あらゆるモノ(製品)がインターネットでつながるIoT時代。今後IoTが進展して、今まで以上にモノがつながり、データ量が膨大になってしまうと、従来の集中処理型のシステムだと、末端にある製品(エッジ端末)が処理結果を受け取るのに相当な時間を要してしまう。それによりリアルタイムで情報を受け取れない可能性が出てくる。そこで重要になるのが、エッジ端末の近くで情報処理を行う「エッジコンピューティング(自律分散型)」だ。このエッジコンピューティングに適した、超小型・省電力のCPUを開発したのが、東京工業大学 大学院の原祐子准教授である。今回は原准教授に、超小型・省電力CPUの開発にいたった背景や、実用化に向けた新たな研究などについて話を伺った。
CPU開発の次は、セキュアな設計手法の研究
Q:まずは、研究の概要についてお聞かせください。
IoTに欠かせない組み込みシステムを、ニーズに応じて最適設計できる技術をハードウェアとソフトウェアの両面から研究しています。組み込みシステムとは、特定の用途を実現するために、家電製品や産業機器などに内蔵されているコンピュータシステムのこと。みなさんの周りにあるパソコンを除く、電子レンジ、炊飯器、自動車などの電子機器は、すべて組み込みシステムが内蔵された「組み込み機器」です。これらの電子機器は、設計時点で何に使うかが決まっています。炊飯器は「お米を炊き」、電子レンジは「料理を温め、解凍します」。そして、自動車は「人やモノを乗せて運びます」。このように「組み込み機器」は、機能が限定されているわけです。
しかし、パソコンは違います。購入した人が、自分で使い方を決められます。ある人は経理業務を行うために会計ソフトをインストールし、ある人は企画書を作成するためにPowerPointなどのビジネスソフトを立ち上げます。学生ならゲームや動画閲覧のソフトを多く使っているかもしれません。このように人によって使い方が異なるパソコンは、機能を限定せずに汎用的に作られています。
組み込みシステムは機能が限定されているので、汎用性のあるシステムに比べてローコストで作り込めるメリットがあります。新製品を開発するたびに一から設計を行うのではなく、設計方法を共通化したり、従来の製品を部分的にブラッシュアップしたりして、製造工程の期間やコストを抑えることが可能です。
製品のバージョンアップなどでは、最初にソフトウェアの開発(更新)を行います。しかしソフトウェアを高機能化した分、処理速度が遅くなる可能性があり、その際は一部のハードウェアを作り変えて、ソフトウェアの負荷を抑えることを考えます。一方で組み込みシステムにはバッテリーが必要不可欠なため、エネルギーの省力化は常に意識して開発する必要があります。こうした相反する環境下で、いかに最適な組み込みシステムを開発するかが肝になります。
この組み込みシステムの開発思想を活かして、2021年に発表した研究が超小型・省電力のCPUの開発です。コンピュータは「0」と「1」の2種類の数字(信号)をスイッチの「ON」「OFF」に対応させて電流を発しています。組み込み機器の中には、何千万ものスイッチがあり、「0」と「1」を繰り返すたびにスイッチが入り、電気をたくさん消費してしまいます。しかし部品が小さくなることによって、電気量も少なくなるので、小型化は省力化につながります。私たちが開発したCPUも縦横わずか1mm×1mmサイズで、アルカリボタン電池(LR44)を使って約100日間連続で稼働できる電力効率が極めて高い装置です。
地震が起きた際の津波をシミュレーションするには膨大な計算量が必要なので、スーパーコンピューターがないと行えません。しかし、ヘルスケアのような人の動きなどに合わせて計算する場合なら、データ量も限定され、それほど速い処理スピードが求められるわけではないので、高性能のCPUも必要ありません。つまり後者なら処理速度が下げられ、機能も制限できるので、低電力で部品も減らすことが可能です。
Q:超小型・省電力のCPUの用途としては、「ヘルスケア」領域でお考えですか?
