スマートフォン、プロジェクター、プリンターから自動車に至るまで、MEMS 技術は我々の身の回りで陰ながら大車輪の活躍をしている。大きさ1 mm 以下の目に見えない機器を実現するMEMS 技術を、より身近な医療に活用する研究に取り組んでいるのが慶應義塾大学の三木則尚准教授だ。医療機器開発は、その高い将来性を見越し、米国では対応する学問分野としてバイオメディカルエンジニアリングが確立されているが、日本では研究開発者の育成カリキュラムが整備されておらず、茨の道と言える。患者のQOL 向上を目指し、新しい医療機器開発を目指してきた三木准教授に、この分野の最先端の技術や、研究と実用の間に横たわる「狭間」のプロセス、留学の勧めをはじめ、学生へのメッセージまで、幅広くお話を伺った。
日常に溶け込む微小で普遍的なMEMS 技術を新発想に応用
Q:MEMS 技術とはどのようなことを指すのですか?
MEMS 技術は、ミリメートルのオーダからそれ以下の小さな機械や構造に関係する技術を総称しています。「MicroelectromechanicalSystems」の略なので、本来は小さくて電気式の機械システムという意味ですが、電気的な要素がない、機械のように動かない、といったものでも微細な構造であればMEMS と呼んでよいかと思います。またその微細構造の製作技術を指すこともあります。アメリカではMEMS と呼んでいますが、ヨーロッパでは「MicroSystems」と呼ぶことが多いようです。個人的には言葉の定義を気にしなくてもよいと思っています。とにかく小さいものを作る技術だと考えてもらえればいいのではないでしょうか。
「MEMS」という概念は70 年代、いやそれ以前からも存在していました。現在MEMS が活用されている最も身近な例は携帯電話です。1985 年に発表された携帯電話はとても大きく、ショルダーフォンと呼ばれていましたが、現在の携帯電話は手のひらサイズで、スマートフォンと呼ばれ、そしてその名のとおりたくさんの機能をもっています。例えばスマートフォンを傾けることで、スクリーンの方向が変わったり、アプリケーションを起動したり、振動を計測すれば万歩計にもなります。これはスマートフォンに搭載された3 軸の加速度、6 軸の回転を検出するセンサーにより実現されています。スマートフォンに搭載されるためには当然小さくなくてはなりません。こうした小さいセンサーを作るのがMEMS 技術です。他にも気圧センサーや、マイクにもMEMS 技術が使われていますし、最新の携帯電話では心臓部となる高周波回路にMEMS技術が使われています。
MEMS 加速度センサーは自動車にも使われています。事故の際エアバッグが開きますが、事故の衝撃、すなわち自動車にかかる加速度を感知する必要があります。この自動車用加速度センサーも、最も普及している代表的なMEMSの一つです。
他にはインクジェットプリンタにもMEMS 技術が生かされています。インクジェットプリンタは用途もまた価格的にもとても身近で気づかないのですが、実は非常に高度な技術です。ヘッドが左右に動いているときに、絶妙のタイミングで実に少量のインクを出していますよね。タイミングがずれたり、インクの量が多くてにじんだりすると絵がキレイに出ません。そのため、インクジェットプリンタに使われているプリンタヘッドには非常に高い精度が求められます。これもMEMS 技術がなせる業です。
また、電気屋さんで売られているDLP タイプのプロジェクターでは、200 万個もの極々小さい鏡が、非常に速く、かつ正確に連動して映像を作っています。これもMEMS 技術を利用した代表的な例です。かつてはMEMS も一つの特殊な専門分野だった時代もありましたが、最近では一般的な技術になってきました。「MEMS はどこにでもある。だけど小さいから見つけられない」とよく話しています。技術が発展し、身の回りの機器に普通に用いられる技術となり、そのために、MEMS そのものだけで完結して満足できるような研究対象ではなくなってきたように思います。さきほど小さくて見えない、と言いましたが、小さいことはとても大きなメリットです。一つのセンサーをどれだけ小さくできるか、またどれだけ消費電力を少なくできるか、が特に製品化においては重要な指標になります。
Q:MEMS の中でも、特にどういうポイントに注力されているのですか?
