再現性が非常に難しく、偶然性と必然性が影響し合っている生態系。その学問の『生物多様性の原因と結果を探る』ための基礎と応用に注視して、フィールドでの観察、統計モデルや数理計算、さらには社会アンケートなどの多彩なアプローチを基づいて研究活動を展開しているのが、東京大学 先端科学技術研究センター 森 章教授である。2021年には、生物多様性と気候変動の問題の相互依存性の定量化を証明。生物多様性の保全を介した温暖化の抑制により、経済的損失を回避できることも解明した。今回、森教授に今企業から注目されている生物多様性の現状や研究内容について詳しく伺った。
生物多様性の原因と結果を理論的に解明する
Q:研究の概要についてお聞かせください。
私の研究についてお話をする前に、まずは生物多様性の現状について説明します。昨今、生物多様性科学が企業から非常に注目を集めており、私もよく相談を受けます。その内容が、自社の事業が生物多様性の保全にどのくらい貢献しているのかを可視化する方法です。これは、現実的には非常に難度の高いテーマです。例えば、世界の平均気温の上昇を産業革命前と比べて1.5℃に抑えるキャンペーンや、2030年までに陸域と海域それぞれの30%以上を保護区とする「30by30(サーティ・バイ・サーティ)」などの数値がありますが、それらはすべて間接目標です。この数字では、どのくらい生物多様性が守られているのか、あるいはどれほど生物多様性が回復しているのかは評価できません。なぜならそもそも私たちは、どれほどの生き物が地球上に生存しているのかを把握できていないからです。
これまで500万種から1億種だと言われ続けてきた真核生物でも、10年程前からは800万種と言われ、つい2年前には2000万種という発表が出たりと、いまだ正確な数値をつかめていません。昔と違って今はDNAベースで生物種を測定できるほど技術が発達してきたにも関わらず、この50年間、見積もり幅は変わっていないのです。このように、地球上にどれだけの生物が存在するのか分からない状態では、われわれのアクションが生物多様性の保全にどれほど有効なのかは、簡単に評価できません。また、それによって「生物」や「種」を定義することさえままならない状況です。
また、生態学は「再現性を証明しづらい」学問であることも特徴としてあります。例えば、同じ場所の土壌で今日と明日、真菌のDNAデータを取得しても、必ず同じ種が見つかるとは限りません。ある場所で鳥を観測したからといって、来年同じ場所で同じ時刻に同じ鳥を見つけることはほぼ不可能です。このように、再現性が難しく、生物の種の定義も厳密にできず、最新のDNA技術を使っても生き物の数が分からないというのが生態学あるいは生物多様性科学では大前提としてあります。ですから、再生医療や工学、化学などの研究者からみると、同じ自然科学であっても非常に毛色が違うと思います。
こうした大前提のなかで、生物多様性は「必然性」と「偶然性」が互いに影響しあって生まれています。暑いところを好きな生き物、寒いところが好きな生き物など、同じ植物、昆虫、動物であっても好みは分かれます。例えば、雑木林を1つとっても、水が乾いているエリアであれば松が多かったり、谷の方に行くと川沿いにはカツラのような木が生えているなど、エリアによって傾向があります。
その一方で、さきほども言いましたが「再現性」のない学問なので、同じ場所で同じ日に測っても、そこに出てくる微生物も違えば、現れる鳥も異なります。それは、いったいなぜだろうと考えたときに、私の専門領域である植物でいえば、動物のように移動できないため、近くに花粉などを運んでくれる生物がいないといった、たまたまの要素が関連してきます。
私の理論では、水がそれなりに潤沢にあり、光合成に十分な温度域が整っている、環境が緩やか(マイルド)な所だと「偶然性」が働きやすく、反対に環境が厳しくなってくると、その中で生きていけるシステムが必要なため「必然性」が大きく影響されます。
基礎科学として、こうした偶然性と必然性を重ね合わせて、どうやって異なる種の生き物が同所的に存在できているのか。特に植物は動物と違って、光と水が必要不可欠です。つまり植物同士で、同じ資源を巡って競争しているわけです。そういう競争相手がいる中で、普通なら競争に負けると排除されてしまいますが、なぜか多種共存できるメカニズムがある。私たちは、偶然性と必然性の観点からこうした生物多様性の研究を行っています。
さらに取り組んでいるのが、偶然性のなかでルールを見出そうとしていることです。私は進化学者ではないので、完璧な説明はできないのですが、私たちの世界は、デザインされたシステムの中で進化して、今の生物が地球上に存在しているわけではありません。偶然の産物です。木村資生先生が唱えた集団遺伝学における「中立進化説」というものがあります。有性生殖していくときに遺伝的な浮動(ランダム)により、突然変異が起こります。これは、遺伝子の交配で偶然できた遺伝的な形質があって、それが環境とマッチして生き残り、次第に増えて有利な形質になっていったという内容です。
