ヒトのおなかにいる腸内細菌は、実に多くの種類の糖質分解酵素を持っている。近年、このタイプの酵素は次々と新しい種類が発見されており、産業応用をにらんだ研究が盛んになっている分野である。
こうしたなか、ビフィズス菌が糖鎖を分解する際に作り出す酵素に着目し研究を進めているのが、東京大学大学院農学生命科学研究科の伏信進矢教授だ。今回は伏信教授に、腸内細菌の酵素研究が盛んになった要因と、産業応用に向けて乗り越えるべき課題についてお話を伺った。
ビフィズス菌を中心に、酵素の糖質分解酵素に着目
Q:まずは、研究の概要について教えてください。
私たちが研究しているのは非常に基礎的な、「酵素のかたち」です。酵素が立体的にみてどんなかたちをしていて、どのように働くのかを研究しています。これは、「構造生物学」や「酵素学」と呼ばれている分野です。
構造生物学でいうと、医療応用、例えば医薬品のターゲットになるような酵素やタンパク質を調べているグループというのはたくさんあると思います。農学部にいる私たちとしては、タンパク質の中でも酵素、とくに食品などの応用分野に近いものを研究しています。酵素のかたちを明らかにすることで、どう応用に繋げていくかの基盤になるような情報を提供していくのが、研究のねらいです。
Q:酵素のかたちを明らかにするにあたり、どんな研究手法があるのでしょうか。
おもな手法は、「X線結晶構造解析」というものです。タンパク質は非常に小さなものですので、普通の顕微鏡では見ることができません。そこで、細胞よりも小さいものを見るときにはふつうは電子顕微鏡を使います。最近ではノーベル賞受賞者も出たように、クライオ電子顕微鏡の解像度が非常に上がって、タンパク質の細かいかたちも見ることができるようになってきましたが、メインの手法としては依然としてX線構造解析が使われています。
X線は非常に波長の短い光で、微細な構造まで見ることができます。ただしレンズにあたるものがないので、拡大することが難しい面があります。専門用語でこれを「回折」といいますが、結晶をつくってX線をあてると跳ね返って出てくる点を集めて計算することで、非常に細かい構造まで明らかにすることができます。
さて、酵素の応用研究をしていく上で、私たちはそのなかでも「糖」に関する酵素の研究をメインにしています。このような酵素は「糖質関連酵素」と呼ばれています。糖というと、「澱粉」や「セルロース」などはみなさんも聞いたことがあると思います。どちらも同じ「グルコース」という基本的な糖からできています。このグルコースが集まった「ポリマー」が、自然界にはたくさん存在しています。それを分解する酵素をたくさん持っているのが、微生物です。
例として澱粉とセルロースを挙げましたが、これ以外にも糖には非常にたくさんの種類があります。糖質の持つ機能としては主に3種類が知られています。まずは澱粉のようにエネルギーの元として溜めておける「貯蔵糖」、そしてセルロースのように身体をつくる構造の材料になる「構造多糖」、さらにもう一つは「情報性分子」としての役割です。たとえば「糖鎖」という細胞の表面でタンパク質や脂質にくっつくかたちで様々な種類の糖が連なった鎖のようなものがあります。細胞は外側から中を見ることができませんので、細胞の表面についている糖鎖がその細胞の状態の目印になってくれるわけです。
糖にはグルコース以外にも、その繋がり方によってたくさんの種類があります。一方で、糖を分解する酵素も同じようにたくさんあるのです。そこで注目しているのが、微生物というわけです。
微生物というものは非常に小さな生き物で、地球上の様々な環境に存在しています。土や森の中、あるいは人や動物の体内にいるもの、場合によっては病原菌などもいたりします。つまり様々な状況や環境に合わせて、利用できる糖質が違うわけです。そのため、微生物は非常にたくさんの種類がいるだけでなく、持っている酵素の種類もバラエティに富んだものになっているのです。そのなかでもっとも種類が多いタイプの酵素として、糖の分解酵素に注目しているわけです。
酵素というと、ひとまとめにして「身体にいいもの」というようなおおまかなイメージを持っている人も多いと思います。しかし、例えば細胞の中でグルコースを分解して代謝するのには、10種類以上の酵素が関わっています。つまり1つの代謝をするだけで何種類もの酵素が次々と化学反応を起こしているのです。酵素は化学反応をする触媒ですが、生物が生きていくために、何種類も必要になってくるのです。このように酵素にはたくさんの種類があり、そこに興味を持って研究者たちは様々な酵素の研究を続けてきました。
