地球温暖化やエネルギー危機、国際情勢の不安定化。複雑化する課題に対し、既存技術だけでは立ち行かない時代に入っている。だからこそ、物質そのものの性質を変える“材料化学”が重要性を増している。東京大学大学院 理学系研究科の大越慎一教授は、光や電磁波に応答する新物質や、環境・エネルギー問題の解決につながる次世代材料の研究をリードしてきた。これまで扱ってきた材料は、金属錯体から鉄・チタンの酸化物、合金まで幅広く、相転移という“性質が一変する瞬間”を巧みに利用して常識を超える特性を実現している。代表例が、巨大保磁力を持つイプシロン型酸化鉄(ε-Fe₂O₃)や、光照射で金属と半導体の性質が切り替わるラムダ型酸化チタン(λ-Ti₃O₅)だ。近年は、先端技術共創機構と共同創業したスタートアップ「グリーンマテリアルラボ」を通じ、これらの世界初の材料を社会へ届ける取り組みも本格化している。本記事では、相転移を活かした新物質創出のプロセスと代表的材料の可能性、そして“産業横断で使える材料”として社会実装を進めるための戦略を伺った。

ありふれた元素から新物質を創製する
Q:研究概要を教えてください。
私たちの研究は、一言でいえば「世界にまだ存在しない“機能性を備えた物質”を生み出す」ことを目的としています。金属イオンと有機分子を組み合わせた金属錯体や、鉄を含む酸化物(いわゆるフェライト)など、扱う材料は多岐にわたります。これらの物質を対象に、原子配列や構造単位を自在にデザインしながら、新しい性質をもつ物質を設計・合成しています。これまでにおよそ500種類に及ぶ新物質を創製してきました。
研究成果としては、材料の観点から大きく3つのテーマに整理できます。金属錯体、酸化鉄、酸化チタンです。金属錯体とは、金属イオンのまわりを「配位子」と呼ばれる分子が取り囲んだ複合体、いわゆる「スピン金属錯体」です。原子の並び方や電子状態を細かくデザインできるため、外部刺激に対してどう振る舞うかを化学的に制御しやすいという利点があります。
金属錯体に関する初期の代表的な成果は、温度変化により磁極(N極・S極)が反転する新しい磁石の創製です。通常、磁石の極性は外部環境に依存せず一定ですが、私たちは、物質内部の結晶構造と磁気特性の関係を精密に設計することで、温度という身近な外部刺激によって磁極が反転するという現象を世界で初めて実証しました。これは原子のスピン配列(向き)の秩序が再編される相転移を誘起することで実現したものであり、磁石が“環境の変化を感じ取って、応答する”という新しい概念を示した点に大きな意義があります。これによって、環境応答型デバイスなど、これまで想像されてこなかった応用の可能性も見えてきました。例えば、外部の電源を使わなくても、温度や湿度といった“環境そのもの”がスイッチとなり、磁極が反転したり特定の機能が作動したりする仕組みが考えられます。
この温度応答型の振る舞いを実現するためには、磁性がどのような仕組みで生まれ、どんな条件で変化するのかを正確に理解する必要があります。そこで手がかりとなったのが「強磁性相転移」と呼ばれる磁気相転移の理論です。どのような条件でスピンが整列し、どのような仕組みで磁極が生じるのか――まずは理論的シミュレーションによって、その理由と発現条件を明らかにしました。その上で、金属イオンや配位子の組み合わせを丁寧に検討し、化学合成によって狙った通りの応答を示す結晶を得ることに成功したのです。これが私にとって最初の主要な研究成果になりました。この知見を起点に、私たちは光によって磁極(N極・S極)が入れ替わる新たな磁石や、湿度に応答して磁気特性が変わる金属錯体、光でON-OFFする磁石など、多様な磁石を見出しました。
