鬱や統合失調症といった精神神経疾患は、その病気のメカニズムや要因がまだはっきりと特定できていない。原因を特定するためには、シナプスで何が起こっているのかを明らかにする必要がある。そのシナプス伝達を調べるのにキーワードとなるのが「AMPA受容体」だ。これはシナプスの伝達物質であるグルタミン酸の受容体のひとつで、神経機能において中心的な役割を果たすものであるが、このAMPA受容体を可視化することで、AMPA受容体の役割が変化した場合にどんな変化が起こるかを明らかにすることができる。そこで、AMPA受容体を標識できるPETプローブの開発を行なっているのが、横浜市立大学大学院医学研究科の高橋琢哉教授だ。基礎研究を元にして、臨床やリハビリテーション効果促進薬の開発までを見据える高橋教授に、AMPA受容体やPETプローブの概要について伺った。
シナプス研究で、精神・神経疾患を解きあかす
Q:シナプス研究の概要についてお聞かせください。
まずシナプスとは、神経細胞と神経細胞を繋いでいる構造体の一つです。神経細胞同士の情報を伝達する最小ユニットの構造体といってもいいかもしれません。厳密にいうと違いますが、顕微鏡で見るものでは最小ユニットであるといえます。
じつは現代の神経の病気や心の病気といったものは、詳しい病気のメカニズムや、どうして病気になるかの要因がまだほとんどわかっていない状態です。
例えばガンの場合なら、どの遺伝子がどんな変異を起こしてガン化するのかなどということは、かなり詳細にわかってきています。その遺伝子をどうにかするための薬を使うことで、抗ガン作用が期待できるわけです。ガンの場合はこのようにとても論理的な薬の開発や診断がされています。
一方、神経や心の病気の場合は、例えばなぜ鬱になるのか、なぜ統合失調症になるのかなど基本的な部分がまだわかっていません。病気のリハビリテーションをするにしても、何がどう変わってリハビリテーションが成立しているのかがわからなければ、そこに薬剤などで介入することができないのです。ベーシックなメカニズムから詰めていかなければ、神経の病気などはとても攻略が難しい。
そこでシナプスを調べて、シナプスで何が起こっているのかを調べた上で、それをトランスレーショナルに病気の解明に繋げていくわけです。
ガンは科学的に非常に理に適った治療がされているとお伝えしましたが、なぜ神経や心の病気の場合にそれができないのかというと、この領域の研究が難しいことが大きな原因の一つだと思っています。
例えば、ネズミを使ってできたことが、そのまま人間にトランスレートできるとは限りません。その中でも私たちは、ネズミを使ったベーシックな研究をずっと行なってきました。ネズミを使ったシナプスの研究はかなり成熟した領域になっていますから、かなり多くのことがわかってきています。しかしそれを応用したトランスレーショナルな試みは、残念ながらあまり進んでいるとはいえません。それは、人間のシナプスの機能を観察することが難しいからだといえます。
私は長い間シナプスの研究をしていて、最初の頃はネズミを使って心の病気のモデルを作ったりもしていました。しかし、そもそもネズミの心といっても、「ネズミは人間ではないだろう」といわれてしまえば、それに対する答えは誰も持っていないわけです。ネズミと人間では脳の大きさや構造なども全く違いますから、トランスレートすることが難しくなってしまうのです。
そんな中で私が注目しているのが、AMPA受容体という分子です。グルタミン酸を神経伝達物質として、ある神経からシナプスを介して別の神経に情報が伝わるとき、グルタミン酸が周りの神経の末端からシナプスに放出され、受け手のシナプスに結合して応答が起こります。これがシナプス伝達です。グルタミン酸を伝達物質として使っているシナプスはたくさんあります。脳の中の興奮性シナプスは8割ほどだと思いますが、そのほとんどはおそらくグルタミン酸シナプスだと思います。これらグルタミン酸の受容体の一つが、AMPA受容体です。
グルタミン酸が結合すると、イオンチャネルを形成しているAMPA受容体が開いてイオンが通ることで、膜電位が変わっていきます。細胞膜の電位が変わっていき、細胞の応答になっていくのがシナプスの情報伝達です。AMPA受容体は、いくつかあるグルタミン酸受容体の中でも一番応答が早くて大きいうえに、どんな状況でも基本的には応答しています。
端的にいうなら、中心的な実行部隊に相当する受容体だと考えてもらうとわかりやすいと思います。テニスで例えるなら、ボールをグルタミン酸だとすると、ラケットにあたるものがAMPA受容体です。ラケットがなければ何も始まりませんから、AMPA受容体はそれほど中心的な役割を持っているといえます。
AMPA受容体の研究をしている人は世界中にたくさんいますし、ネズミの場合であれば様々なことがわかってきています。しかしそれが人間にどう応用できるかに関しては、ほとんどのことがわかっていません。しかしずっと注目はされています。それはこの領域が重要であるとわかっているからです。
