昨今、抗生物質が効かない耐性菌が世界的に流行り始めており、その治療薬として注目を浴びているのが「抗菌ペプチド」である。抗菌ペプチドは長年研究されてきたが、バクテリアの殺傷能力は極めて高いもののその分副作用も大きいことが課題であった。2020年、異種の「抗菌ペプチド」を混合することで、敵であるバクテリアに遭遇したときには攻撃機能を発揮し、ヒトの真核細胞に遭遇したときは毒性を中和するという、「ダブル・コオペラティブ効果」が報告された。この極めて珍しい現象を発見したのが、東京大学 生産技術研究所の杉原加織講師である。この他にも、杉原氏はメカノクロミックポリマーを用いたバイオセンサの開発なども行っている。今回、それぞれの研究テーマの展望や課題、研究者としての強みについて話を伺った。
脂質をナノレベルで制御して、さまざまな応用研究に活かす
Q:まずは、研究概要について教えてください。
私の専門は「脂質の自己組織化」です。脂質とは水になじみやすい「親水性」と水をはじく「疎水性」の両方の性質をもつ分子です。石けんの分子構造に非常に酷似しており、脂質もシャボン玉のように環境に応じてまるくなったり、平たくなったりして、いろんな構造に変化します。私たちは、脂質の形をナノレベルでコントロールして、応用研究などに役立てようとしています。
その1つが、「脂質メカノクロミックポリマー、ポリジアセチレン」を用いたバイオセンサの開発です。メカノクロミックポリマーは、いろんな研究者が研究テーマとして取り組んでいる非常に人気のマテリアル。外部から力を加えると発光する特性があります。しかし、なぜ色が変わるのか、なぜ発色が起こるのかというメカニズムについては、まだ完全には解明されていないものも多くあります。それゆえ人気のマテリアルではあるものの、データの整合性が取れずに、研究が頓挫してしまうことも少なくありません。
私たちは、メカノクロミックポリマーをより理解するために、どの向きに、どの程度力を加えると発光するのか。そこから研究を始めることにしました。具体的には、ナノスケールの力を可視化できる「ナノ摩擦力顕微鏡」と蛍光の発光を可視化する「蛍光顕微鏡」を合体させて、発光する感度を環境を変えて調査しています。ポリマーを水の中に入れたり、PHや塩分を変えたりして、どのような環境で感度が一番高いのかを見出すことで、感度の高いセンサ開発の基礎研究に役立てようと考えています。
2つ目は、「抗菌ペプチド」を用いた抗菌薬の開発です。昨今「耐性菌」といって抗生物質が効かないバクテリアが出現し、それによって命を落とす人が増えています。それこそ第2次世界大戦中は、日本でも結核が蔓延していました。当時は、結核も致死率が高い病気でしたが、抗生物質が発見されてからは治る病気になり、現在は結核で亡くなる人はほとんどいません。しかし、数十年前から耐性を持った結核菌が新たに確認されています。日本は衛生観念が高いのでそこまで広まっていませんが、アメリカやインドでは、この耐性菌が流行り始めています。一般的にバクテリア感染は罹患すると非常に症状が重い上に致死率も高く、耐性菌パンデミックが起こるのではないかと、危惧されています。
こうした耐性菌の治療薬として今再注目を浴びているのが「抗菌ペプチド」です。この抗菌薬は、私たちの身体が作り出す天然の抗生物質。実は既に「ポリミキシン」という抗菌薬が存在しますが、これは服用すると腎臓に損傷を与え、透析を受けなければならないほどの副作用が生じてしまいます。その点、私たちの研究室が見つけた、LL37とHNP1という2種類のペプチドを混ぜると、バクテリアを殺傷する能力が極めて高いだけでなく、人間の細胞に対しては毒性を中和する働きを持っています。つまり、この抗菌ペプチドは、私たちの身体のなかでバクテリアという敵に遭遇したときには剣となり、効率よく攻撃を仕掛け、自身の細胞である味方と出会ったときには盾となり、身体を守ってくれる。そんなイメージです。このように相手によって攻撃と防御をスイッチングする現象を、私たちは「ダブル・コオペラティブ効果」と名付けました。現在はこの現象のメカニズムを調べ、長期的には創薬への応用を目指しています。