当初は応用ありきではなく、“外部刺激で相転移が起こるとはどういうことか”を純粋に探る基礎研究として出発しました。しかし成果を発表するうちに、多くの研究者や企業が関心を寄せ、情報や知見が集まりました。理論と合成を往復しながら、誰も見たことがない現象を材料の側から生み出す。その積み重ねが、現在の光・電磁波応答材料という研究領域へと発展しています。
2つ目の成果は、まったく新しい酸化鉄の結晶相を生み出したことです。酸化鉄の研究では、温度や粒子サイズの変化によって、結晶構造が別の形へ移り変わる「相変態」がよく知られています。たとえば粒子が小さいうちはγ–Fe2O3(マグヘマイト、γ型)になり、成長して大きくなるとα–Fe2O3(ヘマタイト、α型)へと変わっていきます。α型は赤さびの主成分、γ型は磁気テープ材料などとして利用されてきた、非常にありふれた酸化鉄です。こうした“決まった相”に落ち着く傾向があるので、「酸化鉄はもう出尽くした材料だ」と考えられがちでした。
しかし私は、従来の相図が示す“安定相だけを基準に材料を理解する”という視点にとどまらず、酸化鉄にはまだ他の可能性が眠っているのではないかと考えていました。相図は、大きな結晶を加熱したり冷ましたりしたときに、どの構造が安定するかを示した基本データにすぎません。結晶が大きく育つ前の、ごく初期の段階──ナノスケールで結晶の芽ができつつある状態──に着目すれば、通常の条件では現れない構造が安定化する余地があると考えたのです。
そこで視点を変え、粒子が成長してα型やγ型へ移ってしまう前の段階を意図的に止め、ナノサイズのまま結晶化を進めるアプローチに踏み出しました。材料科学では、合成の手順や環境を変えるだけで、同じ成分でもまったく違う性質が現れることがよく知られています。酸化鉄でも合成経路を変えれば別の結晶相が現れうる──そう考えたことが、新たな相を探る研究の出発点でした。この発想のもと、鉄イオンを数ナノメートルの水滴に閉じ込める「逆ミセル法」を用い、均一な水酸化鉄 Fe(OH)3 の種を作製しました。さらにTEOS(テトラエトキシシラン)を反応させ、各粒子をシリカ(ガラス)でコーティングすることで、一粒一粒が“ガラスの小部屋”に入った状態で焼成できるようにしました。
粒子同士が互いに接触して成長する経路を閉ざした状態で熱処理を行うと、本来ならα型やγ型へと結晶成長が進むはずの経路が遮断され、ナノスケールに限定されたまま結晶化が進行します。900℃、1000℃、1100℃と焼成条件を変えながら磁化の変化を調べていくと、温度によって性質が大きく異なることが分かりました。とくに1000℃付近では、外部磁場をかけても磁化が簡単には反転しない性質を表す指標である“保磁力”が急激に大きくなり、従来の酸化鉄とは明確に異なる磁気応答が現れました。
X線回折では、α型やγ型とはまったく異なるピーク列が得られ、構造解析の結果、鉄原子が四種類の結晶位置を占める結晶構造のε–Fe2O3が単相で生成していることを確認できました(2004年)。粒子サイズは概ね20ナノメートルサイズで、ガラス中に棒状結晶として形成されている様子も電子顕微鏡で観察されています。この ε–Fe2O3は、機能面でもきわめて特異です。バリウムフェライトやコバルトフェライトと比較して3倍もの高い保磁力を室温で示すことが分かりました。ありふれた元素からなるため、資源性・コスト・環境負荷の観点で大きな利点があります。また、高い保磁力と微粒子性を活かした磁気テープなどの高密度記録媒体においても、長期アーカイブ用途の次世代材料として期待されています。
