生命の設計図であるゲノム情報を書き換える「ゲノム編集」という言葉がにわかに注目されている。2013年に報告されたCRISPR-Cas9を用いたゲノム編集技術はさまざまな分野に技術革新をもたらした。DNAを切断するハサミ役であるCas9タンパク質、ガイドRNA、ターゲットDNAからなる複合体の結晶構造を世界にさきがけて解明し注目を集めているのが、東京大学 大学院理学系研究科 西増弘志 准教授だ。西増准教授は、立体構造の解明にくわえ、分子構造を改変することにより、ゲノム編集技術をさらなる高みへと導いている。今回は研究の経緯や展望について、西増准教授に話を伺った。
独自の「合理設計」手法で分子を改造
Q:まずは、研究の概要について教えてください。
CRISPR-Cas9(クリスパーキャスナイン)を用いたゲノム編集が報告されたのが、2013年の1月のことでした。Cas9とガイドRNA(Cas9とガイドRNAの複合体をCRISPR-Cas9とよぶ)を哺乳類細胞に導入すると、ゲノムDNAの狙った位置が切断され、ゲノム編集できることが明らかにされたのです。
当時は、Cas9がどういうかたちをしていて、どのようにガイドRNAと結合して、標的となるDNAを見つけ出して切るのか、そのメカニズムはまったくわかっていませんでした。
ゲノム編集は、CRISPR-Cas9の登場前から研究されていました。ZFNやTALENとよばれる人工のDNA切断酵素を用いてゲノムDNAを切ると、それをきっかけにゲノム編集できることがわかっていました。しかし、ZFNやTALENには、使い勝手がよくないといった問題点が残されていました。
2007年ころから、ゲノム編集とはまったく別の研究分野において、細菌がCRISPR-Casとよばれる生体防御機構をもっていることがわかってきました。ウイルスに感染した細菌はCRISPR-Casシステムを用いて、ウイルスのDNAを破壊します。CRISPR-Casシステムに関わるCasタンパク質はいろいろありますが、Cas9はそのひとつで、ガイドRNAと塩基対をつくるDNAを見つけ出して切断するはたらきをもちます。2010年から2012年にかけて、Cas9の詳細な機能が明らかにされてきました。そのころから、ZFNやTALENの代わりにCas9がゲノム編集に利用できるのではないかと考える研究者が増えてきました。
2013年の1月にブロード研究所のFeng Zhangの研究室から、Cas9を用いたゲノム編集技術が報告されました。さらに、世界中の研究室から、Cas9がゲノム編集に使えるということが相次いで報告され、ゲノム編集技術が爆発的に進展してきました。
2012年の年末、Fengから「Cas9の構造解析を一緒にやらないか」というメールが上司の濡木 理 教授に届きました。Fengはスタンフォード大学で光遺伝学を研究し学位をとったのですが、その当時、チャネルロドプシンという膜タンパク質の構造解析に関して濡木研究室と共同研究を行ったことがありました。そのような縁があったため、Cas9の共同研究のお誘いのメールをくれたのです。僕自身もタンパク質と核酸の複合体の構造解析に興味があり、さらにラッキーなことに、取り組んでいた研究テーマがちょうど論文になり、新しい研究テーマを模索していたところでした。まさに絶好のタイミングでした。
Cas9はとても面白い機能をもつ新規のタンパク質ですので、世界中の研究者が興味をもっていました。とくに、2012年にCas9の機能を報告したJennifer Doudnaの研究室は構造解析も得意ですので、少なくとも半年以上前から構造解析に取り組んでいることが予想されました。しかし、リスクはあるけれど、Cas9の作動機構を明らかにしたい、と思い研究をはじめました。
「さきがけ」という若手研究者を対象としたグラントがあるのですが、2012年から3年間、構造生命科学領域の募集がありました。第2期生として採択していただいたのですが、面接の際にはアドバイザーの先生から「世界中の研究者との競争があるのに、あなたに勝ち目はあるのか?」などと聞かれました。
2014年の2月、Cas9、ガイドRNA、ターゲットDNAからなる複合体の結晶構造を世界にさきがけて報告することができました。その後も、さまざまな細菌に由来するCas9の結晶構造を明らかにすることができ、Cas9の作動機構の大部分がわかってきました。
