海外で疫病が発生し、空港で入国制限がなされた、などのニュースは頻繁に目にするが、じつは一口に感染症といってもその流行地域、時期にはさまざまな違いがある。世界中のさまざまな感染症に対し、数理モデルを利用した流行データの分析手法をとっているのが、北海道大学の西浦教授だ。「感染症は、シンプルに数式化できる」ことが研究の道を決めるきっかけになったという西浦教授に、感染症に対する現時点でのベストなアプローチを伺った。
感染の仕組みを数式で記述する
Q:「理論疫学」という言葉について、研究概要をお聞かせください。
感染症の理論疫学というのは、感染症が流行してヒトや動物に感染したときに、どれくらいの期間が経ってどのようなメカニズムで発症し、また重症化するのか、あるいは、ヒトが感染してから二次感染するまでにどのくらいの時間を要するのかといった感染の仕組みや、感染が原因で発病したり死亡したりするまでの病気の仕組みを、理論、つまり数式で綺麗に記述する研究分野です。
感染が増える様式のことを、感染症が「流行る理(ことわり)」と呼んでいますが、例えばどのように家の中で感染の連鎖が起こったのかについてや、学校の中で人から人にどういうパターンで流行が広がっていくのかについて、実際に観察されたデータからメカニズム自体を捉えた数理モデルを利用しつつ、「流行る理」、すなわちメカニズムそのものをモデル化した上で理解し、それを感染症の予防につなげていくことを目的とした学問です。
Q:海外で感染症が流行して空港を閉鎖する例がありますが、流行る仕組みを理解した上で閉鎖するタイミングなどが決まっているわけですね。
海外で感染症が流行ると空港に置かれたサーモスキャナーという機械で有熱者をスクリーニングをするのですが、発熱する人の割合やその精度など様々なデータが入ってきます。それをきっかけに、もともと何もしない時と比べて、サーモスキャナーの設置がどのくらい効果があるのかということが分かります。
このようにヒトが動いて感染症が流行るメカニズムをきちんとモデル化できていると、具体的な数値として国間を通じた侵入の状況が理解できるという特徴があります。
実際の入国制限に関する政策は、国ごとに異なります。空港の別でいうと、感染源となった国とよく結びついている国、そうではない国の両方がありますね。ジカ熱であれば、流行の拡大国ブラジルとの距離によって、流行のリスクが決まってきます。しかし、南米諸国からアメリカのフロリダ付近は間違いなくブラジルからの渡航を止めることはできない上、国境で何かを施してもそれが現実的に流行自体を抑止するための対策として太刀打ちできるわけではありません。そのため、流行が起こることを前提に、蚊をどのように制御するのかといった国内の施策により重きを置いて対策を考えなければなりません。
一方、日本では、例えば秋冬に感染者が入国しても、流行が持続することはまずありません。ジカ熱はヤブ蚊(ヒトスジシマカ)によって伝播しますが、ヤブ蚊の刺咬傷を通じて流行が起こることが可能であると理論的に捉えられるのは、一人の感染者が蚊を通じて生み出す二次感染者が一人以上であるという条件を満たす時です。そうでなければ流行は減衰していくばかりで、確率的に二次感染者が少し生み出されるくらいで済みます。
なお、日本でジカ熱の流行が起こりうるのは、現状は6~10月の夏期だけです。他の月ではジカ熱を伝播させるヤブ蚊が十分にいないこと、その時の気温の影響で伝播能力が十分ではないことから、たとえ一、二回の伝播サイクルが起こったとしても、大規模な流行は起こりません。そういった点で、先ほど述べた南米諸国やアメリカ・フロリダといった絶対に流行が起こらざるを得ないという場所と日本では、対策が異なってくるわけです。
日本の流行可能時期は夏期であり、ジカ熱は感染しても発熱や稀に起こる発疹程度の軽症で済みます。ただし妊婦の方が感染したときには、胎児に小頭症あるいは他の神経の障害を引き起こしてしまうことがあります。特に、胎児が妊娠の早い頃の週数で母親が感染してしまうと確率は高まります。
日本人にとって重要なのは、日本国内の感染ではなく、例えば流行中の時期にリオデジャネイロへ渡航することを妊婦の方は控えるべきという話や、行かざるを得ない場合でも母体を守るために蚊に刺されないよう、確実にディートを塗るなど、蚊除けの対策をきっちりするということがより重要になるということですね。
