数千万人以上もの人が悩んでいると言われている男性型脱毛症。その悩みを解消するために、細胞の組織培養技術を活かし、工学的アプローチから毛髪再生医療に取り組んでいるのが、横浜国立大学 大学院工学研究院 機能の創生部門の福田 淳二教授である。2022年には、生体外で細胞を培養し、毛を作らせることにも成功した。今回は福田教授に、毛髪再生医療の最前線と、培養技術を活かした応用研究について話を伺った。
工学的アプローチにより、毛髪再生医療の基盤技術を開発
Q:研究の概要についてお聞かせください。
細胞組織工学(ティッシュエンジニアリング)と呼ばれる分野で、さまざまな臓器の細胞を生体外で培養する技術を開発しています。元々は肝臓の再生医療技術を研究していましたが、最近は特に「毛髪再生医療」の開発に注力しています。なぜ、この毛髪再生医療の研究を行っているかというと、1つは男性型脱毛症に悩む多くの患者の要望に応えたいという目的のため、もう1つは再生医療技術の普及のためです。
再生医療は長く注目されてきた技術ではありますが、なかなか普及しない理由の1つに、細胞加工のための施設や人件費にかかる莫大なコストの問題があります。それにより、患者さん一人当たりの再生治療費は数千万円にもなる場合があります。その点、男性型脱毛症などで悩んでいらっしゃる人は世の中に数千万人以上いると言われ患者数も多く、一人当たりの治療コストが下げられる可能性があります。それゆえ毛髪再生医療であれば、一般の治療法として定着できると考えています。そうなれば、細胞加工施設も国内外に設置され、インフラ設備も整うことで、他の再生医療も現実的なコストで実現でき、再生医療全体の普及にもつながるはずです。そこで7年ぐらい前から、この毛髪再生医療に取り組み始めました。
毛髪再生医療には主に3つの方法があります。
1つ目は、髪の毛を作る際に指令を出している特殊な細胞を移植することで、頭皮に残っている、髪の毛をつくる毛包組織を再活性化させ、細くなった毛髪を太くする方法です。
2つ目は、生体外で作製した細胞組織を頭皮に移植し、新しく毛包組織を作らせて発毛させる方法です。ちなみに、私たちの研究室では、2018年に毛のないマウスの皮下に、培養で作製した「毛包原基」と呼ばれる細胞組織を移植し効率よく毛を生やすことに成功しました。さらにこの毛包では、脱毛と発毛を繰り返し、自然な生え替わりまで再現できました。
3つ目は、培養により細胞から毛を含む毛包組織を作り出し移植する方法です。この方法については、2022年に生体外で毛髪を生み出す「毛包オルガノイド」と名付けた小さな組織の作成に成功しました。形成された毛包をマウスの皮膚に移植すると、生着し、脱毛と発毛を繰り返すことも確認しました。
実は、3つ目の生体外で髪の毛を生やす方法は、当初は全く想定していませんでした。2つ目の「毛の種」(私たちはこう呼んでいる)である「毛包原基」をつくっていたときに、学生がたまたま発見しました。通常であれば3日間培養すると、細胞が種の状態になるので、すぐに動物の背中にその「種」を移植して、髪の毛がつくれるかどうかを試験していました。それを学生が3日を過ぎても移植せずに放置していたところ、顕微鏡で見てみると種から何かが伸びてきたのです。すぐに病理医に調べてもらったところ、髪の毛に近い構造を持っているものだと分かり、この3つ目の「毛の苗」をつくる方法が誕生しました。しかし、当初は300個つくると1個生えてくるぐらいの非常に効率の悪い方法でした。2022年の発表では、これをほぼ100%の高い効率まで高めたことを報告しました。
Q:0.3%ほどの成功率しかなかった「毛髪の苗」を、どのように100%まで高めたのでしょうか?
