近年注目が高まっている再生医療において、臨床への応用が特に期待されているものの一つが網膜再生だ。ラボヘッドとして、網膜色素上皮細胞移植、次の再生医療である視細胞移植、そして基礎研究という3つのチームを束ねているのが、髙橋政代・理化学研究所プロジェクトリーダーだ。自身を「研究者でなく社会活動家」だと紹介するように、現在はプロジェクトリーダーにとどまらず、病院の非常勤医師、公益法人理事、そしてソーシャルベンチャー立ち上げなど多岐にわたる分野で活躍している髙橋氏に、これからの再生医療、網膜治療の向かうべき方向性について伺った。
研究・臨床・社会実験の3チームを統括
Q:研究の概要についてお話しください。
研究内容をお話しする前に、iPS細胞を初めて人間に利用して手術を行なったことは、様々なメディアで取り上げていただいていますが、あくまでもこれは我々が行なっていることの一つであり、元々私は眼科医ですので、網膜の病気で視覚障がいのある方の生活をどのようにして良くしていくかを考えることが、最も大きなテーマであることをご理解ください。その手段の一つが再生医療であり、iPS細胞であるという位置づけになります。
さて、その全体の話になりますが、現在我々はアイセンターというものを作っておりまして、そこには研究、病院、患者のケアや福祉を含む社会実験という3つの部門があります。
まず研究については、私は理化学研究所のラボヘッドでもありまして、一つのラボとしては結構な大所帯になっています。これを網膜色素上皮細胞移植のチーム、視細胞移植という次の再生医療プロジェクトのチーム、そして基礎研究を行なうチームの3つに分けています。
基礎研究と、患者さんに届けるためのトランスレーショナルリサーチは、ベクトルが全く違うものだと考えています。ラボで一緒にやっていることはもちろん重要ですが、同じ人が両方をやるのはなかなか難しいことですから、このような分け方をしています。
3つのチームはどれも同程度の人員になっており、それぞれにチームリーダーがいます。こういった人たちは私よりもはるかに研究レベルが高いので、研究自体は最近ではほとんど全て任せているような状態です。
そのなかで私は、プロジェクトリーダーという名前のとおり、各チームのリーダーから報告を聞いて方向性などを決めたりはしますが、それ以外はお任せしています。私はむしろ理研にも「研究者でなく社会活動家になりました」と宣言しているくらいです。公益法人を作り、今はアイセンター病院にも関わっていますし、ソーシャルベンチャーも作ったので、これらすべてに関わる人間としてプロジェクトの全体像を作り上げている、といった立場ですね。
Q:研究の社会的ニーズについては、どのようにお考えでしょうか。
網膜の病気を持つ人はたくさんいますが、その中には全く見えない人もいれば、少しだけ見えにくい人もいます。この様々な程度の視覚障害があるという部分が理解されていないと感じています。世の中には重度の視覚障がいを持っている人と健常者のどちらかしかいないと判断されてしまいがちですが、その中間の状態の人たちも大勢いるのです。
外来で患者さんを診ていると、そういった患者さんたちは視覚障害のイメージにものすごく恐怖を抱えていて、そちら側の人間にはなりたくないと思っています。ですから、福祉やケアを勧めても使わない人もいるのです。このようなイメージの問題を解決するのが、公益法人であるネクストビジョンを作った理由でもあります。
ネクストビジョンでは、「アイシー運動」という社会運動も行なっています。先ほどもお話ししたように、重度まではいかないけれども、少し見えにくい人たちがいることが理解されていないため、視覚障がいに対する偏見や恐怖が生まれてしまっています。この部分を明らかにしていくことが、アイシー運動の目的です。
例えば街中に白杖をついた人がいたら、大体の人は全く目が見えない人が歩いていると思いがちですが、全ての人がそうではありません。視野が狭いだけで視力は良い人も白杖を使っています。そういった人たちに対して「見えないなんて嘘だろう」と言ったり、中には杖を蹴ったりする人もいるのです。これはまさに誤解ですね。
ここでなぜこの話をしたのかと言いますと、私は、iPS細胞は科学以上の力、つまり社会を変えるほどの力を持っていると実感しているからです。社会を変える機動力になりますし、その力は例えば私の関わる視覚障がいを社会に本当にイングルーシヴにすることに使えると考えています。
iPS細胞についての取材は、たくさんのメディアに来ていただけています。私はそこでロービジョンケアについて、またロービジョンケアと再生医療はセットであるというお話を盛り込みました。ロービジョンケアは以前からあったもので、その分野のプロもたくさんいます。
