細胞の基本的な性質として、「遺伝情報が同じで、置かれた環境が同じであっても、1 細胞レベルで観察される成長スピードは異なる」ことがわかっている。これは成長ゆらぎと呼ばれるが、遺伝情報として継承される性質とは別であり、これまではあまり注目されてこなかった。近年、マイクロ流体デバイスと呼ばれる装置を用いてこの成長ゆらぎに注目した結果、「細胞レベルの成長ゆらぎが大きいほど、構成される細胞集団がより速く成長できる」というのを明らかにしたのが、東京大学大学院総合文化研究科の若本 祐一准教授らである。今回は若本准教授に、成長ゆらぎの観察方法や、これまで注目されてこなかった部分に注目が集まるようになった技術的要因について伺った。
観察条件を一定に保つ技術を開発
Q: 細胞の分裂における成長ゆらぎについて研究されていますが、その概要についてお話しください。
現在の研究テーマである細胞の成長ゆらぎは、私自身が学生の頃からずっと興味を持っていた内容です。よく、「遺伝か環境か」というような話がありますが、もし遺伝情報を同じにしてさらに環境まで同じにしたら、細胞の性質、個体の性質がどれくらい同じになるのか、ばらつくのか。それが、研究の一番初めの頃の動機でした。
その研究には環境条件を揃え、同じ遺伝情報を持ったものを観察や計測することが必要になります。ただそれが、実は思った以上に難しいわけです。前者が難しいのは細胞が環境をどんどん変えていってしまうためで、それは例えば細胞の増殖に伴って細胞が栄養を吸収するため、周りの環境に老廃物を出すためです。それらを考慮し、環境条件を一定にした状態で同じ遺伝情報を持った細胞の集団を観察するのですが、一個一個の細胞を観察して様子が同じか違うかをきっちり調べてあげる必要があります。それに必要な技術開発、計測装置の開発も並行して行なってきています。
今回、成長ゆらぎの研究を実現するための装置は、「マイクロ流体デバイス」というものの一つです。元々これを作るためのマイクロ加工技術は、半導体デバイスなどを作るのに使われていたものでした。この分野の技術が20 年ほど前から生物の解析に応用されるようになっていて、私自身も細胞の解析に利用できる「マイクロ流体デバイス」の開発に携わってきたというわけです。この研究で用いた装置は、ガラス基板上に構成した細い流路の中に細胞を入れて様子を観察でき、環境条件を常に均一にできるというものです。これを我々は「ダイナミクスサイトメーター」と呼んでいます。細胞が増えていくため、さっきお話したように環境条件が変わってしまうことを防ぐために、一部の細胞を常にデバイスの外に排出する仕組みが必要です。
そこで、マイクロ流路の構造を工夫することで、細胞が増えて勝手に押し合いへし合いして端っこから細胞を押し出す一方、流路の端に流れを常に作ることで細胞がデバイスの外に洗い流されるようにしています。こうして環境を一定にして、中にある細胞の様子をずっと観察することができる装置になります。細胞の分裂から分裂までを細胞の世代と呼ぶのですが、この装置によって、100 世代や200 世代という非常に長い間にわたって、細胞の様子を一定の環境で連続観察することができ、実際にこの装置を使って様々な環境で細胞の様子を観察してきました。大腸菌は基本的には同じ遺伝情報を持ったコピーを作り続ける細胞ですから、遺伝情報としては同じです。また環境も一定です。しかし実際に観察してみると、例えば世代時間は世代ごとに大きくばらついていました。
さらに蛍光タンパク質というものを使って細胞内の遺伝子の発現量を長時間モニターすると、その発現量は一細胞から連なる同じ遺伝情報をもった子孫細胞系列上で大きく揺らいでいるという事実を突きとめることができました。問題は、「この成長ゆらぎには、何か役割や意味があるのか」ということです。世代時間、すなわち分裂から分裂までの時間は細胞の一種の成長能力を表す指標になります。短いほど早く分裂しますし、長いほどゆっくり分裂するというものですが、色んな長さの世代時間を持つ細胞が観察されるわけです。
ちょっとマニアックな話になりますが、1 つの細胞をずっと観察したとき、世代時間のばらつき具合は分布として得ることができますが、その分布と細胞が集団として寄り集まったときに集団自体がどれくらいの速さで成長できるかには当然関係があり、平均が同じだとすると基本的にはばらつきが大きければ大きいほど集団は早く成長できます。これを実験的に確認し、細胞増殖過程の普遍的な性質としてある程度説明ができるということを理論的にも解析して示したというのが今回の研究になります。
これはよく授業で使う例なのですが、サイコロを振って細胞が分裂する時間を決めるというおもちゃモデルを考えます。サイコロを振るので1 から6 の目が1/6 ずつの確率で出ます。1 の目が出たら1時間後、6 の目が出たら6 時間後に分裂すると考えると、細胞一つとしては平均すると3.5 時間に1回分裂する能力を持っています。そういったルールで分裂する細胞が集まって細胞ごとに独立してサイコロを振るとすると、集団内の細胞数が2 倍になるのにかかる時間はいくつだと思いますか?
