スピントロニクスは、2000年代中頃くらいから研究が開始された若い分野であるが、日本はこの分野の研究が非常に盛んに進んでいる。このなかで、スピンの基礎物理法則を解明することで、スピントロニクスを応用し拡大した新たな学問体系を作ろうとしているのが、東北大学 材料科学高等研究所の齊藤英治主任研究者だ。今回は、基礎的な物理法則の解明から見えてきた次の可能性について語っていただいた。

スピン世界における基礎物理法則を解明する
Q:スピントロニクスという言葉について、まず概念からご説明をお聞かせください。
スピントロニクスは、2000年代中頃くらいからスタートした若い分野です。日本はこの分野の研究が非常に盛んで、おそらく世界のシェアの半分くらいを持っています。基礎研究から国際集積回路センターでの研究のような「産業に近い応用研究」まであるという世界的にも珍しい状況ですね。また、東北大学は世界でも先端を走っており、日本のスピントロニクス研究者の多くが東北大学に在籍しています。
そんな東北大において、私がやっているのは、スピントロニクスの基礎物理です。スピントロニクスというのは、エレクトロンが持っているスピンを積極的に使おうという学問です。この分野はナノテクノロジーの進展によってやっと可能になったものです。
なぜこのような学問分野が隆盛して来たのか、その理由を説明しましょう。素粒子はみな、自転の性質を持っています。その性質というのは通常なかなか見えません。物質中でそれが唯一見られるのがマグネット、磁石ですね。磁石というものは素粒子の自転の方向がちゃんとそろった状態になっています。
しかし、磁石以外の普通の物質は素粒子の自転の方向が揃っておらずバラバラです。自転の方向が揃っていない場合、物質中だと1マイクロメートル(1000分の1ミリ)くらい進むと自転の情報はなくなり、残るのは電気的な情報だけになります。電気的な情報は、基本的には無限の長さに渡って伝わります。そのため、人間はずっと電気的な情報、マイナス電荷を使おうと考えてきたので、コンピューターなどはその原理で動いているわけです。
最近になってやっと、ナノテクノロジーによって「1000分の1ミリくらいの長さしか伝わらないスピン」を使えるようになってきました。ですから、2000年代になってから「スピンをコンピューターの中にも使っていこう」という流れがでてきたのです。最初に発見されたのがGMR、つまり「巨大磁気抵抗効果」です。この発見には、2007年、ナノテクノロジーの最初の功績としてアルベール・フェールとペーター・グリューンベルクにノーベル賞が贈られています。GMRの発見によって「スピンをナノテクによって操作したり測定したりすることが実際に可能だ」ということが分かり、各研究者がスピントロニクスの分野に進むきっかけになりました。巨大磁気抵抗効果はその後、本当にコンピューターに使われるようになりました。現在、ハードディスクにも必ず使われています。
巨大磁気抵抗効果が発見された当時、スピンの基礎物理法則はほとんどわかっていませんでした。電気における基礎物理法則にあたるもの、例えば「プラスとマイナスが引き合う」、「電流が流れると周りに磁場が作れる」、「電磁誘導磁石を振ると起電力が作れる」といった法則に相当する「スピンの基礎物理法則」は分かっていませんでした。
「スピンの世界では、基礎物理はどうなっているんだろう?」これが僕の研究の動機でした。
まず最初に焦点を定めたのは「スピン流について知る」ということでした。スピン流は電流のスピン版です。マイナス電荷が流れるのではなく、S極とN極のセットであるスピンが流れる時にどういう基礎現象があるかを調べました。ファラデーの電磁誘導に相当するようなものは何かを知るためです。2010年まで研究したことで、基礎構成がどうなっているかがおおよそ分かり、これが僕の出発点となりました。
その後、世界的には「スピンを従来の電子の研究のようにやる」という方向性もありましたが、僕はそうせず、「スピンならではの働き」を考えました。マイナスやプラスの電気ではなく、「右回り左回りの自転という性質しか持ってないスピンとは何なのだろう」ということですね。
もっとも重要なことは「スピンはこの世界で時間をひっくり返せない唯一のものだ」ということでした。量子力学的な現象の中で、時間反転を破るものはスピンしかありません。そのような特異な性質を持つスピンを使うと、従来の電子技術とは違う原理でものが作れるはずだという発想から「スピンを使った熱発電をやってみよう」ということになりました。