しかし今まで光が当たらず、理解されないままでした。以前は取材を受けても、一般の人にはわからないからと「ロービジョンケア」という言葉を新聞に載せてもらえないこともあったそうです。しかし、話題のiPS細胞についての取材の時にロービジョンケアとセットですとお話したところ、きちんと載せてもらえるようになりました。
いまではたくさんの人がiPS細胞を知っていますから、セットで伝えていけばロービジョンケアの認知度も着実に上がっていくと思います。このように、科学を志す人には、科学は社会をも動かす力を持っているのだということを知ってもらいたいですね。
現在は文系の方が社会を動かしている部分が多いですが、日本はその弊害が出てきている部分があります。現代は科学の進歩が国にとって非常に重要で、ライフサイエンスなどはまさに医療を題材にした経済戦争状態だといえます。
医療費をどこから得るのか、今海外に流れている医療費をどのようにして取り戻していくかを考えなければいけません。ライフサイエンスを研究する人は、ここまで意識を持って取り組まなければならないと思います。これはとても重要なことですから、少なくとも半分は科学を知っている人が社会を動かすようにならなければ、世界に太刀打ちできないと思います。
Q:日頃、髙橋様自身はどのように活動なさっていますか?
肩書きは様々で、まずは理化学研究所のプロジェクトリーダー、病院の非常勤の医師、公益法人ネクストビジョンの理事、そしてソーシャルベンチャーであるビジョンケアを作りました。
5年前にヘリオスという会社を作りまして、こちらはすでに上場しています。ヘリオスは再生医療を実現する会社ですが、さらにこれからは医療が変わっていき、アイセンターの周りには様々な事業が生まれて来ると思っています。それを受け取り、社会実験をするベンチャーが必要になりますから、もう一つ会社を作りました。ここにどう関わるかは、まだ考えている途中です。
利益相反の問題もありますが、これからは考え方を変えていかなければ、科学が社会を動かしていくような世界にはならないと思います。日本ではアカデミアの人間が企業と何かをしようとすると、事ある毎に利益相反の問題が出てきて止められてしまうため、発明者やプレーヤーが新しい仕組みづくりを引っ張っていくことができないのです。古い考えの利益相反ではなく、産学が一体になるような新しい考え方が必要で、弁護士チームと考えている状態です。
そしてもう一つはシスメックスという神戸に拠点を置くグローバルな病院の検査機器会社で、社外取締役をさせていただいています。
ロービジョンケアの必要性を訴え続ける
Q:現在に至るまでの経緯について、お聞かせください。
日本は視覚障がいのケアについては比較的歴史があるほうで、100年以上も前から取り組まれています。世界の中でも早い時期から行なっていたこともあり、ヘレン・ケラーも度々日本を訪れていました。
昔は医療の発達が悪かったこともあり、全く見えない人が多く、福祉もそのような人たちを対象としていました。その後は医療の発達とともに、全く見えない人の数はだんだんと減っていき、見えにくい人たちの数が増えてきます。ところが、福祉側は昔と変わらない体制のままでした。
そのため全盲でないロービジョンは範囲外と思われていて、最近になってようやくロービジョンにも光があたるようになってきたと言えます。ただ私が外来で診ている感じでは、まだまだケアすべきロービジョンの患者がほったらかしになっていることが多く、問題だと感じています。福祉側も範囲外で、眼科医たちは自分たちの領域ではないと思っています。つまり、医療と福祉の間に陥っているロービジョンが、大きな問題なのです。その段階でケアすれば働ける人が情報不足で仕事をやめてしまう。また企業側も偏見があり、まだ見えているのに視覚障がいというだけで何もできないと思われてしまっています。
我々眼科医は外来でロービジョンの方々に接していますので、ここにニーズがあることを知っている数少ない人間として、iPS細胞の力も利用しますし、これは自分たちがやらなければと思いました。
私はもともと、大学病院で20年近く眼科医をしてきましたが、大学のように枠が決まった中で社会活動的なことをしたり、アイセンターのような全く新しいタイプの病院を作ろうとするのはちょっと無理があるなと感じ、理研に飛び出してきました。
神戸には「医療産業都市構想」というものがあり、まさに新しい取り組みをしようとしていました。アイセンターの構想もここでならできると取り組み始め、ずっと続けてきたことがこの12月にやっと実現します。