この材料でもう一つ着目したのが高い周波数の電磁波を吸収する可能性です。まず、酸化物は電気を通しにくい絶縁体であるため、電磁波を反射するのではなく、電磁波を吸収できる可能性があります。さらに、前述の保磁力が大きいという特性から、高い周波数の電磁波を吸収することが期待されました。研究に着手した当時(2000年前半)は、100 GHzを超える周波数帯で明瞭な吸収ピークを示す磁性材料は世界的に見ても存在しておらず、こういった高周波の用途もありませんでした。企業も研究者も、「そんな高い帯域で吸収体が必要になる」という発想すらほとんど持っていなかった時代です。
測定装置も 30〜110 GHz 程度までしか対応しておらず、最初の実験では ε–Fe2O3の吸収ピークは直接捉えられませんでした。しかし、スペクトルが周波数とともにわずかに右肩上がりになる挙動から、「もっと高い領域に強い共鳴が潜んでいるはずだ」と推測できました。2007年には、ε–Fe2O3の一部を金属で置換した材料で、30〜150 GHzの領域で吸収ピークが存在することを論文と報道で公表し、世界的にほぼ“材料未踏域”だった帯域に、初めて現実的な候補を提示しました。
その後、テラヘルツ時間領域分光(THz-TDS)といった新しい測定手法の導入によって評価可能な周波数範囲が広がり、ついに2009年には ε–Fe2O3が182 GHz 付近に明瞭な共鳴吸収を示すことを実証したのです。さらに、金属置換に関する研究を進め、220 GHz 帯までシフトさせることにも成功しています。これにより、通信・レーダー分野で重要な「大気の窓」(35/94/140/220 GHz)を広くカバーできる見通しが立ちました。言い換えれば、ε–Fe₂O₃はミリ波帯(30〜300 GHz)の主要な周波数を狙って設計できる吸収体であり、「まだ本格的な需要が顕在化する前の帯域」に対して、先回りして応えうる材料だと言えます。
従来の磁性材料では対応が難しかったミリ波を吸収できる点が、ε–Fe₂O₃の大きな特徴です。車載レーダーや基地局間の大容量無線、次世代WiGigといった高周波通信はもちろん、将来の6G環境で求められるノイズ低減にも寄与できる可能性があります。電磁環境を整えるためのコーティング材・シールド材として有望です。こうした一連の成果から、ε–Fe₂O₃はミリ波吸収材料の分野に本格的な道を開いた素材として評価されています。
3つ目の成果は、「熱をため、必要なときに取り出せる」という全く新しい機能をもつ酸化物の創製です。私たちはこの物質を「λ–Ti₃O₅(ラムダ型五酸化三チタン)」と名づけ、特許を取得しました。世界では膨大な熱エネルギーが捨てられています。日本の発電所や工場では、排熱の約4割がそのまま大気や海に放出されており、その約8割が200℃以下の“低温排熱”です。電気に変換できる高温の排熱は限られ、200℃以下の熱は「質が低く、コストに見合わない」という理由で、ほぼ未利用のまま失われてきました。