我々はMEMS 技術によって小さなものを作って、それを新しい技術へと応用するところまで研究することに重点を置いています。他の研究との違いを出す要素は様々で、例えばMEMS の材料、加工技術もそうですが、まずは新しいコンセプトを創り出すことをファーストプライオリティとしています。現在は特に、医療やヘルスケア、ICT 分野の研究を行なっています。今日はインプラント人工透析システムとキャンドル型脳波計測電極について紹介します。
MEMS 技術を使った医療ハードの開発
人工透析を簡単に言うと、血液をキレイにする治療です。健常なヒトでは腎臓がこの機能を担っていますが、腎臓病になると血液をキレイにすることができなくなるために、透析治療を受けなくてはなりません。血液をキレイにするために、まず血液を体外の透析装置に導入します。そこには「1 ナノメートル」つまり1 ミリの100 万分の1 程度の孔があいている透析膜があります。その目に見えないナノサイズの孔を通じて、尿素やクレアチニンなど要らないものを取り除き、キレイになった血液をまた体の中に戻します。
人工透析は非常に完成されている治療技術です。人工透析さえ受けていれば腎臓病で亡くなることはないと言われています。しかし、透析を受ける患者さんは休日・祝日も関係なく、週3 回病院に行かなくてはいけません。患者さんは自分で血液をキレイにできません。また、尿も出ません。ですので、2日分の老廃物を体の中に溜め込み、病院に行ってキレイにするという繰り返しになります。高い頻度で必ず病院に行かなくてはならず、生活上の不便だけでなく、例えば就業の面でも問題が出るでしょう。
またその老廃物がたまった状態中は、体への悪影響もあると考えられます。また、1回の治療は4 時間といわれています。週に3 回、1 回4 時間ですから、週に12 時間治療を行なっていることになります。健常者が週7 日、毎日24 時間行なっていることを、週12 時間という非常に短い時間で行なう治療なので、患者さんにとっても負担の大きい、激しい治療です。だから透析治療を受けた後は患者さんはぐったりされるそうです。
さらに、透析治療では血を採るときに非常に太い針を使います。健康診断の採血とは比較にならない量の血液を、大流量で体外へ取り出す必要があるので、ボールペンの芯ほどの、驚く程太い針を使わなくてはいけません。つまり人工透析治療は、患者さんにとって肉体的にも精神的にも負荷が大きい治療なのです。
そこで、我々は工学的なアプローチにより、患者のQOL( クオリティオブライフ) 向上ができるはずだと考えました。そして現在、東京医科大学腎臓内科の菅野義彦主任教授と共同で、血管のように細いマイクロ流路と透析膜を組み合わせたインプラント型の人工透析装置を開発しています。このインプラント型装置により、患者を24 時間× 7 日間ずっと治療ができることになります。病院に行く頻度を少なくし、また緩徐な血液浄化を行い、さらに頻繁な太い針の穿刺から患者を解放することができます。患者QOL を劇的に改善することができるのです。
装置だけでなく、全体のシステムや手術方法についても検討を行っています。東京医科大学の菅野先生の他に、生体腎移植をされている泌尿外科の先生とも共同研究をしています。生体腎移植と同じ方法で、生体腎の代わりに透析装置を埋め込めばよいのではないかと相談しながら進めています。
Q: 実用化にはどのくらいかかるでしょうか?