進化というのは、生き物が地球の環境に適応できるように遺伝子を書き換えてきたわけではなくて、偶発的にいろんな種が生まれ、その中で環境に適応したものがたまたま残ってきました。キリンでいえば、いろんな諸説がありますが、高い場所にある木の葉を食べるために首が伸びたわけではなく、たまたま首が長いキリンと、たまたま首が短いキリンが生まれ、当然首の短い方は高い所の木の葉を食べれないため、いなくなって子孫を残せなくなり、有利な首の長いキリンの遺伝的な形質が残ってきたといったイメージです(なお、これは比喩であり、キリンの進化を正確に表現していません)。このように偶然の重ね合わせで、私たちはたまたま生き残り、繁栄してきました。自然界の多くの現象は、そういう何か偶然性が作用しています。
それは別に不思議なことではなく、人間社会でも同じようなことが起きています。私たちが固体として存在するのも、父と母がたまたま出会って結ばれたからです。しかし、サイコロをただふり続けて、この存在がランダムに起こっているわけでは当然ありません。そこには一定のルールがあります。こうした偶然性の影響を強く受けるなかでも、ルールを見出そうとしているのが、私たちの研究テーマでもあります。
Q:研究における独自性はどういうところにありますか?
生物には好みがあり、同じ場所でも去年と今年は環境条件が違うなど「揺らぎ」があります。資源や環境の揺らぎの中で、いろんな生き物が存在するため、そういう資源と環境を効率的に使えます。例えば、私たちが研究しているテーマの1つに、生物多様性と気候変動の関わりがあります。生態学では、「気候変動が進むと、生物多様性に悪影響を及ぼす」という一方向だけを見ている研究者が大半です。その点、私の研究室では、生物多様性が、気候システムや社会システムへのフィードバック機能を持っており、それがどのように炭素吸収につながり、公益性などの経済的効果をもたらすかまでのメカニズムの解明に取り組んでいます。生物多様性の原因と結果の両方を探る研究に取り組んでいる人は非常に少ないです。原因と結果どちらも理論的につなぎ合わせた研究をしている点が、私の独自性だと思います。
Q:具体的に取り組んでいる代表的な研究を教えてもらえますか?
大きく2つあります。
1つは、知床での取り組みです。ビジネス領域では、今植林が注目されています。植林(人工林)は天然林に比べて、最初の期間、たとえば10年ぐらいの炭素吸収量は高いです。なぜなら天然林だと、自然に種子が散布され発芽し、樹木が育つまで待たなければならない分、時間を要します。70年、80年と時間をかけられるのであれば、 自然林のほうが総合的な炭素吸収量は高く、費用も抑えられます。ただし、気候変動問題は待ったなしのため、植林(人工林)か、天然林どちらを選ぶべきかは、簡単には結論を出せません。この課題に対して、私の研究室では生態学と社会環境経済学のアプローチを併用する研究を行っています。
社会的ニーズを調査しようとしていますが、それには根拠が必要です。例えば、1haの土地に3000本を植えるよりも、1万本を植えた方が炭素吸収は早いですが、実際は、このスペースに1万本を植えると過密すぎるため、ほとんどの木が途中で死んでしまいます。これを3000本にすると初期の炭素吸収量が少なくなるため、3000本と1万本で将来的に、炭素吸収量にどのような変化が起こるのかは、植林前に根拠として正確な予測値がほしいところです。そこで私たちは、ドイツの研究グループが開発したシミュレーションモデルを使って、知床の森に擬似的に1本1本の樹木を再現しています。時期によって変わる日光を計算して、光合成によって、どれだけの種子を作って樹木が成長し、炭素吸収を行えるのかを仮想的に計算できます。今後は環境経済学の専門家と連携して、社会環境経済学のアプローチも行っていく予定です。
もう1つは、北極での生態系の研究です。北極では数万年続く温暖化によって氷河が溶け、新しい生態系ができあがりつつあります。それを現地調査も踏まえて、15〜20年かけて研究しています。
最終氷期の最盛期は約1万5000年前〜2万年前。それ以降地球はだんだん温暖化しています。間氷期の中で、どういうふうに氷河が縮小して、新しい土地が開放され、そこに陸上の生態系がどのようにできあがっていったのかを、理論に基づいて解明しようとしています。またその繋がりで、北極に生き物が分布拡散したルーツも合わせて調査しています。定説では間氷期に、南から北に生き物がだんだん移動し分布拡散してきたと言われています。しかし、遺伝情報からは、ごく一部「レフュジア」と言われる生物の避難場所から生き物が分布拡散したルーツが読み取れます。
私たちの現地調査地である北緯81℃弱の世界は、最終氷期最盛期には大陸氷床(コンチネンタルアイス)に覆われていて、生き物が生存していないと考えられている場所です。実はここに「レフュジア」に避難した生き物が存在して、氷河期時代を生き残ってきたのではないかと考えており、それを証明すべく研究に取り組んでいます。
社会政策や、ビジネスモデル構築の裏付けとなる基礎研究を提示していく
Q:企業へのメッセージはありますか?