その背景には、蓄熱技術の限界があります。既存の蓄熱材料は、コンクリートやレンガ(顕熱蓄熱材料)、氷や相変化材料(潜熱蓄熱材料)などが中心で、温めても時間が経てば自然と冷めてしまい、熱を“長期間保持する”仕組みは存在していませんでした。そのため材料研究者も少なく、いわば“手つかずの領域”のまま残されていたのです。こうした課題に対し、私たちは酸化鉄研究で培ってきた「新たな結晶相を生み出す」というアプローチを応用しました。鉄をチタンに置き換え、同様の条件で探索を進める中で、偶然、未知の結晶相が得られました。それが λ–Ti₃O₅ です。
この物質は、一度加熱して冷ましたあとも、内部に熱エネルギーを閉じ込めたまま保持し、外からごく軽い衝撃を与えるだけで蓄えた熱を放熱し、温度が約80℃まで急上昇するという特異な性質を示します。見た目は黒い粉末ですが、冷めても熱が失われていないという点が決定的に革新的でした。実験では、1年後でも蓄えた熱を放出できることが確認されています。これは、従来の蓄熱材料とは根本的に異なる発想です。λ–Ti₃O₅ は、熱エネルギーを内部で保持し、必要なときにだけ外へ取り出すことができます。そのため、低温排熱の回収、季節間のエネルギー移動、再生可能エネルギーの安定化など、幅広い応用の可能性が広がっています。現在も国プロとして研究が進められ、エネルギー問題の新たな解決策として期待が高まっています。
近年では『Nature』にこの素材を活用した新しいアイデアに関する研究結果が掲載されるなど、海外の研究グループからも新しい活用方法が次々と発表されるようになりました。その一つが、“太陽光吸収”を起点とした研究です。λ–Ti₃O₅ は太陽光の96.4%を吸収できる、現時点で世界最高水準の光吸収率を示します。これほど効率よく光を取り込めるため、太陽のエネルギーをそのまま熱へと変換し、水に一気に伝えられる点が大きな特徴です。こうした性質を活かして、海水を蒸発させて淡水をつくる技術や、建物の外壁に水を流して日射で蒸発させ、周囲の温度を下げる「都市冷房」のアイデアなど、多様な応用が提案されています。私自身、他の研究グループからの提案を見て「こんな使い方があるのか」と驚かされることが多々あります。新しい応用の可能性が次々と生まれ、研究領域が大きく広がりつつある手ごたえを感じています。
Q:これらの研究における独自性はどんなところにありますか?
これらの研究の特徴は、既存材料の“延長線”ではなく、世界に存在しなかった物質そのものを創り出し、その働きを根本から明らかにしてきたことにあります。まず、ε-Fe₂O₃を“単相”として取り出し、その特異な構造と磁性を明確に示したことは、世界的にも前例がありません。鉄と酸素という身近な元素の組み合わせから、希土類磁石をしのぐほどの大きな保磁力が室温で得られるという事実は、磁性材料の常識を大きく覆す成果でした。
さらに、測定装置が対応していなかった100 GHz 以上の帯域にまで電磁波吸収が広がることを、理論推定から始めて実測にまで到達させ、ミリ波・テラヘルツ領域に新しい材料候補を提示しました。また、λ-Ti₃O₅での熱を蓄え、必要なときにだけ放出するという全く新しい機能をもつ結晶相の発見も、独自性を支える重要な成果です。わずかな構造の違いがこうした特異な振る舞いを生むことまで明らかにし、未利用の低温排熱を“資源”として扱う新たな視点を切り拓きました。
これらの成果に一貫しているのは、「まだ世界にない物質をつくり、その性質の起源まで掘り下げ、新たな機能と応用の扉を開く」という研究姿勢です。鉄・酸素・チタンといった身近な元素を出発点にしながら、未知の相を創製し、構造・物性・応答の関係性まで体系的に示したことこそ、本研究群の真価だといえます。
Q:現在、新たに研究されていることはありますか?