実用段階にはまだまだ到達していません。とは言っても10 年以内、早ければ5~7 年での実用化を目指しています。ただ新しい医療機器の承認には多くの困難があります。まず何より、安全性の証明です。それには動物を用いた実験が必要です。
我々は機械工学科なので、装置を作ることはできます。しかし装置のテスト、まずはラットを用いた実験ですが、当初は全くノウハウがありませんでした。そこで医学部の先生に手術をお願いし、一緒に実験をしてきましたが、医学部の先生方は本当にお忙しいのです。我々が普段研究をしている昼間の時間に診察をされているわけですから。次の実験は2 か月後の日曜日の夕方、といった感じになってしまいます。さらに、実際に行ってみてわかったのですが、こうした医療機器の研究においては、動物実験を繰り返すことで得られるノウハウ的な知見が非常に多くあります。ですので、できるだけ早いサイクルで、動物実験、知見の獲得、装置設計へのフィードバックを行う必要があります。そこで、初期の動物実験の段階、つまり動物実験を繰り返さなければならない段階は、我々工学系の人間が担当しなければならないと腹をくくりました。うちの研究室の学生は随分と頑張ってくれて、今はラットの手術ができるようになりました。それはもう獣医が思わず勧誘する程の見事な腕前です。現在は動物実験を通じて、装置ならびにシステムの詳細設計を行っている段階です。詳細設計が完了すれば、中型動物を使った長期試験を行い、そこで安全性が保証されればいよいよヒトへの臨床試験に移ります。
医療機器開発の長いプロセスと「狭間」問題、そして機械科の新たな人材育成の必要性
本研究のゴールまでを俯瞰すると、いくつかのサブゴールを越えていく必要があります。最初の基礎研究、ラットなど小動物を使った実験、ヤギ、イヌ、ブタなど中型動物での実験があり、それから最後にヒトでの試験、それらがうまくいけば医療機器の承認プロセスに進むことができます。この承認プロセスは、日本では時間がかかってしまうと言われてきましたが、現在はできるだけ短縮しようと関係者が頑張っていらっしゃるところです。
さて、医療機器以外の分野では、例えば基礎研究により基本原理が実証された段階から、企業のバックアップや国の予算が付き始めます。ところが医療機器の場合、実用化がうまくいくかどうかは最後の最後に信頼性、安全性を証明するまで分かりません。そのため、例えば長期の動物実験が成功した、もしくはもう医療機器として承認されるまで、なかなか皆手を出してくれません。だから我々の研究も長期動物実験の手前に近づいてはいますが、まだ自分で頑張るしかありません。身をもって感じていますが、研究予算の獲得は本当に難しい。もう少し基礎研究の段階では比較的簡単に予算が取れました。今は、基礎研究というには応用研究に近く、とはいえ医療機器に関する応用研究としてはまだ基礎に近い、ということで両方から評価してもらえません。審査する方に医療機器開発の知識、経験がない場合は、その苦労も分かってもらえません。もちろん、これは私の伝える力が不十分であったり、研究計画が十分に練られていないからかも知れませんし、多分にただの愚痴なのですが。
さて、先ほどの基礎研究の次の動物実験に話を戻しますが、医療機器開発の研究では、この動物実験の部分が言わば「狭間」になっていると感じました。我々の研究では機械工学科出身の学生が頑張って医学の知識、スキルを身に着けてくれました。そこでふと気づいたことのですが、バイオメディカル分野を国を挙げて推進し、積極的に研究を行っているアメリカでは、この10 年〜15 年の間にバイオメディカルエンジニアリングやバイオエンジニアリングと呼ばれる学科がたくさんできています。すなわち、アメリカではまさに、工学の知識と、動物実験も含めた医学の知識を持っている学生を育ててきたのです。
私の研究室の学生は「機械科なのに動物実験ができてすごいね!」と褒められますが、そんな人材をアメリカはたくさん輩出しているのです。だからこそ産業として確立できているのだと思います。日本ではこのような展開が十分にできているとはいえません。工学と医学の両方がわかる、そんな人材を増やしていかないと医療機器の分野で日本は取り残されてしまう64 MEMS 技術を医療に活用する 三木 則尚・慶應義塾大学准教授 65でしょう。これからの学生は、機械だけではなく、医学も生物学も、そういった複数の分野の知識を融合しながら研究しなくてはなりません。複数の分野を学べるシステムが用意されていればいいのですが、実際に大学の教員としてそのようなカリキュラムを作るとなったら…。機械全部と医学全部を網羅するのはとても無理なので半々くらいの分量になってしまう、それで果たして良いのか。評価はどうするのか?そもそも誰が教育するのか?新しいカリキュラムを組んで人材を育てていければいいのですが。
