医薬品合成においては触媒の利用が一般的であるが、従来多く使われてきたのはロジウムやパラジウムなどのレアメタル触媒だ。レアメタル触媒は優れた触媒性能を持つものの、希少で高価な点が課題とされており、豊富で安価な金属触媒の開発が求められている。こうしたなか、汎用金属を用いた触媒の創製を通じて、医薬品の生産に応用可能な有用化合物の効率的合成法の開発に取り組んでいるのが、北海道大学 大学院薬学研究院 薬品製造化学研究室の松永茂樹教授だ。従来の金属触媒のもつ課題を克服すべくチャレンジする松永教授に、汎用金属による触媒の開発の可能性について伺った。

医薬品候補分子を産業ベースに乗せるべく、触媒の可能性を探る
Q:まずは、触媒研究の社会的ニーズについて教えてください。
良い医薬品を世の中に出すというニーズは普遍的なものです。よく効く医薬候補品をデザインする有機化学の力は、昨今めざましく発展してきています。
デザインした医薬候補品を、効率やコストなどを全く気にせずに、ピュアなサイエンスとしてつくってよいのであれば、おそらく何でも合成することができるでしょう。
ただ医薬候補品を産業ベースで生産できるかとなると、話が変わってきます。現実的に購入可能な価格や医療費が上がりすぎないレベルで社会に提供できるのかを考える必要がある、ということです。
医薬品として役立つ可能性があるものがあったとして、それをどうやって現実的に提供可能なレベルのものにするか。この時に役に立つのが、触媒です。
医薬品の中には、分子としてかなり複雑な骨格を持っているものもあります。山登りを例にするなら、日本アルプス級の山々のように、困難な課題だといえます。
山をどうやって登っていくのかという時に、普通は一番安全なルートを取って、時間をかけて登っていくわけです。でもそれでは生産コストがかかりすぎてしまう。そんな時に触媒を使えば、安全な尾根伝いのルートで行くのではなく、極端な話、直線の最短ルートで一気に頂上まで突き進むことができるのです。
つまり、触媒は山登りのルートを劇的に変えてしまうくらいのポテンシャルを秘めているといえます。究極の研究目標をいうと、ヘリコプターやエレベーターなんかで一気に8000m級の高い山の頂上まで行けるくらいの画期的な触媒開発ですかね。もちろんまだそこまでは到達していませんが、なるべく短いルートで無駄なく低コストに合成したいと常に考えています。
一度最短のルートを確立してしまえば、医薬品の候補化合物をすごく安く提供できることになります。画期的な触媒を開発すると化学合成のやり方、山登りの方法が劇的に変わるというわけです。
Q:基本的な触媒の種類としてどんなものがあるのでしょうか。
分子触媒としては、金属を中心に据え、その周りに創意工夫を施した配位子とよばれる分子をおき触媒性能を引き出すものが一つ。あるいは金属を使わずに酵素の真似をして触媒機能を引き出す「有機触媒」というものもあります。どちらもすごく役に立つ触媒です。
研究現場においてのシェア、トップジャーナルに報告されている研究成果という意味では、半々くらいだと思います。
その中で私が取り組んできたのが、金属触媒に関する研究です。金属の中でも高価な「レアメタル」と呼ばれるようなものではなく、地球上に豊富に存在する金属、すなわち汎用金属あるいはベースメタルとよばれる金属を使いながら、レアメタルに勝るとも劣らない優れた触媒性能を生み出したいと考えて研究をしています。
もちろんレアメタル触媒は、現状、問題無く手に入りますし、これまで企業での開発研究も含め広く使われてきたものです。しかし、レアメタル触媒では、将来、資源が枯渇してしまうリスクを考えなければいけません。汎用金属触媒の開発によって、レアメタルがなくても最低限同じ触媒性能、願わくば、レアメタル以上の触媒性能を生み出せるとよいと考えています。
大学の研究では20~30年先に必要になるものをイメージした基礎研究を実施しています。私たちは、目先の利益を追うのではなく、将来、社会で必要となるものをあらかじめ開発しておくという意識で研究に取り組んでいます。汎用金属触媒であれば、将来の資源量を気にすることなく使うことができます。
Q:具体的な研究概要について教えてください。
研究の特色としては、「レアメタルを使わない」という部分がもっとも重要です。レアメタル触媒を使う研究者はたくさんいますが、私の場合はなるべくレアメタル以外で触媒を設計することを心がけています。
もう一つ研究のアプローチの特徴としては、有機化学者の視点を大事にするアプローチでしょうか。
触媒に使用する金属分子そのものは、実はかなり前から知られているものが多いのですが、我々のような有機化学の分野ではなく、隣の無機化学や錯体化学と言われる分野で知られていたものが多いです。隣の分野では当たり前のものであっても、有機化学の分野に持ち込まれることがなかったため、誰もその触媒性能に気づいていなかったということがよくあります。
そのため、隣の分野を覗きながら、何か有機化学の研究に使えるヒントはないだろうかと探していき、役に立ちそうなものを自分の研究に取り込んでいくというアプローチをとります。とはいっても、隣の分野から借りてくるだけで上手くいくのであればなんの苦労もいらないわけで、やはり物足りない部分が生じてしまいます。
そこで、隣の分野で知られていたものをベースにしつつ、私たちが目的としている有機化学の変換反応に使えるようにするにはどうすればいいかを考えて、有機化学者の視点で不足部分を補っていくという作業を行います。異分野では既に知られていたものに対して、自分たちなりの創意工夫を加えてうまく融合させることで、新しい触媒機能を引き出していきます。
Q:現在の研究体制はどうなっていますか?