医療から工芸・文化財研究そして次世代の磁気記録技術まで、研究の領域を広げています。まず医療分野では、がん治療の一つである「ハイパーサーミア(温熱療法)」への応用を進めています。これは体内に磁性ナノ粒子を送り込み、外部から交流磁場(強さが振動する磁場)をかけて発熱させ、がん細胞を攻撃する方法です。体内に入れる物質は、安全性がとても重要ですが、酸化鉄は体内でもつくられる成分で、生体適合性が高いため、すでに臨床でも使われています。
従来使われてきたγ-Fe₂O₃は粒子内部の磁化が磁場に合わせて回転し、その遅れによって、持っていたエネルギーが熱として外に放出されます。一方、ε-Fe₂O₃は磁化の向きが結晶構造に固定されているため、粒子そのものが物理的に回転し、そこから熱が発生します。この違いが、新しい治療効果につながる可能性を秘めており、今後の展開が期待されています。
また工芸研究では、ε-Fe₂O₃が示す淡い黄色から褐色の独特の色合いに着目され、陶磁器メーカーなどから「新しい顔料として使えないか」という相談が寄せられるようになりました。酸化鉄といえば赤色顔料のベンガラが知られていますが、ε-Fe₂O₃は透明感を帯びた柔らかな発色を示す点が大きな特徴です。磁性材料として研究してきた物質が、色材としても評価され始めたことは、材料科学の横断性を示す象徴的な例と言えます。
さらに、この流れは文化財研究にまでつながっています。中国・宋の時代につくられた名品「天目茶碗(てんもくじゃわん)」の一部には、表面に虹色の模様が現れるものがあり、その理由は長いあいだ謎とされてきました。最近になって、その表面にアルミニウム置換型のε-Fe₂O₃が存在していることが明らかになり、私たちも科学的な分析を進めています。この研究が注目を集めたことから、私は、2025年11月に北京の故宮博物院で開かれた天目茶碗に関する国際カンファレンスに招かれ、研究成果に関して講演を行いました。参加者のほとんどが中国の研究者で、日本からは私だけの登壇ということもあり、反響は非常に大きなものでした。その後、割れて修復が難しい天目茶碗の破片が実際に届けられ、成分の分析を依頼されるなど、具体的な協力も始まっています。古い工芸技術に対し、先端材料科学が新しい光を当てつつある象徴的な事例であり、今後も文化財調査と材料研究の双方を行き来しながら、理解を深めていく方針です。
加えて、富士フイルムと共同で進めている次世代磁気記録技術の開発も重要な取り組みです。磁気記録では、より多くのデータを保存するために粒子の微細化が求められますが、粒子が小さくなるほど熱で磁性が失われやすくなり、記録した情報が消えてしまうリスクがあります。一方、熱安定性を高めるために強い磁石にすると、今度は書き込みに大きな磁場が必要になるという問題が生じます。この「高密度化・熱安定性・書き込みやすさ」の3つを両立させることは難しく、「トリレンマ」として磁気記録分野の大きな課題とされてきました。
そこで私たちは、ナノサイズでも高い保磁力を維持でき、さらにミリ波を吸収すると磁化が傾いてコマのように歳差運動を行う ε-Fe₂O₃ に着目しました。記録の瞬間にミリ波を照射し磁化を一時的に傾けることで、弱い磁場でも磁化を反転させる「集光型ミリ波アシスト磁気記録」というアプローチです。ミリ波は光よりもエネルギーが低く、磁気テープを傷めにくい利点があるため、テープメディアとの相性も良く、この方式はすでに特許化され、実証実験も進んでいます。膨大なデータを扱う現代社会において、この技術が実現すれば、未来のデータ保存のあり方を大きく塗り替える可能性があります。
立ち上げたスタートアップ企業を通じて、次世代材料を社会の共通基盤に育てる
Q:この分野の研究を目指そうとしている学生にアドバイスはありますか?
研究でいちばん大切なのは「気づく力」を育てることです。論文作成とは、気づいたことを言語化し、形に残す作業です。つまり研究の出発点は、知識を覚えるだけではなく、「なぜだろう?」という小さな違和感や面白さに気づけるかどうかにあります。とはいえ気づくためには、土台となる知識や経験が必要です。何も知らない中ではアイデアは生まれません。基礎知識を身につけ、実験し、失敗も含めてデータと向き合うなかで初めて、「自分なりの視点」が育ちます。
そして、受け身でいるだけでも気づきは訪れません。研究の現場は、外の世界とつながった瞬間に大きく視野が開けていきます。海外研究者との議論、企業の技術者との意見交換、異分野のセミナーを聴講することなど——そうした“外部とのつながり”が、新しい発想の源になります。日本の学生は評価制度の影響もあり慎重になりがちですが、自分から動いた分だけ世界は確実に広がります。
気づきを得たら、必ず形にして発信してください。誰かに伝える、文章にまとめる、発表する。そうした行動は、自分の発見を社会につなげる第一歩になります。「いつか書こう」ではなく、気づいたその時に手を動かすこと。その積み重ねが、研究者としての成長につながります。研究は、日々の小さな気づきを積み重ねる営みです。主体的に動き、出会いを大切にし、自分の発見をこまめに形にする。その積み重ねが確かな成果につながり、社会に新しい価値を届けていくはずです。
Q:多くの企業と研究を進める中で、日頃感じていることはありますか?
