近年、IoTが拡大する中、物流、セキュリティ、ヘルスケア、メタバースなどあらゆる領域において、センサを活用した、薄型化、軽量化したフレキシブルなデバイスのニーズが高まっている。そんな中「プリンテッド・エレクトロニクス」といわれる印刷法を活用して、ヘルスケア向けのフレキシブルな生体センサなどを開発してきたのが山形大学 有機エレクトロニクス研究センターの時任 静士 卓越研究教授である。実際、「ベッドセンサ」といわれる生体センサは2019年に社会実装を果たしている。今回、時任卓越研究教授に「プリンテッド・エレクトロニクス」の特長やニーズ、ベッドセンサ以外も含めて具体的な研究事例について話を伺った。
デバイスの材料作製からソフトウェア開発、データ測定・解析までワンストップで対応
Q:まずは、研究の概要についてお聞かせください。
2010年にNHK放送技術研究所から山形大学に移り、研究室をゼロから立ち上げました。そこで本格的に取り組み始めたのが、「プリンテッド・エレクトロニクス」です。薄いフィルム上に精密な電子回路を印刷する技術です。従来のエレクトロニクスデバイスは、シリコンの基板の上に電子回路を形成していくため、硬くて重く、厚みがありました。この「プリンテッド・エレクトロニクス」が普及できれば、軽量・極薄で、フレキシブルな電子デバイスが開発できます。現在は、SDGsに資する技術として注目されています。
当時はセンサを活用した社会ニーズが増えていたので、そこにフォーカスしながら産学連携による社会実装に力を入れていきました。最も多い時は、約16社の企業との共同研究を行っていました。その中で、事業化の可能性が高い技術シーズとしてあったのが、フューチャーインクというベンチャー企業の立ち上げにも結びついた、介護施設向けの大型センサです。この大型センサの研究開発とベンチャー設立は国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)と文部科学省の支援を受け、当研究室の熊木大介研究専任教授とともに粘り強く進め、社会実装に至っています。
従来は、身体に直接貼り付ける小型センサの研究が中心でした。しかし、センサが身体から外れたり、利用者が身体に貼ることを嫌がるケースが増えていました。そこで私たちは、身体につけずに、ベッドのマットレスの下に置いて、バイタル信号(心拍や呼吸)を測定できる非ウェアラブルタイプのベッドセンサを開発しました。ベッドの横幅分のサイズがあるので、利用者が寝返りした場合も計測できるようになっています。
介護施設での夜間介護などは、一人の介護士が多数の高齢者を担当したり、在宅介護においては、24時間家族が介護に携わったりすることが、大きな負担になっています。そこで人の手を介さずに、ベッドで寝ている高齢者のモニタリングができる、このベッドセンサのニーズは非常に高いです。現在は、機能が向上した第2世代のベットセンサが介護施設へ導入され始めています。
しかし、大学の研究室が新しく開発した技術を社会実装していくのは、それほど簡単なことではありません。私たちの研究室はデバイス開発を専門に行っているため、出口部分になるシステム側の技術やノウハウが必要でした。そんな時に、山形県内で介護システム事業を手掛けるNDソフトウェア株式会社が協力することに手を挙げてくださり、大学の開発品にも関わらず、実用化に向けシステム導入を検討してくださいました。まさに、産学連携による社会実装と言えます。
NDソフトウェアは介護システムにおいてトップクラスのシェアを占めており、この「超薄型ベッドセンサ」は2019年に販売しましたが、現在多くの介護施設に導入しています。さらに、私たちは介護施設だけでなく、人や動物への医療応用に向けた研究も熊木教授を中心に進めています。幼児の突然死(昼寝時に、うつ伏せで亡くなる)、ペットの体調など、それぞれのバイタル情報をモニタリングして、異常などの疾患の予兆を検出するシステムとデバイスを合わせた開発を行っています。
Q:「ベットセンサ」以外に、今取り組んでいる研究はありますか?