余談ですが、実は一剤だけAMPA受容体に作用する薬が出ています。エーザイが出しているフィコンパという名前の薬です。ただ残念なことに、お医者さん側がAMPA受容体についてよく知らないことが多いため、薬もあまり売れていない状態です。しかし、世界で初めてのAMPA受容体阻害薬ですから、私が開発している技術などにもすごく関わりのあるものということで、各地で講演もしています。
私が以前から行なっていたのは、ネズミの基礎研究です。ネグレクトのモデルを作るため、生まれてすぐのネズミに対して社会的隔離を施す研究も行なっていました。人間の場合、ネグレクトの環境に置かれている人は一人で家にいることが多いわけですから、社会から離れた状態にした時にAMPA受容体にどのような変化が起きるのかを、まずネズミで調べてみました。調べた結果、AMPA受容体の作用が落ちていることがわかったのです。すると、もしこれが人間だった場合どうなるのか、どんな影響を及ぼすのかと疑問が出てきました。
そこで、AMPA受容体を人間で可視化することができる技術を開発しようと考え始めました。7~8年前くらいから進めている「PET(ポジトロン断層法)プローブ」という技術です。AMPA受容体に結合する化合物を、放射性ラベルして、患者さんに投与したあとPETで撮像すると、その化合物が生きている人間の脳の中にあるAMPA受容体に結合して見えるようになるわけです。 今はこの技術の開発をしている段階です。まだ論文化はされていませんが、成功しています。
この開発が進めば、人間のシナプスで機能している中核的な分子を見ることができるようになります。つまり、鬱病や統合失調症の時にどうなっているか、薬物依存の時はどうなっているかなど、様々な状態についてわかってきますから、AMPA受容体に対する薬の開発も進むことになります。
AMPA受容体が下がっている患者さんには、活性化する薬を投与し、反対にAMPA受容体が上がっている患者さんにはそれをブロックするような薬を投与します。つまり「分子を見て、その分子をターゲットとした治療薬を選択する」治療が、ガンと同じように神経や心の病気でもできるようになるのです。今はまだそれができないので、開発中の技術が最初の例になればと思っています。
簡単にまとめると、最初に私は動物実験から始め、そこからAMPA受容体の重要性を実感し、人間の分子も見られるようにしたいと考えて、今はその技術を開発している段階というわけです。そこからさらに先に進むと、今度は人間のエビデンスを元にして動物モデルを最適化できるようになります。鬱病で例えるなら、山ほどある鬱病の動物モデルの中から、人間の鬱に一番近いモデルを探すわけです。これを私たちは最適化といっています。最初に動物実験から始め、次に人間、そしてまた動物に戻していくわけです。
動物実験とヒトの画像研究とを融合させて進めていくことは非常に重要です。PETプローブでは「領域」を見ることはできても「細胞」を見ることはできません。一つ一つの細胞を細かく見ることができませんが、動物モデルをヒトの画像を根拠に最適化をしていくことでどの細胞がどんな変化をしているかが動物実験でわかるわけです。つまり病気のメカニズムをより深く理解できるようになります。さらにそこで見つかったものをまた人間に戻していく、というようなループを繰り返していくことが神経の領域に限らず、どの領域でも重要なことだと思います。
また同じような例になるかもしれませんが、「AMPA受容体のシナプス移行」という研究を15年以上前から続けています。AMPA受容体は先ほどもお伝えしましたが、グルタミン酸受容体の一つで、一番中心的な働きをしているタンパク質です。
これは私が2003年にサイエンスに世界で初めて発表した内容ですが、動物が新しいことを学習する時にはAMPA受容体がシナプスに移動していきます。そうするとAMPA受容体の数がシナプスで増えていきます。例えば3個だったものが、倍の6個になるという感じです。つまり、応答が10あったものが、倍の20に上がることになります。
記憶や学習といったことは、分子レベルでいうとこのようなメカニズムになっています。これは最初の発見ですが、今ではかなりメジャーな研究分野になっていて、世界中でたくさんの人が、様々な角度から研究しています。AMPA受容体がシナプスに移行していくことについてはわかりましたが、ではこれを一体人間の何に活かせるのかという話になってきます。
一つのモデルとして、クロスモーダルプラスティシティー(Cross-modal plasticity)というモデルを使いました。どんなモデルかというと、例えば目が見えない人は、耳の機能が優れていたり、指先の感覚がシャープだったりするというのはよくある話だと思います。このように一つの感覚機能が失われたときに残っている感覚機能が向上し、補うことをクロスモーダルプラスティシティーと呼びます。実は、目が見えなくなった動物の脳では、感覚器官を司る大脳皮質の領域でAMPA受容体のシナプス移行が起きます。つまり、機能を代償する「代償野」にAMPA受容体シナプス移行による回路の再編成が起こっているわけです。
