ヒトなど哺乳類を含む脊椎動物(せきついどうぶつ)の生態や進化を考えるうえで重要なのが、首や背骨に関する解剖学的な視点である。これら脊椎動物のなかでもキリンに注目し、独自性の高い研究をおこなっているのが、国立科学博物館の郡司 芽久・日本学術振興会特別研究員PDだ。みずからを「世界一キリンを解剖している人間」と自認し、若手研究者ながら著作も発表するなど世間の注目を集めている郡司研究員に、解剖学がもたらす可能性について話を伺った。
解剖学の観点からキリンの首を研究
Q:まずは、研究の概要について教えてください。
生物を解剖し、筋肉や骨格の構造を明らかにすることで、体の動かし方や進化について研究しています。
骨格や動きに着目する中で、特に「首」に注目しています。もちろん、キリンといえば首だろう、という理由もありますが、それ以上に生物の進化を考える上で首はとても重要な部分だといえます。
私たちヒトは、脊椎動物の仲間です。脊椎動物は、魚類から哺乳類までを含む大きなグループで、その名の通り体の中心にある「脊椎(セキツイ)」が大きな特徴です。いわゆる「背骨」です。
あごや手足を持っていない脊椎動物はいますが、脊椎を持たない脊椎動物は存在しません。ヒトを含む脊椎動物の進化を考える上で、背骨がどのような役割を持っているのか、その機能がどのように多様化してきたのかを考えるのは、すごく大事なことだと思っています。
そこで、骨の形や筋肉の構造を手掛かりにして、脊椎の進化や機能に迫る研究を行なっています。
ただ、首に関する研究は、他の部位の研究に比べてとても少ないです。首の動きは観察が難しいというのが、研究例の少なさの理由の一つでしょう。肘やひざ、あごの動きは、外から見てもすごく分かりやすいんですよね。一方、背骨の動きとなると関節がどこにあるのか見えないため、どの関節がどれくらい動いているのかを理解するのはものすごく大変です。
また、解剖学的な研究では、首よりも、手足や頭部に関するもののがはるかに多い印象です。これは、解剖学の歴史の原点が医学にあり、「治す」ということが大きなモチベーションになっていることに関係しているかなと思います。
手や足は骨折しても治すという選択肢があるため、治療のために多くの知見を集める必要があります。一方で、背骨、特に首は怪我をしてしまうと治せないケースが多く、それは現在でも同様です。脊髄損傷を治すのはなかなか難しいことです。
もちろん現在は背骨周囲の研究もどんどん進んできてはいますが、手足に比べるとスタートが遅いので、「知識の蓄積」という意味で差があるのかなと思っています。
こうした理由から、「背骨はすごく大事なのに、研究が盛んではない」というところにつながっていきます。ヒトですらこうした状況なので、他の動物の首についてはほとんど研究が進んでいません。
さて、首の頸椎の数は、哺乳類の中ではほとんど共通です。頸椎が7個ではない動物は3種類だけで、それ以外は、首が長いキリンも一見して首がないように見える鯨の仲間でもみな骨の数は「7個」になっています。
一方、鳥や爬虫類では頸椎の数が大きく変化することが知られており、例えばインコの仲間は11個ほど、白鳥の仲間は25個です。鳥類では、まず哺乳類に比べると頸椎の数が多く、その中でもこの種は少ないとかあの種は多いなど様々なバリエーションがあるんです。
つまり、哺乳類だと頸椎の数が種によってほとんど変わらないのに、鳥の仲間では非常に多様となっているわけです。この頸椎数の保守性と多様性が何によってコントロールされているのか。哺乳類では、頸椎数の保守性の中で、首の構造や機能はどのように多様化してきたのか。哺乳類の中で著しく長い首を獲得したキリンを対象に、これらの謎に迫っていこうとしています。
Q:実際の研究においては、どのような進め方をするのでしょうか。
基本的には動物園で飼育されていたキリンが亡くなってしまった時に、遺体を献体していただき、それを解剖しています。解剖の後は、骨格標本を作成し、骨の形や関節の構造を調べます。
遺体がきたら、主に筋肉が骨格にどのようについているか、その筋肉によってどのような動きができるのかなどを調べています。赤ちゃんから成熟した個体まで、献体していただいたキリンは全て解剖します。寿命は、飼育下では25歳ほどでしょうか。三十歳とかまで生きれば相当大往生ですね。
大人と子供では、筋肉の配置や構造などはほとんど変わりませんが、やはり成長するにつれ体を支える仕組みは少し変わるようです。
また、キリンだけでなく、ゾウやサイなど他の動物の解剖をして、筋肉の構造や骨格の形を互いに比較することもあります。そうすることで、筋肉や骨格の構造がどのように変化してきたのかがわかるわけです。 こうした研究は、「比較解剖学」と呼ばれます。
Q:現在の研究に至るまで、どんな経緯があったのでしょうか。
キリンの研究を始めたのは、「好きだったから」ということが一番の理由になっていると思います。私はもともと動物が好きで、中でも特にキリンがすごく好きでした。生物の進化を考える際、アイコニックな存在だということもあって、学生時代にはとにかくやれるところまでキリンを研究しよう、と考えていました。いつか研究者になってキリンの研究ができたらいいなというよりも、学生時代にやろうと決めたのです。
