細胞の多くは老化して死んでしまうなか、それでも生命を維持し続けられるのは、少量の「死なない、あるいは死ににくい細胞」が存在するためである。こうした「死ににくい細胞」の特性を明らかにすべく、遺伝情報であるゲノムの維持機構に着目した研究を行なっているのが、東京大学定量生命科学研究所教授 ゲノム再生研究分野の小林 武彦 教授だ。老化、若返り、寿命といった、世間的に関心の高いキーワードについて遺伝子の側からどのように明らかにしていくべきか、その科学的な注目点について伺った。
遺伝子「FOB1」「SIR2」と寿命の関係を探る
Q:まずは研究の概要について教えてください。
主に酵母菌を使った研究をしています。
酵母菌はアルコール発酵する単細胞生物ですが、大きな分類でいうとカビ菌の仲間です。生ビールや醤油、パンづくりなどに使われていることは皆さんも知っていると思いますが、昔から分子生物学の実験材料としてもよく使われている生き物です。
酵母菌は、寿命を持つシンプルで簡単な生き物です。ほとんどの大きな生き物には寿命がありますが、細菌やバクテリアなどのように簡単な生き物のなかには、ずっと生き続けるものもいます。
一方で酵母菌は、20回ほど分裂すると老化して死んでしまいます。時間でいうと大体2日間くらいの儚い命なのです。
私の専門分野の話になりますが、私はもともと老化や寿命の研究ではなく、DNAの研究をしていました。DNAのゲノム情報というよりもDNA そのものの研究で、修復や複製、組換えについてです。
遺伝子の本体であるDNA は、一体どのように複製されて、どのように親から子に受け継がれていくのか。受け継がれてきたその流れを汲んで 、DNA はどのように修復されるのか、それがまたどのように複製されるのかといった研究をしていました。
DNAはいわば、修復をしながら生命を維持していくものです。
実は、 DNA以外のものはみんな全く新しい状態にすることができます。例えば、私たちの身体をつくっている、タンパク質や脂質など、DNA 以外のものは完全に新しいものをつくることができるのです。
しかし、DNAは遺伝情報ですから、親から子へ受け継がれ、分裂するときも細胞から細胞へ受け継がれるものです。そのため、新しくつくることができません。もともとある遺伝子の設計図を完全に新しく書き換えることはできないのです。半分ずつ情報をコピーしながら、次の細胞、あるいは次の世代へと続いていくわけです。
例えば紙の情報をコピーするときには間違ったり薄くなったりすることがあります。DNAも似ていてそれが原因で壊れてしまうものが出てきます。修復しながらずっと維持していくわけですが、実はそこがネックになっています。
もちろん良いこともあって、 DNAの情報がちょっとずつ変わることによって、長い目でみれば我々は進化することができました。ただし、どちらかというとマイナスことのほうが多くあります。
例えば、がん。遺伝子の情報が変わることを「変異」というのですが、それによって引き起こされるのが、がんです。細胞分裂がかさんでいくほど、がんになりやすくなるといえます。
我々の身体にはいくつもの細胞がありますから、一つでもがん細胞が生き残ってしまうとそれだけで身体全体がやられてしまうこともあるのです。ですから、遺伝情報がちゃんと複製されていくこと、直されていくことは非常に重要なことなのです。
修復について研究していくうちに、「壊れやすい」という特徴について興味を持ちました。DNAは物質の名前のことで、DNAに書かれている情報のことを遺伝子やゲノムと呼んでいます。ものと内容で同じものを示しているので、ゲノムDNAと呼んだりもします。ゲノムDNAには壊れやすい部分が2つあります。
1つは「テロメア」という染色体の端っこの部分で、だんだん短くなる壊れやすい部分です。もう1つは「反復配列」という同じことをずっと繰り返している部分で、情報がこんがらがりやすいのでここも壊れやすい部分です。
DNAは二本鎖のらせん構造になっていて、複製されるときや、転写するときに剥がれていきます。剥がれた時に同じものが横にあると、横とくっついてしまうかもしれないわけです。同じ配列が並んでいるところは、こんがらがって壊れやすい。その一番親玉のようなところが、私が専門に研究している「リボゾームRNA遺伝子」というところです。
リボゾームは、たんぱく質をつくる装置です。細胞の中に最も多く含まれているたんぱく質RNA複合体で、全ての生き物が持っている、遺伝情報の翻訳装置です。
酵母の場合だと、全たんぱく質の60%がリボソームです。電子顕微鏡の写真で細胞を拡大すると見える、ぶちぶちとした粒子がリボソームです。
リボソームには、リボソームたんぱく質と RNA があり、RNAが骨組みで、骨組みの周りに雪だるまのようにたんぱく質がくっついています。リボソームRNAの遺伝子は、100コピー以上もあります。ヒトの細胞の場合だと700コピーくらいあります。
普通の遺伝子は1つで、お父さんとお母さんから一つずつもらっているので細胞あたり2つです。それに対してリボソームはたくさんのたんぱく質をつくらなければならないため、必要数が多く、酵母の場合には150個もずらっと並んでいます。その中で組み換わったり脱落したりして、コピー数が変化してしまうのです。
