日本は、国土の約12倍もの広大な領海や排他的経済水域を有しているにもかかわらず、海洋はまだまだ未知な領域である。カーボンニュートラルの実現に向け、温室効果ガスの削減が叫ばれるなか、大気に放出されるCO2を回収して、深海底に貯留する研究を進めているのが、名古屋工業大学 社会工学科 環境都市分野の岩井裕正助教だ。岩井助教が取り組んでいるのは、「CO2ハイドレート」と言われる、新たな地中貯留の方法である。今回は「CO2ハイドレート」の仕組みや可能性について話を伺った。
日本の海洋地盤に適した「CO2 ハイドレート」貯留
Q:まずは、研究の概要についてお聞かせください。
温室効果ガスの一種であるCO2の大気への放出を削減するために、CO2を海底に閉じ込める「地中貯留」の研究を行っています。
従来の方法は、硬い岩盤で蓋をしてCO2を貯留するため、地中深くの岩盤層に圧入します。しかし、日本のような地震大国では断層といわれる岩盤の亀裂が非常に多く、安定した岩盤をなかなか見つけることができません。最適な岩盤層を見つけてCO2 を貯留できたとしても、地震などによって亀裂が入り、いつ何時CO2が漏洩しないとも限りません。このように従来の深部岩盤層でのCO2貯留は、「安定性」について大きな課題がありました。
それに対して私たちが研究しているのは、岩盤がなくてもCO2を貯留させることができる、日本の海洋地盤に適した方法です。どのようにしてCO2を地中に閉じ込めるのかというと、「CO2ハイドレート」と言われる固体結晶を生成させて行います。
CO2(気体)は、低温かつ高圧の環境下で、H2O(液体)と交わることで、白色の「CO2ハイドレート」という水和物が生成されます。太陽からの光が届かず、高水圧の「海底」は、「ハイドレート」を生み出すには、非常に適した環境なのです。
しかも「深部岩盤層でのCO2貯留」の場合、海底面からさらに1000~3000メートル必要ですが、「CO2ハイドレート」の貯留なら海水面から300〜500メートルあれば可能です。「未固結地盤」と言われる砂や粘土状の地層であれば、化学的には「CO2ハイドレート」(固体)の状態で安定して存在します。ですから、硬い岩盤も必要ないですし、従来よりも浅い水深で貯留できるので、比較的安価なコストで実現可能です。
Q:なぜ、「CO2ハイドレート」は硬い岩盤がなくても地中貯留が可能なのでしょうか?
理由は2つあります。
1つは、「自己保存性」の特性を持っていることです。先ほど、「CO2ハイドレート」は低温・高圧の環境下だと安定する特徴があると、お伝えしました。反対に言えば、低温・高圧の環境がなくなれば、ハイドレートの固体からCO2(気体)とH2O(液体)に分離して、不安定な状態になってしまいます。しかし、まず固体を分解する際には、周りから熱を奪うので、温度が一気に下がります。つまり「低温」になるわけです。しかも、ドライアイスをイメージしてもらうと分かりますが、固体から気体への変化の過程ではガスが発生します。密閉された空間で、ガスが放出されると、そこには高い圧力がかかってきます。
このように、「CO2ハイドレート」が環境の変化によって一旦不安定な状態になったとしても、再び低温・高圧の環境下に戻るため、「CO2ハイドレート」はそのまま状態を維持することになります。これが、「CO2ハイドレート」の「自己保存性」です。
2つ目は、海底にある「メタンハイドレート」の存在です。「メタンハイドレート」は、天然ガスである「メタンガス」が「水」と反応してできた氷状の水和物です。「メタンハイドレート」は何万年も昔から、長きにわたって深海底(未固結地盤下)に存在していた物質です。これは、同じような環境下に「CO2ハイドレート」を置いたとしても、よほどのことがない限り、安定した状態を保ち続けられることを意味しています。まさに日本近海の地層に眠り続ける「メタンハイドレート」の歴史が「CO2ハイドレート」の地中貯留の可能性を証明しています。
Q:現在の実験に至るまでの経緯をお聞かせください。
はじめは、海底からメタンハイドレートを取り出す研究を行っていました。日本はエネルギーを石油などの輸入に頼っているので、エネルギーの供給が安定していません。その一方で日本近海を見渡すと、メタンハイドレートなどの天然ガスが多数存在しています。
そこで「メタンハイドレート」を次世代のエネルギー資源として活用できるように、安全に掘削する方法などを研究していました。しかし、メタンは可燃性ガスなので、空気中では勢いよく燃えるため、取り扱いには支障をきたしました。
そのため、実験室ではメタンガスの代わりにCO2を使って、ハイドレートの含有地盤の模擬試験などを行っていました。それがきっかけで「CO2なら掘削するのではなく、埋めてみてはどうだろう」という発想が湧いてきて、CO2ハイドレートの研究に本格的に取り組むようになりました。
透水性に優れた地盤を確保する
Q:直面している課題はありますか?