Q:研究対象とされている昆虫が媒介する病気はジカ熱の他に何がありますか。
以前話題になったデング熱もそうですが、何らかの昆虫が病気を感染させる感染症は、日本国内でも地域によって大きく異なります。ヤブ蚊の咬傷頻度や伝播能力は東日本よりも九州や沖縄で高いことが知られています。現状、北海道にはヒトスジシマカはいません(調査は水面下で進行しているので、いつか見つかるとは思いますが、伝播サイクルを維持するにはほど遠いです)。僕もジカ熱を研究していると、北海道の方々とってあまり役に立たない研究と見られてしまうこともあります。
一方で、北海道にはダニが媒介するダニ媒介性脳炎というものがあります。野山に行き、膝丈くらいの高さの草むらに入るとマダニに噛みつかれ、そこからマダニが保持するデング熱に近縁のウイルスが体内に入り込み脳炎などを発病してしまうというものです。日本は北から南まで長い国なので、場所によって感染症も異なるということがとても興味深いですね。
Q:様々な感染症がありますが、世界的に見て、日本でのその研究は進んでいるのですか。
いいえ、どちらかといえば遅れています。サイエンスとしての研究で言えば、我々が世界をリードして2017年の各国におけるジカ熱の流行予測を計算することはそれなりに成果報告をしましたが、日本は国家政策の中にそういった分析結果を取り込むことに関して、遅れをとっています。
ヨーロッパでもイギリスとオランダは別格に進んでいますが、その2国では国の機関がモデリングユニットを研究所内に持ち、そこに所属する人たちがブレインとして機能しています。インフルエンザ、あるいははしかといった感染症に関する研究成果はリアルタイムで国にフィードバックされるという仕組みができあがっています。
日本ではまだ政策決定がアジア政治であり、一定度合いは責任を取れる立場の人たちの意見を通じて恣意的に政策が入ってきてしまう官僚機構です。アジアで数理モデルを活用した仕組みが完璧に根付くにはまだ時間がかかりますが、使用頻度は飛躍的に増えつつあり、いずれは日本でもほとんどの課題で客観的な事実に基づく政策判断が行なわれるだろうと考えます。
Q:対策はもうわかっていて、社会的ニーズについても適切な課題に基づいて適切な答えが出せるようになってきたということですか。
典型的でわかりやすいのは、1970年代後半から数理モデルで明らかにされているインフルエンザの予防接種法の話があります。インフルエンザの伝播は子供達の間で維持されています。今では当たり前のことかもしれませんが、幼稚園、小学校、中学校のあたりでインフルエンザの伝播は起こっていて、大人同士の間での伝播はそこまでの頻度ではないですね。高齢者で重症化し病院に行く方も目立ちますが、それでも、老人ホームの中でインフルエンザの伝染が起こるとニュースになるくらい、高齢者間の伝播は珍しい現象なのです。
他方、子供達が集まった時に(1シーズンの間に)「インフルエンザに感染したことがあるか」と尋ねると、当たり前のように半分以上の子供たちが手を挙げます。これが何を意味するかというと、インフルエンザのワクチン接種を考える時は、まず子供達から定期的にワクチン接種すると人口全体でも伝播に寄与する中核人物がいなくなり、それはインフルエンザ伝播を集団レベルで抑制することに最も効果的だということです。これを「集団免疫」と言います。
インフルエンザワクチンの集団免疫の有効性は1970年代後半から数理モデルで実証されており、イギリスでは数年前から数理モデルに基づいてユニバーサルワクチネーションと呼ばれる、毎年子供たち全員を対象にワクチン接種する政策を始めました。アメリカでも同じ取り組みが広がっています。どういうわけか日本は真逆の方向にいっていて、どうしようかと考えているところです。
日本でも1990年代くらいまで集団接種を行なっていたのですが、群馬の一部の地域の研究から広がった社会的運動をきっかけにやめてしまいました。盛んに接種をした市とそこまで接種をしなかった市、両市は近い距離で発生頻度はあまり変わらなかったという研究結果で、少し研究デザインにも問題があったことから今でも研究に関する議論が尽きません。しかし、このことをきっかけに、予防接種法という法律において、日本ではインフルエンザのワクチン集団接種は集団免疫のために行わないということが明記されてしまいました。
