「生命とは何か?」「生命と物質の違いは何か?」という問題に、これまで鮮明に理解されてきた生命を構成する分子の描像を活用し、生命分子群から生命を組み上げ、人工細胞による生命システムの再現を目指しているのが、慶應義塾大学 理工学部 生命情報学科の藤原 慶准教授である。今回藤原准教授には、研究の独自性や今後の展開について話を伺った。
細胞を「創る」「理解する」「応用する」の3つの軸で研究
Q:研究の概要について教えてください。
生命の基本単位である「細胞」が「物質」といわれるモノの集合と「何が同じで、何が違うのか」を知ることで、生命の創り方を把握して、生命を理解しようというのが、我々の研究の目的です。
生命に寄せたモノを創り、それがどういう状態なのかを解明して、そこで分かったことをもう一度創る方にフィードバックして、再び理解して創る。そういうサイクルを回して、創りながら理解していくことに取り組んでいます。そこでできたものが細胞のエッセンスによって成り立つ「人工細胞」といわれるものです。
こうしたエッセンスだけを使うと、普通に生命の細胞ではできないことが可能になります。私たちの身近にある納豆やヨーグルトなどの醗酵食品は、いろんな微生物が持つ酵素によってできています。通常はお砂糖のような材料を使って醗酵産物がつくられますが、ここで問題となるのが、細胞は生きるためにいろんな代謝経路という脇道が存在することです。代謝工学や合成生物学という分野では、そのような脇道に行かないよう微生物を改変しますが、細胞のことを全て分かっているわけではないので、創りたいものができなかったり、思ってもないものができてしまったりする可能性があります。
一方人工細胞の場合は、こちらが分かっている酵素を入れて、醗酵生産するので、脇道にそれることなく、狙ったように砂糖のような原料からお酒やバイオ燃料、薬品などを創ることができます。これが「エッセンス」を使うことによる利点です。
しかしエッセンスだけにするには、生命が創られる過程を理解しなくてはいけません。生命が創られる過程においては、みんなが知らなかったような現象がいろいろと起こりますし、教科書に書かれていることと、創っていく過程で見られるものには結構差があったりします。特に、試験管解析のような、小さくてモノが閉じ込められている中だと、大きな系で行う解析反応とは、明らかに大きな違いが出てきます。
モノの動きが変わってしまうこともありますし、モノの数が限定されていることで偏りも出やすいです。このように見過ごされてきたことがたくさんありますが、自分たちで創ると、それがよく分かってきます。分かると活用の仕方も見えてくるわけです。これによって、見過ごされてきたことが全部なくなって理解できた暁に、モノが今存在している生命の細胞へとなるのだと思います。それが我々の目指すことの1つです。
生命のように増殖する細胞を創ろうという研究は世界中で行われています。ただし、我々の研究は、これらの研究とは、少しスタンスが異なります。多くの研究では、自己増殖するものを極力少ない材料で創ろうとしており、人工細胞が分裂できればどんなものでもいいという考え方を持つ人も少なくありません。それゆえ、今いる生命そのものを目指すのではなく、生命とは違うものを創るのでも構わない、むしろそれが好ましい、と考えていたりします。
その点、我々は今いる細胞を1個1個組み上げて、今存在する生命と同じものを創ることをゴールにしています。その過程を調べて、まだまだ違う点から生命とのギャップ、すなわち我々がまだ何を理解していないかということを知るわけです。そこをつなげて、物質を今の生命に近づけようとしています。我々は生命にたどり着くまでに、どういうふうに近づけばそこにたどり着けるかという道を知りたいわけです。つまり「生命の設計図」を解明したいと考えています。そのためにも、今の生命を創っていかなければなりません。
Q:現在の研究にいたるまでの経緯を教えてください。
修士課程で取り組んでいたのは、代謝の進化の研究でした。現在、生命(タンパク質)は、20種類のアミノ酸の組み合わせで創られています。しかし、生命が最初に誕生した時には、1個のタンパク質が複数種類のアミノ酸を創る機能を持っていたのではないかという仮説があります。そういった性質を残している生命があり、それが「サーマス」という細菌です。この細菌は、アルギニンとリジンの両方をつくれる酵素を持っています。
この細菌では、アルギニンもリジンも創って、その後必要ないとなれば、創るのを止めてしまう機能を備えています。当時は、それをどうやって制御しているかを、調べていました。そんなふうに生命が進化して代謝するのを不思議に思いながら、研究を行っていたわけです。あるときふと、自ら生命を創ってみれば、不思議だと考えているものの正体が分かるのではないかと思いました。博士課程では、別の研究室に移り、タンパク質がどう形づくるかを知る違うテーマをやっていたんですが、「細胞を創る」研究会で、東北大学の野村 慎一郎先生が発表された研究内容に感銘を受け、博士研究員として野村先生の研究室に加わり、本格的に生命の研究に取り組むことにしたのです。そこでは、一度壊した細胞を生きる細胞に戻す研究を行っていました。その過程でいくつか分かったことがあったものの、まだまだ解明できないテーマがあったので、慶應義塾大学へ移ってきてからも、こうした研究を続けました。