我々の専門用語では壊れやすい場所という意味で「脆弱(ぜいじゃく)部位」といったりもしますが、私はこの脆弱部位の組換えや修復を専門とし、どのようにして直されているか、どのようにしてコピー数を維持しているのかなどの研究をしていました。
研究を進めるうちに、遺伝子増幅に関係しているものや、こんがらがらないように働きかけている遺伝子を見つけることができました。
そのなかでものすごく影響力のある遺伝子が2つあります。
1つは「FOB1」というもので、コピー数がガクッと減ってしまったときにわざと組換えを引き起こしてコピー数を戻す働きがあります。酵母の細胞の場合は、150個くらいのリボソームRNA遺伝子のコピー持っていますが、減ってしまったら数を戻さなくてはなりません。たくさんないとリボソームは十分につくれないので、「FOB1」にはすごく重要な働きがあるといえます。
そしてもう一つは「SIR2」という遺伝子です。「FOB1」とは全く逆で、ずらっと並んでいるコピーが組み換わったり脱落するのを防ぐ役割があります。
この「FOB1」と「SIR2」、プラスとマイナスのような関係にある2つの遺伝子がコピー数を維持する上でとても重要な役割を持っているといえます。
面白いことに、この2つの遺伝子は酵母の寿命にも関わっていることがわかってきました。先ほどもお話ししたとおり、酵母は20回ほどしか分裂しないのですが、「FOB1」を潰すことでそれが30回ほどにまで延び、2日間の命だったものが3日間にまで延びたのです。これが人間の寿命であれば80歳が120歳となりますから、驚きの結果です。
また「SIR2」を潰したところ、酵母の寿命が半分ほどになってしまいました。酵母自体は元気なのですが、分裂する回数だけがぐっと減ってしまったのです。つまり、2つの遺伝子がつくり出すたんぱく質の量によって、酵母の寿命が決まっているということがわかったのです。
ここまでは酵母の話をしてきましたが、「SIR2」はマウスや人にもある遺伝子です。マウスで「SIR2」をたくさん働かせる実験で、マウスの寿命が延びるという結果が出ています。
もちろんヒトでの実験はできませんが、様々な生物で同じように壊れやすいところで老化スイッチをONにすれば、異常な細胞を排除できるのではないかと考えています。
現在の最大のトピックは、どうすれば「SIR2」を活性化できるかということです。その研究のために多くの企業が研究をする中、アメリカのベンチャーが見つけたのが「リセベラトロール」というポリフェノールの一種で、赤ワインなどにも含まれる渋みの成分でした。
リセベラトロールによって「SIR2」は活性化し、酵母の寿命が延びるとの報告ですが、本当に効いているか効いていないかについての論争が続きました。
ポリフェノールそのものは健康食品として認知されていて、抗酸化作用があることも知られていますから、健康にはいいものだと思います。ただ、寿命を延ばす効果があるかどうかについては、いくつかの異なる報告があり、まだはっきりとわかっていないです。
そんななかで、さらに興味深い話が出てきています。「SIR2」には補酵素というビタミンのような物質が必要で、補酵素が「SIR2」に乗っかることで「SIR2」は元気になります。この補酵素は「NAD+」というもので、これを増強することで酵母の寿命が延びることがわかったのです。
さて、この補酵素「NAD+」には「食事が多すぎると出にくくなる」という特徴があり、逆に制限をして食事を少なめにすると増やすことができます。
よく「腹八分」といいますが、多くの生き物で満腹よりも食事の量を2割ほど減らすと寿命が延びることがわかっていました。しかし、なぜそうなるのかということは明らかにされていなかったのです。
つまり「NAD+」の特徴がわかったことで、この謎の一端が解明され「SIR2」はさらに注目されることとなったのです。「NAD+」には「NMN」という前駆体があり、細胞内に入ると「NAD+」に変わるものです。
「NAD+」は直接摂取すると毒性がありますが、「NMN」の状態であれば毒性は少ないと言われています。
寿命についてはまだはっきりといえませんが、マウスの実験ではかなりの若返り効果があるという結果も出ています。そのため、「NMN」は注目されているアンチエイジングの材料の一つといえるでしょう。
健康寿命を伸ばす方法を追求する
Q:倫理的、産業的な課題についてどんなことがあるでしょうか。
酵母の寿命を縮めたり延ばしたりということについては、しっかりと意義についての説明をすれば、倫理面でも大きな問題にはならないと思います。しかし、マウスや人などの動物となると老化研究は命の長さを決めることにもつながりますから、倫理面で様々な問題はあると思います。
ただ寿命を延ばしてもダメで、重要なのは健康寿命を延ばすことです。健康であるという状態は、どういうことかも研究しなければなりません。
寿命だけを考えると、100年ほど前から寿命はずっと延び続けています。100年前、日本人の平均寿命は40歳台でした。つまり、100年間で寿命が倍近くになっている。これは、公衆衛生や栄養状態が良くなったことが大きな理由だと考えられています。
そんな中でさらに寿命を延ばす研究が必要かというと、必要ないかもしれません。それよりも必要なのは、健康寿命を延ばす研究だと思います。
