現代において、従来あまり意識されることのなかった五感「触覚」が、近年注目されている。こうしたなか、触覚を計測する技術をもとに、心理学・神経科学をあわせた研究を進めているのが、慶應義塾大学環境情報学部の仲谷 正史准教授だ。情報化社会で求められる新たな身体感覚の役割を明らかにする仲谷准教授に、「触覚の科学」の全貌を伺った。
設立もあたらしい「触覚の科学」という学問
Q:まずは、研究の概要について教えてください。
私たちSFCタッチラボでは、「触覚」をキーワードに研究をしています。
環境情報学部に属する研究室ですので、環境の中で人間がどう関わっていくのか、あるいは環境の中に自分の身体が入った時に、どのように建物やランドスケープと向き合って適応していくか、これらも研究テーマに含まれています。
一方で、感性の研究、例えば「触った時に心地良い」とか「なんとなく高級感がある」「ちょっとじめじめして気持ち悪い」など、感覚的な部分についても研究しています。
いわば、学問の対象としての「環境」と「感性」の両方を行き来している状態といえますね。
Q:「触覚」を対象とした学問は、どのように発達してきたのでしょうか。
学問自体の発展としては、1990年代から工学分野で始まった「バーチャルリアリティ」の研究文脈からきています。
バーチャルリアリティ空間の中で、実質的に触覚的なフィードバックを受けるとき、どんな力の感覚が返ってくると物を掴んだ感じがするか、どこで固いか柔らかいかを判断しているのか。これを提示する技術から始まってきたのが、触覚の工学研究です。
さて、このバーチャルリアリティでは工学分野における触覚研究が行われていますが、一方で触覚そのものの研究は、神経科学に含まれます。そのため、工学のバーチャルリアリティ研究と神経科学の触覚研究は研究として別々の道を辿り、なかなか融合することはありませんでした。
神経学分野での触覚研究は、解剖学を中心として1800年代から行なわれています。 解剖学もしくは神経生理学の研究は、日本よりもスウェーデンやヨーロッパを中心とするチーム、あとはアメリカのジョン・ホプキンス(Johns Hopkins)大学のチームが歴史的に精力的に研究を進めていたのですが、1980~90年代に、触覚の神経生理に関する知見が明らかになってきました。
そこに工学の研究も重なってきて、2005年にイタリア・ピサ市にて「世界触覚学会[World Haptics]」が開催されました。そこで初めて触覚の心理学的なものや生理学的なもの、またバーチャルリアリティ技術など機械工学の研究者が一同に介して、研究知見や人材の交流が始まりました。
こうして、2005年ごろに誕生したのが、「触覚の科学」の系譜です。 触覚を司る感覚神経は身体の内側の話、工学的に触覚を再現するのは身体の外側の話と、それまで別々に研究されていたものが統合され、「触覚学」として設立されたわけです。
ここで抜けているのは、人間が何を感じるかという、「心理学」の部分でした。心理学のなかでも、視覚心理学や認知心理学などを指します。
こうして、工学発信や生理学発信、そして真ん中に「人」発信の研究が並び、足並みが揃ってきたという感じです。
そこから10数年経って、90年代からはヨーロッパ触覚学会やアジア触覚学会、北米触覚学会など各国が揃う「世界触覚学会」が2年に一度のペースで開かれるようになりました。
アジア触覚学会も、2014年に筑波大学の岩田洋夫先生が設立し、第1回大会が開催されました。日本はものづくりが盛んな国ですので、触覚に対して関心がある人も多く、現在も触覚を再現する装置の開発や触感を定量化するセンサの開発など、ものづくりを中心に進んでいます。
Q:触覚学に良い影響を及ぼしたきっかけのようなことはありましたか。
「PHANToM[ファントム]」という力触覚デバイスが工学が触覚の科学にもたらした恩恵の1つです。この装置はコンピューターグラフィックスの画面の中にある、丸の形や円柱の「エッジ」をたどったり、その硬さを表現することができます。
「ファントム」は物体にぶつかったときに返ってくるであろう反力が返ってくる装置で、物体のエッジを認識させることができます。また、モーターでワイヤーを巻き取ることで、ある程度の硬さの表現が可能です。ファントムが使われはじめ、心理実験ができるようになったのが1990年代ごろのことです。
また、近年では携帯の中に搭載されている振動体、もしくはバイブレーティングデバイス(携帯の振動デバイス)が手に入るようになってきました。
携帯電話が普及したのは1998年ごろですが、携帯電話の普及以降、触覚デバイスとして、振動で何かを通知するデバイスを一人一個持つような時代になったといえます。人に聞かれたり見られたりすることなく、電話がかかっていることや、メールが届いたことを個別に知らせることができるようになりました。