ではなぜ、いま微生物の糖質分解酵素の研究が注目されているのでしょうか。おそらく現在、もっとも多くの酵素が見つかっているのが、この微生物の糖質分解酵素の分野だからだと考えられます。この10年ほどで、さらに勢いが増したと感じています。
研究自体は古くから行なわれている分野ですので、今の状況をよく知らないと「今さらアミラーゼの研究をするのか」などという人もいます。しかし、私たちにとっては、今まで知られていたような古いタイプのものだけではなく、全く新しいタイプの酵素が微生物からどんどん見つかっているので、とても魅力的な分野だと考えています。
Q:そもそも、酵素はどのように発見され分類されているのでしょうか。
「新しい酵素」ということをどこで判断しているかについてご説明します。タンパク質は20種類のアミノ酸が連なってできていますので、まずは、このアミノ酸の配列が似ているかどうかが、比較するポイントになります。アミノ酸配列が似ているものは同じファミリーに分類されることになります。
糖質関連酵素のファミリー分類は、フランスのグループが1990年頃から始めました。糖質関連酵素は大きく分けて「分解酵素」と「合成酵素」があり、分解酵素は分解の仕方によってさらにいくつかの種類に分かれています。例えば、加水分解という水を加えて糖鎖の結合を切る酵素があるのですが、このような酵素は「グリコシドヒドロラーゼ」というもので、「GH」という略称で呼ばれています。GHは現時点で一番ファミリーの数が多い酵素で、アミラーゼやセルラーゼなど、ほとんどがこのGHのファミリーに入っています。
このGHファミリーの数は、今から15年前くらい前は90種類ほどでしたが、今では150種類を超えるほどになっています。ファミリー分類が始められた初期の95~96年くらいの時点では、GHファミリーは35種類ほどでした。その頃知られていた酵素はアミラーゼなど、一般の皆さんも知っているようなものでした。
そこから世界中の研究者たちが、新しい酵素が見つかったことを次々に報告していき、新しいファミリーがどんどん知られていきました。
新しい酵素ファミリーの設立には、私たちが関わったものもいくつかあります。ここ数年、研究の勢いが増しているとお話しましたが、それまでは年に2~3個くらいのペースで酵素ファミリーができていた印象ですが、今ではそれが5~10個くらいになってきています。これがここ5年くらいの出来事になりますね。
Q:なぜ、近年になって次々と酵素ファミリーが見つかっているのでしょうか。
実は、微生物のなかでも腸内細菌が、これら酵素ファミリーの新しい発見の源になっています。これには、腸内細菌が持っている糖の分解酵素の種類が非常に多いことが関係しています。
ではなぜ、腸内細菌がたくさんの種類の糖質分解酵素を持っているのでしょうか。これには、腸内細菌が人や動物と共存していることが関係してきます。人や動物の多くは多種多様なものを食べています。そのうち、澱粉など美味しくて分解しやすいものは、宿主である動物がとってしまいます。大体が小腸まででほとんど吸収されてしまうわけです。しかし、微生物は大腸のほうにたくさん住んでいるため、途中で吸収されてしまうとそこまで辿りつくものが少なくなってしまいます。宿主が分解できない食物繊維のようなものしかやってこないないわけですね。
食物繊維は多くの場合植物の細胞壁に由来するもので、非常に多様かつ複雑な「多糖」であり、マンナン、キシログルカン、ペクチンなどが知られています。食物繊維は多くの種類の糖が、様々な結合の仕方で繋がっているものです。動物がこの複雑な多糖を分解する酵素を全て作り出すのは難しいのですが、微生物は種類が非常に沢山あり、バラエティにとんだ酵素を生み出すことが得意なので、このように複雑な多糖である食物繊維の結合を一つ一つ切っていくことができるのです。
例えば、特定の糖質が栄養源としてやってくると、微生物はそれに反応して、それらを分解する酵素を作り出します。ある種の腸内細菌は色々な食物繊維を利用するための遺伝子群をそれぞれセットで持っており、栄養源の到来に応じて何十種類もの酵素を一気に作り出して、様々な種類の糖からなる多糖を独り占めして分解できることがわかっています。
このように、微生物は種類ごとに様々な能力を持っているのです。 腸内細菌は何千種類もあり、その一つ一つの微生物のゲノムが明らかになっているため、遺伝子のセットを見ればどんな分解をしているかが大体わかるというのが今の世界的な状況です。