しかし、ここでは壊した細胞をすぐに戻すことをやめて、1つずつ足りないものを埋めて、細胞を創るプロセスを少しずつ解明していくような研究方法に変えました。その理由は、東北大学では一人で研究を行っていたんですが、こちらでは学生と一緒に研究に取り組むため、解決可能なテーマにする必要があったからです。1個ずつの細胞が生まれてくる過程を調べることによって、例えば試験管の中にゲノムとタンパク質があれば、いろんなものができることが、ここ10年間の研究を通じて、見えてきました。
さらに、醗酵生産に関しては、やれば同じようなことができるということも分かってきましたし、細胞のようなものの中にモノを閉じ込めた時に、反応は特に変わらない、もしくは、うまくいくだろうと曖昧に考えていましたが、それがどういうふうに物理的な法則に支配されていて、どういう状態だから試験管で行った時と結果が違うのか、またはうまくいく時、そうでない時があるのかが、徐々に分かってきました。博士研究員の頃には分かっていなかった生命の設計原理を導けるようになってきたのです。
博士研究員の頃は、「生命を創れば設計図が分かる」というスタンスでしたが、ここに来て、過程を一つひとつ辿っていくと、「生命の設計図」だけでなく、その設計の意味も分かるようになってきました。
Q:現在取り組んでいる研究内容を教えてください。
今は、最低限のゲノムがあって、ゲノムからRNAを創る一連の分子装置があれば、できてくるモノの集合をながめることで、生命のことが相当理解できる状態まできています。
ゲノムは「生命の設計図」といわれていますが、部品のみが書かれています。そのため、部品がどのくらいの量必要で、どのように組みあがっていくかまでは、まだ解明できていません。例えば、細胞の中には転写を開始させるもの、止めるもの、転写をさせないものなど、いろいろな分子がありますが、機能はわかるものの生命を組み立てるのにどう関わるかがよく分かっていませんでした。それが今や、生命を創る立場であれば、ゲノムDNAに転写するRNAポリメラーゼに別の分子を1個1個足していくことで、「生命を組み立てるためにどう働いています」というのが、分かるようになってきました。
また、細胞の中には止まって見えるような構造も、実際はエネルギーを消費することでダイナミックにタンパク質が行き来しながら、全体の形を維持していることも分かってきました。味噌汁の表面にできる、対流模様(べナール・セル)というのがありますが、これは味噌汁の表面と底での温度差があることで生じます。同じように細胞にも、何らかのエネルギーを使いながら、形ができるものもあります。
細胞のような小さな系だと、閉じているので外からエネルギーがやってこないように見えますが、実はある種の化学反応が起きることで湧き出てきます。反応から出てくるエネルギーから細胞の中で見られる構造を創っているわけです。
我々は人工細胞系の中で、こうしたパターンを創る研究を行っています。大きな系だと物理の理論などを用いて、いろんな仮説のもとに理解できることも多いのですが、小さな系だと、もはや実験をしないと何も分からない状態です。実際、研究の一場面では、実験は1日で終わる解析にも関わらず、共同研究の先生が行った理論解析は、6週間も要しました。つまり、理論で解析すると非常に難問ですが、人工細胞の実験だと検証がしやすいということです。だから、まず実験である程度目星をつけてから、理論で解析を行う。こうした、小さな空間の物理みたいなことを研究テーマとしては取り組んでいます。
また、細胞はさっきお話した醗酵生産系で、人工細胞を創った分子ロボットもしくはそういう有用物質の化合物を創るような工学プラットフォームを開発しようとしています。
Q:先生と同じような研究をされている方は他にいらっしゃるんですか?
我々の研究は、「創る」「理解する」「応用する」の3軸で行っています。生命を「創る」研究をしている人は多いです。「理解する」ことに取り組んでいる人も少なくありませんし、「応用する」人もかなりの数いらっしゃいます。でも、一人でこれらをすべてやっている研究者はあまり見かけないですね。
私は最初「農芸化学」という、細胞の理解を「応用」につなげる分野で育ちました。その後、タンパク質化学や分子生物学の分野に行き、そこで細胞を「理解する」研究をして、博士課程から「創る」研究をスタートしました。この経験が私にとっての特殊性になっていると思います。
コストを抑えることと、何回も使い回せるサスティナビリティが求められる
Q:研究で課題に感じている点はどこですか?