アイセンターは京大病院に勤めていた時代から作りたかったものでもあります。そう思い始めてからもう10年経っています。研究も20年続けてきました。20年前にソーク研究所で神経幹細胞という世界で初の概念に、全く違う分野の眼科医である私が出会いました。当時は眼科医で神経幹細胞を知っているのは私だけという状態でした。その時に「これは治療に使える、私が治療法を作らなければ」と思い、研究をスタートさせたのが始まりです。
さらに日本に帰ってきて研究を続け、5年、10年と月日が経ち、治療法ができそうだと希望が見えてきた頃には「これは医療経済にも大きな変化を起こせるし、それによって医療も変わる。アイセンターの原資になるだろう」と思いました。これは15年ほど前のことですね。アイセンターを作りたい気持ちが強くなり、理研に移ろうとした頃にちょうどiPS細胞ができました。iPS細胞には大きな力があるとわかっていましたから、この波に乗っていけば、その先にあるアイセンターに繋がっていくと確信したのです。
再生医療は手段の一つだとお話ししましたが、まさにその通り。網膜の再生医療も何種類も作っていますし、遺伝子治療の研究もしています。さらにいまでは、視覚障害の方のための自動運転などにも取り組んでいます。このように、様々なコンテンツをたくさん作ることを約10年間続けてきました。アイセンターの中身ができてきましたので、次は箱を作りましょうという段階まできています。
北海点字図書館長の後藤さんに教えてもらった「行き当たりバッチリ」という言葉で私はよく表現していますが、計画を立てすぎてもなかなかスタートできませんから、ある程度行き当たりばったりの状態で始めて最後は目的をバッチリ達成しようという意味です。
現在の日本は、何をしようとしてもきっちりとした計画がないとか、利益相反がとか、契約がなどと言われてしまうことが多いです。しかし、最終的にはどうにかなると考えて、とりあえず始めてみることが重要だと考えています。アイセンターもこのような考えから始まりました。きっとできると信じて行動していると、助けてくれる人も出現しますし、新しい発展があってできるようになることもよくあります。
途中で制度が変わったり障害が立ちはだかっても、すばやく対応して別の道筋を考えていく。そうしているうちに、アイセンターはここまで実現することができたのです。柔軟な計画にしておけば、何らかの形で必ず目標に到達できますから、「行き当たりバッチリ」のような自由さは現代のような変化の激しい時代には必要だと思っています。
Q:研究における課題について、感じていることはありますか?
規制やルールなどの課題からお話ししますと、「行き当たりバッチリ」の考え方の場合、こうあるべきという未来の像をはっきり作って、そこから現在に遡って物事を考えていく形になりますので、ぶつかる規制上の問題やルールはその目標のために必要なものか、必要でないものかに分かれてきます。この必要でないものを壊していくこともテーマになってきます。まず壊さなければならないものは、漠然とした思い込みで語られる倫理やそれを作り出している風紀やルールです。
日本はルールだらけですが、何のためのルールかが本当に見えていない気がしています。海外には包括的同意というものが結構あって、例えば提供された細胞はどんなことに使ってもいいと書いてあったりしてびっくりします。これは日本ではなかなか許されないことで、微細に書いた研究計画から少しでも外れた内容になれば、それがどんなに患者さんの利益になることでも再度同意書を全員から取るという不可能な要求が来てしまうのです。これでは研究が全く進まなくて患者さんのためによいことなのに、それを止めてしまっていることになります。私たち医療者は特に、患者さんにとって良いか悪いかが判断基準です。この絶対的基準があるからこそ、ルールの運用の間違いなども答えが見えてくるわけです。
そう考えると再生医療の開発でも必要でない過去のルールもたくさんありますから、それを患者さんに代わって言い続けているところです。それは患者さんのためにはならない、と。
他にも、世間から誤解されている部分もあって、一般に患者さんのためになるだろうと思われていることでも、実はあまり良くない場合もあります。患者さんのために安全性を少しでも高める方が良いと皆が信じていますが、本当にゼロに近いリスクの場合、さらに安全性を高めるために治療費が莫大になったり治療開始までに非常に長い時間がかかったりすることは案外気にされていないのです。
私は今でも毎週外来で患者さんに接して、この人たちが何を望んでいるか、どうしてあげたらいいかを常に感じ取るように努めています。そして独善に陥っていないか考えます。
