人間の睡眠はノンレム睡眠とレム睡眠に大きく分けられ、一晩の間でその2種類が何度も切り替わっている。ノンレム睡眠についてはある程度解明が進んでいるのに対し、レム睡眠についてはほとんど何もわかっていないのが現状である。「レム睡眠は何のためにあるのか」を解明すべく、独自の研究手法を確立しているのが、筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構の林 悠准教授だ。林実験室は、脳の中にあるレム睡眠とノンレム睡眠を切り替えている脳部位を見つけ出し、そこを遺伝子操作の技術を使って操作する方法を採ることで、レム睡眠固有の機能解明をめざしている。
今回は睡眠研究の大枠と、遺伝子操作を使ったレム睡眠研究の技術、社会課題への応用の可能性について伺った。
レム睡眠から、睡眠を解明する
Q:研究の概要をお聞かせください。
睡眠研究のアプローチは、大きく3つに分けられます。1つ目が、睡眠のメカニズムを解明したいというゴール、2つ目が、睡眠が何のためにあるのかということで睡眠の機能を解明したいというゴール、そして3つ目が、睡眠に関連した障害の治療というゴールです。
それぞれ最終的に理解したいのは人間だと思いますが、実際に用いるのは人間の場合とマウスなどの実験動物の場合と両方あります。また、3つ目の治療方面であれば創薬化学などの分野も絡んできます。このため、ひとくちに「睡眠を理解する」といっても、実際には関わっている人たちのバックグラウンドは非常にさまざまで、普通の大学のデパートメントと同じくらい多様性があると思いますね。
その3つのなかで私自身が一番興味を持っているのは2つ目の「睡眠の機能を解明したい」というゴールです。睡眠のファンクション、人は何のために眠るのかということですね。
1980年代のラットの断眠についての研究なのですが、ラットが寝たら常に自動でラットを押すことで眠らせない装置を作った人たちがいました。実験を進めると、ラットが次第にボロボロになっていくのです。毛並みがボロボロになったり、すごい量の餌を食べるのに体重がどんどん落ちて激やせしたり、体温も維持できなくて2、3週間で最後は死んでしまいます。この実験は何回も再現されていますが、何故眠らせないとボロボロになるのか、その原因はいまなお分かっていません。
興味深いのが、睡眠は恐らく単に「じっとしていることでエネルギーを一時的に節約して貯めている行動ではない」という点です。例えばリスは冬眠することでよく知られています。エサが取れず活動もしづらい冬場になるべく代謝を下げ、エネルギーを浪費しないようにするエネルギー節約の意味が大きいといえます。しかし、リスが冬眠から時々起きてきて最初にすることは、なんと睡眠なのです。冬眠から起きたらまずは寝てもう一度活動を再開する。ということは、睡眠は冬眠とは全く違う能動的なことを行なっていると考えられます。
それが何なのかということを解明するべく、私の研究室では主にマウスと線虫という2種類の動物を使って研究を行っています。
私たちの睡眠はノンレム睡眠とレム睡眠に大きく分けられ、一晩の間でその2種類が何度も切り替わっています。ノンレム睡眠とはいわゆる深い睡眠で、心拍や呼吸は落ち着いており、脳の活動を取るとデルタ波という非常に特徴的な脳活動が出ています。一方レム睡眠は、脳の活動状態でいえば覚醒に近いものです。夢を見やすく、心拍や呼吸はとても不安定に変化しており、かなり特徴的な状態です。このレム睡眠が全体の15%~20%を占めています。
この2種類の睡眠のそれぞれの機能が何なのかを考えていきます。
今まで睡眠で多少分かっている機能として、成長ホルモンの分泌や脳の不要な代謝物を取り除くことがあります。ただ、そういったものはノンレム睡眠中に見られた現象で、レム睡眠のほうはほぼ何も分かっていない状態です。そのためそもそも「レム睡眠は重要ではないのではないか」という見方もあります。
こうした背景を踏まえ、私たちはレム睡眠に興味を持ち、当研究室ではまずレム睡眠から研究を始めています。レム、ノンレム睡眠というのがはっきり分かれているのは、鳥や哺乳類などの一部の脊椎動物だけです(爬虫類があるかどうかはまだ論争中です)。そのため、マウスを使った研究は欠かせません。
レム睡眠に関するもう一つの面白い研究として、60年代に行われた研究で、人の成長老化の過程と睡眠の質を表したものがあります。レム睡眠は赤ちゃんにとても多いのですが、その後大人になっていくとどんどん減っていくというもので、レム睡眠が減っていることが脳の老化に関わっているかもしれないのです。
Q:人が成長すると、ノンレム睡眠が増えるのですか?