このような時代背景を通って、2000年代の前半には単に触覚を介して何かを通知するだけでなく、何か「触り心地」のようなものを伝える発想が生まれてきました。
例えば、振動体をうまく利用したのが「タプティックエンジン」というものです。タプティックエンジンは最近のiPhoneやMacBookなどに内蔵され、縦方向ではなく横方向に振動するものです。
人間には縦振動と横振動の違いがわからないので、横振動をしていてもクリックしたように手がつつかれたように感じます。横方向に振動しても、縦に振動しているように感じてしまう。このため、パソコンを薄くすることが可能になります。
このように、近年ではデバイスとしても触覚振動を用いるようになったといえます。身近なところに触覚デバイスが入り込んでいて、それによってものが薄くなったり、コンパクトにつくれるようになってきました。
Q:こうしたなか、この研究室はどのような成り立ちでできたのでしょうか。
私が2017年の4月に北海道大学からここへやってきましたので、研究室の歴史としてはまだ2年ほどです。
当初は「触覚」を前面に打ち出していましたが、言ってしまえば触覚で何ができるのか、社会の役に立つのかと聞かれると、なかなか難しいところがあります。
例えば iPhone やスマートフォンで情報を見ているとき、触覚がないと困る情報はほとんどありません。そもそもそんなに触覚を意識することもないわけです。
そこで少し方向性を変え、「納得」や「実感」を得る際に触覚を使うことを考えるようになりました。
カメラを例にするなら、シャッター押すとき、カメラのメーカーによって押し心地が違っていたりしますよね。この感覚は、人によって好き嫌いがあります。
この「自分で」シャッターを「切った」感覚は、すごく重要です。
シャッターを切った感覚は実に触感的なものです。お饅頭のように柔らかいものだったら、いつ切ったのかわかりませんよね。シャッターのように「硬い」ボタンがあることで、「確かに今、シャッターを切った」という感覚が得られます。
このように触感は、何かを確かめたり、実感を得るのに効果的な感覚です。
そういった日常生活の中で、何かの達成感を得るでもいいですし、「食べたな」とか「終えたな」という実感もそうですね。
例えばメールを送信した時に音が鳴る機能も、よく考えてみれば物理的に音が鳴る必然性はありません。
一方でポストに手紙を投函するとき、パソコンでメールの送信ボタンを押すのと、ポストに投函することでは、だいぶ意味合いが違います。ポストに投函した時のほうが面倒ですが、不便であるぶんやりきった感があります。そういった「やりきった感覚」は、重要だなと思います。
昨今、スマートフォンやiPad などタッチパネルのデバイスで情報をとることが主流になりつつあります。情報をとる効率は良くなる一方で、なんかちょっと上っ面というか、表面を触ってわかった気になってしまう面があります。いわば、「どんな情報も知ってはいるけれど、なんとなく納得できないような」状態です。
それをずっと続けていると、情報を集めることが目的になってしまって、その情報そのものを自分なりに解釈することや、その意味を噛み締めることに繋がっていきません。
ここに、「触覚的な価値」が生まれる土壌があります。
これまでの触覚研究というと、「つるつる」とか「ざらざら」というような触り心地を再現するのが目標でした。現在はそこではなくて、納得するとか腑に落ちる感覚、要は「触覚のアウトリーチ」が研究の主眼だといえます。
そこから遡って研究することで、最終的な触覚の理解につながると考えています。
乳幼児の探索行動をさまざまな角度から研究
Q:この研究室で主に研究しているテーマはどんなことでしょうか。
現在取り組んでいる研究からお話しすると、触覚の科学の「ど真ん中」の研究ではなく、触覚を通して子供がどのような認知発達を獲得してゆくかという研究をしています。
その中で取り組んでいる課題は子どもの「探索行動」といわれるものです。探索行動の中でも、6ヶ月から15ヶ月児が示す行動を研究のターゲットにしています。
赤ちゃんは、ものを見て、手に取って、興味があれば口に入れますよね。目で見たものを手伸ばして確かめる。このような探索行動が積極的に出る子の方が、様々な認知発達が進みやすいのではないかという仮説を立てて研究をしています。
探索行動が多く見られた子どものほうが、 後々のIQが高くなったり、学習テストの成績が良くなったという、横断的研究は過去に行なわれています。しかしながら、「この子どもが幼少期にどれくらい活動していた」というデータと、「歳を重ねた時にどういった能力が開花するのか」ということの相関については、十分な研究はされていません。
もちろん、探索行動の重要性については育児の本などでも色々提案されているので、新しい概念ではありません。しかし、その探索行動の量を計測することは手間がかかるため、定量的なデータをエビデンスとして取りづらい側面があります。