それから言い遅れましたが、とても大切なことですが、動物実験をするためには倫理審査があります。どういうふうに動物実験をするのか、例えばどのような方法で麻酔をかけるのか、実験動物に苦痛を与えないかといった点をきちんと評価する倫理審査が慶應義塾にあり、そこで承認を受けた方法で動物実験を行っています。
キャンドル型脳波電極と、脳波研究の可能性
次に紹介するのは、MEMS 技術を用いて製作した、高品質な脳波を検出するためのキャンドル型脳波電極です。脳波と聞けば、脳とコンピューターを直接つなぐ「ブレインマシンインタフェース」が頭に浮かぶかと思います。昔からSF に登場してきましたが、もはや夢の技術ではなくなってきました。現在の技術ならば右左くらいなら脳波で問題なく指示できます。ただ、私の持論としては、別に「う〜ん」と念じなくても、ジョイスティックを使ってサクッと動かしてしまえばよいと思うのですが、それは研究スタンスの違いでしょうね。もちろん、手も足も動かせない方が脳波によってコミュニケーションを取れるようになるので、重要な研究だと思います。お年寄りだと、ジョイスティックを使うとかえって時間がかかってしまうこともあるので、そうした場合には脳波の方が有効ですね。我々はブレインマシンインタフェースだけではなく、脳波の医療応用、例えばアルツハイマー病やてんかんの診断に応用することを念頭に、高品質な脳波を計測する研究を進めています。
脳波の計測技術の進歩は目覚ましいものがあります。額にヘアバンドのように取り付けるだけで計測できる脳波計が既に市販されています。おそらく計測データには目の周りの筋肉からの信号や、体の動きによる信号などが混入した比較的低品質な脳波だと思うのですが、これを、適切に信号処理することで脳波を抽出しています。どちらかというと計測した脳波をどうやって分析するか、というソフトの部分に重点をおいた技術です。それに対して、ハードの部分を研究するのが我々のやり方です。子供のてんかんを脳波により検査するために、まず頭髪を全部剃って、頭にたくさん電極を貼付けて、そして発作が起きたときに脳のどの部位が反応しているかを調べる、ということを知りました。発作はいつ起きるかわかりませんし、電極を皮膚に貼付けることでかゆくなってしまうこともあるらしく、とても大変な検査です。患者のQOL がとても低い。そこでもっと簡単に、高品質な脳波を取れないかと考えたのが、本研究のモチベーションです。
脳波計測についてもう少し詳しく説明しますと、医療用の品質の脳波を計測するには皮膚の一番表面にある「角質」と呼ばれる部分を削ります。角質は電気的な抵抗が大きいので、脳からの信号がそこで弱まってしまうのです。角質は我々の体を守るものですので、それは仕方がありません。そこで脳波計測ではその角質を削り、そこに導電性のペーストを塗って電極を貼付けます。削ると聞くと不快かもしれませんが、実は痛みも無く、それほど問題ではありません。計測においては、実はその後に塗る導電性ペーストが非常にねちゃねちゃするので患者さんにとって不快です。例えばアルツハイマーを患う方は、本当に嫌がってしまって脳波をとらせてくれないそうです。このように導電性ペーストを使う電極をウェット電極と呼びます。
そこで我々は、角質を削ったり、導電性ペーストを使う必要のないドライ電極の開発を行っています。現在のドライ電極の多くは、少しでも抵抗を小さくするために、計測時に電極を角質層の上からぎゅーっと押さえつけます。これは結構痛いです。我々はせっかく微細加工の技術を持っているので、電極を針型とし、角質をちょっとだけ貫いて脳波を計測することにしました。角質は0.2 〜.3 ミリほどしかないので、針で貫いても全く痛くはありません。
次に脳波の計測箇所ですが、国際的に計測箇所が決められています。32 箇所からとる方式もあれば、200 箇所の場合もあるのですが、その場所は定められているのです。そしてその場所が額だけだったらいいのですが、ほとんどの計測箇所が髪の毛がある有毛部にあります。そのため角質を貫くだけでなく、いかに髪の毛をうまく避けるか、が重要になります。そこでキャンドル型の形状にたどり着きました。キャンドルの根元の太い部分で髪の毛を避け、先端の針部分が角質を貫く、これにより有毛部からも高品質な脳波が、角質を削ったり、導電性ペーストを塗ったりといった前処理なしに計測できます。キャンドル形状は微細加工技術により実現可能です。