成長すると基本的にどっちも増えませんが、レム睡眠はとにかく割合が急激に下がっていきます。睡眠そのものも減るし、そのうちのレム睡眠の割合もどんどん下がっていくというわけです。この観点も面白いということで、まずはマウスを使ってレム睡眠の研究を始めました。
レム睡眠の機能を研究する試みは昔からなされてはいるのですが、その方法はラットの断眠の方法と同じで、基本的には脳波を測ってマウスがレム睡眠に入ったら起こすというものです。これはマウスだけではなくていろいろな動物でもなされてきました。レム睡眠だけを奪われると動物はよりレム睡眠を取り返そうとするため、頻繁にレム睡眠に入ろうとするようになり、どんどん起こす頻度が増えていきます。最後は頻繁に起こさないといけないので動物もだんだんくたくたになってきます。すると、レム睡眠がないことの影響を見ているのか、単に何回も叩き起こしている影響を見ているのかがよく分からなくなってしまいます。これでは、実験として不正確です。
そこで私達は、脳の中にあるレム睡眠とノンレム睡眠を切り替えている脳部位を見つけ出し、そこを遺伝子操作の技術を使って操作する方法を採りました。外から叩き起こすような刺激を加えることなく、レム睡眠が多い、もしくは少ないマウスを作るというアプローチをとっているのです。
Q:レムとノンレムを切り替える脳部位というのは、確実に存在するのですか?
切り替えポイントがあること自体は間違いありません。ただ、それが詳細にどういった脳部位の、どういう細胞が担っているのかはあまりよく分かっておらず、それを見つけ出すところから始める必要がありました。
例えばレム睡眠をオンにするニューロンを見つけたとして、それをアクティベートすればレムを増やせるし、インアクティベートすれば減らせます。逆にレムをオフにするニューロンであれば、逆のことをすればいいですよね。その4通りの組み合わせの中で、一番うまくいくものを使います。そのため長らく過去の古典的な研究の文献などを見ながら手探り状態で探していき、4〜5年かけてようやくレム睡眠をオフにする細胞が一つ見つかってきまして、それをオンにするというのを最初に試しました。
普通のマウスの睡眠パターンでは、ノンレムとレムを行ったり来たりして、時々短い中途覚醒のようなものが出てきます。それに対してレム睡眠をオフにする細胞を遺伝子操作で無理やり活性化すると、レム睡眠はほとんどなくなります。このとき、かつて問題になってきた外からの叩き起こすような刺激は必要ありません。そのため、睡眠にどういった効果があるかを見られるようになってきました。
Q:寝たままの状態だけどレム睡眠だけを阻害できて、それでようやく観察ができるわけですね。
当初は技術的な問題でレム睡眠をオフにする細胞を強制的にオンにしてレム睡眠を阻害するのはせいぜい1日程度でしたから、1日だけレム睡眠をオフにしてその効果を見る方式を採っていました。その結果わかったのは、相方の睡眠であるノンレム睡眠の質がどんどん悪くなるという発見でした。
具体的にはノンレム睡眠の特徴でもある「デルタ波」という脳活動です。デルタ波はノンレム睡眠の特徴であると同時に重要な機能も持っており、脳をフレキシブルにする作用があると言われています。その中で最も究極的なものとして、人間に外から電流刺激で強制的にデルタ波を誘導すると実際に記憶が良くなるという例もあります。そのデルタ波について私達がレム睡眠をシャットアウトしたマウスで見てみると、ノンレム睡眠中のデルタ波はだんだん弱まってきて、それでレム睡眠を復活させるとまたデルタ波ももとに戻りました。
この発見は私達がレム睡眠をオフにする細胞をオンにできるマウスを作って最初に見えてきたものであり、2015年に報告しました。
