細胞分裂において、重要な働きを担っている細胞小器官の「中心体」。しかし、なぜ1コピーしか複製されないのか、長年未解明のままだった。その分子メカニズムを初めて解明したのが、東京大学大学院 薬学系研究科の北川 大樹教授である。この中心体の過剰複製は、乳がんや前立腺がんの要因の1つといわれており、それらのがん発生の仕組みの解明も期待されている。中心体の複製メカニズムにおいて最先端の研究を行っている北川教授に、研究概要や社会的ニーズ、業界での課題などについて伺った。
小頭症の原因遺伝子や、がんの発症要因の解明に貢献
Q:研究の概要や社会的ニーズについてお聞かせください。
まず、研究対象としている「中心体」についてご説明します。中心体はほとんどの動物細胞に含まれていて、微小管ネットワークという細胞の骨格を形成すると考えられています。私たちの身体のなかでは、細胞が分裂し、その分裂とともに、遺伝情報が倍加しますが、物理的に染色体を引っ張る側も2倍にならなければなりません。この染色体を両極から引っ張る紡錘体と呼ばれる構造の中心となっているのが、この「中心体」です。電子顕微鏡で観察すると、2本の円筒状の構造体が90度に組み合わさった特殊な形をしており、各円筒状構造が「中心小体」(「中心子」ともいう)と呼ばれる、9回対称性を有した構造になっています。
DNAの複製機構については、比較的解析が進んでいたのですが、中心体は多くのタンパク質の複合体であり、どのように倍加していくのか、そのメカニズムについては未解明のままでした。そこで私は2014年に「中心体」の複製メカニズムを解明し、今なお継続してこの研究に取り組んでいます。
社会的ニーズとしては、中心体の過剰複製が乳がんや前立腺がんの要因の1つとされており、がん化などの疾患原因の解明に貢献できる点です。また2014年頃からは、小頭症の患者さんの原因遺伝子を同定するためにエクソーム シークエンスを活用して、細胞レベルで解析する共同研究も小児科の医師と行っています。
最近では中心体は細胞分裂だけでなく、細胞の恒常性維持の役割も担っていることが分かってきました。細胞骨格として重要な微小管ネットワークを構築することで、細胞形態のみならず、細胞内輸送にとっても大事な機能を果たしています。それゆえ、免疫などにも研究対象を広げつつあります。また精子の尻尾にある鞭毛の基底部は、中心体で構成されています。もし中心体の形成が異常だと、精子の運動性が低下し、生殖補助医療などにも影響を与えます。まだ研究としては着手していませんが、生殖補助医療などへも波及効果のある研究が今後は期待できると思います。
Q:研究の独自性はどのようなところにありますか?
やはり中心体の複製について研究を行っている点だと思います。中心体は多様なタンパク質で構成されている複雑な構造体です。中心小体だけでも、先行研究では100種類ものタンパク質が存在するといわれており、実際はもっと多いかもしれません。その複雑な構造体にもかかわらず、分裂によって同一のものが作られます。どうやって必要なタンパク質だけが、さまざまな分子が高密度に存在する「分子夾雑」といわれる環境下でも集まることができ、精密な構造体ができるのか。複製においても、非常に厳密に制御されているので、染色体が不安定にならずに済んでいます。ここには自分たちが分かっていない巧妙な仕組みがあるはずです。それらのコンセプトを解明することにオリジナリティがあると思います。
これまでは遺伝子の発現抑制や過剰発現による、中心体の変化を調査する研究がほとんどでした。なぜ、中心体が一度だけ複製するのか。この一番大事な物理的な理解が進んでいないことにあらためて気づき、2014年~2019年にかけて研究を行い、段階的に解明してきました。この研究を通じて、世界的にも、私たちの研究が認知されるようになってきたというのはあります。
Q:中心体に興味を持ち始めたのはいつ頃からですか?
2006年にスイス連邦工学大学ローザンヌ校に留学したときです.「分子機能解析」という自分の得意な手法が活かせる領域を考えたときに、細胞のなかで起こる現象で、世界的にも未知の分野だった「中心体の複製」に興味を抱きました。複製を開始させる因子としてSAS6タンパク質の存在はすでに知られていましたが、構造体レベルでの理解まではいたっていませんでした。留学先での最後の研究では、SAS6タンパク質が自発的に結びつき、中心小体9回対称構造の骨組み構造を形成することを解き明かすことに成功しました。
Q:現在は、どのような研究に取り組んでいるのでしょうか?