大学に勤めて仕事としてキリンの研究をするとなると、やはり社会的なニーズも必要です。お金をもらって研究するので、ある程度は仕方ないです。一方学生は、逆に学費を払って研究しているので、社会的なニーズが多少低くても、好きなことを研究する権利があるんじゃないかなと思っていました。学生時代にキリンの研究を、と決めていたのはそういう理由です。
昔は、日本でお金をもらってキリンの研究するというのは、結構難しいのではないか、と考えていました。ただ、卒業して、論文が発表されて、本も出版したりして、キリンの研究をしている人がいるということが広まっていくにつれて、自分では思いもしなかったようなところからお声がかかることがすごく増えてきました。
例えば現在、工学系の方々と進めている大きなプロジェクトとして、新学術領域研究「ソフトロボット学」があります。「ソフトロボット」とは簡単にいうと、ベイマックスのような柔らかいロボットのイメージです。
昨今、柔らかいマテリアルがどんどん使えてきていて、一昔前のいわゆるメタリックなロボットというよりも、柔らかな構造を持つ生き物のようにしなやかに動くロボットをつくる技術も出てきています。
その中で、そうしたロボットを作るにあたり、生き物の構造について教えてほしいとお声掛けをいただいたわけです。
例えば、キリンは、体はとても大きいのにすごくアンバランスで、足も長いし重心の位置が高い生き物です。同じく巨大な体をもつゾウは、大きくても安定感がありますよね。
キリンのようなアンバランスな生物がどんな身体構造をもち、どんな風に動いているかを調べることは、工学系の分野においての不安定な構造物をどう動かすかという話にもつながっていきます。専門分野は全然違っても、「キリンがどうやって体を支え、動かしているのか」という興味の視点としては結構近いところがあるようです。
ロボットは人間が上手く設計して歩かせないと、うまく歩いてはくれません。しかしキリンは仕組みがきちんとわかっていないだけで、不安定ながらもうまく歩いていることには間違いありません。時速50kmで走ることだってできます。きっと彼らの体の中に何かうまく歩ける仕組みが隠されていて、私自身はそこに対してすごく興味があるわけです。
私はただ単にキリンとして見ているので、そこに社会的なニーズがあるとは思っていませんでした。ただ、こうして世の中に研究成果が出ていくことで、全然違った視点から見てくれる人が増えて、それが社会的なニーズにつながっていくのだと実感しました。
Q:これまで知られていなかった意外な発見などはありましたか。
さきほども説明した通り、キリンも含めた哺乳類では、みんな頸椎が7個ですごく保守的だというのがこれまでの考え方でした。
頸椎は、脊椎の中で主に首を構成する骨で、左右に肋骨がついていないことが特徴です。左右に肋骨がついている脊椎骨は、胸椎と呼ばれます。肋骨がついていない頸椎は比較的自由に動くことができますが、胸椎は肋骨によって動きが制限されています。これまでは、人を含む多くの哺乳類は、7個の頸椎だけを使って首を動かしていると考えられてきました。
しかし、骨や筋肉を観察すると、キリンの場合、本来動かないと考えられていた胸椎の部分が動いていることがわかったのです。7個の頸椎に続く、8番目の背骨である、第一胸椎という部分です。第一胸椎には、他の胸椎同様に肋骨がついているのですが、肋骨のつき方が少し変わっています。通常は動きを阻害するような位置についているのですが、キリンの第一胸椎の場合は肋骨のつく位置がほんの少し変化して、動きを阻害しないようになっています。
私の研究により、首を上下に動かす際、本来胴体の一部である第一胸椎が「15度」ほど動くことがわかりました。
「15度」というとそれほど大きくないと思われるかもしれませんが、キリンの首は2mほどあるため、その首元が15度動くと頭の先端が届く位置としては50~60cm広がることになります。
キリンは高いところの葉っぱを食べ、地面の水を飲みます。胸の一部が動く構造を獲得することで、高い場所・低い場所の両方にアクセスすることが可能になったのだろうと思っています。キリンにとって首元の可動が15度増えることは、生きていく上で非常に重要なことだったのではないかと考えているわけです。
今後も今までと同じような体制で研究をしていくつもりですが、体の構造について調べたり、あとは動きに関しても調べていきたいです。先ほど言ったように、どのようにバランスをとりながら歩いているかにも興味があります。
進化の過程で様々な構造の特殊化が起きているはずで、それは体の動かし方かもしれませんし、あるいは自分の重い体重を支えるために何かクッション性があるような構造が隠されているのかもしれない。彼らの体に秘められた謎をさらに解き明かしていきたいと思っています。