Q:こうしたなか、西増様の研究にはどういった独自性があるのでしょうか。
Cas9の立体構造を明らかにするだけではなく、新しい機能をもつCas9をつくることにも挑戦しています。Cas9はアミノ酸がつながってできたタンパク質なので、ある場所のアミノ酸の種類を変えることにより、その性質を変えることができます。Cas9は連続した2つのグアニン塩基(PAMとよばれる)を目印にして標的となるDNAを探すため、ゲノム編集できる遺伝子には制限があります。そこで、PAMの近くに位置するアミノ酸を変えることによって、1つのグアニン塩基を認識するCas9をつくり、ゲノム編集の適用範囲を拡張することに成功しました。異なる機能をもつタンパク質をつくるにはいくつかの手法があります。ほとんどの研究者は、ランダムに変異を入れて新しい機能をもつタンパク質をとってくる人工進化とよばれる手法を用いています。
Cas9に関しても、立体構造がわかると、PAMの認識やDNAの切断などの機能に重要な部分が特定できるわけです。
Cas9は約1300個のアミノ酸からなり、アミノ酸は20種類もあるので、どこが重要かまったくわからない状態で変異を入れていくのは大変です。しかし、立体構造がわかって、重要な部分がある程度わかれば、その部分のアミノ酸をランダムに変えることができます。
ランダムな変異をもつCas9をたくさんつくって、その中から目的の機能をもつものをとってくるというアプローチが可能になるわけです。
独自性の観点からいうと、私たちはランダムではなくて、構造を見て設計するという「合理設計」の手法をとっています。このような手法で設計している人たちは世界的に見てもほとんどいません。
パソコンのモニター上でCas9の分子構造を見ながら目的の機能をもつようにアミノ酸をあれこれ変えてみて、実際に変異を入れたタンパク質を精製し、そのDNA切断活性を実験的に検証する、というサイクルを繰り返し、目的の機能をもつCas9をつくっていきます。このような手法は他ではあまりやっていません。自分たちで結晶構造を決定し、構造をよく知っていることが基盤になっていると思います。
Q:実際の研究はどういう進め方なのでしょうか。
まだ構造のわかっていないCasタンパク質もたくさんあるので、それらの構造解析にも取り組んでいます。
構造解析の手法として、従来はタンパク質を結晶にして、X線を当てて構造を決定するX線結晶構造解析が主流でした。
最近は、クライオ電子顕微鏡を用いた単粒子解析が注目されています。この手法は以前からありましたが、ここ数年の技術革新により分解能が劇的に向上しました。2017年にはノーベル賞も出ています。
X線結晶構造解析には、膨大な条件を試してよい結晶を得る必要があります。これが難しい。さらに、よい結晶かどうかはX線を当ててみるまでわかりません。一方、クライオ電子顕微鏡の場合は、結晶化の必要はなく、また、少量のサンプルで解析できるため、これまで構造解析できなかったタンパク質の構造がすごい勢いで明らかにされています。
構造生物学の研究手法はこの数年で大きく変わりました。日本にもクライオ電子顕微鏡が数台導入され、ここ1、2年で研究の進め方が大きく変わりました。
Q:現在、研究室の体制はどうなっていますか。
現在は准教授として、10人ほどの学生と一緒に研究しています。
最初、CRISPRを研究しているのは自分ひとりでした。2015年ころから学生さんが加わり、一緒に研究に取り組んでいます。
現在は授業や他の仕事も増えてきたこともあり、まだ自分でも少し実験をやっていますが、ほとんどの実験は学生さんが進めてくれています。実験は好きなので、できるだけ続けたいのですが。
課題を掴み、次なるテーマを模索する
Q:研究における課題として感じている点はどんなことでしょうか。
ゲノム編集の課題としては、様々なところで議論されていますが、倫理的にどのようにヒトに適用していくかということがあります。
すでに一部の農作物には適用されていますが、国によっても規制が違うので、そのあたりはなかなか難しいところです。
ゲノム編集には、適用範囲の制限や標的以外も切ってしまうオフターゲットなどの課題も残されています。簡単ではありませんが、今後はそのような問題を克服したゲノム編集ツールを開発できたらいいなと思っています。
