楽しめるようになってきます。
もう1つは、自分で境界線をつくらずに、いろいろなことにチャレンジしてみることです。私は以前、世の中が「宇宙開発だ」といっている頃に「動物が気になるんです」といっても、仕事として成立しないと思っていました。でも、自分の中では、ロケットや橋をつくるよりも、猫や鹿などの動物のほうが気になるし、興味がありました。
人によっては、恥ずかしくて声を大にして言えないけれど、 実は気になって仕方がないモノやコトがあると思います。それを一時的でもいいので、やってみることです。
私は25年近く、この領域で研究していますが、最初こそ、このままやっていけるのか不安しかありませんでしたが、その間に、一緒に研究に取り組む仲間ができ、次第に忙しくなり、いつしか最初感じていた不安も気にならなくなっていきました。
しかし、必ずしも順風満帆だったわけではありません。この間も、さまざまな壁にぶつかりました。ライフイベントにより仲間が少しずつ抜けてしまったり、お金で解決できない問題に直面してしまったりして、そのたびに残った仲間たちと解決策を一緒に考え、取り組んできました。
そうやって続けていると、手前味噌ながら、業界では最初に名前を挙げてもらえるくらいにまでなってきました。講演などで、いろいろなコミュニティから声をかけていただくことも増え、自分が求められる立ち位置も分かるようになってきたので、自分のことをどう説明すればいいのかも、つかめるようになってきました。だからこそ、気になることは手放さずに、一度チャレンジしてみることをおすすめします。
Q:最後に、今後の目標を教えてください。
「動物にもやさしい情報社会」を実現するために、これからも情報ツールの開発に取り組んでいきたいと考えています。それは、単に動物愛護や動物保全のために予算を増やしていくということではありません。持続可能な社会システムを構築して、人と動物が程よい距離でお互いを思いやれる世界をつくれるように、私たちの技術を活かしていきたい。それが今後の目標です。(了)
小林 博樹
(こばやし・ひろき)
東京大学 情報基盤センター データ科学研究部門 教授
2005年6月 米国カリフォルニア州立大学 自然科学科計算機科学学部卒業。1998年 西表島ライブ音システムの研究を趣味の延長で開始。2000年 NTTアドで政府事業の業務に従事。2009年 日本学術振興会特別研究員。2010年12月 東京大学大学院 工学系研究科博士課程修了。北陸先端科学技術大学院大学 特任研究員、東京大学 空間情報科学研究センター 特任助教 、助教、講師を経て、2017年には東京大学 空間情報科学研究センター 准教授に就任。2015年 科学技術振興機構 さきがけ研究者、2022年には科学技術振興機構 創発研究者に選ばれる。2020年 文部科学省 科学技術分野の文部科学大臣表彰 受賞。2020年4月より現職。