2020年に商用化された5G、そして、2030年頃のサービス提供が想定されている6G(Beyond5G)。情報通信を進化させる研究開発と、その実証実験はもう既に始まっている。中でも、注目されているのが『ローカル5G』である。『ローカル5G』とは、地域の企業や自治体などが、5Gの通信を自由にカスタマイズして構築できる、いわば、「情報通信の民主化」を実現する政策である。ローカル5Gにより、地域の社会課題を解決しようと、全国で様々な実証実験を行っているのが東京大学大学院工学系研究科の中尾彰宏教授だ。今回は、日本の5G研究の第一人者である中尾教授に『ローカル5G』をどのように利活用していくのかーー具体的な取り組みや課題点、そして将来実現される「Beyond5G」の可能性について話を伺った。
通信の「性能」を維持しながら「柔軟性」を高めてきた
Q:まずは研究の概要について教えてください。
我々は、未開拓な領域を情報通信でつなげていく研究に取り組んでいます。日本での携帯(移動)通信の人口カバー率99%ですが、国土の面積カバー率は70%程しかありません。「山や海で遭難しても助けを呼べない」「人手不足のために思うような農業や漁業ができない」など、通信が届かないために、地方では様々な社会課題が山積みになっています。そこで、場所を問わず、人と人とが安心してつながるような「通信」を構築することが、我々の研究テーマになります。
例えば、最近では山梨県にある富士山麓。毎年7~9月の開山期間中は、登山道では通信がつながりますが、それ以外のエリアや期間では原則通信ができません。富士山では開山期間以外は積雪期になり、救護所やトイレも閉鎖され、万全の準備をして登山に臨まなければ極めて危険です。実際、年間100人超もの登山者が遭難し、数年前には落石事故で命を落としている人もいます。
そこで我々の研究では、移動可能な基地局を富士山麓に設置して通信を確保し、ドローンを使って噴火の状況(噴出量、火砕流の速度など)を迅速に把握したり、位置検知システムによる登山者の滞留状況のモニタリングなどを行ったりしています。
また、広島県では通信を使っての牡蠣養殖の支援も行っています。広島湾にある養殖場の海面をドローンで撮影して、牡蠣の産卵タイミングを把握したり、潮流をシミュレートして、牡蠣の幼生の溜まる場所を解析したりする研究を実施。牡蠣の産卵期には海面が白濁するので、人間の目では産卵なのか、太陽光の反射なのかを見極めることができません。それでドローンで撮影した画像をもとに、漁師の経験に頼っていた漁場の位置決めなどをAIで判定するようにしています。さらに、海中の養殖の様子を水中ドローンに装着した高精細カメラで撮影し、その映像を大容量通信を用いて遠隔地から確認することができます。水中ドローンの制御は、低遅延通信を用いて遠隔から実施することも可能です。
これらの研究で活用している通信技術を『ローカル5G』と言います。『ローカル5G』とは、キャリア(携帯電話通信会社)以外でも、総務省に免許を申請して、自らで基地局などの通信ネットワークを構築できる仕組みのこと。この技術によって、誰もが通信を自分たちでカスタマイズして、安定した環境のもと使えるようにできます。これを我々は「情報通信の民主化」と呼んでおり、実証実験などの研究を通じて、そうした環境づくりを目指しています。
Q:研究では、どんな点に独自性がありますか?
