現在、人類は窒素肥料で育てられた植物、若しくは植物を食べた動物を食料源としている。それら窒素肥料して使われているのがアンモニアである。この状況を考えると、アンモニアは間接的に人類のエネルギー源となっているといえる。さて、こうしたアンモニアの人工生成を行なう生産方法はハーバー・ボッシュ法と呼ばれるものであるが、これは約100年前に開発された手法で、化石燃料の使用と二酸化炭素の排出から問題視されている。
こうしたなか、化石燃料も水素ガスも使わず、窒素ガスからアンモニアを合成することをめざしているのが、東京大学大学院工学系研究科システム創成学専攻の西林仁昭教授だ。「エネルギーキャリアとしてのアンモニアの有用性を示す」べく、新しいアンモニア合成法を開発する西林教授に、アンモニアの可能性について伺った。
現代人は、アンモニア生産に依存している
Q:新しいエネルギーの代替源としてアンモニアに注目され、その実現可能性を高めていこうとされていますね。まず、研究のニーズからお聞かせください。
最初にアンモニア合成の現状について説明させて頂きます。
現在、アンモニアというのは、ちょうど100年前に開発されたハーバー・ボッシュ法に基づいて作られています。鉄系触媒を使って高温高圧で作られる、高校の教科書にも載っているような反応ですが、アンモニアを生成するプロセスとしてかなり完成度の高い方法と言われています。
現在、アンモニアは窒素肥料にそのほとんどが使われています。人間は窒素肥料で育てられた植物、若しくは植物を食べた動物を食べることでアンモニアを体内に取り入れ、生命活動の維持に必要な核酸、アミノ酸、タンパク質などの化合物へと変換しています。地球上のアンモニアの半分は、地球上の自然の条件で窒素ガスから固定化されていますが、残り半分は工場で作られているものです。視点を変えてみれば、窒素肥料からアンモニアを取り入れた食糧を食べている人間の体の半分は、実は工場で生産されていると言えます。
さらに間を飛ばして考えると、アンモニアを作る水素の原料は石油、石炭、天然ガス等の化石燃料ですから、人間の体の半分は化石燃料からできていると言っても過言ではありません。それほどアンモニア生成は人間にとって重要なプロセスであると言えます。極端なことを言えば、ハーバー・ボッシュ法がなかったら、現代の人類は半分しか存在していなかったかもしれません。アンモニアを使った窒素肥料がないと、安定的に大量の食糧を作ることができないので 、これからも人類にとって必要不可欠な反応系となっています。
しかし、ハーバー・ボッシュ法は、省エネルギーの観点から明らかに非効率であることが最大の課題です。原料に化石燃料を使うほか、水素を合成の際にも大量の二酸化炭素を発生させていることから、あまり地球環境に優しくありません。1トンの水素を合成するのに、約1トンの二酸化炭素を排出しています。その上、アンモニアの合成には、地球上で人類が消費しているエネルギーの数%以上を使っていると言われています。食糧の元になるアンモニアを作るハーバー・ボッシュ法は、それだけ莫大なエネルギーを必要としていました。
そこで我々は、ハーバー・ボッシュ法に取って代わる、化石燃料を使わない省エネルギー型の新しいアンモニア合成法の開発に取り組み始めました。もし、新しいアンモニア合成が開発できれば、エネルギー資源のパラダイムシフトができるのではないかと考えています。
これまでに人類は、石油・石炭・天然ガスに代表される化石燃料や、ウランに代表される地下資源などをエネルギー創成に活用してきましたが、それは全て地球上にあるものを探して取り出して使っていく方法を採っていました。しかしながら、資源の存在量は限られており、このまま現在の人類だけでそれらを使い尽くしていいのかという課題も出てきています。
そこで、再生可能エネルギーの使用が有力な解決法として注目され、太陽光・太陽熱・風力・潮力・地熱といった太陽由来のエネルギーを上手く活用しようと研究が進められています。再生可能エネルギーは、貯蓄が非常に困難であるという大きな課題を抱えています。現在、供給される電気は需要に見合った分量のみが作られていますが、これはつまり、電気は作られた分量だけしか使えない、電気は貯蓄することが困難であることを意味しています。
東日本大震災に伴う東京の計画停電も、貯蓄が困難という電気の性質に付随して起こったことです。大量のリチウム電池を用意することができれば蓄電も可能となりますが、街ひとつを動かすことを考えると、それだけ大規模な電池を作ることは非現実的でしょう。送電線が整備できても、本質的な解決にはなりません。解決法として最良なのは、再生可能エネルギー由来のエネルギーを物質である特定の化合物へ変えてから、それを貯蓄・輸送共に可能な状態にし、必要に応じて使っていくことです。エネルギーの輸送・貯蔵のために使用される化学物質を「エネルギーキャリア」と呼びますが、その候補の一つとして我々が注目しているのがアンモニアです。