これが何を意味しているかというと、脳のどこかの領域が壊れてしまった時、他の壊れていない領域が代償的に機能を補おうとして変化し、その代償能発現にAMPA受容体のシナプス移行が関わっていることがわかったのです。AMPA受容体のシナプス移行が脳の壊れていない領域で起こることで、感覚機能が上がっていくのです。
またこれと似たようなことですが、ある領域で脳卒中が起きて体の一部が動かなくなってしまった患者さんの中には、リハビリをすることで治る人がいます。この「治る人」の脳内では、壊れていない脳の領域にある変化が起き、動かなくなった体の一部を動かすような回路が再構成されているのです。本来は関係のなかったところに新しい回路ができあがり、再び右手を動かせるようになるわけです。この時にAMPA受容体のシナプス移行が起きているだろうと予測しました。
このことについては過去にも様々な論文が出ていますが、細胞分子レベルになるとそのメカニズムはわかっていませんでした。それがわかったことは、このメカニズムを知るための大きなヒントを得たといえます。そんな時たまたま産学連携で富士フイルムと共同研究をして、AMPA受容体のシナプス移行を促進する薬剤の開発に着手し、成功しました。リハビリの効果を劇的に促進すると証明でき、企業の治験を待っている段階です。
そもそもリハビリは「練習」という「入力」のことです。「練習」をすることで、動かない部分などを可動するためのシナプスが変化してリハビリが成立するわけです。その時にAMPA受容体のシナプス移行を促進してあげれば、リハビリの効果は上がることになります。脆弱な基礎研究に基づいた薬剤開発が中枢神経領域で横行するなか、このような細胞分子レベル、回路レベルでの科学的エビデンスに基づいた薬剤の開発は、より治験の確度を上げ、無駄な薬剤の開発費用を削減するためにも非常に大きなメッセージになると思っています。そしてこの部分のヒントになっているのが、AMPA受容体のシナプス移行の基礎研究であり、その一つである脳機能代償野における回路研究という2011年ごろに発表した論文というわけです。
私の場合、臨床に応用していくという部分ですべて基礎研究が礎になっていると感じています。基礎研究の過程で、AMPA受容体が記憶においてどのような役割を持っているのか、ネズミに光を使って不活性化するという技術を開発しました。例えば、トラウマの記憶を消すなどです。これは2017年に、ネイチャーバイオテクノロジーに出たりもしました。AMPA受容体が認知機能にも非常に重要な役割を持っていることを基礎研究で証明し、詰めながら臨床応用をしていくということです。
シナプスを理解していないと、精神・神経疾患を理解することはできないと思っています。シナプスを理解した上で、科学的エビデンスに基づいた診断・治療を行なっていくというアプローチがこの分野には必要だと思っています。これは私がシナプス研究をしている理由であるといえます。
また、少し補足していくと、私は元々慶応の医学部出身です。その後エール大学の大学院で生物学部に入り、主に基礎研究を行なっていました。ポスドクでコールドスプリングハーバー研究所に行き、そこでAMPA受容体のシナプス移行について研究をしていました。ただ、頭の片隅にはずっと臨床応用、つまり社会的な還元がありました。10年ほど前に医学部の今のポジションについて、医学教育に携わり、患者さんと話しているうちに、神経の病気の克服は社会的ニーズが大きいと感じました。
QOL(quality of life:生活の質)に深く関わってくるのは、神経だと思っています。自殺はともかく、鬱病そのものが原因で死ぬことは、基本的にはありません。しかし、QOLは悪くなることがあります。先進国の医療はQOLを上げることが重要になっており、その意味で神経は最も重要なファクターです。医学部にいて、医学教育に携わったり、患者さんと接しているうちに意識が強くなったと感じています。
また、研究費のシステムが手厚くなってきたと思います。こういったアプローチの研究を後押ししてくれるような国の体制になってきているように感じます。基礎研究のみをしている人については、逆にお金が取りづらくなってしまう場合もあるかもしれませんが、私が行なっているようなアプローチは国も推奨してくれています。もちろん、基礎研究の蓄積は大事なものです。ですからどちらかだけではなく、両方ともサポートする体制が必要だと思っています。
アルツハイマー病治療薬の開発のためには、産学連携による科学的な戦略が必要
Q:倫理的、技術的、産業的な課題について感じているところはありますか?