普通に考えると1 個の細胞が3.5時間に1 回分裂して2 細胞になる能力を持っているわけですから、細胞集団でもだいたい3.5 時間じゃないかと思うわけです。しかし実際は、3.18 時間くらいでちょっと短くなります。
でももし、すべての細胞がきっちり3.5 時間に1 回分裂するという状況を考えると、集団内の細胞数が2 倍になるのにかかる時間は3.5 時間になります。これが増殖系の特徴で、たとえ細胞の平均的な成長能力には差がなくても、ゆらぎがあることで細胞集団は早く成長することができるわけですね。
細胞増殖はこういった特徴を備えていまして、それが理論的には色んなおもちゃモデルを使うともっと厳密に計算できるわけですが、細胞と細胞集団の増殖率の差を実際の細胞集団で調べようと思うと、定量的に厳密な統計のデータを測ってこないといけないわけです。先程述べたデバイスを使って計測をしたとき、分布も測れて、予想される細胞集団の成長率が定量的に説明できるかを検証したら、それがかなりの精度で説明できるということがわかりました。それがこの研究の概要です。
Q: 精度がないと実験のデータとして示せないという問題をデバイスの発展によって解決したというところが面白いですね。こうした研究のアプローチは他にもありますか?
最近増えてきつつあるかなと思います。ただまだまだ測れる精度はそれほど高くない場合が多いですね。こういった1 細胞レベルの状態変化を精度高く測りたいという要望は最近かなり聞くようになってはきていますが、それなりに技術的なハードルがまだ高く、そこまで広まってはないです。ただ今後非常に重要な技術として使われるようになっていくとは思いますね。
Q: 大腸菌に注目したのは、何か理由があるのですか?
大腸菌を選んだのは、基本的には扱いやすいというのが理由ですね。モデル生物として様々な培養条件で培養できることも分かっていますし、安定な定常的な条件で細胞を観察することができるという特徴もあり、大腸菌はサンプルとして使いやすいのですね。
この研究とはちょっと違いますが、大腸菌は原核生物ですが、分裂酵母やがん細胞などの真核生物をモデルとして使って、似たようなマイクロデバイスを用いた長期計測も実現しています。今回の研究はProof of principle、つまり増殖系に普遍的に備わっている原理を理解したいわけです。それは正直大腸菌であろうと分裂酵母であろうとがん細胞であろうと、2 分裂する細胞であればすべからく適用できるという話です。それを生物系できちんと適用できるということを示すために、今回は大腸菌という非常に扱いやすいサンプルを利用しました。
Q: 細胞分裂は古くからあるテーマで、何十年も前から研究されていそうなテーマというイメージがあるのですが、近年まで思うように結構研究が進まなかったのには何か理由があるのですか?