人間の行動を計測するのは非常に大変ですし、触っている・触っていないを判定することもかなり大変です。
これまで、眼球の計測により視線方向を推定することは技術的に確立しており、発達心理学の研究において多く利用されてきました。一方で、目で見ている対象物と手で触っている対象物の両方を同時に定量化する研究は、観察者の手動解析によって行なわれてきました。すなわち、コンピュータの力を使って自動解析した研究事例は多く行われてきませんでした。
古典的な研究を挙げてみても、子供が探索行動しますという時にこれを触っている、これは触っていないみたいなことを、手でアナログに計測する研究はありましたが、それは計測者がいなければいけません。計測者は人間ですから、主観が混じって間違うこともあります。
そこで、私の研究室では、子どもの行動を計算機の力を借りて、人工知能と呼ばれるパターン認識技術を利用して計測することにしました。そして、このような子どもの探索行動を定量化する手法そのものをオープンソース化して、発達心理学研究者に向けて発信することを考えています。
この子どもの探索行動について、具体的には3つの研究を紹介します。
1つ目は、親側の気持ちの調査。お子さんの前にそもそも親は、子供に触れたり・触れられたりすることに対して、好ましいと思っているかそうではないと思っているかについての調査を実施しています。
子どもが触ってくることで、いま子どもが何を求めているかを汲み取ることもできますよね。汲み取りにおいても、子どもの本当の意図と親の解釈には食い違いがあるかもしれません。
親が子どもに対して「いま、コミュニケーションをとりたいんだ」とか、「お腹空いてるんだ」と解釈する。その一方で「触れられて嫌だな」とか、「服を汚さないでほしいな」と思っている親も少なからずいらっしゃると思うんです。実際のところ、どう思っているのかはあまり知られていません。そこで、親の触れることへの意識を調べるアンケートを作成し、調査を実施しています。
続いて2つ目は、子どもがどのような探索行動をしているのかを定量化する技術の開発をしています。探索行動を計測する実験系はすでにできていて、このシステムを使うことで、子どもが何を見て触っているのかを定量化することができます。
例えば新しいおもちゃと古いおもちゃがあった時に、どっちでよりよく遊ぶか、どっちに興味を持つかということを定量化することができます。すると、「よりよく長く遊んでくれるおもちゃは、それに対して興味を持ちやすい」ということですから、おもちゃとしてその子にとっては優れているということになります。
興味を持ったおもちゃを解析していくことで、子どもを惹きつけているのはおもちゃの色なのか形なのか、それともそのおもちゃが出す音なのか、分析を進めることができます。すると、「この年齢ぐらいの子どもは、こういうものに興味を持ちやすい」という一般法則が見つかったり、次世代のおもちゃ開発に活かせるといったことが期待できないかなと考えています。
3つ目は、3Dプリンタを活用したおもちゃ開発の可能性の研究です。この研究では、近い将来、一家に一台3Dプリンタがあるような未来になった時に、何が起きるかと考えています。
例えば、各家庭に子どもの探索行動を簡易的に計測できるようになったときに、自分の子どもがどのような探索行動を行っているかを知ることができるような人工知能システムが利用可能になると予想しています。
探索行動を定量化してもその解釈については発達心理学者との協働が必要になります。例えば、ピアジェの感覚運動期のどのような行動ステージにあるから、こういった遊びを促してみるのはどうだろう、という考えを養育者が持つことができる。さらに、子どもの発達段階の情報に基づいて、養育者が自分たちで子どもに与えるおもちゃをつくれるようになると思います。3Dプリンタの普及は、このようなセルフビルドな教育を可能にする未来ももたらすだろうと私は予想しています。
これまでは市販の教材やおもちゃを買ってきて、それを子どもに与えて反応を見ることが多くの教育手法だったかもしれません。しかし、養育者が考えて、自分たちで試行錯誤しながら子育てができる、人工知能に下支えされた、次世代の教育メソッドをつくることもできるでしょう。そのような方法を採用するかしないかは養育者に委ねられますが、少なくとも、選択肢が増えてその中から選べることは、教育の幅を広げることになるかと考えています。
「触る」という視点から見てみると、これまで目で見て興味がある・ないと考えていたものでも、遊んでいる時間や触れている時間を測ってみることで、初めて見えてくることがあるかもしれません。これが、現在の研究の視点になっています。
子どもの探索行動の定量化について、いまは技術面で取り組んでいる状態ですので、その計測精度を上げていくことが目標です。あと1年で、発達心理学や教育産業に知見を提供できる形にしようと考えています。