ベッドセンサ以外だと、代表的な研究は次の2つです。
1つ目は、小型センサを活用したロボット応用です。数十年前までは日本のお家芸でしたが、今は他国に追いつかれてきており、これからの日本のロボット産業では高機能化や高度化が求められています。具体的には、「重さ」や「軽さ」、「冷たさ」や「熱さ」、「つるつる」や「カサカサ」など、人間の触覚や肌感覚をもったロボットの開発です。ロボットに触覚機能を付与してインテリジェント化する研究開発です。
従来だと、力加減が分からないため、柔らかいモノをつぶしてしまいます。私たちが開発したセンサを用いれば、モノの特徴を検知しながら作業ができます。実際には、ロボットの手の表面にセンサをつけて、作業を行います。「プリンテッド・エレクトロニクス」で開発したセンサは超薄型で軽く、折り曲げられるので、手の表面形状や動きに合わせてセンサが柔軟に対応できます。
2つ目は、事業化を進めている、通信機能も有したフレキシブルなIoT電子デバイスの研究です。2018年から、フレキシブルプラスチック基板に半導体を搭載したプリンテッド・エレクトロニクスとしての「フレキシブルハイブリッドエレクトロニクス(FHE)」の実用化に向けて研究をスタートしました。2020年には内閣府「スマート物流サービス」の研究開発テーマに採択された「物流の課題解決に資する印刷型フレキシブルセンシングデバイスの開発」の機能試験用に試作したFHE型デバイスとして発表し、一躍注目を集めました。すでに、欧州から輸入するワインに貼り付けて、日本の顧客が受け取るまでのワインの温度を精度良くモニタリングすることに成功し、このデバイスの有用性が実証できています。今後は、まず物流関連での応用に活用し、その後ヘルスケアや工場インフラの管理等へ拡がればと期待しています。
Q: 研究の独自性を教えてください。
「プリンテッド・エレクトロニクス」は、デバイスの種類によって研究開発に用いる装置も異なれば、その開発手法も全く違ってきます。私たちの研究室では、それを網羅的に扱っており、デバイスの材料を作製し、ソフトウェアの開発、データの測定、信号・AI解析に至るまでトータルで行っています。材料に関しては、センサ特性を高めるミクロ構造を制御するなど、材料科学の観点から独自のアイデアを取り入れています。その特殊な構造を印刷手法でフレキシブルで薄い基板の上に形成するのも高度な専門性が必要となります。制御や通信回路もそのセンサに合わせた設計を行い、消費電力の低減などにも取り組んでいます。センサからの信号(原信号)は微弱であり多くのノイズを含んでいますが、その中から必要な信号を取り出すのにもノウハウがあります。国内の大学など周りを見渡しても、ここまで特化して取り組んでいる研究室は他にはありません。
研究室の創設時には、デバイスの開発を中心に行っていましたが、産学連携を進めていくと、製品に近いプロトタイプ(試作品)まで開発しなければ、企業も魅力を感じてもらえませんでした。そのためには、いかにコンパクトで持ち運びやすい薄型のスマートなデバイスに仕上げるかが肝になってきます。東京ビッグサイトで毎年行っている「JFlex展(nano tech展と併設)」には、多くの予算を投資して、大学としては異例な巨大ブースを借り、動くデモ版を展示し、多くの企業との接点を広げています。
Q:現在の研究にいたるまでの経緯を教えてください。
学生の頃は、導電性高分子の研究を行っていました。一度は海外で研究してみたいと思い、その後ポスドク制度を利用して、カリフォルニアのサンタバーバラ校の、アラン・ヒーガー教授(のちにノーベル化学賞を受賞)の研究室に1年2ヶ月間ほど研究員として働きました。ここでは、高延伸された導電性高分子ファイバーの作製と電気伝導性に関する研究を行いました。
帰国後は、恩師・斎藤先生の紹介で、愛知県の豊田中央研究所に勤務することになり、大学院生時代に関わっていた有機ELの研究を再開することになりました。トヨタグループの基礎研究から応用研究までを約10年間経験し、最終的には高級車のセンターパネルに表示する白色有機ELの実用化に至っています。
2000年には、縁がありNHK放送技術研究所に移ることになりました。ここでは、将来テレビが大型化・薄型化に進む可能性があるため、当研究所は有機ELに強い関心を示していました。しかし、専門性を持った研究者がいなかったこともあり、私に白羽の矢が立ったのです。有機ELのプロジェクトリーダーとして、10年間かけて取り組み、世界初のプラスチック上に有機トランジスタと有機ELを組み合わせたアクティブ駆動の有機ELディスプレイを開発しました。ちょうどこの研究をしていた頃に、印刷法を活用した「プリンテッド・エレクトロニクス」という新しい分野も誕生し、次第に個人的な興味を抱くようになりました。
2010年頃に、山形大学で新しいプロジェクトが採択される見込みがあるため、その中心メンバーとして招聘したいというお誘いをいただきました。それが国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)の地域卓越研究所結集プログラムです。そこから、「プリンテッド・エレクトロニクス」の研究で活路を見出し、有機トランジスタとそれを組み合わせた集積回路の研究に打ち込みました。その後、センサへの社会ニーズの高まりとともに、現在の社会実装を目指したセンサの研究開発に舵を切っています。有機トランジスタに関わる研究成果としては、有機半導体材料(n型)と配線用銀ナノインクの実用化が挙げられます。
システム側の企業との共同研究を増やし、社会実装につなげていく
Q:研究における技術的・産業的課題とはどんな点でしょうか?