最後に紹介する研究は、マスクの再利用手法の開発です。先に紹介した2つのプロジェクトとはアプリケーションが異なるので、関連のない研究に見えますが、「ポリマー」や「電気測定」など、私がこれまで手がけてきたことを扱っているので、概念としては他と変わりません。研究を始めたのは2020年4月。マスク不足が叫ばれ、病院では洗濯を行ってマスクを再利用しているというニュースが流れていました。それを観たときに、「これはまずい」という危機感を持ったのです。というのも、「N95マスク」はポリプロピレンという素材が入っていて、フィルターをくぐり抜けるような小さな粒子ウイルスでも静電気によって吸着させることができる高性能マスク。(空気中の粒子を95%以上捕集できるという意味で「N95」という名がついている)。しかし吐く湿った息に長時間さらされることで静電効果は時間とともに失われます。ましてや水で洗濯すると、この静電気によるフィルター機能はほぼ無くなってしまいます。
そこで私は、洗って乾かしたマスクを高電圧で帯電処理して、再利用するアイデアを思いつきました。活用したのは「バンデグラフ」という、触ると静電気で髪の毛が逆立つ、あの装置です。実際百キロボルト程度の電圧を作ることができ、100ボルトの家庭用のコンセントと比較すると、1000倍もの高電圧です。しかし実際に体の中に流れる電流は低電流なので、子どもが触っても身体に害を与えません。5〜6万円で入手できる安価な装置ですが、プロトタイプでマスクに帯電処理を行うと、仮説の通りフィルター効果が戻り、再利用できることが確認できました。今はこの装置の小型化に取り組んでいます。
Q:「メカノクロミックポリマー」におけるセンサ開発や「抗菌ペプチド」開発における独自性について教えてください。
研究テーマによって、独自性は異なります。「メカノクロミックポリマー」では「解析手法」が特長的です。先ほどお伝えしたように、横からの力でしか発光しない「メカノクロミックポリマー」の特徴は広く知れ渡っていたものの、その原理については不明のままでした。定量的に調べようとしても、非常に極小スケールなので、横向きの力を正確に測定できる装置がありません。唯一ナノレベルの力が測れる原子間力顕微鏡も、縦向きの力しか測定できない状態でした。私たちは、摩擦力顕微鏡という原子間力顕微鏡の原理を応用し横向きの力を測定する手法をナノニュートン領域で正確に稼働するように工夫し、それを蛍光顕微鏡と合体させることで、世界で初めてナノニュートンスケールで「メカノクロミックポリマー」の力と発光の相関を明らかにしました。
「ペプチド」の研究においては、「ダブル・コオペラティブ効果」の現象自体が独自性にあたります。この現象を先駆けて発見したことにより、他の研究者よりも一歩先の研究が行えるアドバンテージを得られました。
生物学者や製薬会社のニーズに合ったアプリケーションを開発していく
Q:現在抱えている研究課題はありますか?
「メカノクロミックポリマー」の開発では、縦向きの力しか測定できないというボトルネックがあったのですが、今ではそれも解決できたので、現時点では大きな研究課題はありません。しかし「ペプチド」の研究においては「解析手法」が課題になっています。この研究では、2種類のペプチドを混合させることで、ウイルス(敵)と真核細胞(味方)に対して正反対の効果を発揮しますが、そのメカニズムを解明するための装置が、いまだ見つかっていません。電子顕微鏡でもはっきり見えないナノレベルの大きさで、しかも規則性がないので、X線解析にも不向きなため、既存の解析手法が使えず、現在適した解析手法を模索しています。
マスクの再利用については、開発を始めてから2年が経過し、今ではマスク不足の課題も解消され、病院のニーズもなくなりました。その一方で、使い捨てマスクの廃棄処理が社会問題になりつつあり、再び不織布マスクを再利用できないかというニーズが増え始めています。そこで、私たちの研究室では、個人宅でもマスクが再利用できるように、さらに小型化した装置の開発を行っており、現在特許も申請中です。
しかし、いくつかの企業を回って、プロトタイプをお見せしていますが反応は芳しくありません。その理由として一番大きいのは、環境問題の解決だけでは、企業の利益に直結しないことです。環境課題と企業の売上・利益をいかにしてつなげるか。この問いを解消しないかぎりはマスクの再利用の道は広がらないと思います。
Q:今、共同研究を行いたい企業や業界はありますか?