まず倫理的な問題についてですが、基本的には倫理委員会を通しておけば問題はないと思っています。再生医療のES細胞のように、難しい問題はないですね。現在も治験をやっている段階ですが、そもそも治験は倫理的な部分や安全面をおさえた上で初めてできることです。それができていますから、特に問題はないと思っています。
技術的な課題についても、改良の余地はあるかもしれませんが、うちの研究ベースの話であればかなりうまくいっていると思います。
産業的な課題についてですが、製薬会社はどうしてもお金が絡んでくるため、コンサバティブな舵取りをしがちです。例えば、安全な治験をやろうとすることもそうですね。安全な治験というのは、成功しそうな治験という意味です。しかし一方では、アルツハイマー病のように世界で百を超えるほど治験が失敗しているものもあります。そのあたりの企業心理は「科学的」というアプローチからはかけ離れているように思えます。
余談ですが、製薬業界にとってのアルツハイマー病はかなり魅力的な「市場」であるようで、科学的根拠が脆弱な状況でも治療薬の治験開始に踏み切るケースが多く見られます。アルツハイマー病の治療薬の開発には、トップのサイエンスを展開するアカデミアの研究者と企業との有機的な連携が必要であると思います。
アルツハイマー病に限らず、一般論ですが、企業の戦略についてはいろいろ思うところがあります。もちろん企業ですから人も雇っていますし、薬の開発自体にもお金がかかるため、お金のことを全く考えないわけにはいきません。これは仕方のないことだと思いますが、せめて「医学の進歩」という意識をもっと持ってほしいなと思います。
例えば特許が切れてしまうからといって治験を止めてしまうとか、やらないとかもそうです。またリハビリの効果促進薬はまだ世の中に存在しません。リハビリはまだまだ、気合いと練習でやっていくものとされています。そこに化学物質が介入して、効果を促進するようなアイデアのものは今の世の中にはないわけですから、このあたりに関しても製薬業界にはもう少し科学的、医学的な視点で理解し、積極的に取り組んでほしいですね。その先には確度の高い治験と、大きな市場も見えてくるはずです。新しい概念に対して少しおよび腰になるのもわかりますが、新しいコンセプトのものにもう少し心を開いてほしいなと思います。
新しい概念に対して少しおよび腰になるのもわかりますが、新しいコンセプトのものにもう少し心を開いてほしいなと思います。
製薬会社に関しては、大きなお金を動かす力を持っているだけに、正しい方向にそのお金が使われることを期待しています。そのためには、サイエンス、医学を高いレベルで理解している人材が必要であると思います。
例えば、医者や博士号を持って准教授くらいまでいっている人、サイエンスがわかる人を積極的に雇うことで、何が本当に効率的な会社の方向性なのかをわかってほしいですね。これは企業に期待していることでもあります。先ほどの繰り返しになりますが、トップの科学者と有機的な連携を進めていくことでより正確な薬剤開発を進めることができると思いますし、無駄なお金の支出も大幅に減らすことができると思います。神経の研究は難しい分野ですから、サイエンスを理解した上で、強固なエビデンスがあることを評価できる人が企業にいてほしいです。
Q:この分野を志す学生に伝えたいことはありますか?
医学部の学生など研究に興味がある人は研究をするべきだと思います。もちろん、医者になって現場で働く人も重要です。しかし現代の医療や医学で救える患者さんならいいのですが、なかには現在の医療では救うことができない患者さんもいます。 救うことができない患者さんの絶望を、30年後には別の患者さんの希望に変えるために研究が必要なのです。医学部にはそういったことを考える学生もいてほしいなと思います。
また、高校生の場合なら様々な分野が選べると思います。まず広く勉強をして、自分はどの分野に一番興味があるのかを考えるといいのではないかなと思います。
私は研究に限らず、どんなことでも「ストーリー性」が重要だと考えています。過去にこんなことをしてきて、だから今こんなことをしていて、将来はこんなことをしたい。このような考え方があるかないかは、その後のキャリアにものすごく影響してくると思うからです。また「ストーリー性」があると「積み重ねていくこと」ができます。
私が研究者になろうと思ったのは、中学生の時でした。その頃から私はずっと「どうすればいい研究者になれるのか」とか「どうすれば人類の役に立てるのか」などを考えながら受験勉強をし、大学選びもしました。自分の考えを一点に集中させて、それを自分の人生の軸だと考えていました。それを積み重ねた結果、今があるのです。
勉強ができるから医学部に入って、なんとなくこの科にいって、なんとなく医者になった人は、積み重ねに限界があると思います。あとはあれもこれもと様々なことに興味を持つのも、若い時であればいいことだと思います。しかし、ある程度のところで目標を絞って「ストーリー性」を作っていくべきだと思います。ストーリー性の考え方をベースにして、様々なことを考えていってほしいです。(了)
高橋 琢哉
たかはし・たくや
995年、慶応大学医学部卒業。2000年、Yale大学大学院博士課程修了。2001年より2005年まで、Cold Spring Harbor研究所 Postdoctoral fellow (Roberto Malinow博士)。2006年より、 横浜市立大学大学院医学研究科 教授となる。