Q:この分野を志す学生には、どんなことが必要でしょうか。
理学部生物化学専攻の学生は4年生から研究室に配属になります。また、大学院から入ってくる人もいます。
研究テーマは、研究室に配属したのち、話し合って決めます。実験の手技は、人にもよりますが、1~2年でかなり慣れてきます。手を動かして実験することくわえ、研究成果をまとめて発表したり、論文を書いたりすることも重要です。さらに、博士課程の学生は自分でテーマを立案できるところまでいけるとよいと思います。
何をやるか、やる意味があるのか、他の研究者との競争もあるなかで自分たちの強みは何かなど、さまざまなことを考慮してテーマを決めるのは、簡単ではないですが、研究においてもっとも重要なことのひとつだと思います。
僕自身の経験に戻りますが、Cas9の機能は2012年の6月に報告されていたので、2013年の1月に研究を開始した時点で、すでに他の研究者は構造解析に取り組んでいました。しかし、RNAやDNAの結合した状態ではなく、まずCas9のみの状態の構造解析に取り組んでいるだろうと考えました。
ゴールがひとつであれば、先にはじめている人には勝てないでしょう。Cas9はいろいろな状態をとるので、ゴールがいくつもあったわけです。数段階先のゴールを目指せば、勝機はあると考えました。研究は勝ち負けではないのですが、なかなかそういうわけにもいかないのが現状です。
学生さんはとても熱心に研究に取り組んでいます。一方、将来に対して悲観的になりすぎている人が増えてきているように感じます。日本において「博士」の評価が低いことが一因のように思います。博士をとっても職がないといった記事も目にしますが、博士号をとってアカデミックや企業で活躍している知り合いもたくさんいます。とくに、海外でサイエンスに関する仕事をするなら博士号は必須なようです。
1~2年やっても研究成果が出ていないと不安になる学生もいるかもしれません。ただ、1~2年で研究に向いているかを判断するのは、少し早すぎるように思います。すぐに結果が出なくても、しっかりとした研究能力を身につけることが重要だと思います。
僕は2007年に博士号をとりましたが、数年後にCRISPRの研究をしているなんて想像もしていませんでした。CRISPRの生理的な役割が報告されたのが2007年ですので。タンパク質や核酸の作動機構に興味をもって研究していたらここまできた、という感じです。いろいろと運がよかったと思います。ただ、運だけでなく、研究テーマを立案し、実験をデザインし、実際に実験を行い、論文にまとめるという一連の研究能力が身についていたのがよかったと思います。
研究が好きなら、悲観的になりすぎずに研究に没頭してほしいと思います。将来をよく考えることは大切ですが、いくら考えても予想できないこともあります。どの研究分野も変化が速いので、予想外の変化が突然起こることも十分に考えられます。CRISPRやクライオ電子顕微鏡がよい例です。新しい研究分野が登場したとしても、研究の基盤となる能力は変わらないので、学生時代はやりたいことを突き詰めるのがよいと思います。
Q:最後に、今後の目標について教えてください。
現在は一段落した状態でもあるので、何か新しいことに挑戦したいと考えています。また、自分の研究室をはじめるような時期になってきているので、これから数年で環境も大きく変化するように思います。
学位を取得し濡木研にきて12年、CRISPRの研究をはじめて6年になりました。この間に国内外のさまざまな人たちとのつながりもできましたし、想像以上に成長できたことに感謝しています。今後はこれらを活かして面白いことをやっていきたいです。(了)
西増 弘志
にします・ひろし
東京大学 大学院理学系研究科 准教授。
2007年東京大学 大学院農学生命科学研究科 博士課程 修了。博士(農学)。
日本学術振興会 特別研究員PD(東京大学)を経て、2007年10月より東京工業大学 大学院生命理工学研究科 特任助教。
その後、2008年には東京大学 医科学研究所基礎医科学部門 助教となり、2010年からは東京大学 大学院理学系研究科 特任助教、2013年からは東京大学 大学院理学系研究科 助教を務める。
2019年より現職。
また、2013年から2017年にはさきがけ研究者も兼任。