TCFD(気候関連財務情報タスクフォース)と呼ばれる、企業の気候変動への取り組みや影響に関する財務情報について開示することを推奨する国際的な組織があります。日本企業においても、このTCFDに賛同している企業は多いです。また、非財務状況を重視し、社会的意義や持続性の高い企業を評価するESG投資を行う投資家も増えています。そのため、企業はファイナンスやビジネスのなかで、気候変動に対して、しっかりとアクションを起こしていかないと投資家からの支持を得られない状況になりつつあります。そして、その流れは大きくなり、今ビジネスの世界ではTNFDという形で、自然資本、生物多様性に大きな関心が集まりつつあります。
以前であれば、企業はCSR活動で持続可能な環境づくりに取り組んでいれば「プラス評価」をいただけました。今は大きく変わり、CSR活動は企業としてやっていて当たり前、やっていないと「マイナス評価」を下されます。気候変動対策に関しても同じ考えです。
そこで企業の皆さんにお伝えしているのは、環境保全などのアピールはしっかり行うこと。そして取り組むなら「量」ではなく「質」まで担保した環境保全を行うこと。今後は、この考え方が重要になってきます。例えば、海外で環境負荷の少ない製品を作っているとします。世界的に見て、まだまだトレース(追跡)が不十分なため、「その製品がいつ、どこで、誰によって作られたのか」を明らかにするのは難しい部分があるでしょう。しかし、IT技術の進歩、人工衛星などの観測技術、より流通における透明性(トレーサビリティ)が進めば、いずれは確実に原材料の調達から生産、消費、さらには廃棄にいたるまで追跡できるようになるでしょう。企業には、こうした将来に備えて、量だけを追う表面的なアクションではなくて、質を問うアクションをお願いしたいと思います。
Q:学生さんに伝えたいことはありますか?
これまでの生物多様性の話は、研究だけでとどまらずビジネスや社会にも適応できると思います。企業であっても個人であっても、他のライバルたちと競争し、切磋琢磨しながら共存しています。ですから、生態学や生物多様性科学で得たことを、その中だけで限定するのではなく、学生のみなさんの今後のキャリアなどにも活かしてほしいと思います。
もちろん基礎科学や応用科学は、先ほども説明したように生物多様性に関するニーズは右肩上がりで高まっているので、たとえ企業に就職しても、こうした知識を持っていることは必ずプラスになるはずです。社会に出た暁には応用的な側面から活用してほしいと思います。
Q:今後の展望について教えてください。
生物多様性のビジネスシーンでの高まりとともに、私もいろんな方たちと議論する機会が増えてきました。実際、どのようにして生物多様性を保全して、資本主義やビジネスの世界に広げていくかといった応用研究もできつつあります。しかし私自身が目指すのは、社会政策やビジネスモデルの構築につながるベースとなるような科学的なエビデンスに基づいた基礎研究です。
地球温暖化のシナリオでは、2100年までにどういうふうに地球が変化し、生き物や炭素吸収量がどう変わっていくのかを計算しています。これは、例えば国連やIPCCなどの議論、国連の枠組みの議論などで、政策づくりなどのベースとなる重要なエビデンスになってきます。研究者としては、そういう政策の裏付けとなる情報をきちんと提示して、社会に貢献していきたいと考えています。 (了)
森 章
(もり・あきら)
東京大学 先端科学技術研究センター 教授
2004年3月 京都大学大学院 農学研究科博士課程修了、博士(農学)。その後、カナダ・サイモンフレーザー大学博士研究員、横浜国立大学大学院 環境情報研究院 特任教員(助教)、カナダ・カルガリー大学客員研究員、オーストリア・ウィーン天然資源大学客員研究員などを歴任。2021年4月 横浜国立大学大学院 環境情報研究院 教授。2022年4月から現職。