1つは先ほどお話ししたように、中心体は、多くの種類のタンパク質で構成されています。細胞の中の分子夾雑な環境下で、どうやって効率よく、それぞれのタンパク質(部品)が集まって組み立てられているのか。「ソフトマター物理」といわれる、物理的な観点からタンパク質の動態を解明しようとしています。
もう1つ、最近力を入れている「データサイエンス」の研究です。世の中には活用できるビッグデータが豊富にあるので、これらの複雑なデータを解析するデータサイエンスと、細胞生物学を組み合わせた研究を展開しようとしています。例えば、中心体に存在しそうなタンパク質が100個あるとします。しかし、それぞれのタンパク質がどのような機能を持っているかが不明なときに、ビッグデータを活用して解析してみると、実験を行わなくても、そのタンパク質が10個のグループに分類できたりします。それによって、例えば「同一の機能を持っている」とか「物理的に相互作用している」などの仮説が立てられます。つまり、データサイエンスによって、ある程度の「プレディクション(予測)」ができるわけです。
「ドライ」と「ウェット」の両輪で研究を行うのが重要
Q:研究をしていて、何か課題に感じることはありますか?
研究分野では、コンピュータが中心の解析を「ドライ」、細胞などを取り扱った生物実験を「ウェット」と呼びます。実際の研究では、この両方が必要だと思います。ほとんどの生命科学研究者は、データベース上で加工された情報だけを見て、マニュアル的に判断しています。しかし、そういうやり方だけでは限界があります。そこで、素のデータをデータサイエンスの手法で、自分たちで自由に加工して解析することで、今まで見えてこなかったものが見えてきます。ただし、「ドライ」だけをやっていると、仮説の範疇で終わってしまい、自分たちが予測しなかった新たな発見まではできません。「ウェット」の実験を合わせて行うことで、予想もしなかった実験結果に出会えます。その裏には、自分たちが想定していなかった論理があり、そこを追究していくことで、新たな展開を生み出せるのです。それゆえ「ドライ」と「ウェット」その両輪で進めるのが非常に大事だと思います。
Q:企業に対してメッセージはありますか?
私たちの研究室は、分裂期に起こりうるさまざまな事象を探るツールや手法を適切に選択し、何が起きているのかを解明することに強みを発揮します。例えば、今まで創薬ターゲットとして考えていなかったような分子や、薬剤によって分裂期に従来とは異なる変化が起こったときの要因を、的確に判別することが可能です。そのため、分裂期阻害剤の開発などに私たちの知識やスキルを繋げられるのではないかと考えています。細胞の分裂や中心体関連で気になることがあれば、議論レベルでもいいので相談していただければ、こちらから提供できることがあると思います。
Q:学生に伝えたいことは何かありますか?
学生の皆さんは非常に優秀です。そのなかで、強いてあげるなら「主体性と好奇心」だと思います。トップダウンで指示されても、人は動きません。やはり自分で考え出した仮説や、見出した現象や結果に好奇心を持って取り組めたときこそ、力を発揮すると思います。
私は、以前の職場だった国立遺伝学研究所で、機器も何もないところから中心体の研究室を立ち上げました。自分でゼロから研究環境を整えるのは、非常に大変です。その点、そうした設備や環境が元々ある学生にとっては、自由にそれを活用でき、自分自身の研究室があるようなものです。
私たちの研究室では学生一人ひとりの自主性に任せているので、コアタイムはなく、いつでも研究できます。だからこそ、まずはトライしてほしい。好奇心を持って取り組めるなら、非常におもしろい日々が過ごせると思います。
最初のうちは、私やスタッフから言われた仮説を証明するだけでも楽しいかもしれません。でも最終的には、自分の考えや言葉で説明できるオリジナルな仮説を証明するから、研究はおもしろいのだと思います。人と違う考えや、予期していない結果から、新たな真理や新たな仕組みが見出せます。例えば、私やスタッフに研究テーマを設定されたとしても、自分の中の小さな仮説からでもスタートできるはずです。
学生は研究活動に「若い」という有限な時間やエネルギーを投資しています。そこに対してのリスクは、自分でとらなければなりません。私やスタッフがさまざまな意見やアドバイスを投げかけますが、それを鵜呑みにしないで、俯瞰的に考えて、やるべき価値があることを取捨選択するのがリスクの取り方だと思います。上の学年になった頃には、次第にそういう考え方を身に付けて研究に取り組めるようになってくるはずです。
Q:最後に、今後の展開を教えてください。
抽象的な言い方ですが、「○○をやっている研究室だよね」ということを端的に認知されるような研究室を目指したいですね。今はそれが中心体になっていますが、それ以外の軸もやはり増やしていきたい。学生の得意領域から発展してきた「データサイエンス」がその1つになりつつあります。今後も学生たちの柔軟な発想力で、何かしらの種は出てくると思うので、そういうのもをしっかりと伸ばしていきたいと考えています。特に研究室に足りない要素であれば、大事にしていきたいですね。(了)
北川 大樹
(きたがわ・だいじゅ)
東京大学大学院 薬学系研究科 教授
2005年 東京大学大学院薬学系研究科 博士課程修了。2006年 スイス連邦工学大学ローザンヌ校博士研究員。その後、国立遺伝学研究所 新分野創造センター 特任准教授、教授を経て、2018年 東京大学大学院 薬学系研究科(薬学部)教授となる。