近年、人間の生活にかかわる様々な最新技術が登場している。これら最新技術の実用化と普及には、人間の利用実態を徹底的に理解したうえで応用していくことが必要である。こうした中、「ヒューマン・コンピュータ・インタラクション」「ユビキタスコンピューティング」をキーワードに、新しい情報技術やシステムの開発と評価を行なっているのが、東京大学大学院工学系研究科電気系工学専攻(工学部電子情報工学科)の矢谷 浩司 准教授だ。人間の動作や行動を理解するセンシング技術、携帯電話での新しいアプリやインタフェース、視覚が不自由なユーザ向けのインタフェースなど幅広いテーマを扱う同研究室の理念について、お話を伺った。
技術が普及する橋渡しを考える
Q:まずは、研究の社会的ニーズについて教えてください。
情報科学の分野で研究をしています。
近年は人工知能や IoT など様々な技術が立ち上がってきていて、それらをどのように使うかが問題になっています。
新しい技術が出たときに、どんな応用があるのか、あるいはどんなことに使われると社会に悪影響を及ぼすのかを考えなければいけません。
技術にはプラスの面とマイナスの面があると理解し、それを踏まえて利用方法,あるいは悪用に対する方策を考えていく。考えておかなければ、せっかく作った技術が頓挫してしまうことも多々あるわけです。
技術をどのように社会に浸透させるべきか、それと同時にどんなサービスやアプリケーションがあるといいのか。人として社会として、どんなことに気をつけていかなければならないのか。2つの側面について重点的に研究をしています。
当ラボとしては、人間とコンピューターに関することであれば基本的にはどんなことでも受け入れています。
その中で学生さんの興味があることに合わせながら、私が持っているトピックなど、企業様や他の大学の方々とのお付き合いなども含めて研究を広げています。
Q:具体的な研究例について教えてください。
1つ目は「日常生活での健康管理」です。日常生活の中で使えるようなデバイスやサービス、ヘルスケアなどで、お医者さんにかからなくて済むようにサポートするものをつくっています。
例えば、みなさんが毎日行なっている歯磨きも、きちんとやろうと思うと案外難しいものです。磨き残しをチェックする真っ赤なカラーテスターなどもありますが、あれを毎日家で使う人はほとんどいないでしょう。
そこで我々がつくったのは、歯ブラシの中にカメラとライトを埋め込んだもので、カメラでどこに歯垢がついているかがわかるようになっています。
つまり、ちゃんと歯垢が取れたかどうかを確認しながら歯磨きができるというわけです。日常生活の中での健康に関する行動について、テクノロジーを使って支援するための研究をしています。
2つ目は「知的生産性」です。人間がするような仕事をより加速させるためにAIやシステムを使えないかということをモチベーションにしています。
効率的に生活を送るために、面倒なことは全部コンピューターにやらせたい。そうなった時に、どこを人間が受けもって、どこをコンピューターに任せるのか。そのバランスについて、様々なプロジェクトを通してデザインできれば面白いかなと考えています。
例えばビジネスマンの方が何かの資料をつくる時に、様々なツールを使って情報を集めることがあると思います。そんな時、情報をうまく集めて整理してくれるシステムがあったら、プレゼン資料の下書きなども簡単にできるでしょう。
「営業の人がつくったこの資料で商談がうまくいった」とか「ここに行くときはこんな感じの資料をつくっていこう」というように、チームで情報を共有するという使い方もできるかもしれません。仕事ができる人は自分でいい資料をつくれるかもしれませんが、新入社員にはそれが難しいことがあります。そのような知的な活動における生産性向上の支援ができるようになればいいなと思っています。
3つ目は「セキュリティ」です。「ユーザブルセキュリティ」という概念がありまして、簡単にいうと「使えるセキュリティ」のことです。
例えば、家の鍵をものすごく高価で頑丈なものにしたとしても、鍵を開けっぱなしで外出したら泥棒に入られてしまいます。つまりセキュリティの問題は、人間に起因するところが根深いといえます。
パソコンのパスワードが難しいからといって付箋に書いてモニターの横に貼っているのをご覧になったこともあるかと思います。でもそれはパスワードが悪いのではなくて、難しいパスワードをつくらなければならないセキュリティのデザインが悪いのだろうという考え方もできます。
使いやすいセキュリティのデザインでないと、普通の人にはなかなか使ってもらえないという部分があるわけです。
また昨今は様々なIoTやソーシャルネットワークがあって、あらゆるところで個人の情報が出回っています。それは必ずしも悪いことではないのですが、出回ることでどんなリスクがあるかを理解しておかなければ、気が付かないうちに何か重要な情報まで第三者に知られてしまうことがあるかもしれません。