通信における「柔軟性」です。これは『ローカル5G』など移動通信の民主化の研究を始めるずっと前から取り組んできました。誰もが利用しているインターネットは成功した技術の1つですが、それゆえに新たな仕組みを導入しようとすると、長い時間をかけて合意形成をとっていく必要があります。インターネットはネットワーク機器(サーバやルーター、パソコン)などのハードウェアを相互に接続して制御しており、その仕様は民主的に決められ、日々進化をしています。しかし、ネットワークを構成するハードウェアの更新はエンジニアリング的に容易ではありません。
しかし、世の中は急速に進化しているので、新たな課題を解決するためには、新しい仕組みの導入プロセスを迅速に行うことが今後求められてきます。そこで重要になってくるのが、通信の「柔軟性」=ソフトウェア化です。みなさんがお使いのPCというハードウェアに、ソフトウェアをインストールすることで、自由に新たな機能を柔軟に追加することができるのと同様に、情報通信のインフラをソフトウェアで構築することによって、新たな社会課題を解決する通信インフラの技術を社会実装する、つまりビジネス業界に届けるための時間「Time to Market」を短縮できます。
1つ課題があるとすれば、「柔軟性」と「性能」がトレードオフの関係にあることです。ハードウェアだと決められた処理だけを行うので、安定性があり、高いパフォーマンスを維持できます。それに比べて、汎用ハードウェアの上に、ソフトウェアをプログラムし機能実装する、つまり、「ソフトウェア化」により通信を改変できるようになると、柔軟な処理が求められるため、処理スピードが遅くなり、性能が落ちてしまうことが多くあります。それゆえ、通信の安定性やデータ伝送の性能を維持しつつ柔軟性を実現することが大切です。
実は、今、我々はソフトウェア基地局をはじめ情報通信インフラを柔軟に継続進化可能にし社会実装展開を迅速に進める仕組みを構築する研究を推進しています。自分たちでプログラムを書き換え、新たな機能を迅速に展開ができれば、これまでのように、ハードウェアの再設計や再実装の手間や時間が省け、絶え間なく生じる新たな課題にも迅速に対応できる情報通信インフラを産み出すことが可能になります。この場合、ハードウェアもリーズナブルに入手できる汎用性のもので十分なので、いろいろな人が自由に使えるようになります。
Q:現在、具体的に取り組んでいることはありますか?
ソフトウェア基地局を自前でつくるために、2021年の6月に大学発のベンチャー企業を立ち上げました。従来モバイル通信の基地局に必要な機器は、キャリア向けの仕様になっており、堅牢ではあるものの高額で、通信の届く領域を限定して使うには重厚長大、つまり、オーバーエンジニアリングになっていました。
現段階ではキャリア向けの機器に比べると、価格が少し下がるくらいではありますが、我々の技術が進展していけば、今後は1〜2ケタプライスダウンできると思います。今も多くの自治体・大学・企業などから引き合いが来ています。
なお、このソフトウェア基地局のもう1つ優れている点は、『ローカル5G』のため、置き場所などを自由にカスタマイズできることです。いわば「かゆい所に手が届く」通信なのです。例えば、富士山麓のプロジェクトでは、噴火や落石の予兆をいち早く把握するために、ドローンを活用します。ドローンにはSDカードが内蔵されているため、通常は撮影した映像を持ち帰って分析します。しかし、それだと噴火にドローン機が巻き込まれたり、風で飛ばされたりして帰着できない場合が想定されるため、リアルタイムで映像を確認できるようにしなければなりません。
そこで高精細映像を大容量・低遅延通信が可能な5Gを利用して、リアルタイムにアップロードして、モニタリングできる仕組みを導入します。ドローンをコントロールするためには、途切れることなく、瞬時に撮りたい映像が撮れるように、超低遅延で通信できる必要があり、また、一般に利用できるモバイル通信ではアップロードの伝送容量が確保しづらい課題もあり、自分たちで基地局の場所、通信範囲、伝送容量などを自由にカスタマイズできる『ローカル5G』は非常に有効です。
現在、大学の研究室でも自分たちで基地局を設計・実装し、様々な実証実験を行っています。個人的には、東大のキャンパスをテストベッドにしていきたいと考えています。学生たちが自由に『ローカル5G』を使って、「こういう機能がほしい」「こんなことをしたい」といった、様々なアイデアが集まってくる世界をつくりたいですね。
「情報通信の民主化」がなぜ重要かというと、情報通信技術を自分たちで創ろうとする人々が増えることで、革新のチャンスが増大するからです。参入障壁が下がると、新たなステークホルダーが業界に加わり、新たなエコシステムができる可能性もあります。新しいビジネスモデルにより経済効果が生まれます。
ニーズをしっかりと捉え、課題提起できる力が必要
Q:今後の技術的、産業的、倫理的に感じている課題はありますか?