脳波の研究というと難しくてハイテクなイメージがありますが、実は髪の毛をどう避けるかといったローテクな部分がとても重要だったのです。さらにもう一つ、髪の毛を避けた後、電極を頭部にどうやって固定するのか、ヘアバンドにするのか、カチューシャにするのか、帽子型にするのか、大きな問題です。研究した技術を実際に使えるようにするためにはローテクな部分がより重要になってくるのです。
我々が開発したキャンドル型脳波電極の良さを実証するために、計測したα波を使って、疲労度をモニタリングする実験を行なっています。本当は疲労度ではなく、幸福度やリラックスといったポジティブなことを測りたいのですが、実験が難しいのです。つまり、被験者である学生を「今より1 幸せにさせる、2 幸せにさせる」手法がないのです。今より1 幸せになったときや、2 幸せになったときの脳波を計測できれば、脳波と幸福度の関係が導き出せるのですが。疲労に関しては比較的実験が容易です。例えばひたすら計算問題を解かせると、問題数や計算時間と疲労度が高い相関を持っている、と考えられます。そして、そのときの脳波を計測し、特に疲労度と高い相関をもつ脳波の特徴量を抽出します。つい最近、疲労度と高い相関をもつ特徴量を発見することができました。学会、論文で発表する予定です。
実験ではおよそ20 人の学生に対して、1 時間程度行ないました。実験については生命倫理委員会に承認を得ています。当然ですが、「卒業したいよね?」と学生にプレッシャーをかけて参加させるのはだめです。きちんと倫理委員会に「こういう実験をします」と申請し、承認を受けて初めて実験ができます。こうした倫理のプロセスは煩わしいように思われるかもしれませんが、実はこのプロセスがあることによって、実験プロトコルを一つに統一することもできました。人間のデータなので、対象が一人ではダメで、十分な数の被験者で実験をして、計測したデータを統計的に処理しないといけないので、倫理のプロセスも大事な要素ですね。
Q: 脳波の医療用途以外の使い方はありますか?
そうですね。前に説明しましたブレインマシンインタフェースは情報通信にも使える技術です。実は最近、我々にとってはとても新しい応用の研究を始めました。それは、東京藝術大学の古川聖先生、濱野峻行氏、筑波大学の寺澤洋子先生と共同で取り組んでいる「脳波音楽」というものです。もともと古川先生のグループが、脳の中の音楽的な創造性をいかに表現するか、脳波を仮想楽器として用いて模索する、という研究を行っていました。私の説明は少し怪しいですが。その研究に我々の脳波計測電極が貢献できると思っています。我々にとって全くの新分野なのでとてもエキサイティングです。そして、もし表現やアートの世界に貢献できたのならら、私もついに自らをアーティストと名乗れるかもしれません。趣味でキューバ音楽を楽しんでいるのですが、そうなったら多少は箔がつ66 MEMS 技術を医療に活用する 三木 則尚・慶應義塾大学准教授 67くのではないかと期待しています。
Q: 脳も視覚も電流で動いていると聞くと不思議な感覚があります。
実感は湧かないですよね。絵や写真をデジタルデータにして脳に入力する、というのはぼんやりと想像はできますが、寝ている間の夢や、目に入る情景、あるいは我々が考えたり思ったり、想像したりすることが脳の中の電気的な活動として存在していると言われても、そうですね、まだまだ分からないことがたくさんあるように思います。
最近ではAI が全て解決してくれると言う人もいるかもしれませんが、AI も魔法ではありません。言葉やコンセプトが先走ってしまっていますが、実はこの状況は1970 年代のAI ブームと同じなのです。少し話がそれますが、科学技術のブームについてお話ししたいと思います。まず、大抵の科学技術にはブームが起こる時期、そしてブームが去る時期があるんです。AI、人工知能という言葉は1956 年に生まれました。すると、「AI とロボットを使えばすぐにドラえもんや鉄腕アトムみたいなアンドロイドも作れるんじゃないか」「ロボットの軍隊が攻めてくるんじゃないか」と多くの人が興奮したのですが、現実はそうはならなかった。若干の失望とともに、AI ブームが沈静化していきました。一般のブームが去ったとしても研究者は研究を継続します。ただ、研究内容に「AI」と書くとお金が取れない状況になってしまったので、皆、頭を働かせて「スマートインテリジェンス」とか「スマートシステム」とか、違う名前を考えたそうです。