私は物理がバックグラウンドにあるので、自分のユニークさを発揮するためにも、やはり「ツール・デベロッパー」として生物学者や製薬会社らが使えるツールを開発していきたい。そのため今一番興味を持っているのは、製薬会社です。彼ら製薬会社が持っているノウハウは非常に魅力的で、彼らがどういう課題を持って創薬に取り組んでいるのかを知りたいと思っています。スイスの大学で研究していた頃に、ある製薬会社からの依頼で装置を開発したことがあります。この領域の研究はニッチなのですが、予算もつくため非常に大きな市場があります。しかし、外からはあまり知られていません。
地球温暖化のような環境問題は社会課題として認知されているため、ライバルとなる研究者も多いです。それに対して、製薬会社の装置の開発は、その課題自体が非常に特殊であり、ライバルも限定されます。それにツール・デベロッパーとしての専門性も活かせるので、彼らのニーズに応えたアプリケーションを生み出すことも可能だと思います。
Q:学生に期待することは何ですか?
私の研究室を出たからには、やはり行きたい進路に進んでもらいたい。そのためには、求められるプレゼンやライティング(論文作成)などのコミュニケーション能力を鍛え、全員に必ず論文を書いてもらえるようにしています。博士研究員であれば、これまで専門で培ってきたノウハウを活かして、新しい風を研究室に吹き込んでもらえるように働きかけます。そういう研究員であれば周りの人たちにも刺激になり、研究自体もけん引してくれる存在になると思います。
学生は性格や志向が一人ひとり異なります。それだけに各々に合った関わり方や指導が必要です。私が一番大切にしているのは、その学生が何に興味を持っているのかを見抜くこと。学生のなかには「良い論文を仕上げたい」という人もいれば、「作業が好き」という人もいます。スイスの大学で6年間研究室を持って指導をしていたときは、実験をしない学生が少なくありませんでした。その学生をどのようにしてやる気にさせるのかを考え、あの手この手でアプローチしたときに見出したのがモチベーションを高める役割づけです。例えば、ハンダごてが好きな学生には、それをたくさん使うようなプロジェクトを任せます。そうすれば、実験に積極的に取り組むようになり、必要なデータも主体的に出してくれます。そんなふうにして、一人ひとりが何によってモチベーションが上がるのかを見極め、それにつながる業務を任せていきました。
もちろん、学生自身でやりたいことを見つけていくのが、何よりも大切です。そうなるためには、自分自身で自由にできる時間をつくることです。勉強や研究に取り組むことも必要ですが、日々そういった業務に追われていると、新しいことに取り組もうという意欲が生まれません。日常の業務に埋もれることなく、新たな研究テーマを考えられる、考える時間を生み出せるように、学生には働きかけています。
私が、N95マスクの再利用を思いついたのも「この自由(暇)な時間が持てた」からです。スイスから帰国した当時は、日本に新型コロナウイルス感染症の第1波が押し寄せ、研究所がロックダウンしました。そのため向こうから学生を呼んだり、装置を移したりすることができず、何もない研究室で半年間過ごしました。もし普段通りに研究が回っていたら、マスクの再利用の研究は生まれていなかったと思います。アイデアが生まれたときに、それを実行するためには片手が空いていることが非常に重要です。
Q:今後の展望を教えてください。
最初に挙げた3つの研究テーマのうち 「ペプチド」によるダブル・コオペラティブ効果を高める研究、まずはこれをさらに進めていきたいと考えています。これまではペプチドを細胞にのせてバクテリアを撃退したり、人間の真核細胞で毒性が下がることを確認したりするような基礎研究を行ってきました。私は生物学者ではないので、そこから先のマウスを使った研究までは、まだ行った経験がありません。目標の創薬を考えるとマウスの実験は避けて通れません。幸いなことに、ここ生産技術研究所には、こうした実験に精通した先生が多数いらっしゃるので、そういう方たちの力をお借りして、次のステージにチャレンジしていきます。もちろん、それ以外の研究においても実用化のチャンスはあると思いますので、社会ニーズにアンテナを高く張って、私たちの強みであるツール開発を通じて、研究を推進していきます。(了)
杉原 加織
(すぎはら・かおり)
東京大学 生産技術研究所 講師
2006年3月 慶應義塾大学 理工学部物理学科 卒業。2008年3月 東京大学大学院 工学系研究科物理工学専攻 修士課程修了。2012年3月 スイス連邦工科大学チューリッヒ校 博士課程修了。同年4月 マックス・プランク研究所インテリジェント・システム科研究員に着任。2014年4月 ジュネーブ大学 理学部 物理化学学科 テニュアトラック助教を経て、2020年より現職。