アンモニアは、窒素1つと水素3つが結合した単純な構造であること、また、原料の窒素ガスが地球上の大気の80%を占めることから、地球上ならばどこでも作って運ぶことができるという手軽さを持ち合わせています。炭素が入っていないので、地球環境に悪影響を与える二酸化炭素が発生することもありません。また、アンモニアは常温常圧ではガス(気体)ですが、数気圧の加圧により簡単に、運搬・貯蔵に適した液体にできる点も有用です。どこにいても手に入りやすく、地球環境に優しく、非常に扱いやすいというのが特長です。
先ほどのハーバー・ボッシュ法は、原料の水素を作る時点で化石燃料をもとに莫大なエネルギーを使ってしまうため、エネルギー製法として使用するには不適切なものでした。化石燃料も水素ガスも使わず、窒素ガスからアンモニアを合成することができれば、次世代型アンモニア合成法も達成できる。さらにはエネルギーキャリアとしてのアンモニアの有用性を示すことができることから、新しいアンモニア合成法に関する研究をしています。
Q:実際の研究手法についてお聞かせください。
窒素ガスからアンモニアを作る上で手本となるのが、自然界の存在する窒素固定酵素ニトロゲナーゼです。
ハーバーボッシュ法は高温高圧の厳しい反応条件を必要としますが、ニトロゲナーゼは常温常圧で機能します。ニトロゲナーゼは、その反応活性点の構造については明らかにされていますが、その反応機構については未だ解明されていません。ニトロゲナーゼには鉄とモリブデンが金属として含まれているのですが、これらの金属上で窒素分子が配位して活性化されていると考えられています。我々としては、人工的なニトロゲナーゼを作ることができれば、常温常圧の窒素ガスから水由来の水素を使ってアンモニアを作ることができるのではないかと考えています。つまり、植物の一番いいところだけを取り出して、その機能を真似しようとする方法を取ることにしました。
これに関連して古くから研究されているのが、金属に窒素分子が配位している、いわゆる遷移金属窒素錯体と呼ばれるものです。最初に発見されたのは1965年です。この研究領域で50年というと関連分野と比較しても歴史が浅いものですが、現在ではほぼ全ての周期表中に存在する金属に対して窒素分子が配位する窒素錯体が知られています。その中でもニトロゲナーゼの活性部位に含まれているモリブデンや鉄に窒素分子が配位している窒素錯体は研究初期の段階で合成されていました。ニトロゲナーゼの活性部位に含まれる金属に配位した窒素分子の反応性を検討していけば、最終的にアンモニア合成法を開発できるだろうと考えられて来たからです。
最初の突破口として、ニトロゲナーゼの活性部位の中に含まれている金属の一つであるモリブデンに窒素分子が配位したモリブデン窒素錯体を硫酸などの強酸でプロトン化することによってアンモニアが生成することが、1975年に報告されました。偶然の一致はたまた必然か、最初の窒素錯体の発見からちょうど十年後のことでした。
当時、私自身はまだ小学生でしたが、常温常圧で窒素からアンモニアが合成できたことから、ハーバー・ボッシュ法に代わる次世代型窒素固定法が見つかったのではないかと、当時はかなり大きな衝撃を持って関係者には迎えられたと聞いています。
しかし残念ながら、これは触媒反応ではなく化学量論反応でした。化学量論反応は、窒素分子が配位した金属に対して配位した窒素分子を一回だけ使って、アンモニアに変換する反応です。窒素分子からアンモニアへと変換するには、窒素分子を還元する必要があります。この反応の場合には、還元に必要な電子は窒素分子が配位している中心金属から供給されています。このためにアンモニア生成反応が終わった後には中心金属は電子を失った高原子価の状態になっています。この状態では、窒素分子が配位した窒素錯体を再生することができません。つまり、反応の最初の窒素錯体とは別物へと変換されてしまっているのが量論反応です。
ハーバー・ボッシュ法に代わる次世代型窒素固定法を開発するためには、化学量論反応を触媒化することが必要です。1975年に最初の化学量論反応が報告されてから検討されてきた触媒化は、2003年にMITのSchrock教授がモリブデン窒素錯体を使ってやっと達成されました。方法論自体は提案されていたものの、その実現は非常に難しく、約30年の長い年月が必要でした。Schrock教授は先の窒素錯体で用いたモリブデンを炭素-炭素二重結合の組み換え反応(メタセシス反応)の開発で数年後にノーベル化学賞を受賞しました。