その結果見つかったのが、「スピンゼーベック効果」です。これは「磁性体に温度差を与えることによってスピンの流れが生成される」という現象で、スピンは「自然の中にあるランダムなものを整流して使える様にできる」ということが分かってきました。
僕は基礎的なことに興味があったため、このスピンゼーベック効果がわかった時点で満足していました。ところが世の中に発表してみると、それを何かに使えるのではないかという意見も出てきました。そこから発電の手法やセンサーに使えるのではないかという話になり、次第にその研究も始まり現在につながっています。
スピンゼーベック効果がわかってからは、スピンの自転をものの回転に応用できるはずという見立てから、モーターをスピンの自転によって回せないかと考えました。現在使われているモーターは古典的な仕組みで、巻いたワイヤーから作る磁場によって回っています。
スピンの自転はずっと回りっぱなしですから、スピンを使って駆動できたらよいという考えです。ずっと回っているものはやはりスピンしかありません。これは物理的にも非常に不思議で、ずっと回っているものを物理的に記述すること自体が、物理の深遠な部分の原理化であるわけです。これは従来やったことがないことですから、新しい物理領域を作るべく研究をしています。スピントロニクスについても、さらに幅を広げ、物質の内部だけでなく外とどういう作用をするかという観点からとらえています。スピントロニクスをちょっと広げた新しい学問体系を作っていきたいということです。
最近は「回転からスピンを作る」とか、「物体を回転させることによってスピン流を発生させ、そこから電気を作る」といったことを期待しています。液体を管に流すとその中に渦ができるのですが、管の真ん中に行くほど渦が小さくなります。そこにスピンの流れができ、それによって電気ができます。だから液体を流しているだけで電気が出てくるというのがスピンの効果の発見ですね。いわば「スピン流体発電効果」です。
通常の水力発電ではタービンを回すなど、何かをしなければ電気ができません。全ての発電は200年前に見つかった古典的な原理を使っているのですが、それとは異なり流すだけでその流れから電気が出てくるのです。
我々の研究は、前提となる問題、たとえば、社会問題などがあってそれを解決しようというモチベーションでスタートしたわけではありません。「自然がどうなっているのかが知りたい」、それが当初からの目的です。しかしここ東北大学には、基礎から応用までの研究が一通り集積しています。企業との交流もあります。様々な分野のシナジー効果で、新しいものがここから作れます。僕ひとりでは決して考えないような方向に進んでいく。これはやっぱりこの大学というものがあるからですね。
もう一つ、研究について、「従来とは違う視点で分類する」という考え方があります。スピン流というものを考えると、分類は変わってきます。物質は基本的に、半導体や金属など、「電気を通すかどうか」で分類されています。そこで、「スピンが流れるかどうか」という別の分類の仕方で考えるのです。だから、スピンを流す・流さないは何で決まるのかを研究の初期に考えました。
結局、重要な事実として「スピンだけを流す物質がある」ということがわかりました。たとえば、これは一切電気が流れない透き通った物質なのですが、この物質を「もう何にも使えない」と考えるのではなく、「その中のある種のものにスピンが流れる」という点に着目します。この電気が流れずスピンが流れる物質は「イットリウムガーネット」というものなのですが、現在は世界中でほぼ標準的な物質として使われています。
スピンだけが流れる物質には高い需要があります。なぜなら、損失が少ないからです。通常、電気が流れると熱によってエネルギーを放出してしまうのですが、スピンだけが流れる場合はそれがありません。ロスが少ないことを考えると、スピンだけが流れる物質があったほうがいいはずです。スピンゼーベック効果も、イットリウムガーネットを使える条件でやっています。熱を流しにくいけれど、スピンはちゃんと流れてくれる。やはりここではスピンの基礎物理が分かっていることが必要で、それがなければなにもできません。
もちろん、すぐに社会で使えるわけではなく、使うためにはやらなければならないことがたくさんあります。理論的にここまでぐらいの性能があるというものの、まだ、実用性は1%もないと思っています。計算が間違っていなければ、あと1000倍は良くなると見込んでいます。「物質の選択をどうするか」、「複数の物質をくっつけるときの境界面がどうなっているのか」といった基礎研究が重要です。
Q:現在の研究環境はどのようになっていますか?