では私たちが一体なにをしているのかという話になりますが、私が共同研究をさせていただいている国内のいくつかのグループは、ビフィズス菌が糖鎖を分解する酵素を研究しています。
海外のグループにおいては、大人の腸内に多いタイプのバクテロイデス属という菌についての研究が盛んなのですが、国内では、伝統的に、乳児の腸内に多く住んでいるビフィズス菌の研究が盛んに行なわれています。これは光岡知足先生(東大農学部名誉教授)の先駆的な研究の影響が大きいと思います。日本でビフィズス菌の有効性が一般的にも知られているのは先生の活動のおかげですし、様々な企業の広告にも光岡先生のつくった図がよく使われています。
ビフィズス菌は赤ちゃんが生まれてすぐ、その腸内で一気に増えるのですが、そのうち悪玉菌と呼ばれるようなものが徐々に増えてきて、大人になるにつれビフィズス菌は少しずつ減ってしまいます。これは1988年頃に光岡先生らが発表したコンセプトですが、近年の国内外の研究においてもほぼ正しいことが確かめられています。
なぜそうなるかという理由についてですが、簡単にいうと、ビフィズス菌がヒトの母乳に含まれるオリゴ糖を分解する酵素を持っているからです。ここ数年でその様子は非常に詳しく分かってきており、ビフィズス菌の糖質分解酵素も、たくさんの種類が見つかってきています。
人の母乳の固形成分としては乳糖が最も多く含まれています。乳糖は「ラクトース」とも呼ばれていますが、これはガラクトースとグルコースが繋がったものです。その次に多いのが脂質です。そして3番目に多い成分が、「ヒトミルクオリゴ糖」というもので、重量比で1〜2%程度含まれています。ラクトースの場合は2つの糖が繋がったものですが、ヒトミルクオリゴ糖は3つ以上の糖が繋がってできたオリゴ糖の複雑な混合物です。細かな成分分析をすると、少なくとも100種類、あるいは200種類くらいあるのではないかといわれるほどたくさんの種類のオリゴ糖が混ざったものです。これらのオリゴ糖は、まとめてヒトミルクオリゴ糖と呼ばれています。
このビフィズス菌のヒトミルクオリゴ糖分解のカギとなる酵素の遺伝子を最初に見つけたのは、農研機構・食品研究部門の北岡本光先生のグループです。
それと同じ時期に京都大学の山本憲二先生を中心としたグループが、ビフィズス菌の糖質分解酵素酵素の研究をしており、私たちは、その2グループと共同研究というかたちで、それらの酵素の立体構造を明らかにしていくという作業を行なってきました。
酵素がどんなふうに働いているのかを知ることは基礎研究として重要ですが、それだけでなく、応用面でも重要です。さきほどヒトミルクオリゴ糖の分解酵素といいましたが、実はこの酵素は、逆の反応、つまり2つの糖をくっつけることもできるのです。この反応を利用して、ヒトミルクオリゴ糖を合成することも可能になります。また、酵素のかたちが分かれば、その重要な部分を改変することにより、もっぱら分解ばかり行う酵素から合成反応もできる酵素に変換することも不可能ではありません。このようにタンパク質の機能を改変する技術を「タンパク質工学」といいますが、その重要な手法の一つである進化分子工学の発展への貢献に対して2018年のノーベル化学賞が与えられたのは記憶に新しいですね。
つまり糖質関連酵素を用いて有用なオリゴ糖などの糖質を作るために必要な情報を提供する、これが応用面において私たちの研究で一番大事です。
コスト、品質管理、遺伝子組み換えでそれぞれ課題を乗り越える
Q:研究において、今後の課題は何でしょうか。
やはり産業応用は重要であると考えると同時に、非常に難関だと思っています。酵素を用いた研究成果が実用レベルで世の中にプロダクトとして出るということは、非常にハードルが高いことでもあります。
オリゴ糖の種類によっては、酵素を使って実験室で数グラム程度のものをつくることは可能ですし、ある程度までならスケールを大きくしていくこともできます。しかし、実用レベルまでスケールを上げるには、単に反応系を大きくすればいいというものではなく、様々な問題点が立ちはだかります。また、企業でつくって売るとなると、コスト面の課題が一番大きいと思います。品質管理も難しいです。