そうですね。心拍数や睡眠時間、歩数、消費カロリー、走行距離などのデータを計測できるウェアラブル端末は、私も一時期使っていたのですが、時計を2個付けているみたいで、まだ大きさに違和感がありました。最近は、指輪型サイズもありますが、それもまだ少しサイズが大きい印象です。最近はセンサの小型化も進んでいるので、それと合わせて超小型のCPUが実用化できれば、よりコンパクトで長時間使えるウェアラブル端末が実現できると考えています。この高齢化社会の日本では、介護施設や病院などに入れずに、自宅での介護が一般的になってきました。私も遠方で暮らす親をもつ身なので、急に親の体調が悪くならないか心配が尽きません。超小型のウェアラブル端末なら、常に身に付けられますし、省電力なのでバッテリーが切れて復旧しないというトラブルも防げます。なにより、親の健康状態(心拍数のデータなど)を、家族のもとにリアルタイムで届けてもらえるので、私のように親と離れて暮らす家族にはニーズがあると思います。
Q:この研究の独自性は、どんな点にありますか?
CPUは汎用性が高く、どのようなプログラムも円滑に実行できるのが特徴です。そのため「高性能化、多機能化」が主流となっています。しかし、「高性能化、多機能化」だけではカバーできない新たなニーズがあるのではないか。そういった逆転の発想から、この開発は生まれました。この考え方こそが、この研究の独自性といえるのではないでしょうか。
今や、身の回りのあらゆるものがネットワークにつながる「IoT」の時代。私は、この「IoT」を意識して、これまでさまざまな研究に取り組んできました。IoT領域では、現在はクラウド(ユーザ側から離れた場所にある計算資源)でデータの解析を行い、インターネットを介して、その処理結果を末端にある製品(エッジ端末)に届ける「クラウドコンピューティング(集中処理型)」が一般的です。
今後IoTが進展して、膨大なデータ量が発生してくると、ネットワーク遅延やデータの転送速度による遅延などによりエッジ端末(製品)が処理結果を受け取るのに相当な時間がかかってしまうトラブルが発生してきます。そうなるとリアルタイムで情報を収集することができない可能性も出てきます。そこで求められるのは、エッジ端末(製品)の近くで情報処理を行う「エッジコンピューティング(自律分散型)」の仕組みです。このエッジコンピューティングは、クラウドコンピューティングに比べると消費電力が限られているため、低電力・軽量でデータ処理ができるシステムです。まさに今回開発した超小型・省電力のCPUが不可欠となってきます。
Q:現在は、どのような研究に取り組んでいるのでしょうか?
IoTによって、さらにさまざまな組み込み機器などの製品がインターネットにつながると、次に重要になってくるのが「セキュリティ」です。ヘルスケア領域においても、他の人に知られたくない個人情報が多く含まれています。それをいかにして不正アクセスやハッキングなどから守り、情報漏えいさせないようにできるかが今後求められます。実際、外部攻撃による情報漏えいは大きく分けて2つです。1つ目はネットワークからの侵入。代表的なのは「PCウイルス」「成りすまし」です。もう1つは、製品の特徴を解析して情報をハッキングする方法です。私たちは、後者のセキュアな設計手法の開発に取り組んでいます。
例えば、組み込み機器などの製品に内蔵されているデジタル回路が稼働しているときは、消費電力は一定ではありません。そのため、その消費電力のパターンを解析することで情報を盗み取ることができます。特にIoTによって製品がネットワークでつながり、個人情報が手に入りやすい場所にあるようになったことで、昔よりもハッキングが容易になりました。私でもちょっとコツをつかめば情報が取れてしまうほどです。このようにインターネットにつながった製品が世の中に増えれば増えるほど情報漏えいのリスクは上がっていきます。
では、実際にどのような対策を講じればいいのか。一番簡単な方法は、製品の消費電力を一定にしてしまうことです。そうすれば、外部からは何をしてるか分かりません。しかし、それを実行しようとすると、一番消費量の多い電力に合わせることになり、無駄な計算や消費が増えてしまいます。消費電力の変動パターンがリスクとなるなら、守りたい情報とこのパターンを無関係にすれば、無駄な消費をせずに、外部からの解読も防げます。そこで情報をさまざまな場所に分散させ、かつ暗号的なアプローチを用いて、1箇所が分かっても解明できないようにしています。本来情報というのは、それだけで意味を持つものですが、情報をランダムに表示させることで、全部がそろわないと元の意味が分からないようにして、情報の漏えいを防ごうと考えているわけです。
他分野と連携することで、実用化に向けた課題を発見し、解決できる
Q:技術的・産業的な課題としてどんなところがありますか?