我々の研究環境には、物理学者だけではなく様々な研究者が参入することが重要です。さきほど、「回転」という話をしましたが、回転というのは機械工学のセンスが必要となるため、精密機械やナノ加工、流体の専門家にも来ていただいています。
回転というのは物理的には「一般相対性理論」です。回っていることを数式で書くには、一般相対性理論しかありません。それをやるために、固体物理のプロパーよりももう少し幅広い方々に来ていただいています。我々はブラックホールの専門家とも一緒にやっていますが、そういう離れた分野の人にもグループメンバーになってもらっている状態です。通常、こうした体制はなかなかできないものですが、東北大学はそれを可能にしてくれています。
先ほど、「量子的な現象の中で、時間をひっくり返せないものはスピンしかない」と言いましたが、実は、もう一つあります。ブラックホールです。スピンとも無関係ではなく、深いところで繋がっています。ブラックホールとの関係を理解することによって、さらにもう一歩新しい世界に行けるだろうと思っています。
ブラックホールは、きれいです。過去の研究も多く、スピンよりもより多くのことが分かっています。ブラックホールで理解されていることは、フレームワークとしてそのままスピンにも応用可能なのです。
たとえば去年の年末にもずいぶん話題になりましたが、量子情報とブラックホールの関係が近いことが近年判明しつつあります。日本にも良い研究者がいっぱいいるのに割と物理全体に広がっていない概念ではないかなと思っています。
分野融合のやり方は間違いやすいものです。分野融合は、やろうといってできるものではないのです。他の分野のことを色々と学べる環境や、半ば強制的に「学ばなければならない環境にしておく」ことが重要です。そこは日本の弱いところかもしれません。あと一歩で世界の第一位になれなかったものが、歴史的にいくつかあります。それは分野融合に失敗したことが一因かもしれません。
理学における”発見力”とは?
Q:産業的な面で、課題はありますか?
我々の基礎研究というのは一気に産業レベルまでいくものではありません。やはり試行錯誤です。本当に新しいものを作ることは、計画的には難しいと考えています。「終着点に向かって頑張ってみる。試行錯誤する」ということが必要だと思います。
Q:新しい研究ジャンルとして、興味を持つ学生も多いかと思いますが、学生はどういう興味で進学してきますか?