できれば死ぬまで健康で働いて、お医者さんの世話にもならずに生きていきたい。ピンピンコロリで最期を迎えたいと思っている人は多いと思います。死ぬまで元気で働けるような老化の仕方を実現できればいいのではないかと考えています。
歳をとった時に皆さんがよくかかるのは、がんと認知症です。
がんは遺伝子の変異で引き起こるため、長く生きれば生きるほどリスクは高くなっていきます。寿命が延びると、がんにもかかりやすくなるということです。
寿命が延びてもがんにかかってしまうのは良くありません。がんにもかからずに健康寿命を延ばすような方法が見つかればいいなと思っています。
Q:研究室の体制はどうなっていますか。
助教の先生が3人、修士と博士課程の学生さんが10名おります。私が理学研究科の所属なのでなので、学生さんも理学系です。皆さんゲノムや老化に興味を持っており、日々研究に励んでいます。
どうして人は歳をとるのか、どうして死んでいくのかなど、歳をとった人はみな実感していることだと思いますが、若い人でも興味を持っている人は多いです。
当研究室では基礎研究に取り組んでいるので、先ほどお話ししたようなゲノムの修復機構であったり、主には壊れやすいリボソームRNA遺伝子について研究をしています。
ゲノムを直す遺伝子の多くは、寿命や老化に関わる遺伝子です。
「早期老化症」という病気があります。50歳くらいで亡くなってしまう希少な病気ですが、多くはゲノムの修復に関わる遺伝子の変異で引き起こされています。健康な人と比べると、DNAを修復する効率に違いがあるのです。
もう一つのテーマは、先ほどの「NMN」のようなアンチエイジングにも働く物質の探索です。私たちはアンチエイジングというよりもゲノムを修復させるのに役立つ物質、修復の効率を上げる物質という見方をしています。
これは結果的に寿命を延ばすことにつながるわけですが、私たちは健康寿命を延ばす、がんの原因になるような変異を起こさないようにする、DNAの傷を直すという部分を重要視しています。これらに関わるような遺伝子は、寿命を延ばしながらがんを減らすことができる、つまり健康寿命を延ばすことにつながるのです。
それらに関わる物質をライブラリーなどから探索したり、他の研究室から有望な物質をいただいてきて、効果を調べることもしています。
Q:学生の興味分野はどういったところになりますか。
この分野に入ってくる人は、健康に興味ある人が多いですね。昔は生命の神秘などに関心を持っている人が多かったのですが、どちらかというと薬の開発など、実際に役に立つような研究に興味を持っている学生が多い感じがしますね。
自分がやりたいことをやるのはもちろんですが、大学院という場所はトレーニングも兼ねているので、「こういう目的のためには、こういうアプローチを取るんだよ」ような方法や論理も教えています。
私たちは主に酵母菌を使っているので、様々なことを短時間に調べることができます。実験のデザインを自分で組んで、こういう方法で調べたらどうかなどと試行錯誤しながらやることのあるので、非常に楽しんでできているかなと思います。
ゲノムの安定性から老化を考える場合には、酵母でかなりのことができます。人間も酵母も同じ機構が動いており、メカニズムも似ていますからね。酵母の方がより早く答えにたどり着くことができます。
Q:企業とのパートナーシップではどのような興味関心が求められますか。
我々は、例えばある物質の DNA を修復する能力や寿命にどういう影響を及ぼしているかを調べることができます。そういったことに関心がある企業には、ぜひご連絡いただければと思います。
共同研究などをすることは、私たちとしては嬉しい限りです。実際にいくつかの企業から声がかかっていますが、現段階では製品の開発などには行き着いていません。企業の方々は、まだアンチエイジングに関して現実味を感じていないようです。
あとは、サイエンスとしてのアンチエイジングは実証が難しいという面もありますね。僕らのようにDNAの修復という見方であれば、サイエンスとして実証することができます。しかし、「この薬を飲んだら寿命が〇〇年延びますよ」といっても実証することはできません。ここが、なかなか難しいところですね。
マウスで効果があって他の生き物でも効果が出ているから、おそらく人にも同じことがいえるのではないか、という感じで、断定まではできません。皮膚の老化、つまりシミやシワについては検証できると思いますが、寿命そのものについては難しいですね。
Q:最後に、今後の目標を教えてください。
理学系ですから、効果のある薬をつくるというよりも、未解決の研究に力を注いでいきたいです。
先ほどお話しした、ゲノムの傷が老化を促すような仕組みを、この先5年くらいで明らかにできればと思っています。(了)
小林 武彦
こばやし たけひこ
東京大学定量生命科学研究所教授。
1992年、九州大学大学院 医学系研究科博士課程修了。理学博士。米国立衛生研究所研究員、基礎生物学研究所助教授、国立遺伝学研究所教授などを経て、2015年から現職。著書に『寿命はなぜ決まっているのか――長生き遺伝子のヒミツ』(岩波ジュニア新書)、『DNAの98%は謎 生命の鍵を握る「非コードDNA」とは何か』 (講談社ブルーバックス)がある。