「創る」「理解する」に関しては、技術的な課題が相当解決されていて、今ではあまり技術的な障壁はなく、知見を積み上げていけば、できる環境が整っています。研究開始当初と異なり、今では世界中で行われているので、これからの進展も非常に速いと思います。
ただ産業的な課題でいえば、醗酵生産の研究においては、現段階ではコストの問題があります。普通のお酒であれば1L100円ほどの材料でできるものが、人工細胞のシステムだと1L5000万円かかります。今後の社会実装などを考えると、このコストをいかに下げられるかが課題になってきます。
また、普通の細胞は適当に砂糖を入れたら、分裂して増えて、使い回せますが、人工細胞だと、それがまだできないので、最低限使い回せるようなサスティナビリティも必要です。安定的に活用できる人工細胞醗酵の種のようなモノができれば、砂糖を混ぜるだけで、すぐにお酒や石油ができ、回収したら、何回でも使えるようになります。
Q:この分野の研究を志す学生さんに伝えたいことはありますか?
学生さんにとっては、我々の研究テーマはなかなか選びづらいようです。聞くと、「よく分からない」「教科書に載ってないからやるのが怖い」といった理由が返ってきます。実際研究してみると分子生物学や、生化学、農芸化学などのライフサイエンスにつながっています。ただ現存する生物を扱うのではなく、今いる生物を創ろうとしている。その違いだけで、やること自体はそんなに変わりません。
それに研究の先には、前人未踏の科学もあります。今いる先輩学生たちも、みんな楽しく研究に取り組んでいます。要は、バンジージャンプのようなもので、怖いから飛び込まないだけで、飛び込んでみたら意外に楽しいのが分かると思います。
基本的に私は、学生の個性に合わせて教え方を変えています。尻を叩かないとできない学生には、ほどよいプレッシャーをかけますし、自由な環境がやりやすい学生には、あまり口を出さずに見守るようにして、最終的には、研究の楽しさを感じられるようにサポートしています。とはいえ、数をこなさないと楽しさも味わえませんし、成果も出せないので、まずは失敗してもいいので、実験の場数を踏んでもらうようにしています。そこで一度でも成果が出れば、みんな目の色が変わってきて、その後は自走できるようになります。
Q:最後に、今後の目標を教えてください。
我々の目標の1つに、「鏡の国の生命を創る」プロジェクトがあります。世界的な潮流として、鏡像異性の生体分子を合成しよう、という分野があります。人間のタンパク質はLアミノ酸でできていますが、その鏡像異性体がDアミノ酸になります。Dアミノ酸でなりたっている酵素は我々生命の酵素の鏡像異性体です。
酵素が認識する分子はやはり鏡像異性体があります。つまり、Lアミノ酸からできた酵素をDアミノ酸で創れば、酵素が認識する分子の形も鏡像異性となり、鏡写しのモノを創れるようになるわけです。ペプチド合成技術が進展していて、生命はLアミノ酸を並べることでしかタンパク質を創れないんですが、人工的にはDアミノ酸やタンパク質も創れるので、例えば、DNA複製酵素やRNAを創る酵素をDアミノ酸で創れるようになってきているという報告が、世界で出てきています。
ということは、今我々が取り組んでいる細胞を創る技術で、細胞のコンポーネントを全部D体で創ってしまえば、現存する生命とは全く違う、鏡写しの生命が生まれてくる可能性があるわけです。
こうやって創られる鏡写しの生命は、人間が創って初めて誕生するものです。例えば、生命の起源があって、そこから脈々と我々は細胞分裂によってつながって、子孫として誕生してきていますが、その祖先が存在しない生命が生まれることになります。まるでパラレルワールドのような感じで、新しい生命体ができるのです。このようなことが可能になるにはまず物質から今いる生命を創る方法を知らねばなりません。今いる生命を創る技術から新しい生命が誕生することを目標に、我々の研究の幅を広げていきたいと考えています。(了)
藤原 慶
(ふじわら・けい)
慶應義塾大学 理工学部 生命情報学科 准教授
2004年3月 東京大学 農学部 生物生産科学課程 生命化学専修卒業。2006年3月東京大学 農学部 生命科学研究科 応用生命工学専攻修了。2009年3月東京大学 新領域創成科学研究科メディカルゲノム専攻修了 博士(生命科学)取得。日本学術振興会 特別研究員(DC2) 、京都大学物質-細胞統合システム拠点(iCeMS)特定研究員などを務めた後、2014年4月より慶應義塾大学 理工学部 生命情報学科 助教に就任。2017年4月 慶應義塾大学 理工学部 生命情報学科 専任講師を経て、2022年4月より現職。