しかし、昨今のAI ブームはご存知の通りです。これは、AI に関する基礎研究が進んだことと、そして何よりもコンピューターの進歩のおかげです。コンピューターの進歩を表す例として授業でよく紹介するのですが、30 年くらい前に戦争シミュレーションのゲームをやったことがあります。現在市販されている、人を増やし、街や畑を作り、というようなリアルタイムシミュレーションゲームの原型です。昔のゲームでは、例えば戦車を1 マス前に進ませます。するとコンピューターが、20 分、30 分ずっと考えているのです。こつはちゃんとその間に宿題をすませたりしておくことです。そうするとそのうちピロンと音が鳴ってコンピューターが次の手を打ってきます。そこでようやく次の操作ができるわけです。当時はのんびりと長考の時間が許されたんですね。
そんな時代から、コンピューターはものすごく進化をしてきました。例えばスーパーコンピューターはその当時から常に研究されてきましたが、実は14 年前のスーパーコンピューターの性能は今のスマートフォンと同等と言われています。ですから、スーパーコンピューター「京」も、14 年後には我々の手の中にあるのかもしれません。そんなコンピューターの進化の中で、AI ができることが格段に増え、今のブームにつながったわけです。
このように、一度ブームになって、下火になり、また再度ブームになることを科学技術は繰り返します。現在非常にブームになっているヴァーチャルリアリティ(VR)に関しても実はブームを予見していました。と言いますのも、1995年くらい、私が大学生のときに第一次のVR ブームがあったのです。私が当時機械B という学科を選んだのはVR の研究に興味を持ったからです。その時もブームの中、「VR でなんでもできちゃうだろう」という雰囲気になりました。けれどもそれにはまだ技術が足りない。VR そのものもそうですし、コンピューターの性能、映像、音声などの周辺技術が不十分でした。そこでやっぱりブームが去ってしまった。だからこそ、次のVR ブームに乗っかるべく、我々は脳波計測や、MEMS 技術を使った触覚提示装置の研究を行ってきました。うまくブームに乗れたかというと微妙ですが。
MEMS 技術も、1990 年くらいにマイクロテクノロジー、ナノテクノロジーが世の中を席巻し、例えば「ナノロボットが脳の中に入って人を操作する」といった話も出ていました。ただブームも徐々に下火になり、実は2000 年頃にはMEMS は役に立たない、と言われたりもしていました。ですが、基礎技術の蓄積とともに、世の中に普及していったのは本日話をした通りです。
Q: 科学技術はブームが再来する構造になっているのですね。次のブームはなんでしょうか。
要はしばらく前に一度話題性が落ち込んでいる分野を探せばいいのです。VR のブームについては言い続けてきてまして、ドーンと来ているわけですが。次はなんでしょうね。やはり医療機器、ヘルスケア関係はまたブームが来ると思います。ご説明した通り、多くの課題があるのでむずかしい分野ではありますが、技術が蓄積されていって、ある所まで到達すると突き抜けて、ブームとして花開くのではないかと思います。
Q: 今後MEMS 技術や微細加工の技術を使って研究していきたいことはありますか?
今後もやはり医療、ヘルスケアなどヒトに関係する分野で積極的に研究・開発していきたいですね。そして実用化、事業化したいと思っています。慶應に来て12 年になりましたが、色々と模索して、「こんなデバイスがあったら面白いな」と考えながら研究を続けてきました。脳波電極もそうですし、視線検出用のメガネ、触覚提示装置もそういった興味から生まれました。他にも様々な面白いデバイスをゲリラ的に作ってきました。じゃあ次の10 年は何をしようか、と去年ぐらいから考えてきましたが、今はそうやって生まれてきた面白い技術を実用化まで持っていきたいと思っています。インプラント人工透析システム、脳波電極はまさにその例です。
実用化を目指すとなると、先ほど言いましたように、例えば脳波電極では髪の毛をうまく避ける機構や、頭にうまく固定するような機構を開発しなくてはならない。なかなかアカデミックとしては評価されないところかもしれませんが、私は自分の研究スタンスとしてこういうところにも取り組んでいきたいと思います。