より理解を深めてもらうために、まずは「毛の種」のつくり方についてお話します。髪の毛は2種類の細胞が協力して生まれます。毛髪そのものに変化する「上皮系細胞」と、その細胞に指令を送る「間葉系細胞」です。この2つを混ぜて塊にすると、最初2種類の細胞はバラバラの状態で混ざり合って塊になっていますが、3日間培養すると、同じ種類の細胞同士が集まって、上部が「上皮系細胞」、下部が「間葉系細胞」と雪だるまのような構造になります。これは母胎にある赤ちゃんの頭の皮膚で、初めて髪の毛がつくられる時と同じ構造です。これが「毛包原基」です。この構造ができると、上皮系と間葉系の細胞同士の相互作用が非常に強くなり、次第に毛穴のような構造がつくられ始めます。そのため、これに似た構造をもつ移植組織を作製すれば毛の種として活用できるようになります。
「毛包原基」を移植組織として用いる研究は、他の研究グループでも取り組まれています。ただし、「毛包原基」の作製は、顕微鏡下で手作業で行われていました。患者さん一人に対して1000個以上の毛の種が必要なため、人の手で行うには効率的に限界があり、ロボットで作業することも検討されているようですがまだ課題が多そうです。
私たちの研究チームでは、シリコーンゴムで開発した特殊な培養器を活用して、たくさんの毛包原基を一度につくり出します。このオリジナルの培養器には直径1mmほどのくぼみがあり、ここに2種類の細胞(上皮系細胞と間葉系細胞)が混ざった細胞懸濁液を注ぎ込みます。これを培養すると、まず細胞が沈んでそれぞれのくぼみに一定数ずつ入り、1つの塊になります。塊になった直後は2種類の細胞はバラバラの状態ですが、3日間培養することで、上に書いたように同じ種類の細胞同士が自然と集まり雪だるまのような「毛包原基」ができあがります。私達の作った小さな培養器には300個、大きな培養器だと5000個のくぼみがあり、一度にそれだけの数をつくることが可能です。患者さん一人分なら5000個あれば十分なので、手作業やロボットを使うより簡単に量産できます。
この「毛の種」の方法において課題があるとすれば、再生させた髪の毛が自然な毛の流れを持つかどうかです。現在、クリニックでおこなわれている植毛治療では、患者さん本人の後頭部から、1000本ほどの毛包組織を引き抜いて、脱毛部に移植します。その際、移植した髪の毛が自然な流れをつくれるかどうか、その技術の良し悪しで、患者さんはクリニックを選んでいますので、自然な毛の流れは重要な点だと思います。
「毛の種」の方法だと、髪の毛の流れと、髪の毛の密度をうまくコントロールすることが非常に難しいと考え、3つ目の「毛の苗」も研究開発しています。しかし、最近の「毛の種」の開発では、細胞が持っているプログラムをうまく活用すれば、移植した先の皮膚の環境を読み取って、この2つの課題をクリアする可能性も感じています。どうすれば髪の毛の流れや密度をコントロールできるのか、目下その研究に取り組んでいます。
もう1つお伝えすると、私たちの研究室では、1つ目に紹介した頭皮に残っている毛包組織を再活性化させる方法について、ロート製薬(企業)と共同研究を行っていて実用化を目指しています。
毛包組織の再活性化の方法で課題になっているのは、脱毛部に注入する間葉系細胞を生体外で増殖させて準備する段階において、髪の毛をつくる機能を喪失してしまうことです。そこで、私たちはその機能を維持するために、生体外でも生体内に近しい環境を再現して、細胞にプログラムされている能力を引き出すような培養方法の開発に取り組んでいます。この研究は、ここ数年以内には臨床試験を進めていきたいと考えています。
培養を用いて、新たな薬剤の発生毒性の試験法を開発
Q:毛髪再生医療以外に、取り組んでいる研究はあるのでしょうか?
催奇形性を引き起こす化合物を、培養細胞を用いて検出する技術の確立に取り組んでいます。60年以上前ですが、「サリドマイドの悲劇」と呼ばれる痛ましい薬害事件が起きました。これは、女性が妊娠初期に「サリドマイド」という睡眠導入剤を服用すると、胎児の手や足、耳などに奇形を引き起こすというものです。日本でも多くの胎児が被害にあいました。このように薬剤や化学物資が、人間の体内に影響を及ぼすことがあります。事前に何度も動物実験が行われて、正式な手順を経て、薬事承認を得た医薬品でも、人と動物では体内で働いている酵素などが異なるため、動物では何の異常も見られなくても、人間が使えば重大な副作用をもたらすことがあります。そういうことが起こらないように、人体に近い環境で人の細胞を培養し、危険性のある物質を暴露してリスクを評価できる試験法が必要です。
使用上の注意事項に妊婦に禁忌と記載されていても、妊娠初期であったりすると服用した本人も妊娠しているかどうか分からず、また妊娠初期がより催奇形性を生じやすいため、「使用上の注意」に書いてあっても必ずしも防ぐことができるわけではありません。そこで、薬害などを引き起こす可能性のある化学物質はあらかじめ取り除いて、残った化合物のなかから、効果のあるもので薬剤をつくっていくことが効率的です。やはり新薬の開発には莫大な時間とコストがかかるため、承認を受けた後に供給停止になると、企業にとっても大損失になりますし、万が一の場合は、人の命を奪うことにもなりかねません。こうした背景があるため、薬をつくる前からリスクのある化合物かどうかを培養細胞で検査できるのは、非常にニーズは高いと思います。
実際、過去にも同じような試験方法を開発したチームがあり、そことの違いでいえば、私たちの研究では、iPS細胞から手や足、目などいろいろな組織がつくられる際にはたらくシグナル伝達に注目しました。そして、ある化合物でシグナルが乱されていないかどうかを、細胞に蛍の発光遺伝子を組み込むことで評価しました。これまでの研究は、例えば24時間目にどうなっているのかといった、その時点だけの影響度を調べる方法でした。しかし、そうすると、その時点では反応がなくても、その前後でかく乱が起きている場合、リスクを見落としてしまいます。それで私たちは その途中の過程も監視できる発光モニタ法を開発して、その化合物の危険度を評価するようにしています。それにより、従来は7割ほどだった的中率が約9割の高確率まで引き上げることができました。このように成功率が高まってきたので、厚労省の研究機関と連携して、OECDの国際標準試験法として採用してもらえるようにさらに研究を続けています。
Q:毛髪再生医療の研究で課題に感じている点はどこですか?