最近になってできるようになったのは実験精度のためで、ここ20年くらいの間にデバイスが進歩してきたためですね。細胞や生物の研究はどうしてもなかなか定量性の高さがそこまで確保できませんでした。分子生物学の実験でも発現量が上下した、何倍になったというデータは得られますが、分布を正確に測るには色んな飛び道具を使わないといけないので、難しいわけです。古典的な顕微鏡を使った計測では今のような精度の計測がなかなか難しくて、検証にならなかったという理由があります。
あとはもう一つ大きな理由についてですが、生物研究のメインストリームの興味は分子生物学が勃興してきてからは基本的に遺伝学的な解析で、ある現象に関わる重要な遺伝子を見つけたり、現象に関わる分子を同定したりという研究です。そして、それらの研究のおかげで様々な生命現象に関わる分子のリストがものすごく大量にできあがってきました。ただ、そのものすごい量のリストを並べられても結局よくわかった気にならず、個別事例の集まりになってしまっています。そこで広い意味でのシステム生物学の分野に入ると思いますが、そこを一歩引いて疎視化して見たときの法則性やルールを見つけるという研究の重要性がかなり認識されてきています。私もどちらかというと様々な分子をリストアップするような研究よりも、一歩引いた良い意味での現象論に非常に重きをおいています。
細胞の成長は昔からよく知られている古典的な性質なわけですが、細胞の性質を考える上で、それを非常に定量的に高い精度で計測をし、世代時間や集団の成長率など、成長現象を特徴づける様々なパラメータの間に存在するルール、法則性を理解したいと考えています。
法則性が分かれば、現象論レベルである性質について予言するというようなことが可能になってくるわけですし、また、こういったことは起きえないといった拘束や限界について理解できるかもしれません。そういったところにウエイトを置いた研究をやっているところですね。また、どれほど詳細な分子モデルを考えても、結局現象レベルで観察されている法則性と辻褄が合わなければ、そのモデルは非常に怪しいということになるわけですよね。可能な分子論的理解・解釈を制限できるという意味でも、現象論は非常に重要だと思っています。
Q: これまでのご経歴をお話しください。
東京大学教養学部の基礎科学科を卒業しまして、総合文化研究科というところで修士と博士を取りました。その後はアメリカのニューヨークのマンハッタンにあるロックフェラー大学にポスドクで行き、その後はスイスのローザンヌにあるスイス連邦工科大学ローザンヌ校でもポスドクをやりました。
その後、こちらに戻ってきまして准教授になり、今に至るという流れです。修士博士の研究をやっているときに、自分の研究興味に近いところでいつも野心的な研究をされている方がロックフェラー大学におられまして、その方と一緒に研究がしたいと思ってアメリカにポスドクに行きました。結果的にはその先生だけではなくて他の先生の研究室にも所属するような形で、ポスドク時代を過ごしました。
膨大な計測データをいかに活用するかで、差がついていく
Q: 現在の技術的や倫理的な課題があればお願いします。
技術的な課題はまだまだありまして、第一に一細胞レベルで観察ができるようになったのはいいわけですが、そこからどれだけデータを早く抽出できるかという課題があります。細胞の写真は、長期間計測すると何千枚・何万枚と大量に取れてくるわけですが、そこから必要な情報をうまく抽出してこないといけません。それをマニュアルでやろうと思うと非常に大変なわけです。そうすると生物研究でも最近使われていますが、画像解析が非常に重要な技術になっています。データは大量に取れるようになったわけですが、そこから定量的なデータに落とすところにまだ強いボトルネックがあるのです。
二つ目の技術的な制約としては、多種類の細胞や環境条件で、同時に大量に高い精度でデータを取ることが難しいことです。ある条件における細胞の様子というのは非常に精度高く取れるわけですが、さまざまな種類の細胞や環境を同時に大量に同じ精度でデータを取るというのはやっぱりなかなかスループットが足りていません。やはりもう少し一細胞計測がスケールアップしていかないと、様々な条件でのデータを効率的に取りためていくというのはまだちょっと難しいかなと思います。第三に、生きた細胞の中から直接評価できる、取ってこれる性質がまだまだ限られていることです。
先程の現象論の話とも関わってくるのですが、例えば細胞の成長の様子など顕微鏡で観察すればある程度評価できる量もあります。一方で、細胞内には遺伝子だけでも何千個何万個とあるわけですが、それぞれの発現量が1 個1 個の細胞でどうなっているのかという情報をとろうとすると、細胞1 個を取ってきてそれを破壊すれば今でもある程度評価することはできますが、生きた細胞の中でそういった膨大な数の分子の変化がどう起きているかを評価するのは現時点では非常に難しいです。細胞内の分子の数は非常に多いため、非常に高次元の世界になっているわけですが、その高次元の情報を生きた細胞の中から直接評価する、取ってくる方法がまだまだ実現できていないです。
実現させるために当研究室でも技術開発に取り組んでいまして、生きた細胞の中から多次元の状態変化のデータを取得することを実現させたいと思っています。そういうデータが取れれば本当に重要な部分がどこにあるのかも分かってくるかもしれません。そしてそういったものを疎視化することで、現象論的なの法則性とつなぐことができるかもしれません。
Q: 続いて研究室自体についてお伺いしていきたいですが、学生さんはいらっしゃいますか?