色々ありますが、その中でも大きな課題となっているのは2つです。
1つは、海底地盤の状況が把握できていない点です。海底には通信も届きにくいため、計測・観測が非常に難しく、陸地のようにすぐに現地調査を行うことができません。地層構成がどうなっているのかなど、海底地盤の状況が分かっていれば、現場の状況を再現して実験を行うことができるのですが、状況が把握できないため今はそこまでも至っていません。
もう1つは、1カ所に大量の「CO2ハイドレート」を貯留するための効率的な圧入方法の確立です。地中にC02(気体)を圧入すると、「CO2ハイドレート」(固体)に変わるので、その場所が閉塞されてしまい、同じ場所に断続的に貯留していくことが難しくなります。
しかし、効率性を考えれば、例えば、大型船を出してCO2を圧入する度に場所を変更するよりも、1カ所から圧入すれば、地盤下で「CO2ハイドレート」化が広がっていくのが理想的な方法です。
現段階では、大学での実験レベルの研究ではありますが、可能性がないわけではありません。本来地盤は粒状体なので、間隙(すきま)が存在し、水を通しやすい性質(透水性)があります。したがって、透水性に優れた地盤を確保することで、1カ所から圧入による「CO2ハイドレート」の貯留も可能です。
その際、CO2を圧入するスピードも重要になってきますし、細かいことを言えば、海水温度や圧力、地層構成なども考慮しなければなりません。こうした総合的な影響を把握するためにも、まずは地盤調査を行った上で、海底地盤で試してみる必要があるでしょう。
Q:この研究分野は、どんな学生が合っていますか?
地球規模の課題を解決することにモチベーションが持てる学生が合っていると思います。土木工学の一般的なイメージは、トンネルや橋梁、高速道路などの測量や設計、施工、維持管理だと思います。しかし、土木工学の本質は、「社会の構造を変えること」です。
日本は、社会インフラが整備されているので、老朽化した建物や道路、鉄道などの維持管理が大半です。しかし海底は未知の世界です。特に、日本は周囲を海に囲まれており、国土面積の約12倍もの広大な領海や排他的経済水域を有しております。
それに、日本は全エネルギーの9割以上を輸入に頼っており、土木工学を活用して、メタンガスのような天然海洋資源の開発や効率的な調査などができるようになれば、日本の新たなエネルギー資源として供給できます。また「CO2ハイドレート」の回収・貯留が実現できれば、世界規模の温室効果ガスの削減にも貢献できます。そう考えれば、日本においても土木工学を活かしきれていない領域はまだまだあります。
日本は地震だけでなく豪雨や台風なども含めると自然災害大国です。それゆえ、防災技術は世界でもトップクラスを誇ります。しかし、土木工学の研究はそれだけでなく、こうした海洋資源の開発やCO2の地盤隔離にも活かせるので、地球規模での課題解決に取り組みたいという方は大歓迎です。
Q:企業との提携についてはどうでしょうか?
まだ基礎研究の段階なので、企業との提携はこれからといったところです。海底地盤を調査するようになった時に、地盤を堀削するにはどのような技術があるのかといった基本的な知識がまだまだ足りないので、海洋工事や海底調査などに精通した企業などと共同研究していきたいと考えています。
さらにCO2ハイドレートの生成においては、化学の知識が求められるので、企業ではありませんが、化学を専門にしている先生とのコラボレーションも図っていきたいですね。
Q:次の目標についてお聞かせください。
「CO2ハイドレート」の貯留研究においては、今は研究室での模型実験を行っているだけですので、大型実験設備を用いて海底地盤の環境を模擬し、より現実に近いシチュエーションでの実験を行って、新たな課題を収集していきたい。そして、将来的には、海底地盤がどうなっているのかの調査も行ってみたいと考えています。
また今回の研究内容とは少し離れますが、世界的に再生可能エネルギーと注目が集まっている「洋上風力発電」の研究にもチャレンジしていきたいと思っています。
洋上風力発電は、非常に大規模で、高さで言えば200メートル程になります。ブレード(羽)や本体の頑丈さはもちろん、それを支える海底地盤の安定性も重要になってくるので、「CO2ハイドレート」貯留での海底開発の技術が大いに活かせます。
そして、「CO2ハイドレート」でCO2を埋める技術、「洋上風力発電」でCO2を生み出さない技術—この両面の研究から、地球規模の課題解決を実現していきたいと考えています。(了)
岩井 裕正
いわい・ひろまさ
名古屋工業大学 社会工学科 環境都市分野 助教
2010年 京都大学工学部地球工学科 卒業。2012年 京都大学工学研究科 社会基盤工学専攻修士課程 修了。2015年 京都大学工学研究科 博士課程 修了。2015年より現職。