Q:まとめると、レム睡眠を阻害するとノンレム睡眠時の大事なデルタ波が出なくなるということがわかったのですね。
「出にくくなる」という言い方が正確になりますね。レム睡眠が100%デルタ波のためだけにあると思ってないし、デルタ波も100%レム睡眠がないとできないというわけでもないと思っていますが、一端が見えたという感じです。これがまず、組織レベルで見えてきた機能ですね。
個体レベルで本当に記憶の定着が悪くなったり、本当に長期的に脳の老化が進みやすくなったり、あるいは逆に増やすと脳の老化が抑えられたり、脳発達がより起こるのか。その変化を長期的に見たいとなると、レム睡眠をもっと長期的に増やす、または減らすということが必要になります。研究室ではこれをメインで取り掛かっています。
先ほどレム睡眠をオンにするニューロンをアクティベートするかどうかなどで4つの組み合わせがあるという話がありましたが、そういった色々なニューロンをオンにするニューロンもきれいに見つかってきて、色々な組み合わせを試せるようになりました。論文にはこれから報告したいと思っていますが、実際に数日に渡ってレム睡眠が減少しているマウスやレム睡眠が増えているマウスもようやくできてきました。
Q:長期的にレム睡眠をコントロールすることで、結果的にレム睡眠が何のためにあるのかということが個体レベルで分かってくるということですね。
私の研究室に所属する大学院生が行なった研究ですが、アクティベートするとレム睡眠が著しく増やせるというニューロンを発見しました。それを更に長期的にアクティベートする方法を試すことで、長期的にレム睡眠を多くすることができるようになりつつあります。逆にこういったレム睡眠をオンにするニューロンを破壊してしまうことで、レム睡眠が大幅に低下したマウスも作製できつつあります。
Q:海外と比べると、研究の進捗状況はいかがですか?
長期的にレム睡眠を増やしたりシャットダウンしたりしているのは、世界的に見てもほとんどない先端技術だと思います。先ほどお話したとおり睡眠の研究は今まではほとんど断眠させていたので、私達みたいにスイッチを地道に探すところから始めて、そこを長期的に遺伝子操作することでレム睡眠の機能をこれから見ようとしているところは珍しいといえます。もともとレム睡眠のメカニズムについて古典的な生理学的な研究で重要な発見をしてきたのは主にフランスとアメリカの研究者たちです。しかし今はどの国でも持っている技術は同じですのでどこの国だから有利、不利というのはないと思いますね。
研究で差がつくのは、技術よりもアプローチの面が大きいと思います。私達が比較的うまくいっているのは遺伝子操作の技術をかなり早い時期から取り入れていたからです。ただ、遺伝学の技術を持っていても、これまでの睡眠研究や生理学研究に関する知識がないとかなり難しいです。私たちの場合、フランスで猫を使って重要な発見を何度もしてきた先生と初期からコラボレーションをさせて頂いているので、それで助けられている部分が非常に大きいです。
Q:これまでのご経歴をお話しください。
大学院修士から大学院博士までは東大の大学院の理学部の生物科学専攻にいました。そこでは線虫を使って脳発達の分子メカニズムを細胞レベルで研究していました。博士取得後は理化学研究所の脳科学総合研究センターで現在の研究室のテーマに繋がるマウスでの睡眠の研究を始めました。
研究員として5年間従事した後に、現在の筑波大学の国際統合睡眠医科学研究機構でPIとして研究室を立ち上げて現在はマウスと線虫の2種類の動物を使って研究をしています。
睡眠障害を治療することで、病気を予防できる
Q:研究において、課題として感じている点はありますか?
