生物の体の組織は細胞で構成されているが、その細胞ひとつひとつを観察することができれば、治療や研究に大きな成果をもたらすことができる。
組織を構成する細胞の観察のために有効なのが、透明化だ。これまで組織の透明化の技術はさまざまな研究者が挑戦してきたが、2014年にCUBICという方法でマウスの全身透明化を実現させたのが、東京大学 医学系研究科 機能生物学専攻システム 薬理学教室の上田 泰己教授。
上田教授は「概日時計」と呼ばれる体が自然に作り上げる時計や「睡眠」をテーマに、生命システムの時間の解明に取り組んでいるが、透明化の成功によって概日時計や睡眠の研究にも大きな進歩をもたらしている。
今回は組織透明化にいたる経緯と、それがもたらした可能性について伺った。
全細胞解析の技術をもとに、睡眠の仕組みを解明
Q:まずは、研究の概要についてお聞かせください。
2000年頃、生物学の分野は大きな変革を迎えました。ちょうどゲノムプロジェクトというものが世の中に登場し、「遺伝子のカタログ」が生まれた頃です。例えるなら遺伝子という役者のリストが揃い、それぞれの生命現象や病気でどんな役者の遺伝子が、どんな劇をやっているのかということがずっと解明されてきたわけです。
ただ、私たちの身体の中には遺伝子という階層もありますが、遺伝子が働いている場所である細胞という階層もあり、その細胞がある種の社会をつくっています。脳をつくっていたり、肝臓や肺をつくっていたりというように、細胞社会のようなものをいかに紐解くかは、大きなチャレンジであるといえます。
しかしゲノムプロジェクトとは異なり、細胞の地図のようなものがなく細胞から個体に迫っていくことが難しい状況が続いていました。そこで2010年ぐらいから、全細胞を相手にできるような技術をつくり上げようということで、透明化にチャレンジしてきたわけです。
およそ350年前に細胞の存在そのものが発見されて、そこからだいぶ時間は経っているものの、全ての細胞を見た人はまだいません。ですから全細胞の観察は、人類にとって一つの大きなゴールになると思います。
とはいっても、人間が自分の細胞を全部見るとなると、軽くても数十キログラムはありますからかなり大変なことです。現段階では人間ではなく、手のひらに乗るようなサイズの動物、だいたい30グラムくらいのマウスを対象とし、その全身あるいは各臓器の全細胞を解析することが重要なゴールになっています。
細胞の数としては、1グラムあたりに約10億の細胞があるといわれています。それが30グラムになれば、約300億の細胞があるわけですから、それを全て見ていくことになります。2018年4月にようやくマウスの脳の全細胞解析ができるようになり、発表したところ好評でした。マウスの脳の細胞の解析をしたところ、だいたい1グラムで1億個ほどの細胞があることが明らかになりました。予想よりも10倍ほど細胞の数が少ないのは脳の細胞は互いに密に相互作用しており、相互作用のための体積がかさばるため細胞の数自体は少ないようです。点で生物の臓器を表現するような、ある種の生物の点描画みたいなものをつくることができた、と発表させていただいたのが最近の話です。一つ目標を達成したところですね。
やっと白地図ができたような状態ですので、そこに細胞活動の状況みたいなものをマッピングしていくことが次の課題です。例えば地球を外から見ると、夜明るい国や暗い国などそれぞれの状況が見えますよね。それと同じように、朝昼晩でどの場所の細胞がどのくらい活動しているのか、あるいは眠たい時にどの細胞が大人しくなっているのかなどがわかるようになれば、全脳レベルでの細胞解析技術ができるわけです。
そもそも睡眠覚醒リズムというものを明らかにするために、このような技術をつくってきました。マウスは夜行性ですから人間とは逆になりますが、基本的な「寝る」「起きる」というプロセスや「レム睡眠」「ノンレム睡眠」などの状態は人間と同じだと考えられていて、脳の場所も非常によく似ている部分があります。人間の脳そのものを調べることは大変難しいので、ネズミの脳の詳細な研究を通じて人を理解していくということが進んできたのが現状です。
脳を眠らせたり、起こしたりしている覚醒中枢や、睡眠中枢は、まだ完全には同定されていないのが現状です。また「寝ている」、「起きている」という状態がそもそもどのような状態なのかもわかっていません。ずっと寝ていては食事もできませんし、他にも様々な問題が生じてきます。つまり「ON」と「OFF」というように、状態を自然と切り替えるスイッチがどこかにあるはずです。しかし、そのスイッチがどんな条件で切り替わるのかについてはまだわかっていないのです。