通信のソフトウェア化でいえば、「柔軟性」と「ハイパフォーマンス」とのトレードオフの問題(関係)を解決しながら、使える通信機能を整えていく必要があります。そのために、次は電波の送受信処理やデータ処理をソフトウェア化する「ソフトウェア無線技術<Software Defined Radio(SDR)>やエッジコンピューティングやトランスポートなど有線ネットワーク処理のソフトウェア化が求められます。ここでいうソフトウェア化は、いわば迅速にカスタマイズできる可能性を意味しており、厳密には、ソフトウェアでなくても、カスタム可能なハードウェアであっても構いません。迅速に柔軟に進化できることが重要なのです。
これまでは、電波で何かを伝えるには、電波を解析して、処理する専用ハードウェア装置が必要でした。しかしソフトウェア化では、汎用の計算機がすべて処理を行うので、計算機と変換装置(アナログからデジタルに変換する)があれば、同様の処理が実行できてしまいます。今取り組んでいる『ローカル5G』のソフトウェア基地局にも、このような技術が導入されています。
今後、このソフトウェア化が日常的に利用されてくると、それに必要な機器はもっと安くなりますし、新しい方式の通信が出た瞬間に、それをプログラミングして、すぐに世の中に出すことが可能になります。もしこれをハードウェアのみで対応しようとすると、もっと長く、例えば、半年〜1年ぐらいかかってしまうため、対応できるようになった頃には、新たな方式が登場するといったことも、現実には起こる可能性があります。
技術的な課題としては、迅速に対応できるソフトウェアの「実装のしやすさ」が重要になってきます。また、計算能力の向上や、計算を実行するための柔軟にカスタマイズすることができるハードウェアを構成する低消費電力の半導体の技術も重要となります。半導体だけでなく、Beyond5Gでは量子技術、AI・機械学習、衛星・HAPSなど宇宙通信技術などの利活用を含めて、幅広い技術との連携が欠かせなくなるはずです。
次に産業的な課題でいえば、基地局(通信インフラ)における要素技術です。この領域では、現在3強といわれる「Ericsson、Nokia、華為」の世界的メーカーが先行しています。ただし、構成部品や無線や光技術などの領域で言えば、日本企業においても強い技術力を発揮しているので、今後は他国の技術と組み合わせながら国際連携で、様々な領域でシェアを広げていく必要があるでしょう。
最後に、倫理的な課題、つまり、「プライバシー保護」や「データガバナンス」も重要です。Beyond5Gになれば、「大容量」「超低遅延」「同時多数接続」により、大容量のデータをリアルタイムに、過剰に収集できてしまう可能性があるため、倫理的な配慮や、社会受容性を考慮しないと、個人のプライバシーが侵害される可能性もあります。このように、情報の扱いを倫理に照らし合わせて管理することをデータガバナンスと呼び、近年、技術の発展と共に重要な観点となりつつあります。今後は匿名性を保持しながら、有用な結果を出していくためのプライバシーに配慮し、データガバナンスを遵守した上でのセンシング技術が必要になります。例えば、富士山の登山道に『ローカル5G』の基地局を設置して行っている実証実験では、匿名センサーにより、個人情報を特定することなく、人数を把握する技術を開発しています。
Q:研究室にはどんな学生がいますか?
現在、社会人ドクターや留学生をいれると17名が在籍しています。来年度の進学予定者は8名決定しています。通信の基盤技術を研究することや、『ローカル5G』などの技術を活用して、地域の課題を解決していくことに興味がある学生が多いようです。私自身も富士山地域の防災対策や広島県の牡蠣養殖支援だけでなく、長崎県の遠隔治療など、地方創生につながる研究活動にも取り組む予定なので、技術と地域貢献に興味のある学生には、やりがいのある研究に取り組めると思います。
Q:この分野を志す人にはどういうことが必要でしょうか?