現在では30人程度のチームになっています。講師、助教と博士研究員がそれぞれ一人ずついて、大学院生が博士課程7名、修士課程9名、他に学部生がいます。大所帯で研究をしているのですが、テーマは皆バラバラで、7割ぐらいのメンバーは、何か新しい種はないかと常に探している状態です。
残りの3割ぐらいのメンバーが種を大きく育てていく仕上げの実験を行なって、論文成果を出しています。つまり、研究成果として表に出ないところで常に新しい種を探している方が多いという研究体制ですね。
研究では、仮説を立てて実際に実験をやってみるわけですが、大体1000回やって1回程度の成功確率です。たくさん失敗を繰り返しながら、メンバーの誰かがうまくいく新しい方法を見つけたらそこを最初の種火にして、どんどん大きくしていくわけです。
仮説を立てる際は、どちらかというと理論よりもひらめきから導くことが多い気がします。もちろん、既存の知識から合理的に考えることも多くありますが、既存の知識では説明できない画期的な成果は、瞬時のひらめきから生まれてくることの方が多いです。
一つ言えるのは、経験を積んだ人間が考えることと、経験は浅いものの実際に実験を行っている学生がひらめいたことに、優劣がないということです。
もちろん、成功率だけでいえば経験を積んでいる研究者のほうが上手くいきやすいのが当然です。しかし、それが必ずしも大ヒットに繋がるかというと、そういうことでもないのです。若い学生のひらめきが大化けすることもあります。どんな些細なひらめきであっても、面白そうだと思ったことは必ずトライすることを奨励しています。
そのため「頭だけで考えて仮説の検証をやらない」ということはまずないですね。この研究スタイルは私が学生の時から続いているもので、とても大切なことだと考えています。
Q:こうした研究は世界中で盛んなのでしょうか。
私がやっている研究の分野は、かなりホットなところです。日本だけではなくアメリカやドイツ、中国、韓国、インドなど世界各国で盛んに研究が行なわれています。競争もかなり激しく、日々最新の成果が出ているような状態です。
我々が医薬分子の狙った位置の炭素−水素結合を活性化する「コバルト触媒」というものを2013年に論文で報告しましたが、その1年後にはそれを追随するような研究をドイツとアメリカの複数の研究グループが次々と出してきて、過去5年間であっという間に分野が広がっていきました。
最初の論文を出す時に触媒のレシピのようなものを公開するので、誰でも簡単に真似をすることができます。そのため、「このアイデアいいね」、というものがあれば世界中の研究者が同じアイデアを使ってどんどん研究の幅を広げていくわけです。
もちろん、最初の発見は敬意を払ってもらえるのですが、共同研究をして一緒に成果を出しましょうっていうよりは、競争しながら切磋琢磨して一緒に分野を育てていきましょうという感じですね。
「失敗」したデータを有効活用する
Q:課題として感じている部分はどんなところでしょうか。
研究上の課題としていま求めているものが「インフォマティックス」です。インフォマティックスは、AIやディープラーニングの分野ではよく耳にする言葉だと思います。
触媒の分野では上手くいった研究成果は公開されていますが、ネガティブなデータについては実は一切公開されていません。「こうすると失敗する」という情報が共有されていないため、みんなが同じような失敗を繰り返してしまい、非常に研究開発の効率が悪くなっているのです。
そのため、「上手くいかなかった時のデータのほうが、じつは大事なのではないか」と考えられるようになってきました。ネガティブなデータをどんどん蓄積して、それを参考にしていくわけです。
ネガティブなデータは研究者にとって非常に貴重なものですので、日本国内であっても基本的には共有していない情報です。これがもし何らかの方法で共有できるようになれば、研究が一気に進むのではないかと考えています。
また、産業応用に向けた課題としては、触媒の効率改善が挙げられます。私たちが大学で研究しているものを実用化するためには、回転数を100倍は上げなさいといつも言われています。現段階では20~100回転くらいですが、それを1万回転くらいにしなければなりません。産業化するには、今よりももっと効率化しなければならないわけです。
ただ、我々が産業応用に向けた改善を頑張っても学術的には高い評価をしてもらえないので、大学で改善研究をやるべきかどうかはいつも悩むところですね。やはり、0から1を生み出すといった、最初の種火を見出してくるのが我々の役割だと思っています。
Q:企業との共同研究などの例はありますか?