例えばスイッチがOFFに切り替わるタイマーのようなものを、我々は「眠気」や「疲れ」と言ったりします。場合によっては精神疾患の患者さんのように脳がONに偏りすぎて暴走しているような状態になったり、その反対で鬱病のようにOFFに偏りすぎてしまったりする状態もあります。この睡眠と覚醒のタイマーの仕組みを解き明かすことによって、脳の状態を正常なONとOFFに戻すことができるのではないかと考えています。全細胞解析はそのタイマーを紐解くための一つのツールだと思っています。それが今まではなかったので、それをつくるところから始めたという感じですね。
Q:組織の透明化に至ったのは、何がきっかけだったのでしょうか。
睡眠と覚醒のスイッチがどこにあるかよくわからない状態でしたので、まずは脳の深いところまでをしっかり見たいと思ったのがきっかけですね。
概日時計という研究を2000年くらいから続けてきて、概日時計の場合は、2005年頃に朝昼晩はどのような遺伝子同士の関係が決めているのかがわりとしっかりわかっていました。ただこれが睡眠の話になると、スイッチが脳のこの辺だろうとなんとなくはいわれているもののまだよくわからない状態でした。それなら自分たちがしっかりと研究する必要があるのではないかと思い、技術の部分からつくっていこうと始まったのがきっかけですね。
水溶性の透明化試薬は1990年代から研究が進んでいて、我々が研究を始めた2010年頃には理研の宮脇 敦史先生たちが理研で尿素を使った透明化の研究をされていましたし、まだ未発表でしたが理研の今井 猛先生たちはフルクトースを使った研究をされていました。それまでの研究がそのまま私たちの目的に使えればよかったのですが、脳の深いところまで全細胞を見るとなると応用が難しかったため、よりよい透明化技術をつくろうというプロジェクトを2010年頃からスタートしました。
パフォーマンスの観点では、当時は水溶性の溶媒ではなく有機溶媒を使った方法でないと難しかったのですが、有機溶媒はタンパク質も壊してしまいますし、毒性も出てしまうため使い勝手がよくないものでした。そこで有機溶媒のパフォーマンスを持っていて、なおかつタンパク質にも優しい技術をつくることが最初のチャレンジでした。
神戸に理化学研究所がありましてそこで研究をしていたのですが、当時関西で新しい生命科学のセンターを立ち上げようとしていました。新センターを立ち上げる時に、様々な分野の人が集まって研究所をつくろうということで、まずバイオロジーをしっかりやろうと生物学者や医学に関わる人たちが集うというわけです。
ただ、これからの生命科学は解析と合成、つまり作ることも大事になってくるよねということで、その基盤となるような分野として化学者も集う必要があるよねという話にもなりました。またしっかりとした解析をするためには物理学者も集いましょう、解析をした結果出てくる情報を扱うために情報解析をする人も集いましょう、というように様々な分野の人が集まることになったのです。
複数の研究室の中に複数の専門家がいるような状況をつくり出すことは、僕にとってはわりと大きなチャレンジでした。その当時センター長だった柳田先生のもと、様々な仲間と一緒に立ち上げていきました。これが2010年頃の話です。
2011年のスタートでしたが、準備などはこの頃から行なっていました。当時は少し違うプロジェクトに様々な人が関わっていましたが、脳の透明化の研究がうまく行き始めると生物学者だけでは難しいとわかり、その時から化学者が参加するようになりました。その後は情報科学や物理学の専門家も参加することになったのです。
Q:大きな発見があったのはいつ頃でしょうか?
2013年頃のことだったと思います。その当時は大阪のセンターを立ち上げながら、神戸でも研究をしていました。その時に学生さんがきて、新しいスクリーニング方法を開発して、そこから加速していった感じがありますね。
それまでは一つの脳を使って一つの化合物をテストする方法をとっていましたが、それではなかなか進まなかったわけです。マウスの脳もたくさん使わなくてはならないので、動物倫理的にも避けたい部分でした。
そこで学生が提案してくれたのが、脳をすりつぶしてペースト状にした後に、通常通りタンパク質を固定して、透明化をするという方法でした。一つの脳を丸ごと使うのではなく、ペースト状にした一部を使うわけです。最初は「たぶんうまくいかないのでは?」という感じでしたが、実際にやってみたところうまくいきました。
このようなスクリーニングの結果、アミノアルコールという物質が透明化にとって非常にいい性質を持っていることがわかりました。これまでわかっていた糖や尿素と組み合わせて、キュービック(CUBIC)という第一世代の透明化液を作り2014年に発表しました。
Q:透明化するには、何を消せばいいのでしょうか?