技術的な課題については、スピードの速さもありますし、あまりフラストレーションは感じていません。これは一流の科学にアクセスできるポジションを得た部分が大きいと思っています。問題が一つ見つかっても、大体が数年のうちに世界中で研究者たちによって解決されますし、そこにアクセスすれば一緒に取り組みましょうとか、ぜひ使ってくださいという流れがスムーズになるからです。
先ほど理系が社会を動かすとか、自由な環境を求めるとお話ししましたが、これは当然のことで、「科学的」というのはこういったことだと思います。科学的に考えたら変なルールはいらないですし、上下関係もいらないわけです。自分自身が正しいかどうか疑うこと、真実を見つけることが科学ですから、これを本当にわかっている人であれば、変なルールや変な社会にはならないはずです。
疑ってかかれば、おかしいところは改変されていきます。技術の面では常にこのようなことが起こっていますから、その面ではフラストレーションはないですね。正しいことしか残っていかないですし、新しいことがどんどん生まれるのも、この考え方があるからだと思っています。必要なものは開発しますし、それがいいものであればどんどん世の中に出ていきます。つまり最終的にはいいものが残るわけです。
産業的な課題はたくさんあって、この課題に取り組むために私が社会活動家になっていると言えます。再生医療は従来の医療開発を変えようとしています。日本では2014年に再生医療の法律ができましたが、それは世界が驚くほど革命的な法律でした。官と学が共同で作った法律は今までにないものでした。
私は再生医療学会の戦略委員会に属していますが、そこから十数項目の要望を厚労省に提出しました。すると驚いたことにほとんどの要望が認められて法律ができたのです。そのため、我々アカデミアも責任を感じています。
その後の法律の運用も、官と学で話し合いながら行なっています。この法律ができたことで、日本は世界のトップに立ったわけで、初めの頃は、海外では日本は危険な法律を作ったなどというバッシングもありました。しかしバッシングをしていたFDAも、2016年には同じような法律を作りました。つまり日本に追従してきていて、日本の法律が世界の一番先頭に立ったとも言えるこういう状態は生まれて初めての出来事です。
全般的にもかつてはアメリカについていけばよかったことが、日本が先頭に立って起こりはじめたこと、これが産業的な課題です。ものまねだったルール作りを、自分たちでやらなければならなくなったのですから。
そんな現代はルール作りの仕組みが古すぎることと科学の進歩が早すぎることで、実際にその分野にいるプレイヤーしか理解できない状態になってしまいました。倫理とルールが科学についてこられなくなってしまったのです。
日本はルールを作らないと前に進めない国ですが、そこに利益相反が出てくると、ルール作りにプレイヤーがいないまま話が進み、混乱が生まれてしまうのです。
今のような時代は、プレイヤーがルール作りをしなければならないと思っています。iPS細胞の臨床応用が話題になる前は、プレイヤーがルール作りをしていましたから、スムーズでものすごく速いスピードで進んでいました。ところが周りの関心が集まるようになると他の分野の方が参加して「それはダメなんじゃないか」とか「そんなに急ぐ必要はないのでは」などと情報不足のまま言われはじめたのです。私たちからすれば同じ研究を20年も続けてきているわけですから、もっと慎重にと言われてもこれ以上どう慎重にすればいいのかという感じです。
しかし他分野の人たちは関心を持ち始めた2~3年のことしか知らないわけですから、気付いてすぐに臨床まで進もうとしているので早すぎるという印象なのでしょう。そして、場合によっては進歩にそぐわないルール作りになる危険があります。ですから、こういう進歩の早い時代ではルール作りはある程度プレイヤーに任せることが必要なのではと考えています。
また、日本でイノベーションを起こすには、様々な審査会がありますが、何かものを作り出した人を審査員にするべきだと思っています。最近は変わってきましたが、イノベーション研究でも審査員になっているのはまだまだイノベーションを起こした人ではなく論文を作ったりした偉い人が多いです。しかし実際に何かを作った人は、事を前に進める方法やタイミングをわかっていますから、審査会でも止めるのではなく前に進めるための条件を出します。
イノベーションを起こすためには、審査員の選び方をその分野の権威というだけではなくもの事を作り出した人にしていくべきなのではと思いますね。
Q:企業に期待することはありますか?