研究の「課題解決を行う力」も大切ですが、それ以上に意識しなければいけないのは、「課題を捉える力」です。私がドクターを取得したプリンストン大学のアドバイザーはとても教育熱心で、私は博士論文を50回以上書き直しました。その添削された論文は宝物として今も持っています。何度も書き直すことで論文の論理構成を体得することができたのです。
このときに学んだことが「研究は、課題をきちんと認識するのが半分、解決するのが半分だ」ということです。いざ研究を行ってみると分かりますが、どういうところに課題があるのかをきちんと見定めないと真の課題解決には至りません。課題設定が広く共感を得ないものだと、社会実装した際のインパクトが理解されません。例えば、地域創生をテーマにした研究では、現場の課題を理解できなくては、いくら最新の5GやIoTセンシング技術があっても活用できないのです。
また、私は何か新しいことにチャレンジすると、周りから「それは『絵に描いた餅だよ』」ということを、ずっと言われ続けてきました。でも個人的には、この言葉がとても気に入っています。一般的にはネガティブな意味ですが、私の場合はポジティブな言葉として捉えています。
なぜなら、自分の実現したい世界を描くことができなければ、研究のスタート地点にも立っていないからです。誰も見たことのない絵を描く能力を養わないと、新しいものは産み出せません。だから最初に、周りの人から「実現不可能だ」と思われるような壮大なプラン(絵)を描くことが重要だと思っています。
まさしく「この絵を描くこと」が、さきほど私が話した「課題提起」です。本当にみんながニーズとして思っている課題をしっかりと見極めて提起する、そういう「絵」を描けるかどうかが肝になります。このことは、私のゼミでも学生たちに口を酸っぱくして言い続けています。
Q:企業とはどんな関わりをしていきたいですか?
私の研究室は企業との連携のご縁には非常に恵まれていて、2020年も10社以上の企業と共同研究や委託研究を行いました。大手企業などの研究所は、ビジネスに直結するテーマでないと取り組めなかったり、社内での合意形成に時間がかかったりしますので、そういう場合は、自社だけで議論するのではなく、大学の研究室をうまく活用してもらえればと思います。最近は企業も時間がかかる案件と、短期で結果を求める案件と分けて考えてくださるので、話し合い次第で、様々な研究ができると思います。
Q:今後の目標を教えてください。
これまで、常に新たなテーマを模索し続けてきたので、周りからの反発も少なくありませんでした。例えば「これからは、ネットワークのソフトウェア化が重要だ」と提唱したときも、「ソフトウェアなんてバグだらけじゃないか」「本当に通信で使えるのか」と言われ続けたこともあります。現在は、通信事業者がソフトウェア基地局を展開する時代になりました。このような考え方が市民権を得るためには10年以上かかっています。それでも諦めなかったのは自分で駄目だと思えるまでは、挑戦し続けないと納得できないからです。やはり後悔はしたくないですから。
今後の情報通信の進化は、ローカル5Gのような「民主化」の考え方が重要となると考えています。課題から出発し、その解き方を「みんなが考えて」迅速に開発・展開すること、これが強い競争力を生み出すと信じています。Beyond5G/6Gは、ローカル5Gが進化するローカル6Gから始まるのかもしれません。
これからも、Beyond5Gに向けて、「情報通信の民主化」を推進して、革新を起こし、未開拓の領域を通信でつなげていきたいですね。(了)
中尾 彰宏
(なかお・あきひろ)
東京大学大学院 工学系研究科 教授
1991年 東京大学理学部卒業。1994年 東京大学工学系研究科修士修了。同年4月 日本アイ・ビー・エム株式会社入社。米IBMのテキサスオースティン研究所などを経て、米プリンストン大学大学院コンピュータサイエンス学科にて修士・博士学位を取得。2005年 東京大学大学院 情報学環助教授に就任し、2007年 准教授を経て、2014年から教授。2021年に東京大学大学院工学系研究科教授に移籍(現職)。東京大学 総長特任補佐、次世代サイバーインフラ連携研究機構・機構長を兼務する。学外では、学術連携会員、第5世代モバイル推進フォーラムネットワーク委員会の委員長、Beyond5G推進コンソーシアムの国際委員長も務める。