現在いいツールが揃ってきたので、当初の目標にしていたレム睡眠の機能を解明したいということに関しては、このまま順調に進めば色々見えてくると期待しています。
最終的な目標の一つに、もしそれが脳にとって本当に良い作用があるというのが分かれば、それを医療に役立たせたいと考えています。最初に言っていた3つのうちその3番目の「治療」ですね。睡眠はいろいろな疾患と絡んでいるのですが、私達が一番注目しているのは認知症です。認知症の中核症状は認知機能などですが、それ以外の周辺症状では最も頻繁に現れるのは圧倒的に睡眠障害なのです。患者さんが眠れなくなると介護する側の生活も破綻するため、それ自体がまず一つ大きな社会問題になっています。
また、認知症を治療することも非常に大事ですが、それに加えて最近分かってきていることとして、認知症の発症よりも前の段階でレム睡眠がおかしくなっているというデータがあります。最近出た論文ですが、「60代の健常者でレム睡眠が少ない人は、その後を追っていくとアルツハイマー型認知症を発症するリスクが高い」という報告がありました。
また、レム睡眠行動障害という、レム睡眠中に夢のとおりに動き出してしまう障害があるのですが、それを発症する人はかなりの割合でその後にレビー小体型認知症という認知症、あるいはパーキンソン病といったものを発症するのです。そのため睡眠障害を治すことももちろん大事ですが、レム睡眠の中枢をうまく治療標的にすることで、さまざまな疾患の進行に予防治療ができるのではないかと期待しています。
要するにレム睡眠の異変の方が先に出るということはレム睡眠が悪くなっていることによって、病気がより発症や進行しやすくなっている可能性をあらわします。睡眠を治すことで、睡眠障害だけではなくその先の認知症という大きな課題もブロックできるかもしれないということです。
認知症を例に上げましたが、他にもうつや、ASD(自閉症スペクトラム)なども似たような報告があるので注目しています。これらについて、私達のレム睡眠を増やしたり減らしたりできるマウスを使って動物でproof of conceptをやるのは実現可能性があると思っています。
しかしながら、それで実際に医療に役立てたいとなると、私たち基礎研究者の力だけではできない研究など色々なハードルがあります。現在の主な医学の技術はターゲットとする生体内の分子、タンパク質などを見つけて、それをアクティベート、もしくは阻害する低分子や抗体薬などを作るという方法になると思います。そうするとレム睡眠の細胞が重要かどうかについて分かった先に、どういった分子をターゲットにすればいいか、ターゲットとしてどういった方法で薬が作れるかを定めなければなりません。ここで膨大な技術や知識が必要になると考えています。
レム睡眠の機能が分かってきて何か良いことがありそうだと分かったとして、その先の応用を考えるとこのように色々な課題があると思います。
Q:産業的にも非常に盛り上がりそうな分野ですが、産業としての可能性はどうでしょうか。
さきほどの高齢者の睡眠障害とも関係しますが、既存の睡眠薬には結構問題があるということについてです。従来の睡眠薬はギャバという神経伝達物質の作用を標的にしているものが多く、それだと入眠を助けたり睡眠量を増やせたりするのですが、睡眠の質自体は普通とは違うものになってくるのです。
デルタ波はかなり弱くなったり汚くなったりしますし、レム睡眠もすごく減ります。そのため、より良い睡眠を増やすような睡眠薬を開発するのは一つのトレンドです。
さきほど述べた既存の睡眠薬は健忘症などの副作用や転倒のリスクがとても高く、お医者さんはなかなか高齢者や特に認知症の方には処方しづらいらしいです。私としては、レム睡眠を増やすことで強制的に睡眠の質を高めるような薬ができたらよいと思っています。
Q:学生さんはいらっしゃいますか?
今うちにいるのは10人位で、4年生から博士課程まで幅広いです。学部も多様で、臨床検査技術学コースや医学部やよりバイオロジーのデパートメントに近いところまでいろいろなところから来てくれています。筑波大学自体がそういうデパートメントの垣根を越えて学生たちがラボを選びやすい環境があるのだと思いますね。
Q:企業とも今後産業のチャンスが増えてくるかと思いますが、企業に期待することは何かありますか?
企業とのメインの接点として、財団などを通して助成金を色々頂いており、とても助けられています。
ただ、企業の最大の強みは豊富な資金ではなく、実際医療応用につながる技術の開発に幾度も成功してきたそのノウハウだと思いますので、今後は是非1、2年の短いタームの助成金でサポートいただくだけではなく、長期的に技術交換も含めたパートナーシップを組んでやれるような関係になれたらいいなと期待しています。
そのために、企業マッチングのイベントに積極的に参加するようにはしていますが、今後もっとアピールしていきたいです。また、今はつくば近辺の製薬企業の方々との会合がメインですが、もっとワールドワイドにパートナーを探していきたいと思っています。(了)
林 悠
はやし・ゆう
筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構 (WPI-IIIS) 若手フェロー、准教授
2003年、東京大学理学部生物学科 卒業。2005年、東京大学大学院理学系研究科修士課程生物科学専攻 修了。2008年 同博士課程生物科学専攻 修了。
2008年より理化学研究所脳科学総合研究センター基礎科学特別研究員、2011年より同研究員となる。
2013年から、筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構 (WPI-IIIS) 若手フェロー・助教となり、2013年10月より2017年まで、科学技術振興機構 さきがけ研究者を兼任。
2016年01月より現職。