学生は基本的に物理学科の人間です。物理学科に入った学生が固体物理に興味を持ち、その中でスピントロニクスをやりたいという流れでうちの研究室に来ます。
学生にはできるだけ広い範囲のものを見るような習慣をつけてほしいなと思っています。もちろん専門というのは重要ですが、専門だけをずっと見ているだけではつまらない。分野というものは動的に変わっていきます。学問そのものも変わっていくし、最先端とされるものもあっという間に別のものに変わっていくわけですよね。だから専門にあまりしがみつかず、広い目で見る習慣をつけて、将来、自分で分野を作れるようになることが重要だと思います。
Q:ご自身も若いうちから新しいテーマを発見しようと意識的にアクションを取ってこられましたが、研究テーマはなかなか見つかりにくいものでしょうか。
人によるでしょうね。僕はやっぱりそれは大学院で学ぶべき一番大きなことの一つだと思います。物理や数学などの分野の勉強はある意味「勝手に」やればよくて、論文や教科書、インターネットでいいわけです。しかし、「どうやったら研究を進められるか」は説明しようがないものです。先生を見て、なんとなくつかんでいくしかありません。これだけは大学院に、研究室に入っていないとできないことです。
研究の進め方にも「家系」があるんですよ。ある先生の独特な研究の見方があって、それは確実に後進に伝わります。師事してきた先生の癖には独特のものがありますし、たぶん僕の研究室出身の人には僕の癖が影響を与えていると思います。留学とかそういう経験をして色んな人のやり方を見て、スタイルを作っていくという感じですね。
Q:海外留学は有効でしょうか。
留学は重要な要素となります。別に国内でもいいと思うのですが、いろんな先生のスタイルを近くで見てみることが重要です。成果を上げることにあまり固執せず、若いうちはスタイルをたくさん見てみて、「なぜこの人の研究はちゃんと回って成果に結びつくのだろう」というのを見ているだけでも十分勉強になります。結果的にそれが近道となります。
Q:課題発見力は、環境の中で育つということでしょうか。
我々も学生からよくそういう質問をされます。要するに、どうやればいいんですか、とか。その時は僕も一応言葉で「こう分割して考えるんだよ」と説明するんですよ。でも、本当に新しいことを考えつく瞬間っていうのは、じつはそこは説明できません。もう少し、世界観や美学に近いものがあって。そこは工学とは違うかもしれません。
工学は解決すべき問題が明確にあり、どこに視点を合わせるかで出発点が決まりますから。いわばポジショニングさえできてしまえばよいわけです。でも理学はちょっと違っていて、きれいかどうかにまずこだわり、どこに問題点があるかっていうのを見抜ける力が重要です。
Q:続いて、企業とも積極的に開発を進めていらっしゃいますが、どういう企業の姿勢に期待されますか?
昔と違って、企業から基礎研究に対するご理解をいただけるようになり、みんなで物を作っていこうという状況になっています。僕が研究者としてやってきたこの10年くらいを見るとずいぶん変わったなと思います。
基本的に企業はそれほど余裕がない中で、よくやっていただけていると思います。もちろんさらに理想を言えば、基礎研究を会社の中でもやってもらうのがよいです。中国の会社はまだ余裕がありますが、ヨーロッパやアメリカなどの先進国でそれができているところはほとんどないと感じています。
Q:最後に、直近の目標をお聞かせください。
まず回転まで含めた基礎物理法則をセットで作りたいです。それができると、本当に量子力学原理で駆動するモーターや発電機などが作れるはずです。さらに言うとそれを使って小さなものにも量子情報を付けられるようにしたいです。
量子情報技術というものがあり、これにはスピンが使われています。スピンや超電導の状態を使うのですが、物体の回転も量子情報に使えるようになれば、これまであまり使ってこなかった物体そのものをコンピューターに使えるようになってきます。微小なものの回転と、スピンとセットである量子情報を表現するわけです。こうした進化技術が作れるはずです。しかしながら、これはだいぶ先のものです。
まずはさっきの基礎物理として、物体の回転とスピンの間でどういう運動量の収支があるかというのをちゃんと表現すべきです。基礎物理法則をある程度使えるレベルに持っていき、そこから先は量子力学的な状態まで持っていく。そうすることで、スピントロニクスは、新しい量子情報の担い手になってくれるんじゃないかなと思います。(了)

齊藤 英治
さいとう・えいじ
東北大学 材料科学高等研究所 主任研究者。
東北大学 金属材料研究所 教授。
東北大学 原子分子材料科学高等研究機構(WPI) 教授。
東京大学工学部物理工学科卒業後、2001年に東京大学大学院 工学系研究科物理工学専攻博士課程修了。博士(工学)。
慶應義塾大学 理工学部物理学科 助手、慶應義塾大学 理工学部物理情報工学科 専任講師を経て、2009年に東北大学 金属材料研究所 教授となる。
2012年、東北大学 原子分子材料科学高等研究機構(WPI)教授 兼任となり、2014年、科学技術振興機構ERATO(齊藤量子整流プロジェクト)統括。2015年、東北大学リサーチプロフェッサーの称号を付与される。