先ほども触れましたが、組み込みシステムはメモリの資源などが非常に限られており消費電力を抑える必要があります。その環境下で、セキュリティのために複雑な暗号処理を設定しなければなりません。必要なものと求められるものが相反する世界で、CPUを開発していく必要があり、これが技術的な課題になります。
パスワードの文字数が多くなればなるほど、使う人にとってはセキュアですが、それを処理するには電力を必要以上に使います。求められるセキュリティレベルに応じてパスワードの強さを変えることで、処理の負担も軽減できます。それが技術的な課題を解決する上で、最初に考えられるアプローチだと思います。ヘルスケアの場合、常時モニタリングは必要不可欠ですが、歩いたり、座ったりしている状態なら、個人情報はあまり気にしなくてもいいと思います。しかし、その人の持病に関係する情報には注意しなければならないでしょう。ただし、同じ情報でも病院などの施設内なら問題にならないことでも、屋外に出ると情報漏えいの可能性が高まります。このような状況も加味する必要があります。
次に産業的課題としては、セキュリティを重視しても製品の価値として認められない点です。企業の開発者にお話を聞くと、IoTのセキュリティは「みんな大事だとは分かっていても、そこにお金が発生した時点でほとんどの場合賛同を得られません」とのこと。同じ品質の製品が販売されていたときに、セキュリティが万全な分、高額となれば、ほとんどの人は安価な製品を購入します。製品にセキュリティを担保していくためには、ユーザー任せではなく、法律的な整備が必要でしょう。
Q:この分野を志す学生には、どんなことが必要でしょうか?
まずは、いろんな人たちとコミュニケーションをとってみることです。同じような考え方や思想を持った人たちと固まっていると、新たな発想や着眼点が見出しにくいです。私も学生の頃に、学会などで知り合ったり、旅行先で出会ったりした友人からは強い影響を受けました。そして、それは研究をする上でも大きな刺激になっています。
もう1つは、今取り組んでいる研究テーマの必要性を意識することです。なかなか成果が出せず、うまくいかない時期は誰にでもあります。その壁を乗り越えていくためには、「なぜこの研究に取り組んでいるのか」「これができたらどんな嬉しいことがあるのか」ということを常日頃から考えておくことが大切です。 それは他の論文を読んでも決して見出せません。自分自身で問い続けることで、研究に取り組むモチベーションの向上にもつながります。
Q:どういった企業と共同研究を行っていきたいですか?
内閣府が策定した第5期科学技術基本計画で提唱している新しい社会のあり方として、「Society5.0」というのがあります。これは、「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会」のこと。この「Society5.0」では、さまざまな技術が融合するので、IoTなどの情報系だけをやっていては解明できない問題も出てきます。そういった意味でも、今までお付き合いしてこなかった業界・業種の企業や部署とも共同研究を行っていきたいと考えています。
今は、メーカーでも研究所に近い部署の人たちとの共同研究が大半です。そうするとサービスを提供する側のニーズはつかめますが、ユーザーのニーズまでは把握できません。そういった方面に強い企業や部署などともコラボレーションしていきたいですね。
Q:今後の目標を教えてください。
現在の研究で取り組んでいるセキュアな設計開発は、もともと解読不能な数学の問題がベースにあります。それは、どこからも暗号情報が漏れない理想的な環境で、数学的に難解な問題だけを意識して作っているようなものです。しかし実際には、電力パターンの解読や、ユーザーによるパスワードの使い回しなど、いろんな問題が複雑に絡み合って新しい課題が出てきます。その解決には、異なる分野の人たちとの融合が欠かせません。それこそ今はセキュリティをテーマに取り組んでいますが、さらに研究が進んでいけば、新たな領域の課題が浮き彫りになり、最終的には実用化に直結した問題の発見にもつながってくると思います。チャレンジングなテーマですが、社会課題を解決するためにもぜひ実用化したいですね。(了)
原 祐子
(はら・ゆうこ)
東京工業大学 工学院 准教授
2010年 名古屋大学大学院情報科学研究科博士課程修了。同年日本学術振興会 特別研究員、2012年 奈良先端科学技術大学院大学 情報科学研究科 助教を経て2014年 東京工業大学 理工学研究科 准教授に就任。2016年 同大学 工学院情報通信系 准教授を経て 2017年より現職。