僕らが行なった実験で、Twitter のデータを解析したものがあります。例えば、Twitter のプロフィールに情報を何も書いてない人がいたとします。でも、その人が誰と繋がっているかを見ていくと、東大のある学科の人とたくさん繋がっていることがわかりました。そうすると、たとえ本人は何もプロフィールを書いていないとしても、大学の学科まで予想ができてしまいます。同じようにしてサークルなども断定できてしまうかもしれません。
実験では、さらに先まで辿っていくことで、どれぐらいの情報がわかるのかを定量的に調べてみました。繋がっている友達のプロフィールは自分で編集ができませんから、これは結構怖いことですよね。悪いことではないのですが、Twitter上でコミュニケーションを取る時には、この事実を頭に入れておかなければ、後で痛い目にあうかもしれません。
「個人情報を言いふらしてはいけません」ということは、今までの教育の中でも当たり前に言われていたことですが,自分が言わなくても個人情報が漏れ出てしまうこともあるという、いい例だと思います。SNSのようなサービスが出てきたからこその話ですが、こういったことも含めて社会に提示していこうと考えています。
4つ目は、「アクセシビリティ」です。例えば車椅子の方が食べログを使う時にどういうところを見ているかと言うと、外観の写真なのです。
玄関がどういう形になっているか、段差があるかといった感じです。玄関の写真があると車椅子の人は「ここはちょっと行けないな」とか、「このくらいの段差なら行けそうだ」という判断が自分でできるようになります。
しかしながら、実際のサイト上には、看板の写真などが多く掲載され、玄関の写真はあまりありません。つまり車椅子を使わない人が撮った写真は、車椅子の人にとってあまり嬉しくない情報であることが多いのです。
そこで、人工知能技術を用いて、外観の写真やドアの前の玄関が写っている写真を収集し,車椅子の方がより簡単に外観写真をチェックできるシステムを構築しました。
アクセシビリティとして、これはすごく重要なことだと考えています。「みんな同じことができる」というよりも「みんなと同じように楽しいことができる」という感じですね。
レストランに行ってご飯を食べることも、自分で判断して行けるようになる。同じように、自分の力でショッピングにも行けます。ここが、技術でサポートするべきところなのではないかと考えています。少しずつ実現していきたいですね。
実社会で利用できるアプリケーションの開発
Q:今後乗り越えたい課題としてどんな点があるでしょうか。
最近は、企業とも協業させていただく機会が多くなってきました。これからは、もっと手を広げながら具体的な実生活や実社会で利用できるようなアプリケーションの開発に取り組んでいければと思っています。
例えばコンビニエンスストアの棚にセンサーを設置すると、そのセンサーによって、人が棚に手を伸ばしているかどうか、棚の滞在時間がどれくらいか、などがわかります。人が近づいてきた瞬間に広告を出すこともできるわけです。
コンビニエンスストアでの購入の約7割は衝動買いだといわれていますから、こういった仕組みを使って、例えば衝動買いをするときには人はどのような行動を見せるか,など実世界の人の行動を見ながら研究の領域を広げていけると面白いかなと思っています。
小売店側にメリットがあるのはもちろんですが、消費者にとってもこういったものがあることで、買うときの経験そのものが変わってきます。そういった「買い物経験」も含めて、学術的に考えられると面白いかなと考えています。
この他に、日本橋の髙島屋様で、目の不自由な方のショッピング行動を支援するための取り組みも行なっています。簡単にいうとスマートフォンを持って売り場に行き、自分の興味があるものに近づくと、音が鳴ったり、通知がきたりする仕組みです。
目が不自由だとウィンドウショッピングができないため、何が流行っているのかを知ることが難しいといえます。弱視の方だとごく一部の視野しか見えないため、売り場全体をパッと見ることが困難です。
それに対して、RFタグ(電子タグ) というが入った商品の前でスマートフォンをかざすと、今この棚にはこんなものも並んでいますよ、ということを教えてくれるシステムを我々で構築しました。
こうした技術を通じて、単に目当てのものを買うだけではなくて、もう少し自立した形でショッピングを楽しめるようになればいいと考えています。
ショッピングの面白さは、実際に店内を歩きながら欲しいものを探すところです。こうした体験を様々な人ができるように、テクノロジーを使って支援していきたいと思っています。
Q:研究室にはどんな学生がいらっしゃいますか。