このような試みについて、いくつかの企業にも、興味をもってお話を聞いてもらっています。技術は企業にインストールして実際に使ってもらって、使える・使えないということがわからないと、大学で研究をしている私たちも全容はわかりません。家庭に届けるのは研究者ではなく企業の努力ですから、企業が取り組みたい課題に向けたソリューションを提供してゆきたいと考えています。
領域を絞ってそこに私たちがつくっている研究実験系をインストールして、それぞれでカスタマイズすることによって価値をつくる、それが最も良い形かなと思っています。
Q:研究室には、どんな学生がいらっしゃいますか。
仲谷研究会 SFC TOUCH LABは環境情報学部に属しますが、SFCは1年生から研究会に入ることができます。総合政策学部と環境情報学部が今いるキャンパス側ですが、交差点を渡った向こう側には看護医療学科が位置していて、その3つの学科に所属するメンバー21名の学部生と一緒に活動しています。
研究のテーマについては研究会で週に1回、私と3時間の研究会の時間を過ごします。Student Assistantの学生が学びたいことを提案し、みんなでつくる「触覚同好会」のような雰囲気でゼミを実施しています それに加え、個人の研究として取り組みたい課題があれば私とアポイントを取って時間を確保するという進め方です。4年生は卒業プロジェクトと呼んでいる、一つの研究テーマに1年間をかけて取り組みます。
Q:学部生の研究テーマには、どのようなテーマがあるのですか。
3つほどご紹介します。
1つ目は、和菓子やお漬物など、食べ物を切ったり刺したりしたときの感覚の研究です。「黒文字」という和菓子を切る楊枝があるのですが、黒文字で何か刺す時に、1個と2個と3個、先端の分かれかたでおそらく手に返ってくる触感は違ってきます。その触感の違いを研究している学生がいます。
2つ目は逆上がりの研究。器械体操部の学生がいまして、子どもたちに器械体操を教えている経歴を持ちます。その過程で気づいた彼女の理論は、逆上がりには大事な4つの要素があるそうです。この逆上がりがうまくできるための理論を使って、本当に逆上がりができるようになるのかを仮説検証する研究をしています。
3つ目は、矢印の研究です。その学生によれば、矢印は人を導くもので、導く・導かれるということは触覚であるということでした。まず矢印の写真を大量に撮ってきて、矢印の形である「形態学」と矢印がどこにあるかという「生態学」の両方の視点から研究をしています。その学生の理論によると、矢印は5万通り以上つくれるのだそうです。
このように、触覚の触るところ、食べるところ、あとは身体の感覚から最終的には脳における身体の表象や、人を導くといった形而上の表象までを含めて、研究の対象としています。
Q:この研究室と相性の良い企業像などはありますか。
私どもの研究との相性が良いのは、人間の生活科学に近い企業かなと思います。
私自身が研究対象として興味を持っているのは、末梢神経の神経科学です。いっぽう、多くの神経科学者、日本の神経科学者が研究しているのは中枢、つまり脳の神経科学です。神経科学というと手先にも末梢神経が入っていますし、私が研究していた触覚のセンサーは、指先に200個ぐらい入っているようなものでしたが、そういった末梢神経系から中枢神経系までを一緒に研究できる所はほとんどありません。
このSFCではそういったneuroscienceの研究がどんどん盛んになってきています。特に人間の行動科学や、「心地よさ」「好ましさ」「嫌悪感」を感じる情動神経科学の研究もそうです。 それに加え、脳で表象される運動の科学の知見に基づいたリハビリテーションの研究も行われています。
SFCではこのように、神経科学の末梢から中継地点、脊髄で判断するための脳、その3つの研究が可能です。この3つについて、広く接続しながら研究をすすめられるのが、SFC TOUCH LABのいいところであると言えます。
私はもともと化粧品メーカーに勤務していたこともあって、化粧品をはじめ、皮膚に塗る医薬品、また家電機器を使うさまざまなシーンに、ちょっとした「実感」がある。それを使うと、なんか使った気がして良い。このように言語化されない「なんかいい」を科学の手法を援用して明らかにしてゆくことが私の研究室の得意とするところだと思います。(了)
仲谷 正史
なかたに・まさし
慶應義塾大学環境情報学部准教授。
2007年、Harvard University Division of Engineering Applied SciencesでのResearch Assistantを経て、2008年、東京大学大学院情報理工学系研究科博士課程修了。その後民間化粧品会社において触感評価技術の開発に関わったのち、アメリカ・コロンビア大学にてメルケル細胞の生理学研究に従事。2017年より現職。JSTさきがけ研究者。
共著書に『触楽入門』(朝日出版社)と『触感をつくる――《テクタイル》という考え方』(岩波科学ライブラリー)がある。