またこれは非常にデリケートな問題なのですが、私たちは遺伝子組換えで作った酵素を使うことが多いので、そのような酵素でつくったものが食品に入ることは、かなりハードルが高いことだといえます。安全性を調べるにはお金も時間もかかってしまいますし、規制も厳しいです。これらのコスト、品質管理、遺伝子組み換えなどの倫理面、この3つが私たちの研究が応用まで繋がる上での課題でもあると思っています。
もう一つ別の課題として、例えば酵素のかたちを知ることは非常に重要ですし、かたちがわかればどう振る舞っているかがわかるのですが、それを自在に変換するとなると、そう簡単ではありません。私たちはたくさんの酵素の立体構造を明らかにしていますし、人類全体としても数多くの酵素のかたちが分かってきているのですが、それを基に酵素をどう変えていくかという意味では、まだまだ難しいこともあり、わかっていないこともたくさんあります。
Q:日本の研究者に必要なことはなんでしょうか。
新しい酵素を発見したり、立体構造を新しく決めていくという分野においては、日本にいる研究者のみなさんは非常に大きな貢献をしていると思います。しかし、海外ではより大きなグループを組んでいたり、研究費も潤沢にあります。
日本の研究者はもっと海外に行って、アピールをしたほうがよいと感じています。私の場合はできれば年に1回は海外に行くようにしていますし、国際学会などで見るとやはり日本人の研究者はあまり発表していない気がします。例えば、酵素ファミリーの発見においては、日本のグループは世界的に見ても無視できないほど貢献しているのですから、もっとアピールするべきです。
研究者であれば、学会に行って、外国の人たちと直接会って話すことは大切なことです。相手からからしてみれば、学会に来てもおとなしそうにしている日本人の研究者のパーソナリティーがよくわからないということもあるようです。研究者にとってコミュニティーは重要なものですし、同じ分野にいるということはライバルでもありますが仲間でもあるということです。そこを盛り上げていくのは日本人の苦手な部分だという気はしています。どんどん海外に出て行って、日本発の研究の成果をアピールする橋渡しになれるよう、私も頑張りたいと思っています。
Q:現在、研究室にはどんな学生がいますか。
現在は学部学生の4年生が4人、大学院の修士の学生も各学年に3人います。博士課程の学生も複数いますし、私達の研究室は学生からも比較的人気のある研究室なのではないかなと思っています。
研究テーマとして扱っているものが、身近なビフィズス菌などの腸内細菌であることも魅力の一つになっていると思います。あとは酵素の立体構造が綺麗なのもそうですね。複雑ではあるものの、そこに面白さを感じる学生が来てくれています。
酵素はたくさん種類があるので、学生一人一人に全く新しいテーマに取り組んでもらうことができます。もちろん国内や海外の優秀なグループと共同研究をしていますので、まだ誰も研究していないようなテーマに学生が取り組むわけです。うまくいけば世界で初めてその酵素のかたちを見るという経験ができますし、近い将来に産業応用に繋がるような研究をすることができる、という部分も面白いのではないかなと思います。
Q:企業との共同研究などはあるのでしょうか。
現在は、糖質素材をつくっているメーカーや食品産業の企業などと共同研究をしています。
私たちの研究は具体的になにかプロダクトをつくることに直結するわけではありませんが、企業が行なっているような生産技術などの役に立つこともありえます。
Q:今後の目標についてお聞かせください。
酵素の持つユニークなかたちをあきらかにしていくことを、さらに追求していきたいと思います。腸内細菌の糖質分解酵素酵素には細胞の中で働くタイプのものと外で働くタイプのものがありますが、細胞の外で働くタイプの酵素については、サイズが非常に大きなものもあり、その酵素がどのようにして腸管にある糖鎖と相互作用をしているのかがよくわからないものもあります。
その全体像をあきらかにしていくために、今後は結晶構造解析だけではなく、近年使えるようになってきているクライオ電子顕微鏡などの新しい技術を使って、微生物の外側でどのようなことが起こっているかの全貌も明らかにしていきたいと考えています。(了)
伏信 進矢
ふしのぶ・しんや
東京大学大学院農学生命科学研究科教授。
1994年、東京大学 農学部 農芸化学科卒業。1996年、東京大学 農学生命科学研究科 応用生命工学専攻修士課程修了。1999年、博士(農学)。
1997年から、東京大学大学院・農学生命科学研究科助手をつとめる。2007年より同助教、2011年より同准教授。2012年より現職。