残念ながら、Schrock教授の開発したモリブデン錯体は触媒活性が非常に低いという問題がありました。触媒サイクルは、金属上に配位した窒素分子がプロトン化と還元されて段階的に進行していき、最終的には2当量のアンモニアが生成すると共に出発原料である元の窒素錯体を再生するにことで一回転したことになります。Schrock教授の開発した反応では、触媒サイクルは四回転しか起こらず、効率が良くありませんでした。
Schrock教授はその後も色々と試みたのですが、最初の報告例が最も活性が高く、結果的に触媒活性の改良には成功していません。我々の研究室では、Schrock教授はらの研究報告とは独立に様々な試行錯誤を繰り返した結果、ようやく世界で二例目となる触媒的アンモニア生成反応を開発することに成功し、2010年12月に論文を発表することができました。
現在は、最初論文発表から約7年が経過して、その間の飛躍的な研究進捗により実用化も視野に入るようになってきた状況となっています。Schrock教授が報告した最初の触媒反応ではアンモニア生成量は触媒当たり8当量でしたが、我々が開発した触媒反応ではアンモニア生成量が触媒当たり約1000当量に達しています。触媒当たり1000当量の生成反応というのは、工業的なプロセスとして適用可能な十分な触媒活性を達成していることを意味しています。
究極目標は、窒素・水・太陽光でのアンモニア合成
Q:これまでのご経歴を教えてください。
京都大学工学部を卒業後、京都大学大学院工学研究科修士課程および博士課程を修了し、京都大学の学位を取得しました。お世話になった恩師植村榮先生のご指導のもと、現在の中心課題である窒素固定反応に関する研究とは全く異なる研究課題に取り組んでいました。
学位を取得後に、植村先生から紹介していただいたのが、モリブデン窒素錯体を世界で初めて合成された、東京大学大学院工学系研究科の教授であった干鯛眞信先生でした。錯体化学に関する研究に取り組みたいという思いで、このご縁を元に1995年12月から2000年3月までの約4年強の短い期間でしたが、干鯛研究室の助手として研究に取り組みました。干鯛先生が2000年3月に定年退職されたあとは、植村先生に京都大学へ呼び戻して頂き、植村研究室の助手を務めながら触媒に関する研究に取り組みました。2004年に植村先生が定年退職された翌年に、東京大学の公募に応募し、東京大学に戻って来ました。
公募に応募して採用して頂いたのは、当時東京大学大学院工学系研究科長を務められていた平尾公彦先生(現在は理化学研究所 計算科学研究機構 機構長)が行われた若手育成プログラムによるものでした。これは後にスーパー准教授プログラムと呼ばれるもので国立大学の独法化を機に行われた非常に革新的なプロジェクトの一つでした。
特に化学分野では、完全独立な若手のポストは非常に限られていたのですが、本プロジェクトに採用していただき、東京大学大学院工学系研究科総合研究機構で工学系研究科長の直属のポストである助教授(後に准教授)として若いながらも完全に独立した研究室を主宰すると共に、研究に集中できる十分な時間を与えて頂き、本当に充実した研究生活を過ごさせて頂きました。
この様な東京大学の中でも稀な恵まれた研究環境で窒素固定の研究を進めることができました。2016年3月に東京大学大学院工学系研究科システム創成学専攻の教授として着任し、新しいアンモニア合成法の開発を基軸とし、化学的アプローチによるエネルギー問題の解決に取り組むようになり、現在に至ります。
Q:今後の研究の方向性としては、アンモニア生成の効率を上げるのか、もしくは実用化に踏み切るのか、どちらになりますか。
もちろん、さらにアンモニア生成の効率を上げていく必要はあります。実際、改良を妨げている問題点につきましては既に把握しておりますので、改良の余地は十分にあります。しかし、それよりも優先して取り組まねばならない問題は、現在のアンモニア生成反応で使用している反応試薬が高価であることです。原料に多大な費用がかかってしまうと、工業プロセスとして展開できたとしても、経済的な見通しが立たないことになります。
アンモニアは、現在工業プロセスであるハーバー・ボッシュ法により合成されているため非常に安価で入手可能です。コンビニで売られている飲用水よりも安かったりします。それほど安い値段で入手可能なアンモニアを作るのに高価な反応試薬は使えません。もっと安い反応試薬を利用したアンモニア合成法を開発する必要があります。
そこで、我々としては、究極的には「水」を使いたいと考えています。窒素、水、再生可能エネルギー由来の太陽光を使ってアンモニアを合成するプロセスの実現が、今後の検討課題です。水と太陽光を使った二酸化炭素の還元反応は光合成と呼ばれる植物が行なっているものです。この光合成反応を応用して、二酸化炭素を還元する代わりに、窒素分子を還元してアンモニアを合成することは実現可能であると考えています。これまで説明して来ましたように、我々の研究室では窒素分子の還元反応によるアンモニア生成反応の反応系を既に開発しています。次の段階として、光合成を模した形で窒素分子からのアンモニア合成は決して不可能ではありません。