ただし、65歳以上の高齢者であれば個人的重症化を予防するために、国の補助で接種してもよいことが定められています。海外では高齢者におけるインフルエンザワクチンの予防効果のエビデンスが未だ議論の最中にあるにも関わらず、です。日本で聞くことと海外で聞くことがここまで違うことを知って私は唖然としたことがあります。向かっているベクトルの方向が真逆と言っても過言ではないくらい、疫学的に観察された知見に反した考え方になっています。
しかし、過去の集団接種に失敗したというトラウマがあるうえ、過去の自分たちの過ちを否定できないのが日本の官僚制度でもあります。いくらこちらから単なる論文数編を出したとしても現行の方策を覆すことはできません。
現在は、それをどうやって社会で変えていこうかを考えています。厚労省の医系技官の方々からの意見聴取はありますが、関連する政策判断者を説得し、サイエンスからの意見を政策に反映させることは未だ困難です。まずは、地道に良いエビデンスを創出する努力を続けることが必要だと考えています。
数理モデルをもとに、各学問のプロフェッショナルが集結
Q:現在、感染症研究の施策や対策を研究されていますが、そこに至るまでの経緯を教えてください。
宮崎医科大学の医学部を卒業しました。出身は神戸で、もともと神戸高専で電気工学を勉強していました。1995年の阪神淡路大震災をきっかけに進路を変更し、宮崎で医者を志しました。ただし災害時に役立つ臨床医を目指したわけではなく、医学部生の頃に出会った感染症・ポリオの話に魅せられてしまい、研修医もほどほどにこの領域に飛び込みました。
具体的にいうと、大学生の時に自分で機会を求めて、ポリオ根絶プログラムが中国やアフガニスタン、パキスタンなどで実施されているものにインターンとして参加しました。子供達のワクチン接種が行なわれているのですが、その現場で勉強させていただいたのですね。
それぞれの地域でワクチン接種率をモニターしている用紙の横に数式がいくつか書かれており、この地域で流行が起こる確率やそれに基づいたプログラムの効率がどれほどよかったかを評価していました。あとで調べてわかったのですが、天然痘の根絶プログラムあるいは麻疹(はしか)の排除といった取り組みがありましたが、それらが流行する確率とワクチン接種率が、数式的に見てもほぼ現実の流行の有無をうまく捉えているのですね。四則演算でできるような単純な数式一つをもってして、集団内で病気が流行する確率を理路整然とモデル化できる。ここに魅せられました。
ただ、日本では同じような研究をしている人たちがおらず、海外に師匠を求め、2013年頃まで海外をさすらってきました。最初は本分野の研究の本場・ロンドンに研究指導を求め、その後はドイツとオランダに移りました。
その後も良い研究機会を求めて、オランダの後は香港大学に勤めました。香港大学からファカルティといって、いわゆる教員の立場で勤めはじめました。一身上の都合で2013年に東京大に就職。2016年からは現在の北海道大学におります。
北海道では衛生学、感染症の予防医学に関わる教室を運営しています。ある程度海外でさすらいながら研究をしてきましたが、その間も一部では日本からの奨学金で支えてきてもらいましたので、日本から次世代の人たちを輩出しなければならないという一定の責任を感じています。いつまで続けるかは決めていませんが、教えられる機会に新しい研究分野さえ切り開ける若手の研究者を輩出する研究室にできればと思っています。
現在はワクチンで予防可能な感染症の疫学に加えて、ジカ熱・エボラ出血熱といった新興感染症のそれぞれが広がるリスクや今後の感染者数などを分析しています。また、「ナウキャスティング」と呼ばれる、いままさにピークにある状態を実証したり、より緊急性を要する喫緊の課題にも役立てたりという方向にも興味を変遷させつつ、従来の研究課題を拡大して研究チームを作り上げているところです。
私のバックグラウンドは医学ですので、医師として疫学、感染症の流行状況を集団レベルで分析するところからこのフィールドに入っています。数理モデルを使うことで、目の前の観察現象の大体を掴めてしまうということに非常に驚かされたことがきっかけといえますね。
Q:実際の研究体制はどのような手法を用いているのでしょうか?