基本的に、光がまっすぐ進むと透明になります。つまり、透明化するには、光がまっすぐ進まなくなるような要因を消せばいいということになります。なぜまっすぐに進まなくなるかというと、光が進むスピードが各物質によって違うため、まっすぐ進まないわけです。遅く進む物質と、速く進む物質があるのです。
水とタンパク質と脂質があり、一番光が速く進む物質は水、遅い物質は脂質です。ですから遅くなる原因の脂質をまず取り除きます。一方で水は速すぎるので、そこに色々な物質を混ぜ込んだり、水を入れ替えたりして遅くさせます。3つの中でタンパク質はちょうど中間くらいの速さですので、脂質と水に工夫をすることで三つの速さを揃えることができるのです。
そもそも透明化という技術は、タンパク質を見る技術です。そのため、少し工夫をすることで脳を透明にすることができるのです。
意外だったのは、スクリーニングで見つけたアミノアルコールが色素を脱色することもわかったことです。アミノアルコールの構造で特徴的なのは、アミノという名前の通り窒素が含まれていて、それがヘムとヘモグロビンの間の相互作用を奪い、ヘムをマイルドな条件で抜き出すということが偶然わかったのです。まっすぐ進めるだけではなくて光が消えないように、吸われないようにすることも同時にできるようになったというわけです。
脳に応用することが最初の目標でしたが、脳だけではなく肝臓など他の様々な臓器にも応用できるようになりました。脳の場合は血液が比較的綺麗に取り除けるので、血の問題はあまり起こっていませんでした。しかしつくっていた試薬が他の臓器にも応用できたことは、我々にとってすごくいい副産物だったのです。
東京大学医学部には毎年1~3月くらいにフリークォーターという制度がありまして、私たちの元に1~2ヶ月ほど学生さんが遊びにくることがあります。インターンに似ている制度ですね。そこで「全身透明化ができたらすごいよね」と冗談のつもりで学生さんと話していたら、その年のゴールデンウィーク頃には大学院生がそれを実現させてしまったのです。3ヶ月くらいで夢が現実になったという、すごい話です。これをきっかけにして、臓器の透明化、全身の透明化が大きく進んだといえます。
全細胞解析を視野に入れながら、さらなる難問にチャレンジする
Q:今後の課題について感じていらっしゃることはありますか。
透明にして、観察や情報解析をして、つまりバイオロジーやケミストリーの部分と物理学の部分、双方の情報を合わせることで、全ての細胞を見る技術を1ランク上げることはできたと思っています。そうすると今度は病気と正常とではどのような違いがあるのか、朝昼晩でどのように変わっているのかなど、本当にその技術を使いながら謎を解いていくフェーズに入っていくと考えています。
私たちの場合は睡眠・覚醒リズムをしっかり見ていくところで、技術的なチャレンジとしてこの全シナプス解析のようなことも、視野に入ってくるわけです。
いまはまだ全細胞解析ですけれども、細胞と細胞の間には繋がりがあります。例えばシナプスと呼んでいるような繋がりのことです。それを全部見ようとすると、なかなか大変なことです。細胞の数だけ繋がりがありますし、大きさもすごく小さいです。またシナプスだけではなく繋がりそのものを細かく、細胞間の回路を見ていくような、全回路解析というさらに難しい課題もあります。今は全脳解析をしようとすると14テラバイトはある感じで、それだけでも大変なことです。全シナプス解析や全回路解析をしようとするなら、1ペタバイトくらいは必要になってくるので、さらに大変なことです。大変ですが、不可能ではないと思っています。顕微鏡や計算機の問題ですね。どちらもチャレンジですが。
またある特定の現象(睡眠覚醒も含む)に関わるような細胞群を明らかにしていくことも次のステップの一つだと思います。これは様々な他の技術と組み合わせなければならないのですが、ある細胞に細工をしておかしくした際に、ある現象がおかしくなりましたとなれば、その細胞が着目している現象において重要であることがわかります。同様な実験を様々な細胞で行ない、全細胞解析を行いその細胞が脳のどこにあるかを明らかにしていくことができると思います。
この中でも最も難しい課題の一つは、意識を支える細胞群を同定する課題です。意識は高度な知性の基盤となっていると言われていますし、意識と関連が深い自由意志は様々な法律の根幹を成しています。その意味において、意識の科学的な定義は、医学を越えていく問題でもあるのです。人の根幹にかかわる意識の問題に医学・生物学からアプローチできるかもしれないということは、非常にエキサイティングな話だと思います。