これに関する面白い話があります。昔から「中国の仙人は霞(かすみ)を食って生きている」と伝えられていますが、この我々が提案しているプロセスが実現すれば、霞である水と太陽光と窒素ガスを使ってエネルギーを作ることができます。仙人が霞を食って生きているように、霞からエネルギーを作ることを我々は最終目標としています。それが達成できれば、アンモニアをエネルギーキャリアとして利用する「アンモニア社会」を実現することができます。
アンモニアに一般にはその独特の臭いからあまり良い印象がないことから、アンモニア(Ammonia)の頭文字のAと関西弁での「良い」を意味する「ええ」を掛け合わせて、「A(ええ)社会」と我々は呼んでいます。私の定年までには、この「A(ええ)社会」を実現したいと思っております。
Q:研究室にはどんな学生がいらっしゃいますか。
我々の研究室は東京大学大学院工学系研究科システム創成学専攻に所属しています。システム創成学専攻では非常に幅広い研究課題に取り組んでいますが、特にエネルギー問題や環境問題を扱う研究室も多くあります。当研究室にはこのシステム創成学専攻に在籍する大学院生や学部生と博士研究員を含めて20名弱が所属しています。私がシステム創成学専攻に着任する以前は、総合研究機構に所属していました。この時は、同じ工学系研究科の化学生命工学専攻から大学院生や学部生が志望して当研究室に来ていました。化学を基盤として研究を行なっていることもあり、当研究室に所属するほとんどの学生さんは大学院修士課程に進学し、修士課程を修了後は、博士課程に進学したり企業に入社したりして、何れにせよ研究者の道に進むことが多いですね。
Q:この分野の研究には、どういう人が向いていますか。
化学は実験的アプローチを必要とする分野で、やはりある程度時間がかかってしまいます。自分が取り組んだぶんだけ研究が進むので、比較的長時間研究室にいて、自らの意思で研究を進めていかなくてはいけません。器用さはいらない代わりに、とにかく忍耐力と当たり前のことを当たり前にできる真面目さが求められます。
長時間研究室に滞在しているかと言って、大発見がそんなにあるわけではありません。数年に一つでも良い発見があればと良いとの気持ちで、毎日地道に取り組むことが重要です。「やってきたことは裏切らない」との気持ちを持ちながら、皆さん朝から晩まで精力的に取り組んでいますね。
Q:企業と共同開発などの機会はありますか?
我々は大学で基礎研究に取り組んでいますが、実用化プロセスの開発となると経験豊富な企業の方との協力は必要不可欠だと考えています。昔は日本国内にも多くのアンモニア合成プラントがありましたが、アンモニアは安いこともあり、日本国内で合成するにはインフラが安い海外と比べて割高になってしまうためか、日本企業はアンモニア合成からどんどん撤退しています。アンモニア合成プラントを持つ企業もかなり絞られて数社しか国内には残っていませんが、富山にアンモニア合成プラントを構える日産化学工業さんと提携して実用化を見据えた研究に取り組んでいます。なかなか実用化までの道のりは遠いですが、企業との共同研究を通じて次世代型窒素固定法のセミプラントを今後十年以内には立ち上げたいと考えています。
私たちは化学を使った触媒の技術で、エネルギー問題を解決しようとしています。物理は宇宙などを含めた現象を観測する学問、生物は生物が作り出すものを人間がコントロールすることはできない受け身の学問と捉えると、化学は自らの意思で設計してものを生み出すことができる唯一とも言える学問なので、他の学問とは考え方が異なっています。
分子触媒の良いところは修飾が色々でき、より生物の機能に近づけていくことが可能なところです。どんどん改良ができるので上を目指せばきりがない、だからこそ新たな境地にたどり着けると考えています。化学的アプローチでエネルギー問題を解決しよう、これが我々の研究のスタンスです。(了)
西林 仁昭
にしばやし・よしあき
東京大学大学院工学系研究科システム創成学専攻教授。
1991年、京都大学工学部石油化学科卒業。1993年、京都大学大学院工学研究科石油化学専攻修士課程修了。1995年、京都大学大学院工学研究科物質エネルギー化学専攻博士後期課程修了、京都大学博士(工学)取得。
1994年より日本学術振興会特別研究員となり、1995年、東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻助手。2000年より京都大学大学院工学研究科物質エネルギー化学専攻助手、2005年より東京大学大学院工学系研究科総合研究機構助教授(准教授)となる。
2016年より現職。