挙げればいろいろありますが、その中でも、社会実装に向けては2つの課題を感じています。1つ目は認可を得るための手続きがあることです。これは大学だけで取り組もうと思うとハードルが高いので、共同研究をしている企業から支援をいただき、クリアしていきたいと考えています。
もう1つは、研究用試薬を使っていたものをすべて臨床用に切り替えないといけないことです。患者さんに使えるようにすべての研究用試薬を生物由来原料基準という治療に使えるものに変更する必要があります。そうなると、これまでの研究とは違う問題が出てくる可能性があるわけです。臨床用に置き換えつつ、発生した課題を1つずつ解決しています。
Q:この分野を目指す学生にメッセージはありますか?
横浜国立大学には、理工学部の1〜3年生から最先端の研究に参加できる「ROUTE(Research Opportunities for UndergraduaTEs)」と呼ばれるプログラムがあります。この毛髪再生医療の研究も、この「ROUTE」を活用して参加した大学1年生が取り組んだ研究です。1年生からだと卒業するまでにまだ長い時間があるので、何か面白いことをやろうということで、これまで私たちの研究室では実績がなかったのですが、博士課程の学生たちと相談して、この毛髪再生医療の研究テーマを始めました。
「ROUTEプログラム」は学生の「興味」と「やる気」が大切です。現在、この制度を活用しているのは、在校生のうち10%未満であり、無理に数を増やそうとはしていません。学生にとっては、最先端の研究に挑戦したいと思っている場合にはチャンスです。毛髪再生医療の研究を行った学生は、2年次に第5回「サイエンス・インカレ」で文部科学大臣表彰を受賞しました。また最先端の研究に触れられるだけでなく、海外の大学に研究留学も可能です。これまで、イタリアやオーストラリア、シンガポールなどの大学へ留学しています。横浜国立大学のOBからの多額の寄付があり、今はリーズナブルな費用で留学することができます。一方受け入れ側の先輩学生たちも、やる気のあるROUTE学生が入ってくると、次第に「自分もやらねば」という気持ちになり、研究のアクティビティが向上するなど、相乗効果もあります。
もちろん、この「ROUTE」を活用しなくても、4年生から研究室に入って素晴らしい成果を挙げている学生もいます。私の研究室では、通常はまず研究室にある装置の使い方などを学びながら、徐々に覚えていき、その期間に先輩に研究についての話を聞いたり、私とディスカッションを行ったりして、研究テーマを決めていきます。研究テーマは自分が面白いと思ったことに取り組むのが一番いいので、最初こちらから提案するものの、自由に自分でテーマ設定を変えられるようにしています。
Q:今、企業と一緒に取り組みたい研究はあるのでしょうか?
直近でいえば、毛髪の移植用ツールの開発ですね。頭皮に細胞を打ち込むのに適した注射器のような移植用ツールを一緒に作りたいです。通常の注射器だと、「バックプレッシャー」という皮膚が押し戻そうとする反発で、せっかく打ち込んでも外に出てきたりします。このようなことが起こりにくいデバイスが必要です。また、脱毛部全体に多くの細胞を移植するため、1個ずつの細胞組織ではなく、複数個まとめて打てる判子注射のような形になればと思っています。そういった方面に知見や技術力のあるメーカーと組んで、海外展開した場合にも安定した治療効果が得られるようにあらかじめ準備したいと思っています。
Q:最後に今後の展望をお聞かせください。
基礎研究だけではなく、応用研究でも成果を出していきたい。そのために毛髪再生医療の技術はもちろん、催奇形性試験法でも社会実装のところまで、つなげていきたいと思っています。そこで毛髪再生医療の実用化における、技術の受け皿になるように研究室の学生と一緒にベンチャー企業を創設しました。せっかく社会実装に向けて研究を行うのであれば、自分たちにもメリットが得られる環境のほうが、学生たちのモチベーションも高まるだろうと思い、立ち上げました。よりスピーディに技術開発が行えるようになってくると思いますので、ここから再生医療への普及をさらに推進できればと考えています。(了)
福田 淳二
(ふくだ・じゅんじ)
横浜国立大学 大学院 工学研究院 機能の創生部門 教授
1998年3月 九州大学 工学部卒業。2003年3月 九州大学 大学院工学府博士後期課程修了 博士(工学)。北九州市立大学 研究員、MIT Postdoctoral Fellow、筑波大学 講師、横浜国立大学 准教授を経て、2017年より現職。