では意識の問題をもっと突き詰めていくにはどうしたらよいのでしょうか。意識を定義したり直接測定したりすることはまだ難しいのですが、睡眠と覚醒は測ることができます。もちろん意識と覚醒は異なります。覚醒している状態にも様々な状況があり、「覚醒しているけれども意識がない状態」ということもありえます。例えば植物状態の場合は、覚醒はしているものの意識はおそらくないだろうと言われています。
ではその違いは何か、と言われても、まだ誰も答えることはできていません。しかしながら、病的な状態でなければ、覚醒しておらず(意識があるといわれている)レム睡眠もしていないときには、意識がないといってもよいかと思います。とすれば、意識のあるなしの近似として(レム睡眠の有無と)覚醒の有無を用いるというのはよい方法のように思います。
睡眠測定と全細胞解析と組み合わせながら、どの細胞群が覚醒や意識を支えているのかを調べることで、今までは自然科学の土台には乗らなかったような問題に迫っていけるのではないかと考えています。最終的には、覚醒と意識のある状態を区別することを目指すわけです。
例えば我々が前提としているような概念や考え方を、物理の言葉で語れるようにしていく。それが大きなチャレンジかなと思いますね。僕が学生の頃は全細胞を見ることさえできませんでしたし、遺伝子を気軽にノックアウトすることもできませんでした。ただ今だとこの特定の遺伝子を失った動物が毎週のように生まれてきています。
私たちは週に1回この部屋でミーティングをしていまして、30人くらいが集まって会議をしているわけですが、会議の冒頭はいつも「今週の遺伝子」の報告からスタートします。例えば、「この遺伝子を失った動物は、眠り方がこんなふうになりましたと」いう感じで、2~4種類くらいの遺伝子を失った動物の状況報告から始めるわけです。
僕自身が学生をしていた2000年頃はなかなか想像ができないような状況ですが、それが現在は普通になっているわけです。もし覚醒や意識の問題について深く調べるのであれば「今週の遺伝子」と同じように「今週の細胞」という感じで調べられるような状況を作り出すことができれば、どの細胞が重要なのか、またその細胞の間にある関係がどうなっているかなどもわかってくるでしょう。今後が楽しみですね。
Q:研究室には、どんな学生がいらっしゃいますか。
1年生の時から少しずつ来る人もいれば、2年生から来る人もいますし様々ですね。学生さんの特権は、根拠のない自信や思い込みを持つことができるところかと思います。他の人とは違うことを考えている人や他の方と違う経験を持つ人は特に魅了的だと思いますね。面白い人に来てもらえると嬉しいですね。
ナイーヴだけれども引っかかる問題を大事にしてほしいですし、これだったら解けるんじゃないかっていう強烈な思い込みを持った人がいいかなと思いますね。
いま私たちが解こうとしている課題は、自分自身が学生だった頃に不思議だと思っていたことですが、その当時はどうやって解いたらいいかわからなかったけれど、強烈に惹かれる問題だったわけです。何か大きなテーマがあってそこに惹かれていくと、どうやってそこに迫ろうかと考えていくので、その人なりの仮説とかアイデアが生まれてくるはずです。ですから自分にとっての引っ掛かりとか、それに迫るための自分なりの方法論などを人と違った形で持っていてほしいと思います。
Q:企業との共同研究で期待されていることはありますか。
製薬会社やCRO、もちろん他の研究者の方々もそうですが、全細胞解析をやってみたいと言われることが多いですね。臓器のどんな領域でどんなことが起こっているのか、知っているようで知らないからそこをしっかり見てみたいという要望が多いですね。
脳だけではなくて他の臓器にも使えますし、動物だけではなくて人にも使えます。それこそ病理サンプルの透明化とそれを応用した診断も少しずつできるようになってきています。癌もそうですね。
少し新しめの技術で、点描画で離散的に表現できますから、非常にとらえにくいようなものをデジタライズするような技術の一つでもあると思います。また今急速に発展している人工知能との相性もいいはずです。ですから、三次元でなかなか人の脳だけではとらえにくいところを診断していくこともできると思います。
今まではバイオロジーと関わりがないと思っていたような分野にも、多くのチャンスがある技術になっていく。それを期待しています。(了)
上田 泰己
うえだ・ひろき
東京大学医学系研究科機能生物学専攻システム薬理学教室教授
2000年、東京大学医学部医学科卒業。在学中の1997年よりソニーコンピュータサイエンス研究所研究アシスタント、98年ERATO北野プロジェクト研究アシスタント。2004年院医学系研究科博士課程修了。
大学院在学中の2003年に、理化学研究所 システムバイオロジー研究チームリーダーに就任。
2009年、同研究所プロジェクトリーダー、2011年 同研究所グループディレクターを歴任。その間、東北大学、徳島大学、大阪大学、京都大学などの客員教授なども兼務。
2013年10月より現職。