より「小さく」していく従来のものづくりの手法は、年々物理的・経済的な限界を迎えつつある。そこで注目されているのが、有機合成による分子デバイスの作製だ。フラスコで行う合成化学的手法は、従来の高価な微細加工装置やレアメタルを用いることなく、安価な反応装置と有機分子により電子回路の作製が可能になるため、大きな期待が寄せられている。
こうしたなか、有機化学、高分子化学、応用物理など複数分野を融合し、超微小・超低消費電力の分子エレクトロニクス素子の創成を行う研究に取り組んでいるのが、東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻 相関基礎科学系の寺尾 潤 教授だ。今回は寺尾教授に、産業と社会を大きく変える分子素子作製技術の展望についてお話を伺った。

「ボトムアップ」のものづくり
Q:まずは、研究の社会的ニーズについて教えてください。
ものづくりの基本は「大きなものを小さくしていくこと」です。大きな材料をどんどん削って小さな部品をつくってから組み上げるものづくりの方法、これをトップダウン的な手法と呼んでいます。
現在ある半導体産業も、シリコンのウェハーをどんどん削って、ナノメートルスケールの素子をつくっていく。この「一方向」のトップダウン的な手法によって進化してきました。
これまでのものづくりの進歩は、ものを小さくして集積化することだと言っても過言ではありません。テレビにしても電話にしても車にしても、様々な機能を同じサイズのところに埋め込むことによって、どんどん便利になっていくわけです。
一方、「ムーアの法則」でいわれる通り、1960年代からずっと維持し続けてきたトップダウン的微細化技術によるCPUの性能進化のスピードも、2010年ごろからは頭打ちになっています。
現在、もっとも重要な電子機器のひとつにスマートフォンがありますが、iPhoneも発売してから12年が経ちますが、バッテリーの長寿命化に比べ、パッケージや機能について大きな変化がないのは、皆さんも実感していることだと思います。
従来のトップダウン的なものづくりに起因する頭打ちの状況をどうにかしなくてはいけない。これは様々な産業でいわれています。
ここで注目したいのが、有機化学分野からのアプローチです。
もともと有機化学は、「これ以上小さくできない物質の最小単位」である分子や原子を使って、自在に組み立てる学問「分子建築学」です。
感覚的には、分子で例えばデバイス、素子、回路をつくるようなことです。
現在、半導体の加工限界が14ナノメートルと言われるなかで、例えばベンゼンという分子(約0.7ナノメートル)を10個つなげたとしても約7ナノメートルですから、半分のサイズでものが作れます。
このように、物質の最小単位である分子や原子からものを組み上げることで、新しい電子素子を有機化合物でつくる。これが、トップダウンとは逆のボトムアップ手法と呼び、従来ではできなかった「分子エレクトロニクス」が私たちの研究です。
Q:実際の研究ではどういったことに取り組んでいるのでしょうか。
まずは、有機分子で配線材料、半導体、スイッチなどの様々な分子素子をつくる技術を持っており、それらを合成化学的に繋ぎ合わせ、集積化してデバイスをつくることが主な研究テーマです。
かつては、有機物に電気は流れないと考えられていたのですが、2000年にノーベル化学賞を受賞した、白川英樹先生によって電気が流れるプラスチックが開発されました。現在では有機物でも、共役構造を有する化合物には電気が流れることがわかっています。
一般的なものづくりは、目に見える部品をつなぎ合わせてつくっていくものです。一方、分子は目に見えるものではありませんので、意図した様に手を使って組み上げることはできません。しかし、それができるような技術(分子建築学)を、有機合成化学者は持っています。目に見えない部品を使って手を使わずものづくりをする。もっというなら一度にできる数にも大きな違いがあります。
例えば、従来の精密機器づくりならロボットでひとつひとつ決まった位置にネジをつけてベルトコンベアーで次のロボットに運び、どんどんパーツを組み上げていきます。
一方、分子建築学(有機合成化学)の場合、一回反応すると「モル」という桁数のものを一度につくることができます。6×10の23乗という膨大な数の分子を、1日もあればつくってしまうことができる。手を使わずに、一気に、思った位置でたくさんのものをつくれます。
私の夢は、例えば一年かけてでもいいのですが、分子回路を合成したとします。一旦、合成すると、6×10の23乗個の製品ができることになりますので、仮にこの分子回路を1円で売っても、相当大きな利益が得られると期待できます。医薬品も同様の手法で合成しますが、一分子の医薬品では効果は発揮できず、大量の分子を服用する必要がありますが、分子回路は一分子で機能を発現できます。
Q:実際のものづくりの事例としてどんなものがありますか。
アウトプットの例として現在取り組んでいるのが、人間の呼気や臭い成分を瞬時に計測する超小型センサーです。
人間の呼気には、様々な分子が約50種類ほど含まれています。その呼気の成分をスマートフォンに搭載した超小型センサーでリアルタイムに測定し、それをビッグデータとして貯め、呼気のパターンから、その人の体調や将来の病気予測などとリンクさせるセンサーデバイスを作りたいと考えています。
呼気のパターンがちゃんとデータ化されて、答えが出てくるようなシステムを開発したいと考えています。
何気なく電話で喋る時に出る呼気を計測することで、画面に「あなたはこういった病気の可能性があるので、早く病院に行って検査を受けてください」というようなアラートが出るわけです。
このシステムの実現には、とにかく超小型のセンサーが必要になってきます。センサーで呼気中に含まれる様々な分子を認識するためには、無機物ではなく有機物で認識する「有機センサー素子」を開発することが必須です。