ユニークな研究対象から、見えてくるものがある
Q:今後の研究課題としてどんなことがありますか。
常々感じているのは、大型動物の研究をすることの難しさです。小さい動物であれば、MRI やレントゲン、CTスキャンなど様々な技術を使える幅があるのですが、大きな動物では一気にそれが難しくなってしまいます。一方で、いわゆる実験動物に代表されるような、実験室で飼える動物だけではわからないこともすごくたくさんあるわけです。
例えばラットでは、首が長い動物がどう動くのかとか、大型動物がどう身体を支えているのかなどは、なかなかわかりません。
また、実験動物で扱える動物は、ニワトリやラットなどと限られてしまいます。しかもそれらは脊椎動物を代表して選ばれているわけではなく、扱いやすいとう理由から選ばれているわけです。
地球上には様々な動物がいて、それぞれが自分たちの生態や環境に合わせて進化してきています。それも含めて、扱いやすい動物だけではなく、ユニークな動物を扱うことで初めて見えてくるものもあるのではないかと私自身は考えています。
どうしてもやりにくさはありますが、実験動物とはかけ離れたすごくユニークな動物を扱っていくことは、学術的にも大事かなと感じています。
例えばキリンは、地球上でもっとも「血圧」が高い動物として知られています。心臓と脳が離れている動物はポンプで血液をあげなければならないので、すごく高い血圧が必要です。
キリンでは、最高血圧が250mmHgくらいあると言われています。人の高血圧はよくないことですが、キリンは高血圧でも大丈夫なのです。常に高血圧状態であるため、高血圧に対応した体の構造が獲得されているのでしょう。
なぜキリンでは高血圧でも身体に不調が起きないのか。そもそもキリンの高血圧はどういう仕組みで起きているのか。これらはマウスなどの実験動物ではせまれない部分ですから、今後掘り下げていけたらなと考えています。
Q:この分野を志す学生には、どんなことが必要でしょうか。
流行りものに飛びつかないことが大事かなと思っています。
私自身は、キリンが流行っていたから研究を始めたわけでもなく、面白いなと思ったことをやりたくてやっていたわけです。
ただ、私が論文を書いた年は、キリンに関する論文が数多く出た年でした。キリンが4種類だとわかったのもそうですし、その年に全ゲノム配列も読まれて、遺伝子の特徴も具体的に分かってきました。他にもキリンの行動だったり、生態だったり、化石とか進化に関する研究が立て続けに報告されました。
ある意味では、その年は、キリンのブームみたいに見える年でしたが、それは見せかけで、実際はずっと前から研究を進めてきたものがある日たまたま結実したにすぎません。研究は、スタートしてから成果が上がるまでに数年はかかるもので、流行りという視点で考えるといつまで続くかわかりません。
現在ブームになっているものにこれから研究をしようと入っていったとしても、自分が研究者として独り立ちするまでの数年間で、そのブームがどうなっているかは誰にもわからないのです。
その意味では、流行っているからという理由で決めるのではなく、自分が流行りをつくっていくんだと思えるくらいの気概を持ってやるのが大事なのかなと思いますね。
必要なのは、忍耐力や想像力です。たとえば、目の前の自然現象をどういう観点から切り取るのがいいのか?どういう人にこの研究を届けたいのか?と考えてみることです。
私がキリンの遺体を見て思うことと、工学系の方が見て思うことは当然違うものです。自分ひとりで見ていても、平面的な情報しか得られないかもしれません。それが、異分野の方と一緒に取り組むことで別の視点が加わり、多方向から立体的に眺められるようになる。
自分の専門の視点を忘れずに、でも時には「こういうことを勉強している人から見たらどうかな」と別の分野の人の気持ちを想像して別の視点から考えてみることも大事かなと思っています。そうすることで、より多くの方々に研究成果を届けられるのかなと思います。
Q:最後に、今後の目標を教えてください。
工学系との共同研究が去年から始まっているので、今までニッチな学問だと思っていたところにすごく興味を持ってくれた別の分野の研究者の方々と、共同研究の成果を上げていきたいと思っています。
トラディショナルで見ようによっては古い学問的な解剖学と、最先端をいく工学の化学反応を起こして、解剖学をリブートしてみせたいですね。(了)
郡司 芽久
ぐんじ・めぐ
国立科学博物館日本学術振興会特別研究員PD
2017年3月に東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程を修了(農学博士)。
同年4月より、日本学術振興会特別研究員PDとして国立科学博物館に勤務。大学院修士課程・博士課程にてキリンの研究に従事し、2017年にキリン博士となる。専門は解剖学・形態学。哺乳類・鳥類を対象として、「首」の構造や機能の進化について研究している。
第七回日本学術振興会育志賞 受賞。著書に『キリン解剖記 (ナツメ社サイエンス)』(ナツメ社、2019年)。