現在、6 名の学生がいて、あとはスタッフが3 名です。10 人くらいの規模でやっており、主には院生です。学部生も4 年生が1 人、毎年1 人くらい入ってくる感じですね。うちのラボは学生一人ひとりについてそれぞれのテーマが設定されており、ダイナミクスサイトメータを使う人もいれば使わない人もいます。
計測技術自体は便利なものですから、それぞれのテーマに応じて必要な実験に応じて使ったり使わなかったりという感じです。人によっては、デバイス開発とか技術開発に非常に興味を持って研究をしています。そういった技術を使って生命現象の理解を深めていくという研究を中心にやっている学生もいます。
あとは、もう少し数理肌、理論肌の学生もいまして、物理寄りのマインドで生命研究をおこない、少し一般化した考え方のフレームワークを広げるための理論研究を進めている学生もいます。
Q: 国際的に見て基礎研究のこの分野においてはリードしている状況でしょうか?
増殖の解析や細胞と細胞集団をつなぐ増殖の解析という研究自体は、世界的にもあまりないと思います。そのため我々は独自の立脚点をもっているという点ではアドバンテージがあると思いますが、一細胞解析の研究自体はアメリカなど世界的にも結構力が注がれていて、かなり大きなプロジェクト予算もついてやっているところは多い印象ですね。
ダイナミクスサイトメーターは優れた装置ですが、これに類似のデバイスを作っている人たちはもちろんいて、最近になってどんどん手を変え品を変え色んな計測デバイスが出てきています。そのため、単に計測ができること自体はそれほどアドバンテージではなくなったと思います。これを使って何をするかが大事です。新しい計測ができるようになって質的に新しいデータが取れるようになってきていますが、それをどう噛み砕いて我々が有益な情報を取り出すかのプロセスがまだまだ甘いです。
こういった技術で非常に大事なのは時系列、ダイナミクスが取れるというところで、細胞の世代をまたいだ状態変化を取れるわけです。そこにさまざまな情報が乗っていて、それをどう抽出するかは実は全然簡単ではないというか、そもそもどうやって解析したら有益な情報が取れるかもまだよく分かっていないという状況です。このあたりを色々うまく考えて理解していくことがこれから必要になると思いますし、一つの勝負どころとなるかなと思います。
Q: 将来的な展望から、企業に期待されることはありますか?
企業側に使ってもらったり、我々の技術をさらに発展させて開発を進めてもらったりするためには、これらの技術が質的に新しい情報を抽出するのに有用で、実際に測定検査などに使える技術であることを事例として示すことが必要だと思います。事例を積み重ねつつ、どういったアプリケーションに持っていくかに関しては企業の方たちといろいろ相談しながら進めているというところですね。
この1 細胞計測の技術自体もある企業さんの後押しがあって、国際的な特許を取っています。先程話をしたような、細胞の中のオミクスレベルの情報、トランスクリプトームとかメタボロームとかプロテオームとかそういった細胞内の情報を生きた細胞から殺さずにどう取ってくるのかということについても、最近我々のラボで技術開発を進めています。その技術に関しても今特許を出しています。
我々としてはこれらの技術は実際に使えると思っていますが、我々は基礎研究でやってきている以上、それを皆さんに使ってもらえるようなかたちにして提示するという部分はまだまだ弱いと思います。そこを、企業に協力してもらいながら進めていきたいと思います。(了)
若本 祐一
わかもと・ゆういち
東京大学 大学院総合文化研究科 相関基礎科学系・複雑系生命システム研究センター 准教授
2001 年、東京大学教養学部基礎科学科卒業。
2003 年、東京大学大学院総合文化研究科修士、2006 年に同博士号取得。
2006 年よりロックフェラー大学 博士研究員、2007 年よりスイス連邦工科大学ローザンヌ校博士研究員。
2009 年より4 年間、科学技術振興機構さきがけ 研究員(兼任)。2008 年より現職。