この2 年ほどは、このような実用化に必要な技術を、「マイクロ・ナノ医療デバイスの実装技術」と定義し、その重要性を国際会議や特集記事などで発信しています。実装という日本語は「Jisso」と英語にもなっています。一般にはあまり普及していませんが。この実装という言葉は非常に良い言葉で、うまく対応する英語はありません。
基本的には、開発したものを「実」際に「装」備して使えるようにする技術です。使う人のことを考えた、最後の最後の気遣いともいえるのではないでしょうか。インプラント人工透析装置では、透析性能、除去される電解質の量や組成などがよく追求されます。確かにそれも重要な研究項目です。ただ、実際に装置を体にインプラントするとなると、「どこにどうつなぐんだ」と立ち止まることになります。また、血液を流せば装置に血液がくっついてしまいますよね。これによる性能の低下も評価しなくてはならない。このように、システムであったり、血液との界面に関する技術が、インプラント人工透析装置における実装技術です。
実装技術は時に専門分野を超えてしまいます。例えば学生がラットを使った動物実験をしなくてはならない。最近はこれを「コンフォートゾーンから出る」と言っています。機械科の人間にとっては、機械的な技術だけならばコンフォートゾーンにいてとても心地良いのです。しかしその機械の実用化を考えると、医学の知識、スキルがなくてはならない。ラットの手術もしなくてはならない。要するに、我々のコンフォートゾーンから出て行かなければいけないのです。コンフォートゾーンから出て行くと、それはもう大変です。出て行った先からは批判され、もともとのコンフォートゾーンからは評価されず…。孤立無援になってしまうけれど、やっぱりやらなければならないのです。学生や、後進の研究者たちにその背中を見せられたら、と思います。
これまでの経緯
Q: 海外で研究員をされていましたが、どのような取り組みをされていましたか。
MIT には2001 年から3 年間いたのですが、MEMS 技術を使って、シリコン製のマイクロエンジンを作っていました。おおよそ500 円玉ぐらいのサイズです。先端的な研究テーマも刺激的でしたが、私がMIT で研究をして特に良かったと思うのは、沢山の人とのつながりができたことです。例えばインプラント人工透析装置の開発で最近相談させて頂いている方は、ボストン時代のゴルフ仲間です。MIT 日本人会の中で知り合った方と共同研究をしたこともありますし、研究以外で相談に乗ってもらった方もいらっしゃいます。今後、研究の実用化、事業化となった時に相談するリストも心の中ですでにあります。
同時期に留学していた方々が、日本に帰ってきて15 年ほど経ち、今まさに円熟期を迎え、よく日経新聞などに出ています。「ああ、こんなに頑張っているんだ」ととても刺激を受けます。そういうことが人生にとってすごく大事だと感じます。よく「海外に行ったら日本人とは付き合わないほうがいい」と言う人がいるじゃないですか。それを言う人は、留学の醍醐味を本当に味わっていない人だと思っています。海外に行けば周りは皆外国人なので、外国人の友達は何もしなくてもたくさんできます。さらに、海外に行ったら、そこでしか出会うことのできない、つまり日本にいたら会うことのなかった、会えなかった日本人の人たちに会うことができるのです。その人たちと親交を深めることが大切です。食事にいってもいいし、一緒にゴルフをしてもいいのです。ちなみに私はMIT 日本人会を中心として、アイスホッケーチームSUSHI’S を作りました。そういうことがすごく大事だったと、今の学生さんに伝えたいですね。
Q: 様々な分野の研究が実用に向けて進んでいるのも、留学時代の人脈の助けがあってこそなのでしょうか。
人脈はこれから助けになると思っています。私は現在に至るまでずっと大学にいますが、特に博士課程まではとても狭い世界に居たのです。しかし、留学で訪れたボストンはとても良い街で、MIT、ハーバード大学、ボストン大学など様々な大学が集まっています。ビジネスマンもお医者さんも研究者もいて、様々な人に出会うことができました。この出会いによって私は自分の視野がとても広がったと感じましたし、だからこそ今の研究スタンスにつながっているのでは、と思います。
Q: 新しいことを思いつくきっかけは、どのようなことでしょうか。