実験は、接触者追跡をしたり遺伝子配列を検討したりするような一部の研究を除いて、ほぼ自分たちが手を動かして1次データを取ることはありません。我々はあくまでも分析の専門家で、データの収集方法には相当介入するものの、それ以外は分析に徹しています。ただし、データ収集のための観察研究デザインについても介入が必要で、いつもパブリックヘルス、つまり保健所の人たちから何らかのデータをもらえるのを受動的に待つのではなく、自分たちで足を伸ばして特定の人から採取した血液から取ることがあります。
チームはバックグラウンドがバラバラな人で構成されているのがとても面白いところですね。私自身は医師ですが、助教のうち一人は統計学者、もう一人は人口学に取り組んでいた医師です。ポスドクでも、獣医師や数学者、情報科学の専門家などもいますし、文系の大学院生もいます。
最近はより大規模なデータを使うようになったことから、統計とコンピューターサイエンスの専門家がより重要性を増しています。私たちの理論疫学領域は数理生物学の一部でもあるのですが、その分野では生物学の中でも生物現象を、数理モデルを使って理解するサイエンスです。そこでも、生物または数学のどちらかが好きな人たちがバラバラな環境から集まってチームが構成されています。
それぞれが今まで使ってきた専門用語の言語も全く違うもので話し合うので、皆慣れるまでにすこし時間がかかりますが、全く異なる視点を持ちながら目的意義を共有して同じ研究課題に取り組むので、とてもエキサイティングな研究分野ですよ。
Q:今まで交わらなかった人たちが、同じ目的に向かって結合していくのは研究の面白さが詰まっているところがありますね。従来の感染症研究とはだいぶ異なっているようですね。
私の教室の名前にある衛生学というのは、もともと感染症予防のための研究分野で、ドイツ・ベルリン大学の衛生学の最初の教授であり、結核菌を発見したロバート・コッホが始まりでした。それ以降衛生学は、試験官をふったりシャーレの中で細菌を培養したりする細菌学(実験医学)の研究が主流でしたが、次第に状況は変わってきています。
海外ではもう自分たちで実験したり、感染を診断したりすることはマイナーになってきており、より専門性の高いデータ分析の専門家が感染症を取り扱うことを専門の中心に据えたような疫学研究グループが増えてきています。
数理モデルのすぐれたところというのは、メカニズムそのもの、感染して病原体がどれくらいの速度で分裂していき、最終的に症状の発現や死亡が目に見える、観察現象が起こるまでの一つひとつのプロセスが、必要ない部分も含めてそれぞれの数式になっていることです。それぞれのプロセスが数式として理路整然と論理的に説明可能であるのに加え、観察データにそれが適合するため、どれだけ妥当なものか知ることができる、さらにはそれがないと有効かどうかわからないような感染流行対策に役立てられることまで達成できるのが従来の感染症研究とは全く違う点です。
従来のプロセスで皆興味があったものを抽象化し、観察データを元に妥当性を確認しながら正しいモデルを実装していきます。ミクロを見ないとわからないこともたくさんありますが、反対にこの数理モデルがないとわからないことも相当多く、そこに魅せられています。
Q:新しい分野で研究を進めてらっしゃいますが、次のステージに進む上で何か課題はありますか。
先ほどもお話しましたが、数理モデルを利用して感染のメカニズムがわかると、ミクロな現象を明らかにし、それがどのように流行に影響を与えているのかまで繋ぎたくなるものです。現在も企業と共同研究したりしているのですが、今まで感染リスクを予防できているものは結構少ないのです。ワクチン接種や抗ウイルス薬、抗菌薬などで治療・予防的投与したりもしますが、それらは本当に使用範囲も限られていて値段も高い。一方で、普段からの予防はマスクや手洗い、単純な換気などが一般的ですが、そのことがどこまで感染症が予防しているかについて実証されているのはほんの少ししかありません。
我々が産業や技術革新をしながら挑戦したいと考えているのは、よりミクロな部分の現象に関して数理的に定式化することです。きちんと定量化をすれば、いままで見えなかったことがわかります。
例えば、感染者から病気が空気を介して伝播する距離は具体的にどれくらいなのかを「見える化」できないかと考えています。以前、ある政治家が感染を予防する消毒のカードを首から下げていたら、後で消費者庁から「そんなのは効かない」と指摘されたことがありましたが、それくらいこれまでの市販製品の感染予防の評価はいい加減なものが多かったのです。
現在進行中の企業との共同研究では、病気の伝播が起こる空気そのものやリスクを定量化することを目指しています。いままでは不可能だった、くしゃみをした人の飛沫の水滴に含まれたウイルスが空気を介して相手の人に飛んでいくというプロセスに介入することが部分的に可能になると考えています。
Q:病院の待合室に予防装置を置けば、感染が減るということですか。
「科学的に裏打ちされたエビデンスのもとで」減ると期待しています。それはミクロな範囲のリスクが定量化されて初めてどうなっているかがやっと分かるので、そういった感染のリスクを詳細の部分まで明らかにしたいです。 具体的には空気と水と物件についてですね。感染者が触った手すりやドアノブがどれくらい危ないのかというのをつまびらかに明らかにすれば、そこには企業にも私たちの暮らしにも激変をもたらすような新しい感染症予防が潜んでいる気がしています。例えば便器の表面素材を少し変えるだけで劇的に伝播しないとか、下痢をしてしまっても蛍光素材でそこが光りリスクが分かりやすくなるとか、十分に実現可能だと思っています。