Q:研究アプローチにはどんな独自性がありますか。
分子建築学は安価な材料と、安価な製造プロセスで可能だということです。
まずは安価な材料でできるという点です。微小精密機器の重要な部分にはレアメタルが多く使われています。一方、身の回りの有機化学製品は石油を原料としているのですが、従来から近い将来枯渇するのではないかとよくいわれていました。しかし、今ではなくなることよりも、見つける技術のほうが高くなってきています。そのため、今回のような石油を原料とする分子素子の創成は非常に安価な材料でできるといえます。
もうひとつは、製造プロセスも安価にできるということです。従来のトップダウン的な方法ですと、高額な微細加工装置の性能に依存するため、莫大な設備投資が必要です。
一方、我々が行なっている分子建築学は有機合成化学ですので、一言でいうならビーカーとフラスコがあればできます。その意味では、初期設備もさほど高くかかるものではなく、安価な製造プロセスが可能といえます。
Q:現在の研究に行き着くまでにはどんな経緯があったのですか。
自分が今までやってきた知見と経験を組み合わせて、分子建築学の研究を基軸に行っています。
有機化学には大きく分けて二つのテーマがあります。
ひとつは建築学でいうところのものとものとを強く「繋ぎ合わせる」技術。そしてもうひとつは、どういった材料からどういうふうに建物をつくるか「設計する」技術です。
私はこのふたつの技術に対応する分子建築学の技術として、反応開発と合成化学を助教・准教授時代にそれぞれ経験し、現在に至っています。
センサーの多チャンネル化を追求
Q:今後の課題としてどんなものがありますか。
現在、センサーの多チャンネル化に取り組んでおり、今後の課題としては、その根拠を見出すことです。
技術的なことでいうと、現在の課題は多チャンネル化です。従来は少ないセンサーの素子での認識でしたが、それをより多くの素子を使って見分けられるようにしていきたいです。課題としては、そのセンサー素子の多チャンネル化が必要である「根拠」をデータとして出したいと考えています。
センサー素子を多チャンネルにすることで、その優位性が出てくるのか。その根拠を示さなければ、その技術を追求する必要があるのかということになってしまいます。
例えばテレビやカメラも、今以上に画質が上がっていっても、人間の目ではそこまで認識することはできません。数値的に高い製品を作ることは技術者の自己満足で、本当に消費者にその必要性があるかは疑問です。
同じようにセンサーについても、多チャンネル化して従来性能との違いと、何を検出したいのかそのターゲットを明確にしなければいけません。その具体的な根拠をこの2~3年で出していかなければなりません。まずは、ここを取り組んでいきたいです。
Q:研究室にはどんな学生がいますか。
研究室の人数は、私も含めて18人ですね。まだ立ち上がって3年の新しい研究室ですので、これから少しずつ増えていくと思っています。
今の時代、昔ほど遅い時間まで研究を強制することはできません。その意味では学生さん自身が夢を持って貴重な時間を費やしてでもやりたい研究ができる研究室を作っていきたいと考えています。
即ち,個々の学生が自らの原動力をもって自走し研究できる自由闊達な環境を提供し,研究室全体が一丸となって成果に到達できる研究・教育の場を提供しています。
Q:企業との関わりはどういった状況でしょうか。
現在は数社の企業とアドバイザー契約をしているところです。また、共同で特許を出したりしています。
分野的には、有機化学全般で、例えば総合化学メーカーのアドバイザーを行っています。
Q:最後に、今後の目標について教えてください。
例えば先ほどお話ししたように、呼気データからどういったアウトプットがあるのかを考えた時、一番の理想は、先ほど述べた病理診断システムをつくることです。
しかし、それは非常にハードルが高いことでもあります。病理診断となると従来の血液や尿などでから得られたデータによる診断法が確立しているので、なかなか呼気の必要性を理解して頂くのは困難です。
しかし、これらの検査ではわざわざサンプルを採取する必要がありますが、呼気は非侵襲で容易にデータが採れることがとても魅力的です。即ち、自分は病気だと思い病院に行って検査する方を対象としていません。普段の生活の中で自分は病気かもしれないと考えている人は、高い確率で助かるはずだからです。
むしろ仕事が忙しくてなかなか病院に行けない人の呼気をたまたまスマホから採取し、リアルタイムに病理診断を行いたいと考えています。呼気は直前に食べたものなどで成分が変化する点が問題として挙げられますが、普通にスマホで話しているような状態から、必要なデータだけを抽出したいと考えています。
現段階では、まずは匂いや味などの検出器として実績を上げ、最終的には呼気による病理診断システムの創製を目指していきたいと考えています。(了)

寺尾 潤
てらお・じゅん
東京大学大学院 総合文化研究科 広域科学専攻 相関基礎科学系 教授。
1999年、大阪大学大学院 工学研究科 分子化学専攻 博士後期課程 修了。
北海道大学触媒科学研究センター高橋保研究室 日本学術振興会特別研究員(PD)を経たのち、大阪大学大学院 工学研究科 分子化学専攻 神戸宣明研究室 助手(助教)を務める。
2002年よりオックスフォード大学化学科 文部科学省在外研究員(Prof. Harry L. Anderson)として1年間渡英。
帰国後、2007年より大阪大学大学院 工学研究科 原子分子イオン制御理工学センター 講師を務めたのち、2008年に京都大学大学院 工学研究科物質 エネルギー化学専攻 辻康之研究室 准教授に着任。
2016年9月より現職。
また、2008年から2012年までJST・戦略的創造研究さきがけ研究(ナノ製造技術の探索と展開) 研究者を兼任。