むずかしい質問ですね。昔卒論に取り組んでいたときは、煮詰まって渋谷のロフトをぷらぷらしているときに、良いアイディアがひらめいたことを鮮明に覚えています。でも実は様々な関連要因をきちんと整理していくと、思いつきも論理的に生まれることがあります。例えば、キャンドル型脳波電極では、まずウェット電極の問題点からドライ電極を開発しようというモチベーションがあります。角質層を貫く針電極を使えば高品質な脳波が取れるはずです。一方で髪の毛を避けなくてはならない。じゃあ髪の毛を避けるための機構を組み込もう、となるとキャンドル型の脳波電極になります。つまり、何の突拍子もなく良いアイディアを思いつくのではなく、必要な要件や制約条件をしっかりとまとめていくと良いアイディアにたどり着くのです。そこまで至らない人は、必要な要件をうまく抽出できていない、制約条件を上手く設定できていないのではと思います。
新しいアイディア、ということでしたら、私は研究テーマを決めるときに、発想をうまく転換すること、を心がけています。新しい技術、というよりは、新しいコンセプトを大事にしています。世の中では王道が好まれることも多く、時に斬新すぎるアイディア、コンセプトは分かってもらえないこともあります。それから、新しいコンセプトのコアとなる技術だけを開発しても、その周辺技術がなければ、結果として新しい効果が出てきません。新しいアイディアが創出するイノベーションが薄れてしまうこともよく経験しています。せっかく思いついた新しいコンセプトを、いかに人に伝えるか、そして実現するか、ということはいつも大きな挑戦です。
Q: 政府や企業に期待することを教えてください。
もちろん我々の研究にたくさん投資してくれれば嬉しいです(笑)。もう少し分野、研究者を代表して話しますと、例えば医療機器開発の場合、基礎研究と実証研究の間にどうしても狭間の部分が出てきます。その狭間は、当然成功するかどうかわかりません。我々は患者さんのQOL のために何としても成功させたい。成功の可能性を高めるために、またその可能性をうまく伝えるための努力はしますが、断言することはできません。そこで国に対しては、「国なのだから、投資効率を重視せずに成功可能性に賭けてほしい」と思います。企業に対しては投資効率を無視することはできないと思いますが、「投資効率を上げるために一緒に頑張ってほしい」と思います。
研究テーマに関して、学生には、先ほども言いましたように、技術だけでなく、「コンセプトを新しくしましょう」と伝えています。国にも企業にも、新しいコンセプトを評価してもらいたいと思います。例えば、次の冷蔵庫を開発する、となると、省エネ、大容量、冷蔵庫内の食材に従って温度を制御、といったことが従来技術の延長上に考えられます。けれども主婦は本当にそういう冷蔵庫が欲しいでしょうか?例えばすごくオシャレな冷蔵庫はどうでしょうか?売れると思いますよ。従来の技術の延長、機能に特化して開発するのではなく、オシャレを組み込んだ、新しいコンセプトの冷蔵庫を開発して欲しいな、と思います。ただなかなか新しいコンセプトは評価してもらえません。なぜなら、評価するのが従来のコンセプトの中の人ですから。
もちろん国も企業も変わりつつあると思います。内閣府主導のSIPプログラムの中で、ヒトが手に取った時におっと喜ぶような「デライトデザイン」の研究がされています。私も申請しましたが残念ながら不採択でした。とはいえ、今後はそのような新しい枠組みで考えていくことが大事だと思います。そしてデライトデザインで創出された新しいコンセプトを、いかに評価するか、というのが大きな次の課題になると思います。
我々も引き続き、人々のQOL 向上に向けた、新しいコンセプトを提案していきたいと思っています。そして、そのイノベーションが十分に評価してもらえるように、つまりイノベーションの効果が実感できるように、実用化、事業化を進めていきたいと思っています。(了)
三木 則尚
みき・のりひさ
1996 年東京大学工学部機械情報工学科卒業。2001 年東京大学博士( 工学)。慶應義塾大学理工学部機械工学科准教授。マイクロ・ナノスケールの構造を有するMEMS の製作技術からその応用、特に医療・バイオ、人と機械を繋ぐヒューマンインタフェースの研究を行っている。2001年マサチューセッツ工科大学航空宇宙工学科ポスドク研究員、2003 年同リサーチエンジニア、2004 年慶應義塾大学理工学部専任講師を経て現職。2010 年から2016 年まで日本科学技術振興機構さきがけ「情報環境と人」研究員。2010 年から神奈川科学技術アカデミー非常勤研究員。2017 年日本機械学会マイクロ・ナノ工学シンポジウム実行委員長。