Q:最後に学生さんと企業にメッセージをお願いします。
現在、私の研究室は約20人体制。教員は特任の人も含めて5人で、後の15人は学生です。学部生は医学部生を対象にしていて、3年生が年間2、3人きます。あとは大学院生で、修士課程の人たちが6人、その他は博士を目指している人たちで構成されています。全員異なる理由からここに来ていますが、皆感染症の流行を表す数理モデルに魅せられてきているという点で、私と一緒ですね。
医師も含め、数式論が苦手な人から得意な人までバラバラで、みんな同じコモンスレッドだけどもそれぞれ異なったバックグラウンドから来てくれているというのが現状です。
それぞれメンバーは一人一人独立した研究テーマを持っています。各プロジェクトは責任の重いものなので、皆その重圧に耐えきれなさそうな顔をしながら進めるのを、教員サポートするという形で進めています。こういう仕事は責任のある仕事をしないと実感がわかないのですよ。
例えば、何十万人と感染者が出るイエメンのコレラについてリアルタイムで分析してフィードバックしてもらっていますが、責任が自らの双肩にかかっていることを実感しながら分析する、それを一つ一つ乗り越えることで皆さん圧倒的に成長しますね。プレッシャーもありますが、一番最前線で課題に取り組むという点でやりがいは間違いなく非常にあります。
Q:学生さんは将来どういうところに進まれるのですか。
感染症の専門家でこういった領域は、「境界領域」と言われています。私は医学の中で研究をしていますが、数学の中にも応用数理といった専門の研究室を持っているところがある他、応用の情報科学や獣医に至るまでバラバラです。おおよその学生は国や地方公共団体の研究機関で一定の経験を積んだ上でアカデミアの世界に戻るといったパスをたどるのですが、その上でバックグラウンドの研究内容に応じて行き先が決まるといった状況です。日本ではまだこの領域の専門家が少ないのです。一定のトレーニングを受ければ、全員就職には全く困っていないというのが現状です。
元々学部のうちの一つの中心的な研究課題というわけではなく、複数の専門性がないとできないことなので、数学と生物の両方が好きでないとなかなか難しいですね。また、統計ができないとデータにフィットできないといった問題があるので、それができる人材は引く手数多だがなかなか現れにくいというのがひとつの問題ですね。
Q:研究結果がすぐに企業の製品や研究開発にフィードバックされるような分野にいらっしゃいますが、企業とお話することはありますか。
一部上場企業の方と研究開発をしており、先ほどお話したような空気のサンプリングや物件からのウイルスが分離といったことを進めています。数理モデルというサイエンスができてきてとてもいいのは、僕たちが生きているいろんな場面で感染のリスクを具体的な数値として提示できるような仕組みがある程度できあがりつつあるということです。
デング熱は夏期だけが危ないという話もありましたが、蚊の体内でウイルスが増える速度や蚊の死ぬ速度、蚊が噛みつく回数も季節によって変わります。その一つ一つがやっとつまびらかに温度の関数となってきていて、それを元に気温を入力するだけで流行が起こる確率をリアルタイムで出せるようになってきたのですね。これからはそれが予防に直結するようになっていきます。
これまでは医学においても、予防医学で特に特異的でないものは特許がないので無視されがちな傾向が否めませんでした。例えばワクチン開発ではなく単純にマスクを製造するのは、医療用マスクでない限り、そこまで新たなマーケットが見えてこなかったのですね。
しかし空気や水、食べ物やドアノブなどの物体における感染リスクが定量化されると、そこから感染を予防できるということにつながります。そこに新産業が眠っている。しかもこの分野は、薬事法などの制限によって、なかなか医療以外の科学が介入しにくいのが問題で、医療的プロセスを踏める製薬企業以外の参入が難しかったのです。しかし予防というのは治療と一致しないため、どんな企業でも参入することができます。僕たちの生活環境も数値化・見える化できるようになっているので、その点で可能性は無限にあると思います。
まずは感染ハイリスクの場面から段階的に明らかになっていくとは思いますが、環境に貢献している企業、テーブルや壁、あるいは単なる換気、そういった一つ一つにビジネスチャンスが眠っていると思います。 今までのアカデミアの枠を超えた新たな企業価値の産出に貢献できるのではないか。この専門研究をしながら、強く感じています。(了)
西浦 博
にしうら・ひろし
北海道大学 大学院医学研究科 教授。
2002年、宮崎医科大学 医学部 医学科卒業。2004年より広島大学大学院 保健学研究科を経て、 2006年より長崎大学熱帯医学研究所 特任准教授。2007年、ユトレヒト大学理論疫学 博士研究員、その後、さきがけ主任研究者を経て、2011年より香港大学公衆衛生大学院 助理教授。
2013年から3年間、東京大学大学院 医学系研究科 国際社会医学講座 准教授を務めたのち、2016年より現職。