学部としては、電子情報工学科になります。大学院は2つありまして、工学系と学際情報学府です。最近は留学生や海外からの訪問者も増えており,国際的な研究室になりつつあるかなと思います。多くの人は情報科学や電気・電子工学を専門としていますが,みんな異なった研究領域に興味を持っており,バラエティ豊かな研究室かな,と自負しています。
研究室に配属された学生さんには定期的に自分の進路について考えてもらっています.研究と将来を完全に一致させることは難しいかもしれませんが、何かの足しになるようなものを卒業論文の研究や修士論文の研究の中で得てもらいたいと思っています。その過程において、論文を書いてしっかりと成果を出すことができればいいのかなと思っています。
例えば,配属された学生さんとの最初のミーティングでで「卒業したら何になりたいか」という質問をしています。
私は、前職のマイクロソフト社で働いていた時に「うちの研究所をやめたら何になりますか」と質問されたことがあります。もちろん辞めさせるつもりだったわけではありません。
もし辞めるとなった時に、どういう人間になっていたいか、次のステップをどう考えているか。この会社でどういう研究をしたいか、どうキャリアアップをしていこうと考えているか。すべてを踏まえて、あなたにとって何がベストなのかを考えてくださいという意味の質問でした。
これはすごく良いアドバイスだったと思っています。
自分のキャリアを考えることは、なかなか時間が取れるものではありません。学生さんもアルバイトをしたり、サークルもやったりと,とても忙しいと思います。ただ、あえてそこで少しキャリアについて考えてもらい、その上で研究に取り組んでいただければ、それは学生と教員の両方にとって良いことなのではないかと思うのです。
僕らとしては研究成果も出るし、学生さんにとってはキャリアアップに繋がります。自分がどういう人間になりたいのか、どういう会社で何をして、5年後にはどういう肩書きの人間になっていたいのか。ベンチャーにいてもいいですし、アカデミアで先生をやっていてもいいので、はっきりと教えてくださいと伝えます。それはあなたにしか出せない答えなので、しっかり考えてください、と学生さんに伝えています。
例えば、スマートフォンアプリの開発をする会社に入りたいと思うなら、モバイルデバイスに関係するようなインターフェイスやサービスの研究をしてもいいわけです。
自分から手をあげて、私はこういう理由でこれがやりたいと決めて、それをやるためには何が必要かを自分で考える。もちろん私も一緒に考えますが、やっぱり何がやりたいかは個人によりますのでしっかりと考えてほしいと思っています。その上で、ラボ全体としてお手伝いできることや一緒にできそうなことを探していくという感じですね。
学生さんに経験してもらいたいのは、自分でプロジェクトを考えて、それをどう組み立てて論文にするか。いわば「プロジェクトマネジメント」ですね。これは、社会に出てからどんな仕事にも生かせるスキルだと思っています。
Q:今後、企業とはどういった組み方が望ましいでしょうか。
我々のラボができることはたくさんあると思います。その中であまり業種やテーマに縛られずに、気軽にご相談していただければと思いますね。
複雑なアルゴリズムを開発したり、何か細かいデバイスを作ったりすることはできないかもしれません。しかし、「どのような技術をどう利用することで人はどう動くのか」とか、「利用者さんや消費者は何を欲しているのか」という調査や研究は、私達が最もお手伝いできる領域だと思っています。
何か新しいアイデアが欲しいとか、ちょっと違う視点で考えたいなというような、ユーザー目線や利用者目線の観点ですね。こうした目線が含まれるようなシナリオであれば、ぜひお手伝いをさせていただきたいと思っています。
Q:最後に、ラボがめざす完成像を教えてください。
ラボにいる一人一人が「CEO」になっているイメージかなと思います。一人一人にやりたい研究、実現したい世界があって、その目標に向かってオールラウンドにやっている感じですね。
単に何かを作ったら終わりということではなくて、一体それは何のためにつくらなければいけなくて、どんなふうに作って、どんな効果を得られたのか。その全部を一人一人がマネジメントできる、そんなラボになれば面白いですね。(了)
矢谷 浩司
やたに・こうじ
東京大学大学院工学系研究科 電気系工学専攻(工学部電子情報工学科)准教授
2003年、2005年に東京大学よりそれぞれ学士号(工学)、修士号(科学)を取得。2011年にカナダ・トロント大学より博士号(コンピュータ科学)を取得。2011年11月から2014年7月まで、Microsoft Research Asia,HCI groupに勤務。2013年10月から2014年7月まで東京大学大学院情報理工学系研究科にて客員准教授を務める。
2014年より現職。2016年4月より同大学大学院学際情報学府先端表現情報学コース兼担。