企業との共同研究は、新しい技術を生み出す可能性を秘めています。しかし、プロジェクトが担当者の異動や方向転換で突然終了してしまう、あるいは引き継ぎがうまくいかず、積み上げた知見が途切れてしまう場面も少なくありません。R&D(研究開発)は本来、時間をかけて新しい知を育てる営みですが、現実には短期的な成果を求める状況に置かれやすく、長期的な視点で技術を育てる文化が弱くなりがちです。かつての日本は、終身雇用のなかで熟練者が育つ時代がありました。しかし現在は、事業として利益を出すことが最優先で、会社が立ち行かなくなれば、場合によっては技術そのものが途絶える可能性があります。つまり「企業が技術を育てる」という前提が、現代では成り立ちにくい状況になっているのです。
その一方で、長い時間軸で腰を据え、共に技術を育ててくださる企業との協業は大きな成果につながります。固体冷媒の研究では、アイシンさまと7年にわたり協働し、世界最高レベルの性能へと発展しました。ε-Fe₂O₃の開発研究に関してはDOWAエレクトロニクスさまが、ミリ波吸収体の研究については例えば東京応化工業さま、そのほか多くの共同研究企業様が長期的に同じテーマを支えてくださっています。継続して力を貸してくださる“人の積み重ね”こそが、成果につながっていると感じています。
材料研究は、成果が形になるまでにどうしても時間がかかります。私たちが金属錯体やε–Fe₂O₃を20年以上研究してきたのも、短期間では本質に到達できないからです。特許を一つ出して終わり、次のテーマへ……という進め方では、技術は十分に育ちません。企業には短期的な成果が求められる現実がありますが、大学は長期的視点で研究を進められる環境を持っています。だからこそ、双方がその違いを理解し、長い時間軸を共有しながら協働することが重要だと感じています。研究は時間をかけて熟していくものです。その過程を信じて取り組むことで、やがて社会を支える技術へと育っていきます。
短い成果にとらわれず、研究が熟していくプロセスを信じ、じっくり育てていく姿勢が大切です。大学はその「長い目」を共有できるパートナーであり、そうした関係が増えていくことを願っています。
Q:今後の展望を教えてください。
今後は、研究室で生まれた成果を“社会で支える技術”へと確実に結びつけていくことが一つの目標です。そのための一歩として、私たちは2025年に先端技術共創機構と共同で「株式会社グリーンマテリアルラボ(Green Material Lab)」を設立しました。私自身が技術アドバイザーとして関わるだけでなく、研究室の准教授や助教も取締役として加わることで、研究と事業を並行して推進できる体制を整えています。
現在同社では、ε-Fe₂O₃のナノ粒子を中心とした先端材料の供給と製品開発などを進めています。幅広い産業や研究分野で自由に扱える“オープンな素材“として展開していくことを目指しています。新素材が多様な領域で利用され、社会全体の技術基盤の進化に寄与していく――その流れを着実につくっていきたいと考えています。(了)

大越 慎一
(おおこし・しんいち)
東京大学大学院理学系研究科化学専攻 教授
1995年東北大学大学院理学研究科博士課程修了。同年財団法人神奈川科学技術アカデミー研究員、1997年東京大学先端科学技術研究センター助手、2000年同講師、2003年同助教授。2004年大学院工学系研究科応用化学専攻助教授を経て、2006年より現職。フランスCNRS国際共同研究所所長、英マンチェスター大学名誉教授などを兼任。