有機材料でよく言われているのが、「信頼性」や「安全性」の問題です。以前であれば、有機ELはすぐに劣化してしまうと言われていましたが、ここ20年ぐらいで、信頼性や安全性を高めてきました。ただ、有機材料全般で言えば、さらなる社会実装に向けて、もう一段そこを高めていく必要があると考えています。勿論、有機材料に適した出口を意識する必要があります。
もう1つの課題は「研究費」です。国や企業からの継続的な支援がなければ、大学から割り当てられる予算だけでは、到底研究を続けることはできません。実用化に結びつけるには、最低でも開発期間として5年は必要です。それよりも短い期間では、実用化はもちろん、人材を集めることも難しいです。いかに長期的な視点で企業に関わってもらえるかが、社会実装を実現する鍵になります。
Q:企業に伝えたいことはありますか?
コロナ禍以前は、16社ほどの企業と共同研究を行っていました。それがコロナ禍の行動制限により、企業との往来が満足にできない時期が長く続いたため、今では共同研究の数も半分ぐらいになりました。それでもコロナが5類に移行し、ようやく制限が緩和されるようになり、少しずつ共同研究も増えるようになり、今はさらに応用先の拡大を視野に入れ、活動しています。
私たちはデバイス開発の研究が中心なので、これまでは材料メーカーとの共同研究が多かったですが、今後の社会実装を視野に入れると、出口に近いシステム側の企業との研究を増やしていきたいと考えています。ソフトウェア会社はもちろん、ロボット開発、自動車メーカー、ドローン開発、センサを使って仮想空間でアバターをさらに実践的につくれるため、ゲーム会社やネット会社なども可能性があります。
今だとリモートミーティングで情報共有してから、その後先に進むかどうか判断できますので、まずは情報交換からでも、つながりができるとありがたいですね。企業のなかには、基礎研究の経験があまりない方も多いので、3年ぐらい研究すれば、実用化できると思われている方も少なくありません。
先ほども少し触れましたが、社会実装できるレベルまで仕上げるには、最低でも5年はかかります。それは、その技術やノウハウを社内に定着させることも含めての期間だと思ってください。大学との関係が終わっても、社内でその研究を継続できるようにするためにも長期的な視点で向き合っていただきたいと思います。
Q:この研究を志す学生に必要な素養とはどんなことでしょうか?
今は安定志向な学生さんが多いですね。だから、就職も大手企業に背伸びして入社しようとします。本当に、その会社でやりたいことがあれば問題ありませんが、安定だけを求めているなら、必ずしも、それが実現しない場合もあります。例えば、配属先の事業部門が、本社と切り離されてしまう可能性もなきにしもあらずです。むしろ中堅規模の企業のほうが、幅広い業務に携われるので、自分のやりたいことができるかもしれません。
会社名が先にあるのではなく、大切なのは「将来何をやりたいのか」という自分のビジョンです。「材料をやりたい」とか「AIをやりたい」といった漠然とした目標でもいいのですが、それを通じて何を実現したいのか。「なぜ」「なぜ」を繰り返し問い続けて、今の抽象的な目標をブレイクダウンして、自分のビジョンを見つけてほしいと思います。
もう1つは、グローバルな視点でモノを見たり、考えたりできるスキルです。そのためには、一度は海外留学などを経験してもらいたい。最近は「海外に行きたい」という学生が少なくなっています。私も経験があるので分かりますが、海外で生活するのは非常に大変です。苦労も多いですが、それも経験です。
そこまでして行きたくないという人が大半だと思いますが、これからの日本は、超少子高齢化社会です。海外に打って出ないと、成長が見込めなくなってきているので、若い時期に海外経験をしておくと、社会に出ても、研究を続けても、きっとそれが強みになって、幅広いフィールドでグローバルに活躍できるようになるはずです。若い人にはぜひ海外の人や組織とのネットワークを作ってもらいたいと思っています。
Q:今後の展望を教えてください。
今進めている企業との共同研究は、研究を続けられるところは継続しながら、終了予定の研究については、しっかりと企業内に技術を引き継いでいきたいと考えています。もちろん、新たなプロジェクトも研究室からの展示会出展や情報発信を通じて、積極的に募っていく予定です。
実は、私自身は今年度末で定年を迎える予定ですので、後任者の教授と准教授にしっかりと研究室を引き継いでもらうための体制作りを進めたいと考えています。また、ベンチャー企業のフューチャーインクは、大学定年後も引き続き関わり、事業拡大に貢献したいと思います。これからの人生、これまで培った専門性と知識、および人的ネットワークをどのように役立てて社会や産業界に貢献できるのか、しっかりと考えて自分が担うべき役割を見出したいと思います。(了)
時任 静士
(ときとう・しずお)
山形大学 有機エレクトロニクス研究センター 卓越研究教授
1987年 九州大学大学院 総合理工学研究科 博士課程修了(工学博士)。九州大学大学院総合理工学研究科助手。カルフォルニア大学サンタバーバラ校 博士研究員、豊田中央研究所主任研究員、NHK放送技術研究所 研究グループリーダー、表示・機能素子研究部部長を経て、2010年 山形大学大学院理工学研究科 卓越研究教授に就任。2014年、同大学有機エレクトロニクス研究センターセンター長、卓越研究教授、2022年より現職。