我々が作った触媒を、産業界も含めた世界中の研究者が広く使えるように市販化するという点で、試薬会社と共同研究をしています。
ただ、自分たちの触媒や合成手法を使って医薬候補品をつくるという共同研究には、至っていません。
私から企業サイドへ期待することとしては、企業側から「こんなことが解決できたら嬉しい」という課題を提示してほしいということです。こんなことができないか、という相談をいただければ、「この研究成果が使えるんじゃないですか」などと提案することができると思います。
オープンイノベーション等の形で課題を示している企業が最近はかなり出てきているとは思うので、この流れをさらに加速してもらえればいいですね。
我々のような大学の研究では、将来どんな課題が出てきたとしても科学の力で柔軟に対応できるような、基礎的で汎用性のある基盤技術を磨いています。ただ、そこから産業応用というか、何らかの製品に特化したものにする時には、やはり壁があるものです。
しかし、企業側の課題がわかっていればそこに向けて全く新しいアプローチで大学ならではの検討ができるはずです。やはり課題がどんなものかを教えてもらえること、これが一番ですね。
こうした理由で今後も、化学会社、製薬会社の研究者と意見を交わしていきたいですね。
私たちは薬学部にいますが、理工系の研究内容と差はありません。そのため、医薬品に限らず、農薬でもファインケミカルでも電子材料でも、分野にとらわれず幅広く貢献できると思います。
Q:この分野を志す学生にはどんな意識が必要でしょうか。
教科書には載っていない、「新しい何か」を見てみたいとか、誰も知らないものを作り上げたい、といった好奇心や興味を持って研究に取り組むことが一番大事だと思います。
研究は成功率がそれほど高くないですから、失敗にへこたれずに続けられることも大事ですね。失敗ばかりの日々を乗り越える、芯の強さが必要だと思います。日々の実験作業は地道なものになることも多いですから、「将来自分がやりたいことは何か」という大きなビジョンも忘れずに持っていてほしいですね。
この分野に興味を持った学生は、研究を深めるべく博士課程に進むケースが多いです。そして、彼らの多くは博士号取得後に、民間企業の研究部門で活躍しています。大学の基礎研究で学んだスキルを活かしつつ、会社で産業応用のための研究を進めていくことが自然とできていると思います。
Q:最後に、今後の目標について教えてください。
医薬品生産では分子が左手型なのか右手型なのかという、鏡像異性体とよばれる部分をつくりわけないといけません。似たような化学構造をしていても、左手型が医薬品なのに、右手型が毒ということがありますので、有益な方だけを選択的につくらなければいけないわけです。
いま最も力を入れて取り組んでいるのは、コバルト触媒を利用して右手型と左手型の鏡像異性体をつくりわける、「立体制御」についての研究です。金属触媒と有機触媒のいいとこ取りをしてハイブリット化するというアプローチを取ることで、最近、ロジウム触媒では「立体制御」ができるようになりました。でも、レアメタルであるロジウム触媒でできただけでは満足できません。
次は、汎用金属であるコバルト触媒で「立体制御」を実現したいと考えています。ロジウムでできたことを、コバルトに置き換えて実現したいですね。現状はもう一息というところまで来ています。
ロジウム触媒で「立体制御」ができるまでに3年かかりましたが、どうすると失敗するのかというネガティブデータはたくさん集まりました。これを踏まえ、コバルト触媒での開発目標は1年です。必ずコバルトで実現させたいですね。(了)

松永 茂樹
まつなが・しげき
北海道大学 大学院薬学研究院 教授。
1998年に東京大学薬学部薬学科卒業後、2000年に東京大学大学院薬学系研究科 分子薬学専攻 修士課程修了。2001年に同博士後期課程を中途退学。その後、2003年に博士(薬学)取得。
2001年より6年間、東京大学大学院薬学系研究科 助手を経たのち、2007年より東京大学大学院薬学系研究科 助教となる。2008年より東京大学大学院薬学系研究科 講師を務めたのち、2011年より東京大学大学院薬学系研究科 准教授。
2015年より現職。