先ほどの利益相反の話もそうですが、省庁や政府は危機感を持って変わろうとしていますし、反対に若い世代の人たちも自分たちが頑張って日本を変えていかなければならないとわかっています。しかしその中間である大きな企業が旧来のルールで動いているため、変化が遅い。この部分は変えていってほしいですね。大きな民間企業は、かつて世界を席巻していたバブルの頃と比べ、今ではその巨体を持て余しているのではないでしょうか。
Q:若い世代にメッセージをお願いします。
これからの日本をよくしていくのは若い人たちですから、そういった意識を持っていてほしいです。よく再生医療研究をやりたいと言われますが、私は「もう遅いです」とお伝えすることも多いです。
科学者は新しいことを発見する人ですから、本当の科学者になりたいのであれば、今はまだないものを作り出すことを考えるべきだと思うのです。ですから今すでにこれだけ盛り上がっている再生医療にあまりに多くの若い人が進んでいくのは、もったいないことです。
私が再生医療に取り組んでいた頃は、まだ再生医療という言葉自体がありませんでした。本当に価値の高い科学者になりたいのであれば、再生医療ではなく今はまだわかっていないところでどこが重要なのか、ここを発見する目を持ってほしいですね。
神戸の医療産業都市構想は元京都大学総長で、科学技術会議の委員だった井村先生が作られたものです。20年ほど前、神戸の震災後に焼け野原のようになった神戸をどう再生するかと考え、医療産業都市にしようと決めたわけです。地震があった日はちょうど、ポートアイランドをレジャーランドにすることが発表される予定でした。ところが発表日に地震が起きてしまい、レジャーランドの話が流れてしまいました。これからどうしようとなった時に井村先生が「再生医療」を目標にして、医療産業都市を作ろうと提案したのです。
井村先生は、私がアメリカから帰ってきてその当時できたばかりの言葉「再生医療」って、何?と思っていた頃からその分野に取り組んでいたわけです。2014年には私が井村先生の作った医療都市を使ってiPS細胞の臨床応用を成功させたのですが、それを先生にお伝えしてもあまり褒めてもらえませんでした。先生の頭の中では再生医療は過去のものですでに次の分野に考えは移っていたのです。これはさすが、という感じですね。
私の中でもすでに細胞ではなく医療に観点が移っています。「ものからことへ」です。もちろんきちんと再生医療に取り組んでいますが、見ているのはその先にある先制医療や予防医療です。そうなると医療は病院から外に出ていく。これは、先ほどお話ししたロービジョンケアやアイセンターに繋がるわけです。大きな大学病院で従来と違うことを素早くすることは困難ですから、小さい病院であるアイセンターでどんどん変えていく、そこにはソーシャルベンチャーや公益法人、研究所の四位一体という形が良い。そこから様々な種がたくさん出てきます。再生医療ももちろん今後大きく重要な分野となりますが、本当に新しいことをしたいのであれば常にその次を見るべき、だと考えています。(了)
高橋 政代
たかはし・まさよ
理化学研究所 多細胞システム形成研究センター
網膜再生医療研究開発プロジェクト プロジェクトリーダー
1986年京都大学医学部卒業後、1986年より京都大学医学部附属病院眼科 研修医となる。その後、1987年より関西電力病院眼科 研修医を経て、1992年に京都大学大学院医学研究科博士課程(視覚病態学)修了。
1992年より京都大学医学部附属病院眼科 助手となったのち、1995年よりアメリカ・サンディエゴ ソーク研究所にて研究員を務める。帰国後、再び助手となったのち、2001年より京都大学付属病院探索医療センター開発部 助教授。
2006年、理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター網膜再生医療研究チーム チームリーダーとなる。2012年には理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター網膜再生医療研究開発プロジェクト プロジェクトリーダーとなったのち、2014年より現職。
また、2006年より神戸市立医療センター中央市民病院眼科 (現在 神戸アイセンター病院) 非常勤医師 兼任、2012年より京都大学大学院医学研究科 連携大学院講座 客員教授 兼任、2013年より京都大学 iPS 細胞研究所 アドバイザー 兼任。